リフォーム徒然なるままに Reform turezure naru-mamani

我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

自作お弁当作りで、平らな地球が丸い地球に見えてきた!

2008-08-23 05:20:46 | Weblog
自分で弁当作りをするようになって、よく考えるようになった。
日に日に、弁当に入れる野菜の量が多くなった。

食べる野菜の量が多くなると、咀嚼する回数がどうしても多くなる。

写真の弁当を見てもらっても分かるが、サラダや野菜などよく噛まなくてはならない。
不思議とよく考えるようになった。



ある時、弁当を食べながら、
「自作弁当はいいな、家計のコストを減らすことができるから」
と一人悦にいっていた。
ふと「コスト」(cost)って何だ
と思い浮かんだ。

(時間・労働などの)犠牲, 損失とある。
また、(物・行為が)〈人に〉犠牲を払わせるとある。

自作の弁当を作るようになって、「コスト」を減らすことができるようになったと思っていた。
だが、自分に「犠牲」や「犠牲を払わせる」とは思ってもみなかった。
当の自分は「コスト」を減らせると思って大喜びしているのだから

そこまで、考えたとき「コスト」という英語を自分が誤用していることに気づいた。

辞書にあるとおり、
「コスト」は、(時間・労働などの)犠牲, 損失だし、
(物・行為が)〈人に〉犠牲を払わせることなのだ。


自分が自分に対して「コスト」を減らしたと使うのは、「コスト」という言葉の誤用なのだ。
家計では、自分に対して払っている食費など「費用」は「コスト」ではない。
「犠牲, 損失」なんて思ってないし、人に犠牲を払わせるとも思っていない。

何で「誤用」したのか?

「コスト」は、(時間・労働などの)犠牲, 損失だし、
(物・行為が)〈人に〉犠牲を払わせること


とすると、この場合の主語は何か?

経営者あるいは株主である

日本語は、主語をよく省略する。
ここに、英語を持ち込むと「主語」が何か、誰なのか分からなくなる。
ここがポイントだ。



誤用の始まりは、ここにあった。

注意してニュースや新聞を見ていると、よく「誤用」されていることに気づく。



先日もガソリンの値上げがあった。
たしか、トラックの運転手らさんと思われる人(背景にガソリンスタンドが写っていた)が、
「燃油があがって困る。人件費などのコストを減らさないとやっていけない」
というような意味のことをインタビューに答えて言っていた。

この運転手さんが、「経営者」なら誤用ではない。
「コスト」である「人件費」で犠牲を払わされているからだ。

しかし、単なる被雇用者なら「誤用」であろう。
なぜなら、自分自身=犠牲になってしまうからだ。
運転手さんは、自分自身が犠牲なのか?
・・・
自作弁当を作っている自分は、犠牲なのか?
と自問してみた。
おいしい自作の弁当を食べながら。

コスト(もちろん人件費も含む)は、企業など(実際には経営者や株主)が払いたくないのにどうしても泣く泣く払うという意味がある。

自分が自分自身に対して、
払いたくないのにどうしても泣く泣く払うという
というのは、おかしい(笑)
そして、
泣く泣く払っていたコスト
を減らせると考えていた自分がもっとおかしい。

思わず笑ってしまった。
そして、泣けてきた

そこまで、自分が思い込んで「誤用」していたことに。



もう一つ、例をあげよう。
7月23日の「日経」の社説だ。

「活力高める雇用改善は構造改革から」とのタイトル。

ここでも、「主語」の省略がある。
それは、この社説の論旨を読み進めると分かる。

著者曰く、厚生労働省の2008年版「労働経済白書」は労働行政の限界を示唆しているという。
また、「労働条件を法的に向上させようとしても対象療法にすぎない。製造業は今後も重要だが、厳しい国際競争に対処するためにコスト削減の手を緩められない。・・・これまでの景気回復は外需頼みで、労務費を削減した製造業の立ち直りに負っている」
「袋小路から抜け出すには、付加価値の高い情報産業や新しいサービス産業などの成長を促さなければならない・・・」
と。

この「社説」、誰が書いたか「主語」が「省略」されている。
仮に、著者が「経営者」ないしは「株主」ならまさに、「労務費」は、
払いたくないのにどうしても泣く泣く払うコスト
ということになる。
まさに、
犠牲, 損失
なのだ。

だが、仮に経営者でも株主でもないとすれば、自分が自分自身に対して、
払いたくないのにどうしても泣く泣くコスト(労務費)を払うという
という論旨を展開するのは笑ってしまう。



もっとも、「日経」だから経営サイドで書いているのは「常識」だが。
だとするすると、また「誤用」でないとするとまさに、
払いたくないのにどうしても泣く泣く払っている
のだし、
「コスト」は、(時間・労働などは)犠牲, 損失だし、(人に)犠牲を払わせること
と判断しているということになる。

ここでまた、思った。
経営者や株主に、
払いたくないのにどうしても泣く泣く払ってもらっていた
のだし、
「コスト」つまり(時間・労働などは)犠牲, 損失で(経営者や株主に)犠牲を払わせていた
のかと。
申し訳ないことをしていた




自作弁当を作るようになって、よく野菜を食べるようになった。
よく噛むからおかげで、よく考えるようになった。
考えるようになって、よく世の中が見えるようになった。

おかげで、コペルニクス的な考え方の転換ができるようになった。

「好き」を追求していくと今まで見えなかったいろいろなものがよく見えるようになる。



中途半端な「英語」は使うべきではない。
よく理解していない「言葉」も使うべきでない。
使うときは、「辞書」にあたることが大事だとつくづく思った。

考え方の筋道を根本から間違うことになる。

これからは、経営者や株主にあまり、犠牲を払わせないようにしよう。



ネットですぐ単語を検索できる時代になった。
いい時代になったものだ

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