平凡であることの幸せ

人生は光に導かれる旅

☆Life is a journey towards the guiding light

♪ おかあさん ♪

2005-05-15 | 日記
♪ おかあさん おかあさん
  おかあさんてば おかあさん

  なんにもごようは ないけれど
  なんだか よびたい 
  おかあさん  ♪


私の好きな童謡に こんな歌があります
素直な幼児の気持ちが 短い詞の中に凝縮されているような気がします。

大きくなるにつれて こんな簡単なことも
恥ずかしくて言えなくなるのでしょうけど、
ちょっと考えてみると こんな気持ちは
子供だけでなくて 大人ににもありませんか?


なんだか 呼びたい・・という対象が
母親から 家族 友達 恋人・・というように変化しながらも
どんな大人にだってこのような気持ちがあるはず。

もしあなたに そういう人がいなかったら
一人のお部屋で声に出して誰かを呼んでみたらいかがですか?(笑)

それから 寂しい時や、悩んでいる時に
もし 聞いてくれる人がいなかったら
一人のお部屋で 自分を呼んでみて
声に出して自問自答をしてみるのもいいかもしれません。


心で思うのではなく 声に出して自分で質問し 
自分で質問に答えることによって
自分が今 どうしてほしいのか
どんな方向に向かっていきたいのか
ちょっぴり見えてきませんか?(笑)

自己分析ができるようになるだけでも
自分にとってはすごい収穫になるはずなんです♪


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無数の枝分かれ・・

2005-05-15 | 日記
冬に落葉した広葉樹林を見ると
太い幹から 無数の枝が空に向かって 
だんだんと細くなって、
枝分かれしている姿は
まるで海の底で息づく サンゴのよう。

人間や生物の神経網や血管のようにも見える。

生きるもののカタチが どこか共通している不思議。

それは地球だけなのかな?
宇宙の生物もそうなのかな?

川は 下流にいくほど太くなるから 
まるで反対。

宇宙には この神経網のようなカタチをしたものがあるのかな?

もし 宇宙が神様の体の中だとしたら
私たちの地球は その体を作る神経細胞のひとつに例えられるかしら?

もしそうだったら、
ニューロンのシナプスのように
ひとつひとつの星が 他の星に
何かを伝達していけるかな?

でも 宇宙の中で この神経網のような
カタチをしたものを
私は 知らない。

春が来て、
この無数の枝に 新しい緑が生まれるように
どこかのだれかの 破壊されてしまった
神経も新しく再生されたらいいのにな。
歩けない人が 歩けるように
見えない人が 見えるように
聞こえない人が 聞こえるように
心を失くした人が 愛を感られるように

そして
この地球の美しさも 宇宙の星々に伝達されたら
ステキだな。

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存在と時間

2005-05-15 | 日記
毎年 書いていることですが 季節が巡るたびに思うことを・・・


花をはじめ 四季折々の自然の美しさを見ると本当に心が洗われます。
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて涼しかりけり」
と道元禅師が「本来の面目」としてこの句を詠んでいますが、
「本来の面目」とは「悟り」のことであり、
自然の姿そのものの中に「悟り」があると言っていると解釈すればよいのでしょうか?
ただ目先の美しさだけに惑わされず、
物事の本質を見るにはどこを見るかということも自然が教えてくれるのかもしれません。
また、自然体で、自然を楽しみ、あるがままの姿が
「本来の面目(真実の姿)」であるというようにも解釈できます。

道元禅師と言えば『正法眼蔵』を思い出しますが、
特に 「正法」 は本来仏教の真髄ということで、
それを「眼」で照らし見、 「蔵」 は一切の仏法の真理をすべて包蔵するという意味だそうですが、
やはり 無宗教の私には「正法眼蔵」の内容は難しすぎです。

☆━☆━☆━☆━☆━☆━☆━☆━☆━☆━☆

道元は正法眼蔵の中で「有時(うじ)説」を説いておりますが
「いわゆる有時は,時すでにこれ有(ゆう)なり,有はみな時なり」と述べています。
“時はそのまま存在であり,存在はすべて時であるということですね。

これは ハイデガーの「存在と時間」などの存在神秘の哲学にも通じるものがありますね。

「あるとき」というものを時間論の発想の手がかりにしていますが、
「有」はサンスクリット語で「生存するもの」の意であり、「空間的存在」にも用いられるそうです。
「時」はいわゆる時間的なことであり、一般的な仏教では時は実在するものではなく、
「仮にあるもの」とされているそうです。

時間というものは一瞬一瞬に絶え間なく流動するものですが、
流動の中にも不流動の部分もあり、
現在この一瞬が無ければ、過去もありえず、未来もあり得ないのだそうです。

つまり永遠をあらしめているのが、現在のこの一瞬で、
この一瞬が私たちの全生命であるのだそう・・。

つまり 現在の一瞬を最高に生きてゆくことが永遠を生きる事になるということでしょうか?

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♪マリアさまのこころ ♪ 聖歌

2005-05-15 | 日記
マリアさまのこころ それは青空
わたしたちを包むひろい青空


マリアさまのこころ それは樫の木
わたしたちを守る強い樫の木

マリアさまのこころ それはうぐいす
わたしたちと歌う森のうぐいす

マリアさまのこころ それは山百合
わたしたちも欲しい白い山百合

マリアさまのこころ それはサファイア
わたしたちを飾るひかるサファイア


 .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~

ロザリオの月は10月ですが
五月の母の日になると
口ずさみたくなる歌です。・。・。♪
      
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こころ   金子みすゞ

2005-05-15 | 日記
おかあさまは
 おとなで大きいけれど、
 おかあさまの
 おこころはちいさい。

 だって、おかあさまはいいました、
 ちいさいわたしでいっぱいだって。

 わたしは子どもで
 ちいさいけれど、
 ちいさいわたしの
 こころは大きい。

 だって、大きいおかあさまで、
 まだいっぱいにならないで、
 いろんなことをおもうから。


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