ミンミンゼミの鳴き声と共に起きた。
今、朝の6時少し前。
ちょっと前に、微温浴を楽しんだこと以外、昔と同じ。
今から、45年くらい前になるだろうか。
父の実家である栃木で一夏を過ごした。
農家である父の実家の脇には、小川(水路)が流れていた。
そこで、実家の叔母は野菜を洗ったり、鎌を研いでいたりした。
畑でとったトマトやスイカもその川の流れで冷やしてごちそうしてくれた。
しかし、私が好きだったのは、キュウリ。
畑でとれたてのキュウリは、ちくちくしてそのままでは食べられない。
小川で洗って、とげをとり、塩をつけてまるごとがぶりといく。
塩がキュウリの甘さを引き立て、みずみずしくてうまい。
こんなおいしい物があるのかと、都会育ちの私には新鮮な驚きだった。
自転車で10分くらい行くと、堰のある大きな川に行くことが出来た。
最初は、年上のいとこにつれられて一緒に釣りをしに行った。
しかし、一度釣りの仕方を覚えたらあとは、暇さえ見つけて川へ行って釣りを楽しんだ。
えさは、川虫。
川底の石を裏返せばいくらでもいる。
あとは、釣り針に川虫をつけ、流れにうまく乗せるだけである。
あたりがあったときの感触。
今でも忘れられない。
あたりがなくても、冷たい川の水にももまでつかって浮きの動きを見ているだけで楽しい。
麦わら帽子さえかぶっていれば、もうそこは別世界。
遠くの山並みも美しい。
半日釣りをすると、多いときは20匹弱くらいがびくに入っている。
持ち帰ると、いつの間にかいろりの近くのわらに、釣った小魚が串刺しにしてある。
農家だから、朝が早い。
私がミンミンゼミとともに起きる頃には、みんな畑に出ている。
一仕事してみんなが帰ってくると朝食だ。
私は、放し飼いにしてある小屋に入って生み立ての卵をかごに入れてとってくる。
少しこわかったが、生み立ての卵はあたたかかった。
卵は、わらがついたりしていて、自然そのものだった。
朝食は、その卵となすのみそ汁、そしてご飯と漬け物をみんなでいろりを囲んで食べる。
卵も、なすのみそ汁も、ご飯も、漬け物もみんなおいしくて、ご飯を何杯もおかわりした。
たまの来客の時のごちそうは、叔父が締めた鳥鍋だ。
さっきまで生きていた鳥が鍋の中でぐつぐつ煮えている。
これもおいしかった。
こうして、何も言われなくても、自分は自然に生かされていることを体感していった。
そして、自然の中で生きて生活している人々にどれだけ生かされているかも。
父が、1か月近く実家へ私を預けたのは、きっとそうしたことを体験させたかったのだと思う。
そして、教室で習うことは所詮理屈でしかないことを体感させたかったのだと思う。
人間がいきるとは、どういうことかを分からせたかったのだと思う。
都会へ帰り、教室にすし詰めにされ、我慢する生活が待っているかと思うと一日一日がものすごくいとおしく思えた。
この一夏の体験は、忘れられないものとなった。
その後、2回くらい父の実家で一夏を生活することになったが、夏が来るのが待ち遠しくてしかたがなかった。
やがて、妻と出会い結婚することになった。
そして、新居をつくろうと思ったとき、真っ先に考えたこと。
それは、生まれて来るであろう子どもたちに、そうした自然が体験ができる場所に居を構えることだった。
父の実家には、自然はもうない。
母の実家は都会だ。
だから、子どもたちには自然の中で育ってほしかった。
幸い、3人の子どもたちは私の思いが通じたのか、みんな独立して生計を立てている。
そして、3人とも釣りが好きである。
今、我が家の庭には、ここに新居を構えたとき、妻が近くの農家から譲りうけた柿がたわわに実をつけつつある。
この柿も30年になろうとしている。
もうすぐ、三男が帰ってくる。
妻の一言で始めたリフォーム。
帰ってくるところをなくさなくて、ほんとうによかったと思う。
昔は、ザリガニ釣りが出来た沼もなくなり、畑や杜が住宅地になってどんどんまわりの自然はなくなっていくけれど・・・
今、朝の6時少し前。
ちょっと前に、微温浴を楽しんだこと以外、昔と同じ。
今から、45年くらい前になるだろうか。
父の実家である栃木で一夏を過ごした。
農家である父の実家の脇には、小川(水路)が流れていた。
そこで、実家の叔母は野菜を洗ったり、鎌を研いでいたりした。
畑でとったトマトやスイカもその川の流れで冷やしてごちそうしてくれた。
しかし、私が好きだったのは、キュウリ。
畑でとれたてのキュウリは、ちくちくしてそのままでは食べられない。
小川で洗って、とげをとり、塩をつけてまるごとがぶりといく。
塩がキュウリの甘さを引き立て、みずみずしくてうまい。
こんなおいしい物があるのかと、都会育ちの私には新鮮な驚きだった。
自転車で10分くらい行くと、堰のある大きな川に行くことが出来た。
最初は、年上のいとこにつれられて一緒に釣りをしに行った。
しかし、一度釣りの仕方を覚えたらあとは、暇さえ見つけて川へ行って釣りを楽しんだ。
えさは、川虫。
川底の石を裏返せばいくらでもいる。
あとは、釣り針に川虫をつけ、流れにうまく乗せるだけである。
あたりがあったときの感触。
今でも忘れられない。
あたりがなくても、冷たい川の水にももまでつかって浮きの動きを見ているだけで楽しい。
麦わら帽子さえかぶっていれば、もうそこは別世界。
遠くの山並みも美しい。
半日釣りをすると、多いときは20匹弱くらいがびくに入っている。
持ち帰ると、いつの間にかいろりの近くのわらに、釣った小魚が串刺しにしてある。
農家だから、朝が早い。
私がミンミンゼミとともに起きる頃には、みんな畑に出ている。
一仕事してみんなが帰ってくると朝食だ。
私は、放し飼いにしてある小屋に入って生み立ての卵をかごに入れてとってくる。
少しこわかったが、生み立ての卵はあたたかかった。
卵は、わらがついたりしていて、自然そのものだった。
朝食は、その卵となすのみそ汁、そしてご飯と漬け物をみんなでいろりを囲んで食べる。
卵も、なすのみそ汁も、ご飯も、漬け物もみんなおいしくて、ご飯を何杯もおかわりした。
たまの来客の時のごちそうは、叔父が締めた鳥鍋だ。
さっきまで生きていた鳥が鍋の中でぐつぐつ煮えている。
これもおいしかった。
こうして、何も言われなくても、自分は自然に生かされていることを体感していった。
そして、自然の中で生きて生活している人々にどれだけ生かされているかも。
父が、1か月近く実家へ私を預けたのは、きっとそうしたことを体験させたかったのだと思う。
そして、教室で習うことは所詮理屈でしかないことを体感させたかったのだと思う。
人間がいきるとは、どういうことかを分からせたかったのだと思う。
都会へ帰り、教室にすし詰めにされ、我慢する生活が待っているかと思うと一日一日がものすごくいとおしく思えた。
この一夏の体験は、忘れられないものとなった。
その後、2回くらい父の実家で一夏を生活することになったが、夏が来るのが待ち遠しくてしかたがなかった。
やがて、妻と出会い結婚することになった。
そして、新居をつくろうと思ったとき、真っ先に考えたこと。
それは、生まれて来るであろう子どもたちに、そうした自然が体験ができる場所に居を構えることだった。
父の実家には、自然はもうない。
母の実家は都会だ。
だから、子どもたちには自然の中で育ってほしかった。
幸い、3人の子どもたちは私の思いが通じたのか、みんな独立して生計を立てている。
そして、3人とも釣りが好きである。
今、我が家の庭には、ここに新居を構えたとき、妻が近くの農家から譲りうけた柿がたわわに実をつけつつある。
この柿も30年になろうとしている。
もうすぐ、三男が帰ってくる。
妻の一言で始めたリフォーム。
帰ってくるところをなくさなくて、ほんとうによかったと思う。
昔は、ザリガニ釣りが出来た沼もなくなり、畑や杜が住宅地になってどんどんまわりの自然はなくなっていくけれど・・・