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じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

名案かも?

2009年01月07日 | 不整脈

最近またAFの発作が時々起るようになった。

年末にも2度あったが、近くのかかりつけの病院へ駆けつけ、点滴をすると治まった。

その後も何だかいやな予兆が繰り返されている。

  

私のAF発作には前兆があって、期外収縮が起こり、その頻度が増加してきて

挙句にAFになる。こうなると居ても立ってもいられなくなる。

前兆のときに、定時服用のカプセル薬を頓服するが、効くまでに時間がかかるので、

ある時、カプセルを割って中の粉末を少し舐めるとたちまち治まったことがあった。

点滴からヒントを得た自己流だが、これは禁じ手かもしれない。

  

今日は朝一でかかりつけの循環器科の定期受診に行った。

受診の時に測る心電図は決まって正常である。

先の自己流をDr.に話すと、頓服の方法にもありますから・・・

と別にダメだとは言われなかった。

(名案かもしれない・・・)

  

孫たちは常夏の国に帰り、普段の活動を再開したとの便り。(rikuの入隊式)

Riku_boy1

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不整脈だとか・・

2008年12月03日 | 不整脈

天皇陛下が不整脈で、公務をお休みになったという。

  

前立腺がんに不整脈、高貴なお方と同病とは何だかどうも面映い。

先進治療法やホルモン療法による骨粗しょう症など副作用についても報道されるので

注目されることになる。

 

不整脈には軽いものから重いものまで種類があって、そのあたりや治療などは今のと

ころ計り知れない。ご高齢にしては激務で、ストレスもかかるのであろう。

今後の病状や治療法などに関心を持って見守っていきたい。

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あちゃー心房細動

2008年07月24日 | 不整脈

岡山での二日目の夜のこと。

その日は妻の体調が絶不調で、傍にいても心労が重なった。

病院に居た頃から心臓の動悸があって、ホテルに帰りついても一向に治まらない。

これはどうも発作性心房細動(AF)かもしれない、急に不安になり確信になった。

そうだ、ここは<msnctyst w:st="on" addresslist="33:岡山県岡山市;" address="岡山市">

岡山市

</msnctyst>、アブレーションを受けたかかりつけのS病院が近くにある・・・

これ幸いと、夜10時に電話連絡すると、どうぞ直ぐに来てくださいとのこと。タクシー10分で駆けつけた。

心電図を見て当直医師は「やはり心房細動ですね・・」 あちゃー

サンリズムの点滴で不整脈はぴたりと治まった。さすが専門病院。ふーっと安堵した。

やはり疲れとストレスが原因とみえる。薬の服用を増やすよう処方された。

発作性AF・・・これ一度起こると癖になる可能性があること、身をもって知っている。

それにしてもここのところのストレスは如何ともし難い。

よほど気をつけて夏場を乗り切らねば!

3日居て一旦帰宅した。

帰りの電車の車窓からの景色。土器川と遠くは丸亀城

0807242_8

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AFその後

2006年09月03日 | 不整脈
再発してしまった。
がんのことではない、AF(心房細動)である。
少し動いて汗をかいた後、自宅で遅い昼食にしていた。暑かったので缶ビールを一口二口飲んだとたんに、ぶるっと来て心臓が高鳴りだした。あの何とも言えない不安な動悸が甦ったのである。

アブレーション手術後ほぼ10ヶ月、多少の不整脈はあったものの何事もなく推移して根治を信じていたが、やっぱりだめだったか、と落胆が大きかった。
去年ならあれほど注意していた水分補給も、この夏ともすればサボりがちで昼間からちょくちょくビールも口にしていたのである。

かみさんに脈をとってもらうと間違いなくAFだという、ガーンと後頭部が重たくなった。
とりあえず以前に貰っていた薬(サンリズム)を飲み、脈を遅くする薬(テノーミン)も飲んで、かみさんに眼球圧迫などやってもらったが治まらない。トントン、トトトト・・・である。

今回も日曜日であった。
昨年頻繁に起こった発作もなぜか週末か夜中ばかりだったなあ。
近くのかかりつけの病院に電話したが主治医は当然休みである。当直の医師を確認して「今から行きますのでよろしくお願いします」薬物治療には苦い経験がる。
一応服を着替え、車に乗っていざ出かけようとしたときに、ふーっと楽になった。
治まったのだ、薬を飲んで30分、効いたのかもしれない。
かみさんは信じられないという風に喜び、私も正直ホッとした。

「やっぱり日常管理は守らないとねー、忘れかけていたことを再認識させられたことだけでもありがたい」とはかみさん。
「そうだねえ、ビールは控えるよ」


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AFその後-2

2006年05月27日 | 不整脈
近くのかかりつけの病院(循環器専門)に行ってきました。
アブレーション術以来、ここ数ヶ月に亘って安静時心拍数が多いことについて相談する。
心電図でもやはり頻脈の所見、脈が速いのは不整脈の引き金にもなり、色々な意味でよろしくない、と治療薬を処方してくれた。交感神経の働きを抑える薬らしい。
「テノーミン錠25」、副作用は無いが、朝食後1日1錠をずっと飲み続けなければならない。

翌朝服用後間もなく効き目が表れた。
それまで90前後の平常時心拍数がいつの間にか、時計の秒針の音と同じ、なんと60前後に落ちている。劇的・・・
えーっこんなに効いていいのかしらとむしろ不安になるくらい。
そのことで自覚症状は何もないのでこれでいいのかなと思うものの、血流が2/3に落ちたということ、それまで多めに体内に送り出していた血液は一体何に使われていたのだろうとか、最も基本的な心拍数が、薬によってこんなに簡単に変えられてしまっていいのだろうか、などと疑問が出てしまう??暫らく様子をみてまた受診してみよう。

動物も人も、一般的に心拍数が少ないほど長生きする、という話を何かで読んだことがある。まずはそう行って欲しいところ。


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AFその後-1

2006年05月19日 | 不整脈
昨年の秋にカテーテルアブレーション手術をして半年が経った。

その後は発作が一旦治まっているものの、かといってまだ少し症状と不安は残っている。
AFには至っていないが、あの手術以来、平常時(安静時)の脈拍が85~90と以前より10ほど多くなっていること、軽い運動ですぐに動悸がして脈がなかなか元に戻らないこと、就寝前などに欠滞(脈が飛ぶこと)もしばしばあることも気がかり。
また、AFの発作そのものについては、これまでも何故か夏場に頻繁に起こしていて、秋から翌年の6月頃までの期間はひどい発作は起こってなかった。これからの夏場を何事も無く乗り切れてこそ本物、根治ということが言えるのではと思っている。

手術をしてもらった主治医は発作さえなければ心配することはないと軽くいなされるので、この程度は適応して慣れていく しかないのかもしれない。
(頻脈気味や疲れやすいのはメタボリックのせいかも知れないな・・・・)

何はともあれ、あのAF発作の苦しさや不安から、とりあえずは遠のいた安堵感は大きい。
5322871



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カテーテルアブレーション

2005年11月23日 | 不整脈
心房細動のカテーテルアブレーション治療を受けました。

正確には「肺静脈電気的隔離術(肺静脈アイソレーション)」といいます。この治療はごく最近になり行われるようになりました。技術的・知識的な面から最先端医療といえます。これまで心房細動の起こる理由がわかっていませんでしたが、最近になり肺静脈(肺から左房へ流れ込む血管)から心房細動の引き金になる期外収縮の発生していることが報告され、この報告をきっかけに心房細動へのカテーテルアブレーションが世界中で行われるようになりました。
Pict0153
Pict0154

Pict0155
                        (以上 S病院資料より)

私がこの言葉をはじめて耳にしたのはごく最近のことです。
私はこの夏以来の「発作性心房細動」に悩まされていて、2,3日に一度の発作とその治療に手を焼いていました。地元の病院で抗不整脈剤による薬物治療を受けていましたが、その効き目が次第になくなり、たて続けに受けていた点滴治療中に又別の厳しい不整脈が起こるなどして、医師も難渋していました。そのときに医師が、ふと「アブレーションを検討してみますか」と言われたのが最初でした。2005年の10月末の頃です。そして、早速net検索で色々と調べました。そして、これしかない・・・と。

早速紹介状を書いてもらい、日を置かず岡山市にある心臓病センターS病院を訪ねました。
心房細動のアブレーション治療の適応について診察を受けたのです。

不整脈の治療法としてカテーテルアブレーションはもう10年以上の実績があって、特にWPW症候群など一部の症状に対してはほぼ100%根治できる。しかし心房細動に対してはここ2,3年前から始められたばかりで、治療成績も70%程度とのことでした。

治療法の説明を詳しくしてもらいながら、その難しさといい、合併症の怖さといい、70%という成功率の悩ましさもありましたが、これに賭けるしかないとその場でこの治療を依頼して予約しました。

2005年11月14日午後、カテーテルアブレーション治療
カテーテル室、まず背中に陰極シートを張られた後、両足鼠径部と右頚部に局部麻酔注射をされます。痛みを感じなくなったことを確認して右足から3本、左足から1本、右頚部から一本のカテーテルが挿入され、更に鼻から食道にも一本温度センサーが入れられました。

まず、冠動脈造影薬が注入されるとカーッとして息が止まりそうになりました。
次に、挿入した輪状のカテーテル電極を使い心臓内の電気生理学検査が始まります。これが延々と長い・・・・。
どうもその途中で心房細動の発作が起こったようです。DCという声が聞こえたように思います。そして麻酔で眠らされて・・でも一回目のショックは覚えているようでした。
(その後治まらず10回もDC(電気的除細動)をかけたそうですが、これは後で聞かされたことです。胸とわき腹の皮膚に7~8cmの円形の軽い火傷跡がいくつも残っていました。)


その後覚醒した後、アブレーション(焼灼)治療が続けられていました。これまた延々と時間がかかるものでした。
一箇所ごとに、「はい治療始めます」と言う合図で、もう一人の医師が温度と時間を刻々と読み上げて言っているのがわかりました。温度を上げてくると熱くて我慢できなくなり、「うーっ」と訴えると枕元の看護師が「止めて!」と伝えてくれます。すると直ちに焼灼を止めてくれます。それを根気よく繰り返していくのです。
受けながら、こちらもしんどいけどやるほうもこれは大変なことなんだなあ、と思いましたよ。

その治療がやっと終わると、もう一度電気的検査が行われます。肺静脈からの不要な電気信号が上手く除去されているか確認するのです。延々と途方もない長い時間が経過しているように思われました。
やっとカテーテル類が抜かれて、それから更に長い時間手で圧迫止血をしてもらい、その後頑丈な止血テープを巻かれて、終了した時には青菜に塩、心身ともにぐったりしてしまいましたね。

通算6時間もかかっていましたが、実はその後も苦痛が続くのでした。それは完全止血ができるまで更に5~6時間身動きできないことでした。
それでも翌朝には、尿カテーテルも外されて歩けるようになります。

抗不整脈薬とワーファリンは暫らく飲み続けていますが、その後発作が起こっていません。
70%ですからまだまだ何ともいえない段階です。3ヶ月経てば目途がたつようです。
もしも再発すれば、もう一度同じ治療を受けることになるそうですから、願わくばこれで根治となってもらいたいところ・・・
そうそう、同時にやられた造影検査で冠動脈の方は問題ないことがわかりました。



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やっかいな曲者

2005年10月28日 | 不整脈
10/26、不整脈治療のため病院で一夜を過ごすことになった。
看護師詰め所のすぐ隣の集中治療室(ここではリカバリーと呼ばれていた)で胸にポータブル心電センサーをつけて、点滴をつけたまま睡眠薬を飲んで眠らされるはめになった。
すぐ近くのモニターには絶えず心電図波形が映し出されているが、見なくても心音が拡大されて耳に入る。不整脈の心音はツートントン、ツッ、ツーツーといった具合でまるでモールス信号である。また治療中には、タッタッタッタッと機関銃のようになることさえあった。
これは聴いているだけで不安で憂鬱にならざるを得ない。
ポッ、ポッ、ポッ、とゆっくりと規則正しいリズムが回復すると、生き返った気分になる。
それでも立ち上がってトイレに行かせて貰うと、途端にタッタッタッということになったりして、不安定で心許なかった。

一晩中心電図を監視してもらいながら眠るというのは、なにか人に命を委ねているような安心感とともに、プライバシーの根幹を見られているような変な気分もした。
それでも治療が終わり安心して眠ると翌朝にはすっかり落ち着いていた。
病室に移され、1日安静にして様子をみてから帰宅することができた。

前立腺がんになった時に、その関係の文献を探しむさぼって読み漁ったように、今度はAFに関する記事をNETで探しまわっている。
それによると、高齢者ほど罹患率が高くなる(70歳以上で5%)、薬での根治は難しい、AFで直ちに死につながることは少ない・・・これは前立腺がんにも通じる。
2つの問題点、一つは細動時にできる血栓が飛び脳梗塞を起こしやすいこと。もう一つは繰り返し頻脈が続くと心筋が痛められて心不全になりやすくなること。
おいおい、どちらも重大ではないか。

私の場合発作性の頻脈型AFだけど、だんだんと起こる頻度が増してくること、それに連れて薬での回復が難しくなってくること。専門医でも洞調率への回復手法(薬の使い方)に難渋するとある。不整脈治療薬の一番の副作用が催不整脈(他の不整脈を誘発する)だという矛盾もある。いちいち該当するなあ。
以前は水分補給とか運動が引き金になっていたようだが、最近は安静時にも起こったりしてそうもいえない。気にしだすとそれが又精神的なストレスなにり発作に繋がるというから、もうなるようになれと開き直るしかないようだ。

朗報としては、ここ数年前に開発されたアブレーション治療が注目を集めていること。
足の静脈から細いカテーテルを差し込んで心房の内側の不整脈の信号を出している場所だか経路だかを熱で焼切るという、聞いただけで怖そうな治療法。
最近ではAFにも適用でき、うまくいけば発作が根治できるという。
現状ではできればこの治療にかけてみるしかないと思っているところ。5322872




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AF その2

2005年09月19日 | 不整脈
今度ばかりはすんでのところ命に関わるところであった。

昨日(9/18)、お天気もまあまあなのでかみさんとその友達を誘って、3人で讃岐満濃公園へコスモスを見に行った。前日までの秋を思わせる涼しさと打って変わり、その日はまた夏の日差しが戻って大変な暑さでした。
で、また起こってしまったのです。汗をかきかき写真に夢中になっていたとき急に発作を起こしてしまいました。勿論水分補給はまめにやっていたのですが・・・・

かみさんの運転で1時間半高速を飛ばしてとって帰し急いで病院へ。
日曜日とあって、あいにくいつもと違い当直は初めての若い医師でした。
いきさつを話して前回同様の点滴注射をしていた時です、AFとはいえそれまで140前後の脈拍がモニター心電図で拾えないほどの頻脈になったようです。

急に周りが慌ただしくなりました。酸素吸入、何度も私の名前や、「だいじょうぶですか」と呼びかける声がします。胸に2枚の保護シールを貼られDC(電気ショック)の準備もされました。意識不明になれば決行する雰囲気でした。
しかし苦しかったが意識ははっきりとあって、呼びかけに答えていました。
300/分前後の異常な頻拍で、血圧も60台に落ちていたようでした。いつもは落ち着いているかみさんも、このときばかりは慌てたようで、耳元で「大丈夫、しっかり」と繰り返していました。
酸素吸入下で苦しい中にも、若い医師の慌てぶりや周りのただ事でない空気が感じ取れて、このまま死んでしまうのかと正直思いましたね。子供や孫たちのこと、ホームページのことなどが脳裏に思い浮かびました。
それが10分ほど続いたでしょうか、幸運なことに手を打つことなく頻拍が治まりました。AFはそのままですが、随分と楽になりました。

学会に行っている主治医(院長)にかみさんが状況を連絡し、その後当直医も病状を説明している声がかすかに聞こえた。とりあえずレート(拍数)を下げる薬を点滴しておくこと、2時間後に主治医が帰ってきて治療に当たるという話になったようです。

一寸落ち着いてきて、若い当直医師が看護師と話す内容を聞いていました。
「VTかも知れないのでDC(電気ショック)を準備したんだ、どうもVTではなかったようでよかった。私は心臓外科専門なので、DCはやりなれているんだ」「内科的治療は先生が帰ってこられてから考えてもらいましょう」危ない危ない、すんでのところだった。shidenzu


夕方、主治医が車を飛ばして帰ってその足で駆けつけてくれた。
そして、づっとモニターの前で慎重に監視しながら、ゆっくりと治療薬の点滴を続けた。
そして治ったのです。いつもながら治るときは劇的で感動的です。生き返った気分になります。
主治医は、さすがに経験豊富で腕は確かだと実感されられた。

それにしても心臓の病気は怖いことを今度こそ改めて思い知らされた。
どうもこのところ、原因を出来るだけ排除しているにもかかわらず発作の頻度が確実に上がってきている。今後は汗をかくような行動さえも制限しなければないようだ。
もう暫らく、晩秋の涼しくなる季節までは行動を控えて安静にしていよう。

その時の心電図
上からAF発作時   中は途中の異常事態  下は正常復帰後

この写真を見る
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AF(心房細動)

2005年09月10日 | 不整脈
突然死にも繋がる「心の臓」の病ほど気になるものはない。
この夏、何度もAFの発作を起こした。6月から9月にかけて5回、特に8月からは10日おきに4回立て続けに起こった。数年前から年に2,3回はあったが今年は多い。

今までの経験から思い当たるフシを考えてみると、
・汗をかいて水分補給が不足した時
・汗をかいた後空腹のままビールを飲んだ後
・ 睡眠不足やストレスが重なった時
・ 加齢につれて増えてくる

AF(心房細動)とは、心臓が何の前触れも無く突然に頻脈(私の場合は140~150)となり、動悸が激しくなる症状を呈する不整脈のことで、心室細動と違い直ちに命にかかわることは無いが、場合によっては血圧が下がったり、血栓が飛んで脳梗塞の恐れにも繋がるといわれる。
それにも増して動悸を伴う何か心許ない不整脈は自覚症状として不安なものだ。
今までの経験から自然に正常回復するものではないようだ。

私の場合は、発作後出来るだけ早くかかりつけの病院で、点滴注射の治療で治してきた。
自宅の近くに心臓専門の病院があることがとても幸いしている。

何度もお世話になっているので、事前に電話をして駆け込むと、準備をして待っていてくれる。
治療はモニター心電図を見ながら、生食点滴と治療薬(シベノール)をゆっくりと静脈に入れていく。この間、私もモニターをつぶさに見ているわけだけれど、130から150の間を不規則に表示して心許ない時間が経過する。
それがある時点でふっと80前後の安定した脈に戻る。まさにその瞬間は劇的でさえある。
自覚症状もすっと治まり、大げさにいうと生き返った思いで、正直心底ホッとする。

発作後長時間放置したままにおくと、上記のような治療を施しても治らない場合もあって、こうなると、慢性的なAFが続くことになるらしい。
そうなってしまうと動悸をなるべく抑える薬や血栓を予防する(血をサラサラにする)薬を常用しなければならなくなり、不整脈が日常的になってしまうことになる。

これまでのところは先の治療で上手く正常復帰できてきたが、今後も同じようにうまくいくとは保障できないと言われる。
前立腺がんよりも深刻かもしれない。何はともあれこれからは真剣に、出来るだけ原因を排除するように気をつけていかねば。

以前の治療時に貰った心電図を添付しました。
上側が発作時、下は正常復帰後です。
3827AF1



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