午前10時の一番風呂に入る前に、
近くの散策をしようと9時に家を出る。
マイントピアから車で5分ほど上流にダムがあります。
以前は堰堤を避けて、ほんの短いZ型のトンネルがありました。
バスも通れず、車の離合にも苦労する狭いトンネルでした。
10年ほど前に完成したループ橋(青龍橋)はダムと相まって壮観です。
それはさておき、
目的はダム湖にそそぐ支流 子女郎川に架かる「遠登志橋」
読み方は写真の中で・・・・
車を止めてほんの10分ほどで辿り着きます。
ちょっと歩きには物足りない・・・・
午前中のすがすがしい空気に包まれ、身も心も洗われる。
何と、、、40数年前の旧遠登志橋の上で撮った我が子の写真・・・ ↑ 雪?
展望台も丸見え、今は木々が覆いかぶさっていて周囲の展望皆無
妻が額縁に無造作に入れて、壁に架けられたままの中にあった、、
まるで化石のような セピア色のいにしえのアルバムの中の1枚
当市は観光資源に乏しく、
昔は、唯一この別子ラインとダム湖が観光スポットだった気がする。
まだ鉱山が元気なころでしたから、活気がありました。
この橋を渡り、東平(トウナル)へ多くの人が行き来していたものでした。
今ではすっかり様変わり、
広い道路が全線開通し、この場所も通過点、立ち寄る人も少ない。
明治30年代に架けられた橋はトラス式アーチ橋でした。
そのアーチ部分だけ残して、本体部分は吊り橋に架け更えられた。(平成5年)
一番風呂に間に合いました。
若い時に家族で行った時の出来事が思い出されたのではないでしょうか。
こころ旅の正平さんは絶対に渡れないだろうな、と。私の場合はたぶんお尻がムズムズかな。
ottchさんの住む地域が安全なのは上流にダムからなのですね。納得しました。
今と昔の時代の流れを感じますね 鉱山で栄えた名残り若い人は知る由もありません…
子供さんの写真 セピア色が一層 懐かしさを増します
写真を見れば遠い昔の記憶はハッキリ思い出せますよね 直近の記憶の方がない事もしばしば (笑
これを見てお子さんも楽しかったことを思い出されるかもしれませんね
こちらも炭鉱で栄えた後閉山になり多くの子供達が全国に散らばってしまいました 今はボタ山が残っています
朝一のお風呂 気持ちいいでしょう
昨日の泌尿器科受診 検査数値も変わらず半年後の受診です
さわやかでしょうね。
ぐるりとされて一番風呂に入られた
のですね。
私が写した息子たちの懐かしい写真も
こんな感じでセピア色に近くなっています。
もうここ十数年もアルバムを開いていません。
開いていないというより開けないんです。
自分の若い頃、子供が幼かったころが懐かしすぎて
もう戻れないその頃を思うと胸が締め付けられるような変な気持ちになるんです。
そんな人いないのかなぁ?と聞くに聞けず閉じたままのアルバムです。
応援P
吊り橋は薄くて軽いもので、ワイヤーだけで吊っていて、揺れますよ。
下のアーチ部分は昔のものを形だけ保存しているのですね、飾りです。
明治時代の遺産、、形状としての見栄えはいいですね。
このダムは工業用水と発電用が主で、洪水調整の役割は小さいようです。
私がこの町に来た当時は石油化学勃興期、機械も鉱山も最盛期でしたね。
300年の歴史を刻む 銅鉱山の産業遺産は数え切れません
自宅二階の踊り場の壁にかけていて、普段見捨てられた状態です。
朽ちかけたセピア色の写真もまた一時往時を思い起こさせました。
異常なし、、ご同慶の至りです。
昔の写真は整理しようとアルバムを出しても、
ついつい又そのまま仕舞うことになりますね。
捨てるものとして仕訳けた写真もそのまま菓子缶に入れておいてある・・・
特別保存だけスマホで撮って残す手もありますが、いずれは消えてしまいます。
VHSのビデオや8mmフィルムも見られないまま置いてある(笑
若い頃は自宅から歩いて行ったことも有りました。
新しい吊り橋が出来てからは初めてでした。
当時の写真、、色がそのままのものもあれば、
退色したものもありますね。フィルムの違いか焼きつけの違いか?
セピア色に年月を感じます。
セピア色もここまで退色して消えかかっている写真も珍しい。
カラー写真の初期だったかもしれません・・・
フィルム時代の写真がアルバム 20冊くらい在りますが、
私も何年も開いていないです。
同感です、二度と戻れない過去の記録、見ていると懐かしすぎて・・