リフォーム徒然なるままに Reform turezure naru-mamani

我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

ナポリの教会の鐘 ^^^♪♪♪・・・・

2007-09-02 14:15:02 | Weblog
イタリアの旅で忘れられない経験をした。

それは、ナポリのホテルに宿泊した夜のことであった。
この日は、翌日のカプリに備えて、ホテルには午後6時頃には着いた。
夜といっても、イタリアはサマータイムで外はまだ明るい。

確か、夕食前の午後6時半頃であった。
突然、教会の鐘が鳴り始めたのである。
それも、一つの鐘ではなく、複数の鐘が鳴り始めた。

1~2分続いただろうか。

フィレンツェのドゥオモでもちょうどお昼頃鐘が鳴っていた。
しかし、その時はちょうど12時なので、
「時報のかわりだな」
くらいにしか思っていなかった。

しかし、ナポリの教会の鐘は明らかに鳴り方が違う。
すぐ近くの教会の鐘が、
「ガラーン、ガラーン、ガラーン、ガラーン、・・・・・」
と鳴り続ける。
思わず、「最後の審判」を思い起こした。

(その時には、まだミケランジェロの「最後の審判」は見ていなかったし、あまり興味もなかった。実際、システィナ礼拝堂にある「最後の審判」もよく見なかった。)

キリスト教徒でないもないのに、敬虔な気持ちになった。
まるで、教会の鐘の音は、
「あなた方(もちろんナポリ市民を含み)は、今日一日、正しい行いをしましたか、罪深きことをしませんでしたか?」
問うているようであった。

しかし、この1~2分(いやもっと長かったかも知れない)の鐘が鳴る間、思考が止まったように思われた。

心の中は、無心になり、ただ鐘が「ガラーン、ガラーン、・・・」と鳴る音の空間の一部になっていた。
そして、鐘の音以外の時間は、すべて止まっているように思えた。

ナポリは、治安が悪いと聞いていた。
だから私も愛機D80は持ってこなかった。
確かに、治安は悪そうで、ホテルの前には不審な男たちがたむろしていた。
また、ナポリの駅前は、それまでのイタリアと違って緊張感を持たなければならない雰囲気が漂っていた。

だからこそ、教会の鐘の音も必要になるのだろうか?

だが、根本は貧困であろう。

イタリアは南部ほど失業率が高いとのこと。
ナポリに着く前、ずっとユーロスターの車窓からイタリアの風景を見ていた。
気になったのは、農家の廃屋が目につくことだ。

帰国してから見たNHK?の番組でもフランスのワイン農家が、ワインの国際競争に敗れて農地の縮小や転作を迫られているとのこと。

また、ヴェネツィアでは、母と子であろうか、夕方家路に向かうのか線路をとぼとぼと歩くジプシーを見た。
また、サンマルコ寺院の前では、数人のジプシーが物乞いをしていた。
ローマでは、足に傷害をもった年老いた男性とその子どもが物乞いをしていた。

昭和34~5年頃?までは、我が国でも戦争で傷ついた兵士が駅頭で物乞いをしていたことを記憶している。
なくなった私の祖母は、わずかだがそうした人たちがもつ小箱に、小銭を入れていたのを思い出した。

教会の鐘の音は、いろいろなことを思い起こさせてくれた。