濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

FIND YOUR OWN WAY

2017-05-27 13:45:15 | Weblog
じつに久しぶりの投稿となったが、いつもながらのことで、特に何かがあったわけではない。
多忙が重なり、すっかりブログ無精になってしまっただけである。
まだまだ忙しさはこれからが本番ということになりそうだが、とりあえず、記事をアップすべく、キーボードに向かうことにした。
というのも、本ブログはまったく更新されていないにもかかわらず、アクセス数がなぜか異常に高い数値を示しており、これは天の声、いやギャラリーの皆様からの催促の声と受け取ったからだ。
うぬぼれが激しいと思われるかもしれないが、ブランクの間の消息を綴ってみることにした。

5月某日
元義父の死という、思いがけない知らせを受け、通夜と葬儀に出席し、元義母の泣き崩れる姿を見て、「元」も「子」もなく、もらい泣きしてしまった。
遺影を眺めるうちに、元妻と似ていることに改めて気付かされた。
棺の中のデスマスクは美しいものだった。
私は病理医の森亘の残した言葉を思い出した。

人間の死後の内臓には、病変とともに生前に受けたいろいろな治療の痕跡が残されております。
またそれらの総決算として、その患者がどの様な死を迎えたかもある程度分かります。
必要にして十分、要するに適度の治療が施された遺体には、それらを見事に反映している実像・所見、といったものがあることに気付くようになりました。
そして、このように適度な医療が施された後の遺体には、その内臓には、それなりの美しさが感じられることに気付いた次第であります。


元義父の場合、過度の延命治療などもなく、穏やかな最期だったから、あるいは「美しい死」だったのかもしれない。
冥福を祈るばかりである。
娘は老いた祖父と祖母のサポートを十分していたようで、元義母からは「我々夫婦の面倒をしっかりみてくれた。本当にいい子を産んでくれた」という感謝の言葉をいただいた。
「いい子に育ててくれた」ではない点に注意して欲しい。
諸般の事情で、娘は義父母の手で育てられたようなものだからである。

5月某日
2019年に元号が変わるということで、教えている予備校生に平成に次ぐ元号を考えさせることにした。
「浪人」「忖度」など、面白半分のものも含まれていたが、その中に「回帰」「大化」「一二」などというものがあって、いずれも現在の閉塞状況を打ち破るために、原点に戻って考えたいという意志の現れなのかもしれないと興味深く思った。
若者も時代を敏感に感じて生きているのだろうが、悪しき「近代の超克」などに陥らないように願うばかりだ。
一方、2020年の東京オリンピックが終われば、日本の社会は崩壊するという説もあり、なかなか厳しく不透明な時代が来ていることは間違いない。
栗本慎一郎によれば、
「信念の世紀はもう終わった」
ということだが、「信」が「真」につながるような、古くて新しい感覚が再び求められているとも思う。
いずれにせよ人生最大のピンチが到来しそうだ。
逆に言えば、千載一遇のチャンスにもなるとも考えられる。
自分に果たしてピンチをチャンスに変える余力が残っているかどうか不安ではあるが、社会に生存することの「必要」が未来を切り開いていくことは確かだ。
「信真一如」……「信」にして「真」の道を歩んでいきたい。


風前のともしび社(笑)

2017-04-09 13:19:43 | Weblog
4月になり、小生の起業した会社が創立14周年を迎えることになった。
怖い物知らずのまま、見よう見まねで法人を立ち上げたのだが、これほど続けられるとは、我ながら予想だにしていなかった。
この14年間、リーマンショック、東日本大震災、アラブ世界の不安定化、テロの頻発など、世界は激動の時代を歩んでいるが、私事を振り返ってみても、心筋梗塞で三日間の意識不明状態、母や元妻の死など、これまた人生において多難な歳月だったように思う。
(それまでが順風満帆、何の心配もなく、ぬくぬくと育ってきたことの反動なのかもしれないが…)

そんな中で、弊社の14年を総括すれば、やはり自分は企業経営には向いていないという一言で足りる。
最大の欠点は損得勘定にあまり関心がないことだが、このあたりはフランスの社会学者ブルデューに

「経済力とはなによりもまず、経済的必要性を自分から離しておく力のことである」

という至言があるから、そういう意味では自分は経済力に秀でている(=無知・無関心でいられる)という見方もできるかもしれない。また

「富士には、月見草がよく似合う」

という太宰治のアイロニカルな言葉の顰みにならっていえば、老舗の三越や東芝が危うくなるほどの高度資本主義の時代には、存外、細々とした個人企業が適しているとも考えられるのではないか。
とりあえずは、社名を

「風前のともしび社」

に変更しようかなどと独りごちながら、あと五年は何とか、しのいでいくつもりである。

最後に、創立14周年を迎えるにあたって、最も重要なことを述べておかなければならない。
それは、弊社が多くの方たちの暖かいご支援と愛情によって支えられてきたということである。
ご厚情をいただいた皆様への感謝の印として、特製ボールペン(写真)を進呈中である。
このブログを読んでいるあなたのところにも、いつか届けられるかもしれないから、期待して待っていただきたい。


耳のかたち

2017-03-21 15:22:29 | Weblog
前回のブログでも少し取り上げたが、このたび、めでたく花婿となった甥のJ也の話をしてみることにする。
私の姪(兄の娘)のR香は、叔父の口から言うのもはばかられるが、子どもの頃から早熟で利発、おまけに美貌にも恵まれていた。
惜しむらくは、その生育環境が彼女の才能を守ることをしなかったことで、両親の離婚という事情も手伝って、感受性の赴くまま、奔放な生活に浸り、すでに十代にして男性と同棲生活を始めた。
男性は恋人の妊娠を知ると雲隠れして、R香の元に戻ることはなかった。
やがて、R香は一人の子を産んだ。それがJ也である。
R香親子は兄夫婦の元でしばらく暮らしていたらしいが、母が継母であるため、やはり居心地が悪かったのだろう。
余裕が出てきたなら、引き取ろうとしたのか、二歳にも満たぬJ也を置いて、離れて暮らすようになった。
(もっとも、このあたりは、兄夫婦も多くを語らぬタブーの領域で、推測の域を出ない)
そのうち、R香はK氏と結婚するが、幸せな日々は長く続かなかった。
若くして乳がんに冒され、入退院を繰り返しはじめる。
一方、そうしたR香の苦境を知り、兄夫婦はJ也を養子として引き取ることにした。
J也が成長し、野球少年として活躍し始めた頃である。

さて、ここからはJ也夫婦の披露宴当日、控え室にて初対面のK氏から聞いた話である。
ーーある日、J也の所属するリトルリーグの大会があり、テレビ中継されることになった。
闘病中のR香はそれを知り、病院のベッドで観戦していたが、そのとき、テレビに映し出された一人の少年が、その耳のかたちから、自分の産んだ子に間違いないと言い出したのだという。
ーーはてさて、それがはたして本当にJ也であったかどうか、R香の亡くなった今となっては確認のしようがない。
普通であれば顔つき、目つきや所作などで判断するのだろうが、目鼻立ちのまだ整わぬ乳児であれば、いつも添い寝しているときに見える小さな耳が、R香にとっては最もいとおしく、最も深く脳裏に刻まれた部分だったのかもしれない。
最近の政治の世界に目を向ければ、耳を疑うような半信半疑の発言が取りざたされ、そのたびに裏付けや物的証拠が求められるが、この話を聞いた私は、何の迷いもなく、いかにもそうだったのだろうと納得し、母と子の結びつきの強さに改めて感動し、それを信じた。
こればかりは「真」がそのまま「信」となったわけである。
それとともに、決して褒めることなどできない波乱万丈の短い人生を終えたR香にも、最愛の息子とのひと時の憩いがあったことに、わずかばかりの慰安を見出した。
天国にいるR香よ! 心配することはない。 J也は私などよりもよほどしっかり生きていくだろうから。

2017年の不幸という形

2017-03-11 19:14:08 | Weblog
すっかり更新が滞ってしまった。
年度替わりの安堵感が気管支炎を連れてやってきて、おまけに甥の結婚式、何かと落ち着かぬ日々を過ごしてきて、やっと一段落といったところである。
そんな折しも、3・11を迎え、改めて風化への傾きを自ら認めつつも、六年の歳月の重みを思いやった。

それにしても、多くの不幸な形があるものだ。
3・11という日付を刻んだ指標があるものの、そこには、これまで生きて来た人々のさまざまな暮らしの姿というものがあって、その姿も不幸と一体となっているから、不幸の形もさまざまになる。
そういう意味では、ことさら震災にとらわれなくても、人々のなりあいというものは、誰でも、いつの時代でも、それなりに不幸な影をひきづっているといえようか。

たとえば、先に紹介した花婿である甥は生みの母と父を知らずに育ったから、不幸が逆に自分の存在証明ともなっている。
我が娘は祖父母の介護に追われ、ケアマネージャーや後見人、また花婿候補の協力を得ながら、看取りや葬儀での喪主の準備を真剣に始めている。不幸が成長の促進剤になっている。
あるいは、姉は、すでに壮年期を迎えていた息子を失い、その死をいまだ受け入れきれずに心の病に苦しんでいて、不幸は深く浸透している様子だ。
誰がどれほど不幸なのか。

さて、ここに一人の女性がそうした不幸なる者の仲間として、新たに登場してきた。
兄を病気で失い、その三か月後に、今度は父を老衰で失ったという。
「順序が逆ではないか」とは彼女の弁であるが、老いた母親を抱えつつ、今は亡き二人の残務処理に追われている。そんな健気な姿を見ると

ーー私の対象として選ぶべき女は、日々の孤独のために心の弱まるようなこちらを引き立ててずんずん向こうの気持ちに引き摺り込んでくれるような、強い心の持ち主でなければならなかった。……
「あるかなきかの心地するかげろふの日記といふべし」とみづから記するときのひそやかな溜息すら、一種の浪漫的反語めいてわれわれに感ぜられぬにはいられないほど、不幸になればなるほど、ますます心の丈高くなる、「かげろふの日記」を書いたような女でなければそれはどうしてもならなかった。(堀 辰雄)


といった言葉が思い浮かんでくるのだが、本人は、案外

これまでぼんやり夢のように生きてきたので、突然現実に起こされたような気がいたしますが、起きてもなんだかふらふらしているだけのような気もいたします。

というように、不幸が人生の真実を知らしめたことに戸惑いを覚えているようだ。

ところで、これまでの人間は、処世訓として
「禍福はあざなえる縄のごとし」
というように、どこかで不幸が幸福に反転するのをかすかに期待してきたきらいがある。
あるいは、不幸は幸福の予感を孕んでいるとも言い換えられるだろうか。
しかし、フクシマの原発によって、そうした素朴な人生観、運命観が大きく揺らいでしまったのは確かだ。
とすれば、不幸が恒久的に不幸としてしか享受できないこと、あるいは幸福に転化するのに想像を絶するほどの長い時間がかかること、これが現代の最も大きな不幸だと言えることにもなるだろう。

閑話休題
甥の結婚式のついでに、札幌近郊の友人宅に立ち寄り、しばし充電 。
今年の春は少し遅いようだが、鳥寄せのヒマワリのタネをついばみに小鳥たちがベランダにやって来る。
やがて、木々が緑に色づけば、鳥たちは見向きもしなくなるという。





リアル断章

2017-01-30 08:47:52 | Weblog
トランプ騒動で時代がざわついている。
革命と反革命とが彼の中で無矛盾的に居座っているようだ。
グローバリズム過剰の時代の一種の解毒剤ではあるかも知れないが、いずれアメリカファーストではなく、個人ファーストという方向に進んでいくに違いない。

前回に引き続き、リアルということにこだわってみたい。

僕らの現実がいくら深刻づらをしてみても、それは、ひよわな人間たちの悲喜の表情が反映してゆらめいているだけのことで、リアルは奔流のように、ひたむきに走っているだけだ。(金子光晴)

私の場合、これこそリアルというものだと思ったのは、テレビの画面ではあるが、やはり3・11の津波が海岸に押し寄せてきた時の映像だ。
これまでも、人類はこの種の問答無用のリアルを前に、何度も言葉を失い、立ちすくんできたに違いない。
現在は地球史上、生物種の大量絶滅の六度目の危機だという。
だが、今回ばかりは、人類がリアルの源である自然を蹂躙していることになる。
自分で自分の首を絞めている図が見て取れる。

孔夫子が衛に志を得ず、趙簡子にまみえようとして黄河に至って、「美哉水洋々乎」と言った気持には、解釈にはないかもしれないが、なにか、大きなリアルにつきあたったときの絶望に似た、運命観と同時に、人間の方法のむなしかったことを悟ったときの一種の寛恕が感じれる。(金子光晴)

「美しきかな、水洋々」ーー悠々と流れる壮大な黄河を目の前にして、黄河を渡ることができないのも天命だと孔子は嘆いた、いや、悟った。
つまり、どうあってものっぴきならない事態に直面すること、自分の無力さ、人間の不可能性を自覚することもまたリアルなのだ。

年が明けて、悲報が続いている。
義父に癌が発覚したのもその一つだが、介護する娘の言葉がじつに優しい。
まるで、私自身までが癒されているような気分になった。
生命を愛おしむというのも、ささやかながらのリアルであろうか。
それにしても、私は旅立ちたい。海にも空にも憂いを抱いたままで……

横浜大桟橋に停泊中の飛鳥Ⅱ




2017 年頭所感

2017-01-03 20:13:58 | Weblog
年が明けたが、ますます多難にして多忙な一年になりそうである。
そんな中で、今年も細々とブログを書いていきたいと思っている。
ちなみにフェラーリスというイタリアの哲学者が、現代のIT社会の特徴を「ドキュメント性」(だれもがアクセスできる、消滅せずに保存できる、コピーによって拡散できる)という概念で説明している。
だいぶ年季の入った「濃さ日記」だが、そうした「ドキュメント性」を含んでいると考えれば、新たな感慨が生まれてきそうだ。

さて、世界は一大変動期を迎えているようだが、日常の複雑微妙な人間関係において、「ありのままの現実を受け入れよう」という考え方をする人がいる。
何の偏見、先入見もなく、喜怒哀楽の感情をできるだけ抑制して、物事を冷静にバランス良く把握しようということだろう。
だが、「ありのままの現実」を受け入れているつもりでも、案外、現実を歪めていたり、隠蔽していたりすることが多いのも確かだ。
「ありのままの現実」など、本当は掘り下げていけば何が出てくるか知れない生々しいカオスに満ち、地殻で煮えたぎるマグマのようなものなのだろうが、ともすれば、常識や理性によって舗装された地面だけを現実と受け止めてしまいがちではないか。
なるほど、それで地歩を固め、安定した生活は一時的に得られるかもしれないが、その地面もまた実際には年々数センチずつ移動してさえいるのだ。だから、

現実は人をあざむき通しなのであって、人間はこづき回されながらも、現実はあざむかないという基本観念にあざむかれて、自分の方を適応させることで懸命になって、ともかくも、危い人生をぎくしゃくやりながら辻棲を合わせてゆくわけである。(金子光晴「リアルの問題」)

と考え直したほうがいいように思う。
むしろ、「辻棲を合わせて」、「ありのままの現実」だとするやり方に抗い、たとえ嘘いつわり、夢まぼろしであっても信じていこうとすることのほうが、よほど真実に近い生き方になるのではないだろうか。
たとえば、正岡子規の

鶏頭の十四五本もありぬべし

という句も、現実に咲く鶏頭をありのままに写生したものではないはずだ。
多分に「嘘いつわり、夢まぼろし」を含んでいるからこそ、それは現実を超えて真実に達していく力をもつ。

嘘いつわりは、答案用紙のまちがいやコンピューターの計算ちがいや言いちがえと区別される。
ねがいの気持をことばにしたものであって、空無であるが純粋であり、沈黙のなかに嘘いつわりならざるものは何であるかを問いおろしてゆく端緒となる。
未来のほうから差しこまれるかたちをとって嘘いつわりのことばはあらわれるので、現実にたいしてさかだちした言語だということができる。(藤井貞和)


このとき、「現実にたいしてさかだちした言語」でつくられたものは「文学」と呼ばれるのだろうが、「濃さ日記」もそうした言語で書き連ねられたものにしていきたいと思う。


鎌倉稲村ヶ崎

植物的な生─落ち葉を踏みしだきながら─

2016-12-20 09:29:32 | Weblog
年の暮れともなった。
今年は、〈私を拒絶する風景がある〉ということをいやおうなしに痛感せざるをえない年となった。
そして、その風景は年齢と共に広がり、周囲を取り囲むようになってきているようにも思われる。
こう書くと、なにやら深刻に受けとめられるかもしれないが、そして確かに深刻ではあるのだが、それだけにまた新鮮な覚醒となり、これまでになく充実し緊張した毎日を送ることができるようにもなったのだから、感謝して享受したいという気持ちを含んでいる。

その一方で、若い女性から「心が豊かなんですね」などと言われると、生活総体は決して豊かではない者に対する励ましに過ぎないとわかっていても、やはりうれしくなる。そして、その豊かさは〈私を拒絶する風景〉が強いてくるのだと思ってみたりする。
money richでも time richでも health rich でもないが、heart rich だけはこれからも確保していきたい。

そんなことを考え、枯れ葉を踏みしだきながら冬の道を歩いていると、二つの言葉が思い出されてきた。

生命の一循環を終えたのだから
生まれかわるためには、死なねばならないと
根が考え、幹が感じている。(鮎川信夫「落葉樹の思考」)


樹々は冬のあいだも明春のために生命ある色を蓄えている。(志村ふくみ)

冬はどうやら植物的な生に思いを馳せるのに適した季節のようだ。
そして、こうした樹木の生命のサイクル、いやリサイクルに共感できるのも、私という個体が、次のような「遺伝子の夢」に包み込まれているからなのかもしれない。

人間は自分自身の生のためだけには生きていけない存在であろう。無限に生きられるように改造されたとしても、きっと、死の遺伝子のスイッチをみずからオンにして自殺してしまうにちがいない。それは、授かった生は遺伝子からして利他的なものであるからだ。
死の遺伝子は一見、生命の連続性をたち切ってしまうように見える。しかし、そうではない。遺伝子として死が組み込まれることによって生命の連続性が不連続的に保たれているのである。(田沼靖一『遺伝子の夢』)


前回の当ブログで、「医療者は患者に対して、互いの心が、そして命が『つながっている』という希望を与えるべきではないか」と述べたが、希望の原点とは、人から人へ、世代から世代へと「生命の連続性が不連続的に保たれて」いくという生命のバトンリレーにあると思うが、どうであろうか。

今年最後に贈る曲として Roberta Flack の ’the first time ever i saw your face’ を選んでみた。
時代の大きな曲がり角、難路は続くだろうが、ときに優しさのあふれる寛い海を漂う気持ちで乗り越えていってほしい。

The First Time Ever I Saw Your Face - Roberta Flack (lyrics)


「つながっている」という希望

2016-12-03 12:26:34 | Weblog
十二月を迎えた。
先月は秋らしい秋の日が少なく、初雪まで降って驚かせたが、それだけに、初冬を迎えたこの頃の方が、かえってよほど秋らしく感じられてくる。
そんな一日、黄葉に色づく街路を歩きながら、先月、奥様を亡くされた知人と久しぶりに酒を飲み交わしたときの話を思い出した。

──奥様は単なる骨折で入院したのだが、精密検査をしたところ、がんが見つかった。それも悪性の末期がんだった。心の準備など何もしていなかった知人と奥様の面前で、医師は事務的に病状と余命を告げただけだった。それ以来、急速に奥様の病状は悪化し、入院してわずか数週間で旅立たれた。──

医師の言葉は凶器になりうる。
たしかに、がん告知は患者や家族の声を反映して、以前よりは積極的にされるようになっているが、それにしても信じられない無神経さだ。
担当の医師は四十歳代で、経験がまだ足りないということなのか、いや、逆に病気と死と患者に慣れすぎてしまい、感覚が錆びてきたということなのか。

「本当の〈希望〉は、心の底に真の〈希望〉を持った治療者から出てきます。
私自身五十年以上患者を診てきましたが、百パーセント絶望した例はありません。
癌末期の患者だって、一か月はもつまいと思っていたのが一年間生存した例なんてザラです。
治療者は針の穴のような小さい希望でも見逃してはいけません。
〈希望〉という薬にはお金もかからず手間もかからないのですよ」
(中略)
「医療従事者は、希望を捨てる最後の人になるべきです」
名誉院長はそう言って、訓話を締めくくった。(帚木蓬生『臓器農場』)


医学部を目指す生徒に医療倫理の基礎を教えている者として、こういう高潔な志をもつことは医師には必須だと思ってきた。
患者は「治る」という希望を携えて病院を訪れる。
それにどう応えるかは、医師の最も得意とすべきことであり、たとえ絶望的な状況であっても
「先行きはなかなか厳しいところがあります。でも私たちはあなたと一緒に歩んで行きますから」
と、医療者は患者に対して、互いの心が、そして命が「つながっている」という希望を与えるべきではないか。
こうした説明をしたとき、生き生きと輝く生徒の眼にぶつかった経験はこれまで何度かある。
だが、実際に医師となって働き始めたなら、現代の厳しい医療環境で、その志を維持するのはなかなか困難なのだろう。
先の担当医の態度にも、どこか疲弊したニヒリズムが漂っているように思われる。
現場の実態を十分に把握していなければ、倫理は浮わついたものにしかならない。
とはいえ、倫理は現場の実態を監視し変革するためのものでもあるべきだ。
医師は病気と死と患者に慣れてもよいだろう。
だが、おのれが、病気と死と患者につながっている医師であることに慣れてはいけない。
そんなことを考えるに至った。



神々が急がせる晩秋の落日

2016-11-21 14:02:09 | Weblog
今年はイギリスのEU離脱から始まり、東京都知事選での小池旋風、そしてフィリピンのドゥテルテ、アメリカのトランプという二人の強面の政治家の躍進、さらには韓国大統領の疑惑などと、歴史の節目を感じさせる年になっている。
グローバリズムと偏狭な保護主義的なナショナリズムとの奇妙なねじれと要約すればいいのだろうか。
しかし、本当はもう一つ、プライベートなことになるが、悲しい別れがあったことをつけ加えねばならぬ。
もちろん、私にとってはどんな政変よりも深刻に受け止めざるを得ない出来事だった。
その詳細をつまびらかにしたいところだが、ここではランボーの詩集『地獄の季節』の末尾に置かれた「わかれ」の冒頭を引用するにとどめたい。

すでに秋!──しかし何ゆえにいつまでも太陽を惜しむのか。ぼくたちは聖なる光明の発見につとめているのだから。──季節の推移に従って死に絶える人々からは遠く離れて。

こう書いてランボーはその後、「聖なる光明の発見につとめて」砂漠の商人となっていった。何かの予兆を感じ取っていたのだろう。ランボー詩集の翻訳者、宇佐美斉氏はこう述べている。

落日と秋、それはあるひとつの状態の持続が突如として終焉を迎え、その結果、世界が新たな秩序へと急変しようとする刹那の、美しい象徴である。

神々が急がせる晩秋の一日、私の中にも落日の思いに浸りたいという思いがある。
とはいえ「季節の推移に従って死に絶える」わけにはいかない。
私も急がなければならないのだが、それにしても、どこへ? 
いまは、砂漠の命、砂漠の愛、砂漠の仕事、砂漠の希望を目指すとしか言いようがない。



祝宴──ボブ・ディランのために

2016-10-21 11:42:25 | Weblog
前回伝えた友人のご子息の結婚式はつつがなく済み、両家代表の挨拶として吉野弘の「祝婚歌」を朗読し、大いに好評を博したとの報告を受けた。
友人曰く、朴訥な感じで読み上げるのがポイントだとのこと。
それにしても、ディズニーランド近くのベイシェラトンホテル、当日は二十組の祝宴があったそうで、詩の内容に比べ、あまりに晴れがましすぎて、違和感を感じなくはない。

違和感といえば、最近騒がれているのが、ボブ・ディランのノーベル賞受賞である。
若い頃は、ビートルズの絶妙なメロディライン、ストーンズのワイルドなサウンドの合間に、魂から絞り出されるような彼のしわがれ声をよく聴いたものだ。
そんな彼の歌が果たして光栄あるノーベル賞に値するかどうか、物議を醸しているが、いまだに彼との連絡は取れないという。

How does it feel ?
How does it feel ?
To be on your own ?
With no direction home ?
A complete unknown ?
Like a rolling stone ? 


どんな気分だ?
何を感じる?
たった一人になって
帰る家もなくして
誰にも知られることなく
ただ転がる石のようになってさ


と名曲 LIKE A ROLLING STONE で歌っていた彼としては、やはり’no direction home’とあるように、あてどない吟遊詩人でいるほうが心地よいと思っているのではないだろうか。
あるいは、彼の語録によれば、

He not busy being born is busy dying.

日々生まれ変わるのに忙しくない人は、日々死ぬのに忙しい。


ということだから、いまだに生まれ変わることに忙しく、ノーベル賞どころではないのかもしれない。

そこで、ささやかな祝宴として、彼の師匠(Dylanという名付け親で二十世紀最大の詩人といわれる)ディラン・トーマスにご登場願い、祝詩として、彼の朗々たる声で
’And Death Shall Have No Dominion’(そして死は支配することはない)
をお聞かせしてもらうことにする。
なお、詩の一節には次のような句が含まれている。
………………
Though they go mad they shall be sane,
Though they sink through the sea they shall rise again;
Though lovers be lost love shall not;
And death shall have no dominion.

たとえ狂おうとも正気に戻るだろう
たとえ海の底に沈もうとも浮かび上がるだろう
たとえ恋人がいなくなろうとも愛はなくならないだろう
そして死は支配することはない。

………………


Dylan Thomas - And Death Shall Have No Dominion