ベルリンを東西に分けてたのは壁だけではありませんでした。
この川も壁と同じく「分断の象徴」として利用されてました。
「シュプレー川」です。
そしてこの写真の駅は「フリードリッヒ通り駅」。
ここも東西ドイツの境い目でした。
つまりここで「厳しい国境審査」があったのです。
かなり前に東西統一直後のドイツの鉄道を紹介したビデオで見たのですが、この駅も映ってました。
その当時の構内は殺風景で、かつて出入国審査があったと思われるところにはコンセントが抜き取られた跡がいたるところにあったりと、「もう何にもなかった」のが「そこにかつてあった」ことを物語っていて、かえって不気味なほどでした。
ガード下には「東独の」マルクに交換できる両替所も多数あったんですよ!
でも、この写真を撮った時には日本の駅のように店やスーパーが並んでいて、プラットホームも華やかでした!
その変化にはほんと驚いた!!!
これがまさに「21世紀のベルリン」だったんですね。
予備知識を持ってこの駅に来てたので、そんなことを肌で感じることができて、面白かったです。
ほんと、いろんな意味で「ベルリンは刺激的」ですよ!!!
この川も壁と同じく「分断の象徴」として利用されてました。
「シュプレー川」です。
そしてこの写真の駅は「フリードリッヒ通り駅」。
ここも東西ドイツの境い目でした。
つまりここで「厳しい国境審査」があったのです。
かなり前に東西統一直後のドイツの鉄道を紹介したビデオで見たのですが、この駅も映ってました。
その当時の構内は殺風景で、かつて出入国審査があったと思われるところにはコンセントが抜き取られた跡がいたるところにあったりと、「もう何にもなかった」のが「そこにかつてあった」ことを物語っていて、かえって不気味なほどでした。
ガード下には「東独の」マルクに交換できる両替所も多数あったんですよ!
でも、この写真を撮った時には日本の駅のように店やスーパーが並んでいて、プラットホームも華やかでした!
その変化にはほんと驚いた!!!
これがまさに「21世紀のベルリン」だったんですね。
予備知識を持ってこの駅に来てたので、そんなことを肌で感じることができて、面白かったです。
ほんと、いろんな意味で「ベルリンは刺激的」ですよ!!!