山中教授のiPS細胞の研究によるノーベル賞獲得後、医学系予備校業界でも、来春の小論文や面接でも問われることが予想されるためか、蜂の巣をつついたような騒ぎである。
遅ればせながら、小生も関連知識の吸収に追われることになったが、調べるうちに、日本と違って、欧米では先端医療全般に対してかなり慎重かつ厳格な態度を取っていることがわかってきた。
iPS細胞登場以前に注目されていたES細胞が、体外受精などで余った受精胚を使用しなければならないため、そこに人間の尊厳は認められないのかという倫理的問題が浮上、それについてローマ法王やオバマ大統領が声明を出すというように、日本のように単に生命倫理(バイオエシックス)の問題としてお茶を濁すことはせず、すぐれて政治的問題(バイオポリティクス)にもなっているようだ。
そこで、iPS細胞についてはどういう反応を示しているか。こうした問題を論じた盛永審一郎「身体の倫理と生資本主義の精神」をみると、
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ヒトES細胞研究を継続することは、ヒトiPS細胞の理解と分析のために必要である。
これらの二つの種類の幹細胞が生物学的臨床的に重要な仕方で異なっているのかどうか決定するために、ヒトiPS細胞の安全性と有効性を調べるために、ES細胞研究はコントロールとして必要である。
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というドイツの研究者の文章を紹介して、iPS細胞研究とES細胞研究とは一種の共犯関係にあるという主張をしている。
どうも、こうした警戒感は、かつてナチスの優性思想に毒された苦い経験を持つドイツに強くあるようだ。
倫理問題や拒絶反応から解放され、臨床現場に大きな恩恵を与えるはずのiPS細胞だが、他の先端医療の問題と同様に、やはり手放しで喜べるようなものではないことが実感されてくる。
ここで、次の言葉をかみしめてみよう。
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医療技術は不自然さを通して自然を回復しようとする試みだともいえる。自己決定という原理が繰り返し登場するのも、それがじつは自然さに支えられているように思えることが関係しているだろう。不自然さは自然さに支えられている。そのことをいうための装置が、自己決定の論理になっている。そこにあるのは、論理を超えた生命をコントロールしようという人間の深い欲求だ。それが技術の発達を支えている。(香川知晶「命は誰のものか」)
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脚光を浴びているiPS細胞も人工的で「不自然」なものにすぎず、それはじつは受精という「自然」に支えられている点を忘れずにしておこう。
遅ればせながら、小生も関連知識の吸収に追われることになったが、調べるうちに、日本と違って、欧米では先端医療全般に対してかなり慎重かつ厳格な態度を取っていることがわかってきた。
iPS細胞登場以前に注目されていたES細胞が、体外受精などで余った受精胚を使用しなければならないため、そこに人間の尊厳は認められないのかという倫理的問題が浮上、それについてローマ法王やオバマ大統領が声明を出すというように、日本のように単に生命倫理(バイオエシックス)の問題としてお茶を濁すことはせず、すぐれて政治的問題(バイオポリティクス)にもなっているようだ。
そこで、iPS細胞についてはどういう反応を示しているか。こうした問題を論じた盛永審一郎「身体の倫理と生資本主義の精神」をみると、
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ヒトES細胞研究を継続することは、ヒトiPS細胞の理解と分析のために必要である。
これらの二つの種類の幹細胞が生物学的臨床的に重要な仕方で異なっているのかどうか決定するために、ヒトiPS細胞の安全性と有効性を調べるために、ES細胞研究はコントロールとして必要である。
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というドイツの研究者の文章を紹介して、iPS細胞研究とES細胞研究とは一種の共犯関係にあるという主張をしている。
どうも、こうした警戒感は、かつてナチスの優性思想に毒された苦い経験を持つドイツに強くあるようだ。
倫理問題や拒絶反応から解放され、臨床現場に大きな恩恵を与えるはずのiPS細胞だが、他の先端医療の問題と同様に、やはり手放しで喜べるようなものではないことが実感されてくる。
ここで、次の言葉をかみしめてみよう。
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医療技術は不自然さを通して自然を回復しようとする試みだともいえる。自己決定という原理が繰り返し登場するのも、それがじつは自然さに支えられているように思えることが関係しているだろう。不自然さは自然さに支えられている。そのことをいうための装置が、自己決定の論理になっている。そこにあるのは、論理を超えた生命をコントロールしようという人間の深い欲求だ。それが技術の発達を支えている。(香川知晶「命は誰のものか」)
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脚光を浴びているiPS細胞も人工的で「不自然」なものにすぎず、それはじつは受精という「自然」に支えられている点を忘れずにしておこう。
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