濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

面影橋幻影

2018-03-30 20:42:19 | Weblog
神田川に架かる橋の一つに「面影橋」というのがある。
「面影橋」という名だけでも由緒と情緒を十分に感じさせるが、桜の満開に咲き誇る頃、川沿いは見事な光景を映し出す。
私はその橋の名を「面影橋から」という昔のフォークソングで知るばかりだった。
しかし、それが東京に実在することをある女性から教えられ、いつか案内してほしいと頼んでいた。
先日、その女性に声をかけられ、夜桜を見ながら橋の周辺を二人で歩くことになった。



女性と知り合ってからすでに二十年近くの歳月が流れているーーあどけなさの残る女子大生から、すっかりキャリアウーマンに変貌した彼女の語る話は、夜桜の雰囲気とは場違いな仕事のことばかりで、職場から持ち帰った資料を入れたバッグを重そうに持ち歩いていた。
彼女の話によれば、男女共同参画社会のなかで、覇気のない草食系の若い男性を牽引する立場に立たされているというのだ。
紙媒体の時代からウェブの時代へと変化する情報産業の双方に精通する存在として重宝がられている彼女の姿からは、目立たないながら、現代日本の象徴的な一面が垣間見えたような気がした。



一方、彼女の話を聞く私はといえば、いまだに優しく奥ゆかしい女性の面影を探し続ける自称「旅人」のままである。
往時、こんな歌を作っていたのを思い出す。

──時は流れ、いまは春 夢はるかに かすみ立つ
雲は流れ 鳥は歌い 何思う 旅人よ

見つめ合った 瞳の奥の 愛は幻か
花の園を さまよえば──




どうやら時代はすっかり変わったようだ。
抒情などというものが存在価値を持ち得ない社会になるのも、もうすぐかもしれない。
できれば、「面影橋」という名にふさわしい感慨に浸ってみたかったのだが、その夜は、何かに追い立てられるようにして、都会の喧騒に戻ることとなった。

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プラチック2018

2018-03-24 10:21:08 | Weblog
新しい年度が始まる。
旅立ちへ、それにしてもどこへ?
とりあえず、多忙な合間にフェイスブックに投稿した、これまでの思考と画像の断片を寄せ集めてみた。




愛において我々が相手に与えているのは、本質的に我々がもっていないものです。(ジャック・ラカン)




ぼうや、ぼうやが見ているのは本当のぼうやではないんだ。
本当の自分っていうのは見えないものなんだよ。




朱の鳥居の並ぶ階段を降りていけば「身過ぎ」になり、昇っていけば「世過ぎ」になる。そんな因習がきっと夢に祀られている。(山王稲荷神社)




「何かを語るにいたるには、語る必要のない別のことがあるからである」(マシュレー)……語られる非在……「いずこへ旅立って行ったのか、既にあの部屋の寝台に横たわっていない、籐椅子にも腰を掛けていない彼」(串田孫一「青く澄む憧れ」)




心の特性は闇を必要とするところにある。(ハンナ・アーレント)

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途切れたままに

2017-12-25 16:11:39 | Weblog
年の暮れを選んで検査入院をした。
何を好き好んで、この慌ただしい時期にと思われるかもしれないが、この時期は入院患者も少なく、比較的ゆったりした病人気分を味わえると思ったからだ。
もちろん、クリスマスの華やかな喧騒を嫉妬まじりに回避したい気持ちのあったことも否めないのだが。
さて、いつも外来で通う病院への数年ぶりの入院である。
見覚えのある看護師もいるのではと想像していたが、出入りが激しいのか、見知らぬ顔ばかりだった。
短期間の検査入院ということで見舞いに訪れる者もなく、病室で所在ない時間を過ごすうちに、名前も思い出せないままに、あのときの看護師は今頃どうしているだろうなどと考えはじめることとなった。
「袖触れ合うも多生の縁」とあるが、妙に気になってくるものだ。
やはり入院というのは一抹の心細さが伴うものであり、たとえ親密な会話をかわすことがなかったとしても、体温や血圧などについてのさりげないやり取りが心のひだに染み込んでいて、かつての記憶を蘇らせようとしているからなのかもしれない。

入院中、見舞い客の立場から終末期の老人との交情のありさまを描いた串田孫一の『ドン・キホーテと老人』というエッセイを読んだ。
ある老人が入院していて、筆者が見舞いに行くと、「今度はいよいよ終りらしいよ」 と言う老人の枕許には、ラジオのスペイン語講座のテキストと辞書が置いてあった。
老人は筆者に『ドン・キホーテ』の原書を買ってきてほしいと頼む。
どこまで原書で理解できるか試してみたいというのだ。
買い渡した数日後、原書の『ドン・キホーテ』を二、三ページ読んだだけで、老人は帰らぬ人となる。
その報せを受けたとき、筆者は

「人の死に巡り合っていつももてあます儚(はかな)さが感じられず、学ぶという営みの、その途切れたままの雰囲気が妙に貴く思われた」

という感慨を記している。
学ぶことの意味を再認識させるエピソードだが、こうした感慨は学びだけではなく、仕事や恋愛でもきっと生まれてくるに違いない。
「志半ば」などといった無念や未練もなく、ごく自然な形で「途切れたままの雰囲気」が余韻として残されているなら、そして「終わり」でありながら単なる「通過点」に過ぎないかのようにも思われてきたなら、それはそれでいいのではないだろうか。
そういえば、そうした雰囲気は、あるご婦人と久しぶりに再会したときに不意に告げられた「最後には何も残らなくたっていいわ」という言葉の寂しい潔さとも、どこかでつながっているような気がしてくる。

「もちろん万全とはいえないが、現状維持で特に緊急の処置の必要はない。」
──検査は何事もなく終わり、晴れて退院の運びとなった。
わずかな滞在だったが、それでも若い看護師は結果を喜び、笑顔で送り出してくれた。
私は久しぶりに病院の外に出て、冬の弱い光を浴びながら、落ち葉の敷き詰められたお茶ノ水の坂道を駅に向けて歩いていった。
今頃、病室のベッドのシーツは新しいものに取り替えられ、次の患者の来るのを待っていることだろう。

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カズオ・イシグロあるいは「信頼できない語り手」補説

2017-11-12 16:50:33 | Weblog
前回、YouTubeで紹介したStacy Kentの歌う’Never let me go’について、ある読者の方から、イシグロ自ら監修した映画で流れていたメロディーとは異なるというご指摘をいただいた。
私は映画を見ていないので、自分のイメージを優先させ、ついつい妄想を膨らませてしまったようだ。
そこで、小説に登場するジュディ・ブリッジウォーターなる歌手を改めてYouTubeで検索してみると、なんとニューヨークの場末の街角で見かけるようなご婦人の写真とともに、スタンダードナンバーとは似て非なる、もう一つの’Never let me go’が聞こえてきた。

Judy Bridgewater - Never Let Me Go


しかし、過去のアメリカンポップス史に彼女の名前はない。
とすれば、やはり架空の歌手の歌う架空の歌で、「信頼できない語り手」の手法に精通するイシグロの仕掛けだという気がしてくる。
一方、「シロクマ通信」というブログ──私と同じく、作品の’Never let me go’からジャズスタンダードナンバーを思い浮かべたという──には、次のような感想が書かれていた。

確かに「スローで、ミッドナイトで、アメリカン」そのものなんだが、メロディはよくあるチープなR&Bって感じで、歌も妙にセクシーなだけでぜんぜん上手くないし、主人公が何度も何度も繰り返し聴いて心ときめかす楽曲とはとても思えないんだよなぁ。

たしかにジュディ・ブリッジウォーターの歌は、ヘールシャムという静謐でどこか不穏な学校空間とは場違いなもので、だからこそ、イシグロならではの異化効果が発揮されているとも考えられる。
あるいは、主人公たちの母親=「ポシブル」の存在がそこに暗示されているという類推も可能なのかもしれない。

***


とまあ、話題が’Never let me go’という歌ばかりに向かってしまったので、最後にクローン人間という重いテーマについて少し考えてみたい。

──夢は全体がテレビの画面の中だった。美しい白人の女性が、金髪のかわいい女の子を抱いている。エリザベスと名告るこの女性は、しばらく前に二歳になるルイーズという女の子を交通事故で失くした。溺愛していた子供を失った彼女は一時は死を覚悟したが、知り合いの医師に相談して、ルイーズの細胞を冷凍し、ほぼ一年前に自分の卵子にルイーズの細胞の核を移植し、自分の子宮に戻した。お定まりのクローン動物を作る同じやり方である。
こうして彼女は死んだルイーズと同じ遺伝子を持った赤ちゃんを出産した。生まれたころのルイーズと瓜二つの赤ちゃんには、やはりルイーズという名前をつけた。彼女は、人間で初めて成功したクローンベイビーを抱いてテレビに出演しているのである。
(中略)
生まれた時からルイーズは、死んだルイーズと瓜二つだったので、エリザベスの心は癒された。そうでなかったら、彼女はとっくに自殺していただろう。第二のルイーズは健やかに育ち、こうして母子ともに幸福に暮らしている。クローンといっても、最初のルイーズは死んでいるのだから、これこそたった一人のルイーズなのです。どこが悪いのでしょう、とエリザベスは幸福そうに画面で微笑んだ。(多田富雄「真夏の夜の夢」)


今は亡き高名な免疫学者の、うなされながら見たという夢の断片だが、クローンなどの先端医療を突き動かしている背景には、こうしたヒューマニスティックな動機も含まれているのだろう。
まさに「オー、ベイビー、ベイビー、わたしを離さないで」というエリザベスのささやきが聞こえてきそうだ。
一方、ヘールシャムから離れた主人公たちも、「ポシブル」つまり彼らの親を探そうとして、町を彷徨ったが、彼らの立場は第二のルイーズとはまるで違う。

「でもさ、わたしたちの正体がわかってたら、あの人、あんなふうに話かけてくれたかしら。『すみません、あなたのお友達はクローン人間の元でしょうか』なんて訊いたらどう? きっと放り出されてたわよ。わかってるんでしょ、みんな? だったら、なぜ言わないの。ポシブルを探したかったら、どぶの中でも覗かなきゃ」

「どぶ」に住む親から産まれた彼らの臓器は医療資源の一部として「提供」され、彼らはやがて「使命」を終えていく運命にあるのだ。

それにしても、状況がどうであれ、〈提供する側=ドナー〉と〈提供される側=レシピエント〉の間には絶望的な距離がある。
移植医の先駆者だった岩崎洋治は、かつて加賀乙彦との対談で死体腎移植について次のように語っていた。

「片方に死んでまもない人があって、その人から腎臓をとらなければならない。それから片方では、それを重い病人に植えなければならない。移植というのは悲しい手術です」


イシグロの「私を離さないで」を読み進めていたとき、私はゾクゾクするような戦慄を覚えたものだが、今振り返れば、作品の底辺に潜む、人間が生きていくことの、底冷えがしてくるようなおぞましさとも関係しているように思えてならない。
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カズオ・イシグロあるいは「信頼できない語り手」2

2017-10-27 23:42:22 | Weblog
自分自身に対して「信頼できない」人間──こうした自己認識の根底には、イシグロの場合、日本からイギリスに帰化しても、なお日本というノスタルジーにこだわり続けざるをえないという、アイデンティティの揺らぎがあることは想像に難くない。
それでは、私の場合はどうなのかといえば、小学校時代に見た夢(自分が九月X日に死ぬというもの)にすっかり翻弄されたという体験が大きいように思われる。
当時、算数の問題で小数点の位取りをすべて間違えて0点をとり、教師に心配された記憶がある。
何も手につかない放心状態のまま、だれとも口をきかず、秋の澄んだ青空にやがて吸収されていく自分の魂の行方に思いを馳せたものだった。
いま振り返れば、夢が語る自分の無意識というものは、最も信頼できないもう一人の自分であるにもかかわらず、それをまともに信じて、離人症や解離性障害の一歩手前の状態にまでなっていたのかもしれない。

ところで、イシグロは生物学者の福岡伸一との対談で「記憶は死に対する部分的な勝利である」という印象的な言葉を残している。
そういえば、『私を離さないで』のなかに、小説のタイトルでもある’Never let me go’という歌が流れてくる場面と、その歌の記憶を後年回想する場面が出てくる。最初の場面を引用するなら、

スローで、ミッドナイトで、アメリカン。「ネバーレットミーゴー………オー、ベイビ—、ベイビー………わたしを離さないで………」このリフレーンが何度も繰り返されます。(中略)
この歌のどこがよかったのでしょうか。ほんとうを言うと、歌全体をよく聞いていたわけではありません。聞きたかったのは、「ベイビー、ベイビー、わたしを離さないで」というリフレーンだけです。聞きながら、いつも一人の女性を思い浮かべました。死ぬほど赤ちゃんが欲しいのに、産めないと言われています。でも、あるとき奇蹟が起こり、赤ちゃんが生まれます。その人は赤ちゃんを胸に抱き締め、部屋の中を歩きながら、「オー、ベイビー、ベイビー、わたしを離さないで」と歌うのです。もちろん、幸せで胸がいっぱいだったからですが、どこかに一抹の不安があります。何かが起こりはしないか。赤ちゃんが病気になるとか、自分から引き離されるとか……。歌の解釈としては、歌詞のほかの部分とちぐはぐで、どうも違うようだ、とは当時のわたしにもわかっていました。でも、 気にしませんでした。これは母親と赤ちゃんの歌です。


とあり、ここでも「歌の解釈としては、歌詞のほかの部分とちぐはぐで、どうも違うようだ」という、イシグロ独特の揺らぎが見られるのだが、さらに、ここに「記憶は死に対する部分的な勝利である」という彼のメッセージを強引に加味するなら、この歌には、自分と合致する自分、自己アイデンティティの原基としての自分、つまりは最初の自分の記憶を離したくない、離してしまえば、自分が信頼できなくなるという不安が表出されているのではないだろうか。

閑話休題、この作中の歌はもちろん虚構の産物だろうが、ジャズのスタンダードナンバーに’Never let me go’という同名の曲があったことに思い当たり、Youtubeを探してみると、何人かのそうそうたる歌手が歌っていた。
いろいろ聴きくらべていくうちに、作品の雰囲気にふさわしい歌声をみつけることができた。
そのチャーミングかつクールな歌声の持ち主とは、これまでも私が気に入って聴いていたジャズシンガーの一人 Stacy Kentであった。
ここにそのYoutubeの映像を紹介しておくので、是非試聴してほしい。
ガラス窓に映し出される雨の滴も絶妙である。

Never let me go


追記
話はこれで終わるはずだったが、なんと、Stacy Kentもじつはイシグロのファン、一方のイシグロも彼女のファンということで、ある日、イシグロがラジオ番組で、無人島に持って行きたいものの一つとして彼女の歌を選びたいという話をしたことがきっかけで、二人は親交を結ぶようになり、いまでは、イシグロが彼女の新曲の作詞を手がけるまでになっているという情報を入手した。
なんという偶然だろう! 私はイシグロの受賞を喜ぶ三人目の貴婦人に出会ったことになるのだから。
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カズオ・イシグロあるいは「信頼できない語り手」1

2017-10-27 21:02:13 | Weblog
最近、文学に造詣の深い二人の貴婦人から、カズオ・イシグロが今年のノーベル文学賞を受賞したことを喜ぶ言葉を立て続けにうかがった。
残念ながら、私は、カズオ・イシグロの『私を離さないで』をもっぱらSFエンターテインメント風に、つまり帚木蓬生『臓器農場』やフィリップ・K ・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』などと同じような感覚でストーリーを追うに任せて読んだだけだから、ノーベル賞のニュースを聞いたときには、やや意外な感があった。
それでも、お二人の方の言葉につられて、改めてネットでイシグロ作品についてのコメントを読み、以前放映されたテレビ番組の特集を見るうちに、半可通のそしりを受けるのを承知で、彼について一言述べてみたくなった。

さて、カズオ・イシグロの作品が、「信頼できない語り手」(Unreliable Narrator)――語り手自身が自分の人生や自分を取り囲む世界についてかならずしも真実を語っていない――という手法を用いた例として、よく取り上げられていることを初めて知った。
「『日の名残り』などで、自分の人生や価値観を危うくするような過去の記憶から逃げている等、記憶を操作していたり記憶があいまいだったりする一人称の語り手を登場させ、最後には語り手が記憶と事実のずれに直面せざるを得なくなるような物語を多く書いている(wikipediaによる)」という。
さらに、この「信頼できない語り手」の他の例として、芥川龍之介の『地獄変』を挙げる「サバ通信」というブログまで見つかった。
そこで少し『地獄変』に目を移してみると、その語り手は堀川の大殿様に仕える者であるが、堀川の大殿様が絵師の良秀に娘の焼殺に立ち会わせたときのことを、次のように述べている。

大殿様が車を御焼きになった事は、誰の口からともなく世上へ洩れましたが、それに就いては随分いろいろな批判を致すものもおったようでございます。まず第一に何故大殿様が良秀の娘を御焼き殺しなすったか、――これは、かなわぬ恋の恨みからなすったのだと云う噂が、一番多うございました。が、大殿様の思召しは、全く車を焼き人を殺してまでも、屏風の画を描こうとする絵師根性の曲(よこしま)なのを懲らす御心算(おつもり)だったのに相違ございません。現に私は、大殿様が御口ずからそう仰有(おつしや)るのを伺った事さえございます。

たしかに「大殿様の思召し」をそのまま信じる語り手の言葉は、筆者(芥川)の考えを代弁しているとは言いがたいだろう。そして、この一節が、『日の名残り』の執事スティーブンスの

今日、ダーリントン卿についていろいろなことが言われております。卿の行動の動機について、愚にもつかない憶測がしきりに――あまりにもしきりに――飛び交っております。(中略)後年、卿の歩まれた道がどのように曲がりくねったものであったにせよ、卿のあらゆる行動の根幹に「この世に正義を」見たいという真摯な願いがあったことを、私は一度も疑ったことはありません。

という述懐と酷似していると「サバ通信」は指摘しているのだ。
果たして『地獄変』の影響があったかどうかはともあれ、「信頼できない語り手」というレッテルについて、イシグロ自身はどう考えているのか、インタビューで次のように答えている。

私は、自分自身が現実的だと感じるかたち、つまり、たいていの人が、自分の体験について語るとき普通にやっているように語り手を描いているだけです。というのは、人生で重要な時期を振り返って説明を求められたとしたら、誰でも「信頼できなく」なりがちです。それが人間の性というものです。人は、自分自身に対しても「信頼できない」ものです。というか、ことに自分に対してそうではないでしょうか。私は「信頼できない語り手」を文芸的なテクニックだとは思っていません。(文責 渡辺由佳里 在米エッセイスト)


ここに至って、私もまた、自分自身に対して「信頼できない」人間であるという自覚において、イシグロの考え方にようやく共感することができた。(2に続く)

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I put a spell on you

2017-09-24 20:40:57 | Weblog
1950年代に奇妙な出で立ちで活躍した黒人R&B歌手、Screamin' Jay Hawkins(スクリーミン・ジェイ・ホーキンス)の代表作に ”I put a spell on you “ という名曲がある。歌は

── I put a spell on you
Because you're mine

──お前に 魔法をかけてやる
お前は俺のものだから


と続く。
’spell’はここでは「文字を綴る」ということでなく、「魔法、呪文をかける」という意味で、原曲では、もてない男の怨みがましい思いが screamin' よろしく、絶叫調で狂おしく歌われている。
しかし、スクリーミン・ジェイは恋人に魔法をかけるつもりで、じつは多くの女性歌手に魔法をかけたようで、特にニーナ・シモンはこの歌を取り上げ、さらに普及させることになった。
ニーナ・シモンのものも、もちろん一聴に値するが、このブログでは、Bonnie Tyler のかなり洗練された、とはいえハスキーで十分哀愁を帯びた歌声を選んでみた。

ところで、語源的に確かめてはいないが、’spell’ が名前などの文字を綴ることであると同時に、また呪術でもあるという点では興味深い。
そこで話題を変えて、いささか強引ではあるが、呪術性に富んだ名前の話をする。
遠い先祖の時代、人の名は人格そのものであり、実名(いみな)を呼ぶのはタブーとされ、そのかわりに字(あざな)が使われた。
小生などは幼少のときは「Oちゃん」と愛称で呼ばれることが多く、だれからも親しみやすい子供だと思われていたようだ。
その「Oちゃん」もすっかり大人になり、いまや老人になりかけて、愛称で呼ばれることなど滅多になくなってしまった。
ところが、昔、近所の家に「Cちゃん」とこれまた愛称で呼ばれる同い年の女の子がいて、先日、その女性から故郷の会に関する電話が入った。
小さい頃から、彼女の方がずっと大人で、二歩も三歩も先を歩いていたから、いっしょに遊んだ記憶はあまりない。
小生など目にもかけないような、おませな女の子だったが、小生の名前はしっかり彼女の脳のヒダに綴られていたようだ。
電話で話したとき、なんと、その女性は小生のことを、名状しがたい懐かしさと親しみを込めて、「Oちゃん」と呼んでくれたのだった。
そして、切々とした声で、残念ながら、自分の体はもうボロボロなので会は欠席したいというのだ。
彼女の「女性」が燃え尽きようとするとき、私の方は、ようやく今頃になって、彼女の哀しみに追いつき、急に愛しい存在に思えてきたのだから不思議なものだ。

──She puts a spell on me
Because I'm hers


どうやら今度は私が魔法にかかってしまったようだ。
私も今度、会ったときには「Cちゃん」と呼ぶようにしようと思っている。

Bonnie Tyler - I Put A Spell On You
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未来への追憶のために

2017-09-16 18:18:18 | Weblog
想い出は過去にではなく、未来に向けてこそ振り返られるべきものなのだ。

「反復と想起は同じ運動である。ただその方向が正反対なだけだ。
想起されるものは、すでに過去にあったものであり、いわば後方に向かって反復される。
これに反して、本来の反復は、物事を前方に向かって想起する。」(キルケゴール「反復」)


ひょんなことから、来年の古希を祝う小中学校時代の同期会の幹事をさせられるはめになった。
ただでさえ忙しいのに、そういうときに限って、マンションの理事会役員だの、防火管理者だのといった仕事が舞い込んでくるもので、その極め付けが、今回の頼まれ幹事ということになるのだろう。
ある先輩に言わせれば、「古希=古来、希(まれ)なり」などとんでもない、この高齢社会ではいまや七〇歳なんてまったく普通で、古希同期会は若輩者の集まりにすぎない、とのことである。
たしかに特に目でたいという感慨が生まれてくるわけではない。
これまでの同期会というものも、過去の感傷に浸るだけの発展性のないもので、あまり積極的な気分にはなれなかった。
魔が差してふらっと寄った、ぼったくりの店が、いつしか馴染みの店になって、しがらみから逃れられなくなってしまった、というところだろうか。
だから、周囲には幹事を引き受けたことをいぶかる声もあった。
何が幹事を引き受けることを承諾させたのだろうか。

──行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず
……時は流れて止まない。これも一つの真理だが、ここではもう一つ別な言葉を用意しなければならない。

──日が昇り、そしてまた日は沈む。日は沈み、また昇る。
……こうした反復は人間の世界でも見られるもので、生まれ、育ち、そして立場を変えて、子を生み、育て、やがて老いて死ぬ、こうした営みを人類は何万年と飽きもせずに繰り返してきた。
しかし、一人ひとりにとっては、初めて生まれ、初めて死ぬ、その営みの一つひとつが、かけ替えのない初めての体験ばかりだ。
つまり、私たちは未来への新鮮な反復を生きているということになる。
還暦とか古希とかはそうした反復の一つの指標であろう。
とすれば、懐かしい青春の出会いも、悲しい別離も、甘美な再会も、それは過去の中に閉じられるものではなく、未来へと放たれるべきものなのだろう。
たぶん、人々は古希同期会なるものになお一縷の希望を見出そうとしているのではないか。
昔の頃は知っているけれど、それとは違う新しい出会いを求めているのではないか。

古希同期会は来年の夏、まだしばらく準備時間はある。
たっぷりと「未来への追憶」を発酵させていきたい。

ivano fossati c'è tempo
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夏空

2017-08-27 13:32:52 | Weblog
今年の夏は気候変動の影響を受けて、これまでの季節感を大いに困惑させることになった。
例年であれば、この頃、夏の終わりに伴って切ない感傷に浸ることができたのだが、そうした気分は長雨や局地豪雨にすっかり流されてしまっている。
人間の感受性も政治の世界と同じく劣化し、すっかり大雑把になってきているのかもしれない。
そんな中で、もはや古典に属するかもしれないが、坂口安吾の「傲慢な眼」には、やはりこの季節ならではの魅力を思い出させる力があり、ひきつけられてしまう。
……普段は東京に住む令嬢と画を描くことが好きな少年との、ある地方での一夏の出来事を綴った短編だが、そこには夏の情景がバックグラウンドとして効果的に描かれている。
たとえば、令嬢をモデルにして少年が写生を始める頃の様子には

振仰ぐと葉越しに濃厚な夏空が輝いており、砂丘一面に蝉の鳴き澱む物憂い唸りが聞えた。

といった一節が添えられている。
そして、令嬢が東京に戻ることを少年に知らせるときには、

雨の間に、去り行く夏の慌ただしい凋落が、砂丘一面にも、そして蒼空にも現れてゐて、蝉の音が侘びしげに澱んでゐた。

という描写が、夏の終わりと恋の終わりを予感させている。
だが、その夏の記憶は、東京に帰った令嬢の心の中に残り続け、友達に

「あたし、別れた恋人があるの。六尺もある大男だけど、まだ中学生で、絵の天才よ……」

と言い放ったとき、

此の思ひがけない言葉によって、夏の日、砂丘の杜を洩れてきたみづみづしい蒼空を、静かな感傷の中へ玲瓏と思ひ泛べることが出来た

のである。
巧みな構成で、解説すべき何物も必要ないが、小説が終わるとき、詩が始まるといった余韻がある。
あえて芭蕉の句のパロディをここに付け加えれば、

 夏空や 恋する者の 夢の跡

という気持ちを禁じ得ないのである。


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忘恩・忘思(六月と七月の頃)

2017-07-21 22:56:09 | Weblog
また、更新までだいぶ間があいてしまった。
体の方は別に異常はないのだが、相変わらず忙しいの一言に尽きる。
フェイスブックでは時折、多少気軽にコメントしているのだが、まとまったブログとなるとやはり一定の時間を割かれてしまう。
この際、フェイスブックに書きとどめておいたものを流用することで、今回はご容赦願いたい。




6月某日
黄色い家と樹木の、なかなかいい構図をつかまえたので、写真に収めた。
セザンヌは散歩にいくとき、「モチーフに行く」と言ったそうであるが、正しくは「何ものかに夢見られ、促されるために」と補足すべきか。

モチーフとは自然からの呼びかけであり、世界の内なる何ものかの促しによって画家がおのずと筆を取らされる動因であり、それゆえにこそ表現の有機的構造をなすものなのだ。
夢の中でわれわれが何ものかに促され、つねに誤認であるといえ、即座に知覚し、決断し、行動するように、画家もまた何ものかに呼びかけられて筆をとり、思わず線を引かせられるのだ。(宇佐見英治「雲と天人」





6月某日
幻肢……脳の中の幽霊……失った腕の痛みを感じた患者が、手術によって切断された腕を病院の裏庭から掘り起こし、改めて火葬にしたら、痛みが消えたという。
「幻肢という現象と、失われた身体への喪の作業との関係を論じる際に前提となるのは、「人間は自らの身体を愛している」という考えである。」(向井雅明「考える足」)
埋葬のなんと人間的なことか! それにしてもこれからの多死社会では、火葬場も不足していくという。




7月某日
竹林の愚考
現代日本人の心性は、戦争を放棄し、恒久の平和を願う〈超近代性〉と、公私の境で忖度する〈前近代性〉とがせめぎあう交点に位置する。
〈超近代性〉と〈前近代性〉の両面を見据えることが大切なのだ。




7月某日
ひっそりと木陰に咲いているバラの名を見ると、desert peaceとあった。
砂漠に訪れた一瞬の平和、仕事の一段落した私の心象風景とも一致するが、その名は湾岸戦争の終結の際に付けられたともいう。
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