アネッティワールド

日常の体験から・・・

城山展望台~隆盛洞窟へ

2018年04月28日 13時22分12秒 | 鹿児島

3日目の朝、まだ「大河ドラマ館」は開いてない時間に到着しました。

広い駐車場には影になるところがないので車の中のレオが心配でしたが

まだ朝だったので気温も高くなく急いで館内を回ります。

 

いぶすきで観たcoccoはしむれと重複するところが多かったので

館内を10分程度で切り上げました。

続いて訪れたのが城山展望台です。

なぜ薩摩が明治維新の主役になれたのか?

秘密がこの城山・鶴丸城の址にあるそうです。

島津家が薩摩を治めた期間がなんと七〇〇年。

これだけ長い間一家が治めた歴史はないそうです。

今日も桜島が噴火しています。

この日で(3/31)今年22回目の噴火だそうです。

 

鶴丸城が天守もなく他の城に比べて城壁も小さかったのは

この城山があったからだそうです。

もし下が攻められてもここで籠ることができる場所だったんです。

 

急な崖でできた台地なので難攻不落だったんですね。

この台地に曲輪(くるわ)と言われる守りの要が5つもあったんです。

このシラス台地が鶴丸城をうしろで支えていたと言うことなんです。

ちなみにこのシラス台地は火山灰の堆積ではなく

700度の火砕流が堆積した物なんです。それも桜島ではなく

後で行く姶良(あいら)カルデラなんです。

 

と言うことは目の前の海は山だったんです。

その山が2万9000年前の噴火でカルデラの海となり

その火砕流による堆積物がシラス台地となったんです。  (ブラタモリの情報より

 

城山公園展望台の裏に西郷隆盛の洞窟がありました。

西南戦争で官軍に追い詰められた最後の場所です。

ここで切腹し介錯してもらい

胴体は2時間後の9時頃に川で見つかったと言われています。

「西郷どん」ではどのように放送されるんでしょうね。 そのころは年末でしょうね。

 

薩摩の地形を利用し

4人に1人が武士でも武士を集結できる土地を埋め立てし

琉球を通して中国貿易で巨万の富を得、人材育成に力を注いで明治維新の主役になれたんですね。

 

これからますます大河ドラマが楽しくなります。   

 

幼なじみで親友の西郷隆盛と大久保利通が違う道を進むようになるキーワードが

「征韓論」と言うことが鹿児島に来てわかりました。