リフォーム徒然なるままに Reform turezure naru-mamani

我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

レポートの勧め

2008-12-20 12:31:38 | Weblog
突然だけれど、小学校の時の話をする。

5年生の時だ。
担任のN先生は、いつも笑顔で優しく接してくれた。

そのN先生がある時「レポート」の「課題」を出した。
タイトルは確か「日本の4大工業地帯について」というものだった。
レポートの書き方については、図書館があるので調べて書くようにと言われたように記憶している。
提出する「レポート」は、「レポート用紙」に書いて枚数の制限はなかったように記憶している。
あったかも知れないが昔のことなので覚えていない。

期間は確か2週間前後あったように記憶しているが、これも1か月ほどだったかもしれない。

とにかく、「日本の4大工業地帯について」というテーマだけ与えられている訳だから、それに該当すれば何でもいいということになる。

学校にも図書館はあったがあまり利用しなかった覚えがある。
資料が限られていたからだ。

しかたがないので、公立の図書館を利用した。
そんなに大きくはないが、資料は揃っていた。
だが、どこに何があるかよく分からないので、まずは何がどこにあるかを階段を上がったり下がったりして探すことから始めなければならなかった。

「日本十進分類」があることさえ知らなかった。
「教科書」にあったのだが、勉強しなかったので覚えていなかったのかもしれない(笑)

「日本十進分類」を頼りに、「日本の4大工業地帯について」書かれている資料が図書館のどこにあるかを探すことから始めた。



薄暗い図書館のどこにあるかを探すことはまるで、映画「ジュラシックパーク」のようだった。
どこから、何が出てくるか分からないというわくわく感と「恐怖」があった。
最近の映画では見ていないので分からないが、夜の博物館で恐竜の展示が動き出す映画があるようだが、多分そんな感じだ。

図書館は、おもしろい。
「文学」もあれば、「社会」もある。
「天文学」もあれば、「数学」もある。

「日本の4大工業地帯について」という与えられたテーマについて、どこにどんな資料があるかを薄暗い図書館の書架を探すことは、まるで、「探検」だった。

探し当てれば、あとはそれを図書館で写すか、借り出してきて自宅で写すかだ。

今のように、コピペ(コピーアンドペースト)やコピーなんてこともできなかった。

一つ一つ、レポート用紙に引き写すしかない。
見やすくするように「色鉛筆」を使ったり、表やグラフについては、一つ一つ「グラフ用紙」を使ったりして、同じ割合になるようにしていた。
「グラフ用紙」がないときは、いちいち定規で測って目盛をうってレポート用紙に書き写していた。

もちろん、レポート用紙は追加すればいくらでも書けるのだが、何でもかんでもでは、いくら時間があっても終わらない。
どうしても、必要な内容を選んで、順番を考えて、分量の見当をつけて書くことになる。

こうして、何回も図書館に足を運び、「少年朝日年鑑」とか「○○百科事典」とか「○○国語辞典」など基本的な資料が載っている資料とそれを読み解く「辞典」を使って、2週間から1ヶ月?ほどかけてレポートを作成した。

それは、それは、大変な労力だった。
だが、薄暗い図書館を探し回って、やっと20枚か30枚のレポートにしたのだから、満足感半分、自信半分だった。

レポートは、展示されたから、誰がどれくらい調べているかはすぐ分かった。
また、内容は自分も調べているから、人と比較するのはすぐできた。
もちろん、自分より格段に数ぐれているものもたくさんあったし、そうでないものもあった。

だが、一番ショックだったのは、あんだけ苦労して調べたことの重要部分は、ほとんどすべて「教科書」に載っていたことだった。


(それだけ、勉強しなかったということ(笑))

ここにも書いてある。
これもここに書いてあるじゃないか。
自分が調べたことのほとんど重要なエッセンスは、みんな「教科書」に書かれていた。

何だ、最初から「教科書」を写せばよかったのだ。



この経験が「失敗」の始まりだった(笑)

効率よく、試験の点数をあげる方法が分かったからだ。
「教科書」をしっかり勉強すればいい。
あとは、遊んでても大丈夫だ

小学校6年の時の担任のK先生は、厳しかったがしっかり勉強すれば問題なかった。
学校から帰ったら、まず遊んでいた。
勉強は10時頃から。
教科書さえ勉強すれば何とかなるという、ポイントをつかんでいたからだ。

その後、中学、高校と公立に進学したが、いずれもほんとに勉強したのは、受験の年ぐらいだったろうか。
「教科書」さえ勉強すれば「何とかなる」と「高をくくっていた」からだ。

大学受験では、「一番薄い教科書」を「選択教科」に選んで、うまく滑り込んだ。



社会人になってからも、かなり長い間この方法は通用した。
どうやって「教科書」が作られているかが分かったからだ。
つまり、自分の分野でもっともコンパクトに重要な内容が書かれている本やテキストにあたりをつければよかった。

そのことをとにかく、「日本の4大工業地帯について」というレポートを書いた自分自身が一番よく分かっていた。



読者の皆さんは、お気づきだと思うが「教科書」を勉強する方法は、「既製の知識」を効率よく「学習」するのにはこれ以上「効率」のいい方法はない。

また、学生を選ぶ側、特に「大学」にとっても都合がいい。
だって、「範囲が限れているもの」。
だから、公平に採点できる○×式の「コンピュータ採点」にするのだ。

話が横道にそれるが、6年のK先生は、算数の文章題の時、必ず回答に至るまでの考えを式にして書けと指導してくれた。
答えがだせなくても、途中の考え方が合っていれば△をくれた。
設問5点なら、3点か2点はくれた。

「コンピュータ採点」は、ここがすっぽり抜け落ちている。
「努力」は認めません。
「とんでもない考え」も認めません。
「結果」があっているかあっていないかそれがすべてだ。
だから、当てずっぽうでも当たることがある。

でも、それは単に採点する側が都合がいいからだ。
とんでもない「考え方」や「突飛もない考え」を判断する必要がないから。
したがって、採点者側が評価されることもない。
つまり、「楽」なのだ。




もっと言うと、コンピュータ採点は、出題する方は「評価されない」。
2重に評価されないのだ。
まずは、「教科書」という範囲の限定がある。
第二に、「とんでもない考え」や「突飛な考え」を評価する義務を負わない。
こんなに「おいしい」評価システムがあるだろうか?

この「評価システム」に載っている限り「安心」だ。
大学は「コンピュータ様々」、「教科書様々」ではないだろうか。

もっと言うなら、「採点者の力がなくて評価できないような回答」は評価しなくていいのだ。



残念ながら、共通一次(今ではセンター試験)の世代ではないので、コンピュータで採点された経験がない。
運転免許の採点くらいか。
でも、分からなければ適当に選択すればいいのだからある意味、受験するほうも楽かもしれない。

受験者にとっても、こんなに「おいしい」受験はない。
だって、「受験範囲」は「教科書」で限定されている。
幅広く「努力」して「勉強」する必要はない。
その上、分からなければ「努力」しなくても「えいやって、適当に選択肢を選べばいい」
くじ運さえ強ければ「運良く」合格する。



お互い「おいしい汁」をすっているのだ。
私も「おいしい汁」をすってきた。
限定されている教科書で受験して。



だが、所詮「教科書」は「教科書」。
一番おもしろいのは、「教科書」や「レポート」を作ること。

「教科書」や「レポート」を作ることがおもしろい。
まるで、ジュラシックパークのように、本を読んで「別世界に飛んでいくことができる」。
過去の偉大な先生に会うこともできる。
ダビンチのような。

図書館の中で資料を読み、そして実際にこの目で世界を確かめ、考えをまとめることのおもしろさ、楽しさをN先生に教えてもらった。
堅い言葉で言えば、学問の楽しさ。
勉強する楽しさを。

「教科書」は、所詮その楽しさやおもしろさの「残りかす」
「残りかす」を勉強してもおもしろくない。



私はラッキーだったと思う。
N先生に出会ったことが。
勉強がこんなに楽しいものだということを「レポート」を課題に出して、学ばせてくれたから。
その後「失敗」して、「効率」に走ったが、元に戻ることができた。

ぼろぼろ落としたものをその後、懸命に「楽しく」「勉強」している。



このブログが続いているのは、N先生のおかげかもしれない。
レポートすることは「おもしろい」。



「失敗」への最短距離は、「教科書」だけ勉強すること。
間違いなく、「失敗」を積み重ねることができる(笑)

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