平凡であることの幸せ

人生は光に導かれる旅

☆Life is a journey towards the guiding light

桜桃忌

2008-06-19 | まち歩き

Inogashira 今日、19日は 太宰治(1909 ~1948)の「桜桃忌

何度か自殺未遂や心中未遂を繰り返し、玉川上水で愛人(山崎富栄)と入水心中をした命日は1948年6月13日ですが Cherry 偶然にも 彼の39歳の誕生日である19日に遺体が発見されたそうで 亡くなってから60年、来年は生誕100年になるそうです。三鷹市の禅林寺はお墓参りの方々が多くいらしたことでしょう。

* 子供より親が大事、と思いたい。* 

という冒頭ではじまる「桜桃」にちなんで「桜桃忌」と呼ばれています。

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この寺の裏には、森鴎外の墓がある。どういうわけで、鴎外の墓が、こんな東京府下の三鷹町にあるのか、私にはわからない。けれども、ここの墓地は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知れないと、ひそかに甘い空想をした日も無いではなかったが、今はもう、気持ちが萎縮してしまって、そんな空想など雲散霧消した。私には、そんな資格が無い。立派な口髭を生やしながら、酔漢を相手に敢然と格闘して縁先から墜落したほどの豪傑と、同じ墓地に眠る資格は私に無い。お前なんかは、墓地のえり好みなんて出来る身分ではないのだ。はっきりと、身の程を知らなければならぬ。私はその日、鴎外の端然たる黒い墓碑をちらと横目で見ただけで、あわてて帰宅したのである。(花吹雪)(青空文庫より)

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Photo 吉祥寺に遊びに行ったら 井の頭公園からジブリ美術館の横を通り抜け、玉川上水わきを経て、三鷹までの文学散歩道(風の散歩道)を歩いて、山本有三記念館や、禅林寺太宰治森鴎外のお墓を訪ねてみたいと 毎年思うのですが 吉祥寺に行くとついつい文学散歩よりも 「いせや」さんの焼鳥や(笑) 遊びが優先になってしまい 禅林寺にもまPhoto_2 だ訪れたことがありません・・・。 また下連雀の太宰ゆかりの酒店「伊勢元酒店」の跡地には今年3月に「太宰治文学サロン」が開館したそうで、いつか そちらも訪れてみたいと思います。(こんなことを書きながら 今日は 吉祥寺や井の頭公園が舞台のドラマ、「ラスト・フレンズ」が最終回だわ。。。なんて思ったり。。。)

Kawaguchiko GWに河口湖に行った時も 天下茶屋の分店 峠の茶屋に「太宰治記念館」があり 「与勇輝」さんの人形が常設されている「河口湖ミューズ館」や 山中湖にある「三島由紀夫文学館」もあわせて見学したいのですが いつも友人たちと一緒でドライブや遊びがメインになってしまい 時間もなく 次回は・・と思いつつなかなか立ち寄れずにいます。

 富士には月見草がよく似合ふ (「富嶽百景(ふがくひゃっけい)」 太宰治)

Yuuhuji Fuji_3

   (山中湖にて 富士山を望む By Yukari)

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1947年5月19日(山崎富栄)

愛してしまいました。先生を愛してしまいました。

どうしたらよろしいのでしょうか。お逢いできない日は不幸でございます。ご病気でもなんにもできない私は悲しゅうございます。先生にお逢いしたいばっかりに町を歩き店を覗いて帰る。女なる身が悲しゅうございます。

病と闘いながら奥様の御看護をうけながらあなたはふと私のことを思い浮かべて下さるときがあるのでしょうか。今日で二日にもなります。明日はお逢いできるのでしょうか

1948年6月13日

遺書をお書きになり 御一緒につれていっていただく。みなさんさようなら。父上様 母上様 御苦労ばかりおかけしました。ごめんなさい。お体大切に仲睦まじくお過ごしくださいまし。あとのことお願いします。

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青森の太宰治の生家である 太宰治記念館「斜陽館」にもいつか訪れてみたいです。(3年ほど前 大雪で塀が倒壊するという被害があったというニュースを聞きましたが・・・)

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松林の向こうに海が見える。こうしてお座敷に座っていると、ちょうど私のお乳のさきに水平線がさわるくらいの高さに見えた。(「斜陽」から)

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小田原市下曽我の高台にある雄山荘から眺めた相模灘の風景。「斜陽」のヒロインは 1947年11月に太宰の娘(太田治子さん)を出産し未婚の母になった太田静子(1913~1982)さんがモデル。没落家族を書きたいと思っていた太宰は 彼女に 病身の母親との雄山荘での生活を日記に書くよう命じ、その日記を 1947年2月に雄山荘に5日間滞在して受け取り、その足で伊豆の旅館で「斜陽」を執筆したそうです。(執筆後半は彼女の懐妊を知っており 出産後 認知しています。)

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証、 太宰治子、この子は私の可愛い子で、父をいつでも誇って、育つことを念じている  昭和22年11月12日 太宰治

しかし 翌年6月に 半同棲状態だった山崎富栄と入水自殺・・。

「こいしい人の子を生み、育てることが、私の道徳革命の完成なのでございます。」と太宰が「斜陽」の主人公に言わせた、あの一字一句そのままに生きようと思う(「斜陽日記」 太田静子)

その後静子さんは 炊事婦、寮母などをしながら治子さんを作家に育てあげたそうです。

知人の妻子ある男性と入院中の静子を見舞いにいったら、「あなたは、彼の赤ちゃんを生んでもいいのよ」と言った (第一回 坪田譲治文学賞「心映えの記 (中公文庫)」 太宰治子(太田治子

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治子さんは高校二年の時に「十七歳のノート」(太田治子)という ご自分の生い立ちの「手記」を書かれていらっしゃり その後出版された「空色のアルバム (1979年)」に収められているそうです。

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古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです (「斜陽」太宰治)

暁雲は、あれは夕焼から生れた子だと。夕陽なくして、暁雲は生まれない (「善蔵を思う」太宰治)

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Yuhi2d Yuhi1

斜陽・・・夕陽・・・

*静かな深い悦びが、まるで夕方の太陽にように、あなたの胸に射しこんできて・・・ *

 チェーホフの「桜の園」も 読んでみたい一冊になりました・・。

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余談になりますが 学生だったころ 有島武郎の「小さき者へ」を読んだとき 幼いうちに母親を亡くした3人の子供たちへ贈った父親の愛情や思いに深く感動したのですが、その後に有島 武郎は女性と心中したと知り、あんなことを書いたのに・・・と、ものすごくショックだったことを思い出しました。 昔の作家は自殺や心中が多いですが ただの不倫の果てで それもまた彼らにとってはロマンや「美」であったり、 あるいは創作への行き詰まりや苦悩の結果だったりするのかも知れませんが・・・  感性が豊かで繊細である「芸術家」の悲劇でもあるようにも思うのです・・。

それから、太宰にとっての この場合(「桜桃」)の「親」とは「自分」のことですが、私自身、親になってみて、それから 両親を亡くす悲しみを知っても思うことは・・・(自分が「親」の立場であっても「子」の立場であっても)

  親より子供が大事、と思いたい。*

太宰も「桜桃」の最後に「の中で虚勢みたいに吐く言葉・・・」と書いていますから 本当は。。。 (オトコノヒトのカワイさだなぁ。。。← 結局 太宰を愛した女性たちは、このカワイさあるいは弱さに恋をしてしまったというのも頷ける。。。現代的にいえばダメンズウォーカー的な?(笑)だって 太宰をとりまく女性たちは皆、才媛なのよね。。。)

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夕陽といえば 東西に連なる日本列島の西は私の大好きな沖縄。 事実上の時差の関係でいつまでも明るくなかなか沈まない 沖縄本島、読谷の残波岬や 宮古島の西平安名崎の先の池間大橋を渡った 池間島の東シナ海に沈む夕日がとても綺麗でしたが、太宰の本当の命日の 6月13日は 太平洋戦争の沖縄戦

沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

Sango と電文を残して 海軍司令壕で自決なさった 大田実司令官(中将)のご命日でもあります・・。

 桜桃の蔓を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、サンゴの首飾りのように見えるだろう。(桜桃より)  ━━━━━ カーチバイ(夏至南風)も吹いて 沖縄はもう梅雨が明けました。 珊瑚が美しい島の悲しみも心に刻みたい6月・・・。    合掌 

Ikema Oogami1

 

コメント (2)
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