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横浜田舎物語

サザン、サッカー、ロードバイク
エイジレスばあばのパワフルな日々
をお届けします

新緑がまぶしい庄内、置賜地方へ

2013-05-23 | 旅行
山形県はその県内を4つの地域に分けて表しています。

県庁所在地、山形市を中心とした村山地方

新庄市などを中心とした最上地方

酒田市などを中心とした庄内地方そして

米沢市などを中心とした置賜地方

今回はそのうち最上地方を除く3地方のごく一部ですが初めて行ってきました。

刺し子の先生、友人のOさんが一時、ご主人の単身赴任の関係で何度も行っていたので
今回の旅行プランをしっかり立ててくれて、すべてお任せの安心旅行でした。

電車のチケット一つでも、いかに安く上げることができるか・・・
信じられないかもしれませんが、全く同じ電車に乗っても買い方によっては金額が違うのですよ

どう違うかって・・よくわかりませんが・・

とにかく、彼女にお願いしたおかげでまるで団体旅行のようなお得感がありました。


5/19(日)


6時半過ぎ、最寄駅を出発、3人でした。

横浜~東京駅へ、ここで、千葉県館山市から町田のTさん宅に前泊したSSさんとTさんと合流



↑ 余談ですが、これ初めて見ました。 自動販売機なんですけど、モニターみたいなのがあるだけで
しかもそこに天気予報  買いはしなかったけど、多分タッチパネル方式になっているのでしょうね。
そのうち、横浜駅にも現れるでしょうか

往路は新潟経由で酒田市に向かいます



鳥海山?だと思いますが・・まだこんなに雪が残っていますね

真冬は一面の銀世界、今年はどこもたいへんな豪雪でした。
それだけに、今のシーズンが待ち遠しいし、うれしいですね。

酒田はこの日から3日間、酒田まつりが開催されてました。

13時過ぎ、酒田駅に到着





駅前





ホテルに荷物を頼むと、まずやったことは、レンタサイクルの依頼

酒田市は、市内の何か所かに乗り降り自由の無料自転車が置いてあります。

これもOさんが私のために捜してくれて、他の皆さんはもちろん歩くんですけど
それほど広い範囲ではないけど、ずっと歩くのはやっぱり無理
おかげさまでこの後もずいぶん助かりました。

しかし、ママチャリに乗るのは何十年ぶり?
なぜだ~どんなに漕いでも進まない、いや進まないことはないけど遅い
クロスバイクやロードバイクがいかに楽か、こんなところで気づかされるなんて

ママチャリでは10km走るのもたいへんだろうな、これはかなりの脚力が必要です。

さて、ママチャリに乗って最初に向かったのは相馬楼





酒田市は海に面しています。

350年ほど前、北前船の寄港地として栄え
この相馬楼は当時から料亭相馬屋として繁盛してきましたが、近年、観光の目玉として再建されたようです。

きれいな舞娘さんの踊りを見物、その後記念撮影もできます。
但し、午後2時までに入場しないと見ることができませんので要注意です。

三味線の女性は力弥さん、今NHKのスポットに綾瀬はるかさんと出ていますね。

赤っぽく見える畳は紅花で染めてあるそうです。きれいですねえ

相馬楼から徒歩3分、山王くらぶです。

日本三大ひな人形の一つ傘福

福岡柳川の「さげもん」、山形酒田の「傘福」、伊豆稲取の「吊るし飾り」が日本三大吊るし飾りです。

その”傘福”が展示されているこちらもまた元料亭だったようです。





その名の通り可愛い日傘に思いのこもった小物が吊るされているわけですが、傘にぐるりと一枚の布が巻かれています。
帯地が巻いてあるものもあってそれだけで華やかになりますね。

吊るされている小物たちも豪華です。

自身も心得のある千葉のSSさんは興奮気味、これが見たいがために今回参加したと言っても過言ではありません。

写真の赤い出目金が特にお気に入りのようで、「あとで写真送って」と言ってました。

続いては

こちらは徒歩10分ほどの大通りに面した意外な場所にある旧鐙屋あぶみやと読みます。





こちらは廻船問屋の跡ですが、今年10月公開される<映画版 おしん>のロケ地となりました。

中庭にはこちらではすでに終わってしまった花々が迎えてくれたのはうれしかったです。


次は徒歩3分のところにある旧本間家本邸

 本間家旧本邸は、本間家三代光丘が、幕府の巡見使一行を迎えるための本陣宿として明和五年(1768)に新築し庄内藩主酒井家に献上した、 
 二千石格式の長屋門構えの武家屋敷です。
 巡見使一行が江戸に戻ると屋敷を酒井家から拝領し、商家造りの方で昭和二十年の春まで住んでいました。
 桟瓦葺平屋書院造りで、武家屋敷と商家造りが一体となっている建築様式は、全国的にも珍しいものです
                                                (HPより)





1976年(昭和51年)10月29日、酒田では大変な大火がありました。
大きなニュースになりましたから覚えている方も多いかと思いますが、その時
この本間邸は石造りの塀で囲まれていたため類焼を免れたようです。


そしてこの日最後の予定は









山居倉庫です。


現在も使われている明治の米倉庫(なぜか横浜の赤レンガ倉庫を思い出して)

どこかで見たことが・・・そうです。 吉永小百合さんが出ている<JR東日本 大人の休日倶楽部>のCMで
彼女がこの道を友人らしき女性と歩くシーンがありました。








素敵でしょう 時間があったらこの椅子に座ってゆっくりお茶したかったです。

こちらの建物はお土産屋さんになっています。

山形県にもおいしい地酒がいっぱい、さっそくお店の方にいろいろ聞いて送りました

特に東北銘醸の<初孫>は思い出のお酒、17年前の忘年会で、その年の11月にまさに初孫を授かった私が
会場になった寿司屋で偶然出会ったお酒、さっそくうれしい乾杯をその場にいた友人たちと
そんな懐かしくもうれしかった思い出のお酒

当然、買いましたよ、<初孫>





酒田の街の主要観光コースを一通り回って、お土産も買って・・さあ今夜のお楽しみ
って言うところで初めて雨がぽつぽつ降りだしました。

皆さんは歩いて、私は自転車で移動の予定でしたがタクシーで移動

自転車はどうしたかって? これもうれしいことにこの山居倉庫も自転車乗り捨ての拠点になっていたので
こちらで返却 助かりました。

向かったのは、Oさんが酒田に来ると利用していたという鈴政というお寿司屋さん

酒田ですけど江戸前寿司が出ます。

おまかせにぎりをお願いしました。





真ん中の小鉢はホタテの肝とひものからし味噌和え、絶品でした。
この後のお寿司が楽しみ~

お寿司は1種類ずつ順番に出てきます。

なるべく握りたてを食べてもらいたいという心遣いから

全11貫、左角から時計回りで

まぐろのあぶり、ひらめ、ふぐ、のどぐろ、甘えび、ホッキ貝、卵焼き、あなご、うに、軍艦巻き、づけまぐろ

軍艦巻きに乗っているのがどうしても思い出せません・・・

どれもこれもおいしかった  

お酒はお店の人に勧められてこちらをいただきましたが、のど越しもよくいいお酒でした。

しか~し、私以外ほとんど呑まない人ばかり、呑まないというより呑めない

Tさんがちょっと付き合ってくれたけど、一人で呑むのってむなしい
これが一人旅だったら全く問題ないんですよ、

大勢いて一人で呑むって・・・皆さんは「気にしないで呑んでね」って言ってくれるけど
そういう問題じゃない

おいしいお酒なんだけどおいしくないんですね。

大阪オフ会の昼間っから呑んだ~ってことがなぜか懐かしく

このグループと旅行するときは覚悟の上なんだって確認しました。

でもそれ以外は気を遣うことなく、却って不自由な私を皆さんが気遣ってくれてずいぶん助かりました。

今夜のお宿は駅前のビジネスホテル、なかなかきれいなお部屋で居心地もよく、なのに1泊3980円ですって

酒田まつりのお得期間だそうです。そういえば何か所か入場料が無料でした。

夜は近くの日和山公園で前夜祭があり、屋台が引かれるというので見に行こうかと思ったのですが
雨だし、昼間の移動で疲れ切ってそんなパワーは残っていませんでした。

初日終了
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初めての所に行ってきます。

2013-05-18 | 旅行
海外旅行の経験は少ないけど、よくよく数えてみると日本全国、電車でも車でも通ったこともない
つまり、未踏の地ってのが47都道府県のうちたった2県だけでした。

もっとも、通過しただけでその地に下りたことがない県、って言うのもいくつかあるけど

福岡県、徳島県、そして新潟県・・その3県だけ

これってある意味すごい?

で、冒頭の未踏の地ですが、九州は佐賀県と、東北の山形県です。

その山形県にこの度、行くことになりました。

去年から始めた刺し子、友人のOさんが先生なのですが、
そのOさんが師事していたのが米沢在住のE先生です。

米沢・・いい響きですねえ・・おいしそうな響き・・じゃなくて
歴史を感じる響きです。

ご主人の勤務の関係で1か月のうち10日間は米沢に通っていたOさんがあちらで出会ったE先生
素晴らしい方です。
お会いしたいなあ~

いっぱい楽しみがありそうです。

相変わらず時々痛む足を引きずって行ってきます

有名な”山寺”にも行くんですって、1015段の階段、だらだら坂らしいけど私には無理だろうな

皆さんに迷惑もかけられないし・・・

2泊3日の山形県の旅、明日出発です

どんなことが待っているのでしょうか?

新潟県経由で行くんですって・・また新潟県は通過だけなの~・・そのうちゆっくり行かせてもらいますからね。

お天気、今週初めまでは雨の予報だったんですけど、降水確率がかなり下がってきたようです
(これは、わんこさん連れてかなくちゃダメなのかと真剣に思った・・晴れ女わんこさん

では行ってきま~す


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旅の終わりも

2013-04-09 | 旅行
三泊四日の旅の終わりもやはりこれ↑

楽しかったオフ会、

旧知の友との再会、

そして本来の目的、関西医大での股関節検診、


すべて無事終了して自宅に向かってます。


ただいま愛知県を走行中

お土産もお土産話もたくさん持って帰り道です。

ありがとう

大阪、京都 来年またね
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奥能登 感動の旅 3日間 (その3日目)

2012-10-13 | 旅行
  
  10/9(火)


3日目、最終日です。

昨夜は寝る前に湿布薬をこれでもかというくらい貼って寝たせいか
なんとか普通に歩けるようになりました。

夫は相変わらずの早寝でしたが、テレビを見ていた私は画面に引きこまれて
そうです。

京都大学の、山中伸弥教授がノーベル医学生理学賞受賞という快挙のニュースが流れていたからです。
教授は、以前からマスコミも注目していたので、その存在は知っていましたが
思わず「やったあ!」と

今まで受賞した先生方の時と比較すると、一番興奮したかもしれません。

あのいかにも頭の良さそうな顔、その後出てきたいろんな情報から見えてくる人間性
すばらしいです。
文武両道とは彼の代名詞?

受賞内容は難しくてよくわからないけど、難病の方には朗報だとか、すばらしいですね
1日も早く実用できる日がきますように、国もおしみなく資金提供お願いしますよ。

って、また関係のない話しから始まってしまった3日目です

今日は、昨日より30分だけ余裕の8時半出発、ただし、もう戻ってきませんから
忘れ物は厳禁です。

今日もいいお天気 ほんとにこれが大事なんです。

最初の立ち寄り場所は”ヤセの断崖”そうです。(だれ?デブの間違いじゃないかって?)
こここそが、かの小説『ゼロの焦点』の舞台  

犯人である○○が××を突き落とした場所

読んだことのある方はわかると思いますが、これから読もうと思っている方のために
あえて名前は出しませんよ。

昔は崖の先端まで行けたようですが、事故でもあったのかしら、鉄柵があってそれ以上前には行かれません。
またげないことはないですけどね。

そんなお転婆なことはしちゃいけません。


    


すぐ近くの”義経の舟隠し”も上からですが、見学しました。

義経が頼朝の追手から逃れるために船を隠したと言われている入り江
改めて彼の壮絶な最期が浮かんできます。


    


続いて”能登金剛巌門”

ここでは遊覧船に乗りました。


    

またまたお天気よくてよかったと感じた場所です。

海の色が・・・沖縄で見た時以来の美しい海でした。

 
    


    


    


    


そしてこの空


    


歴史あり、自然あり、命の洗濯なんて懐かしい言葉が出てきたのは言うまでもありません。


このあとトイレ休憩所になったのはコチラ↓↓


    

”世界一長いベンチ” ですって


昼食は千里浜レストハウスで”貝めしセット”を食べました。
オプションでしたけど、これは頼んで正解でした。

食事のあと時間があったので浜辺に出て見ました。すると・・・


    

”砂像”って言うんですね。

ここ千里浜(ちりはま)の砂はかなり粒子が細かいので、水で固めると強度が普通の砂の何倍も上がるそうです。

『製作中』という看板?が貼ってある作品がありました。

大作です。あまりにすばらしかったので何枚も写真撮ってしまいましたが
裏側ではまさに作者が製作中、お邪魔かと思いましたが気になったこと、2,3質問してしまいました。

まずこの砂はどうやって運ぶのか? これは、土建屋さんにお願いして運んでもらうそうです。
もちろん有料で、
その後、木枠で作った箱状のものにぎっしりと砂を詰めて固まるまで待ち、枠を外して
ひな壇に重ねる、そこからキャラクターを思い浮かべながら製作が始まるそうです。

ワンピース、銀河鉄道999、ミッキー&ミニー、ムーミン一家、どらえもん、ゲゲゲの鬼太郎・・・
製作中はサザエさん一家、
波平さんとフネさんは入らないとか、波平さんを作ったら毛が1本が問題かもしれません

間もなく完成ですね。

定年退職後の趣味でやられているそうです。すばらしいですね。


    



このような作品ができるくらい細かい砂はこんなものまで作ってしまいました。


    


     《千里浜なぎさドライブウェイ》


ガイドさんの話では、一番初めにこの道を通ったのは、あるバス会社の運転手だそうで
冒険ですよね。
普通、砂浜をバスが走ったらどんなことになるか、想像しただけで怖ろしい

あまりに堅い砂地に、もしかして走れるかもしれないと、走ってみたらなかなかよかった、これはいける
それが始まりなんですって、ビックリですね。

こんな道を通るのは当たり前ですけど初めてでしたから乗っている方も少し緊張気味で
全長は8kmだそうですが、半分くらいは走ったでしょうか?

途中でバイクのツアーの皆さんにも会いました。気持ちよかったわ~


さあ、いよいよツアー最後の訪問地です。

”世界遺産 五箇山 菅沼集落”

赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つの谷からなるので「五箇谷間」となり、これが「五箇山」の地名となった、とのことです。

合掌造りの建物集落は、白川郷があまりに有名ですが、観光地化された白川郷とは違って
その戸数は少ないものの、静かでゆっくりした気持ちになれたのは・・多分
連休明けの平日だったから?

それもあったかもしれないけど、白川郷ほど観光バスが寄らないから?

でも、歩くことに問題ありの人間には嬉しい、遠回りしなくていいようにエレベーターが設置されていたんですよ。

これからはどこの観光地もそうあってほしい、健康な時は考えもしませんでしたけどね。


     

     
     


     


     


     


     


   


     


さて、盛りだくさんの旅の行程もここまで、またバスに揺られて長野新幹線の上田駅を目指します。

今回の旅行は初めから50歳以上が対象となってましたので、私たちと同じくらいか、少し上の世代の
ご夫婦連れが多かったです。

もちろんお友達と2人でという女性もいましたし、6人の女性グループもいました。

でも、一番印象に残った方は、お一人参加のTさん、御年85歳の男性です。

お話を伺ったら、奥さまをすでに亡くされ、半年前に永年住み慣れた北海道を引き払って
息子さんの住む埼玉県に移住、同居されているそうです。

最初はご高齢でおひとり、ということで添乗員さんも我々も気にかかりましたが
そんな心配は杞憂に終わりました。

体を鍛えるために毎日1万歩は歩いてらっしゃるとか、とにかくお元気だし
お話もきちっとされてるし、私の方が全くダメ

もともと体が丈夫にできていたのかもしれないけど、やはりここまでお元気ということは
それなりの努力が必要です。

大宮で途中下車されましたが、皆さんの席にご挨拶に行かれ、元気に帰られました。

「あやかりたいものだ」とは夫の言葉ですが、参加された皆さん、きっと同じことを思われたでしょう。

3日間、特別トラブルもなく、おもしろい話もなかったですけど、満足なツアーだったのではないかと

そうそう、自転車ですけど、確か『能登1周ツーリング』みたいなイベントがあるんです。
でも今回、こんないい時期なのに、ローディーさん全く見かけませんでしたね。

もっと違うところに自転車道があるのでしょうか?

バスでの移動だからアップダウンがいまいちわからなかったけど、結局この辺走りたいね、というような道は
ほとんど見つかりませんでした。

そして、このツアー、夫が出した結論は、「歩けない人はもう連れて行かない」という情け容赦のないきつい一言でした。

いいのよ、べつに、私は行こうと思えば友達がいますから
あなたは誰もいないでしょう

まあ、しばらくすれば「そんなことは言った覚えはない」と、これが常套手段ですからいちいち気にしてられませんけどね
 
     
                       3日間の奥能登の旅、これにて                                     
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奥能登 感動の旅 3日間 (その2日目) 

2012-10-11 | 旅行
  10/8 (月)

ツアーの出発は早い
その上、出発時刻がしっかり決められてるからたとえ1分でも遅れるわけにはいきません。

そんなことで、朝湯に入ることもためらわれて

しかし、目ざましを4時にセットするってどんな神経なの

確かに昨夜は9時半には「電気もテレビも消せ~」って言うからしかたなく早く寝てしまったけど

「うちの目ざましと同じだあ」とか言って喜んでましたけど、どこが同じなの?まったく別物
大きさは同じくらいだけどね

「キャー忘れ物」  なんてこと、あれだけ注意したのに大事な杖を部屋に置いてきてしまった。
今日は昨日より歩きそうだから、初めから杖を用意します。

ホテルの部屋を出る時は必ずしっかり見まわしますけど、この時は油断してた
だって、今夜もこの部屋に戻ってくるから

という、どうでもいい前置きはこのくらいにして

8時1分出発

まずは、輪島塗の工場見学です。

あのすばらしい作品が出来上がるまでの行程を一通り説明された後は、お決まりのお買いもの

重箱1セットでさえ○十万円もするのです。

私が買えるのはせいぜい箸くらい

”すべらない箸”というのがあったので、娘たちの分も含めて数組買いました。
それと、カレー用のスプーン
お隣で買っていた奥さんが、とても使い勝手がよかったからまた買うと言ってたので
こういうこと言われると弱いのよね。

輪島の箸と言えば、今、我が家で使っているのは、夫の母が、まだ新婚と言える頃、私たち夫婦のために買ってきてくれたもの
ずいぶん長いことしまってあったのですが、何年か前から使い始めました。
いいお箸なんだけど、とにかくすべる・・こんにゃくなんか一度離れたら、はさむのが大変なんです。

でもすぐには替えられないな、義母に申し訳なくて
買ったお箸の出番はもう少しあとになりそうです。

続いて、お待ちかね、”輪島の朝市”です。

テレビでは何度見たことでしょう。

        

    

    

自分が勝手に作っていたイメージとはちょっと違ってました。

もう少し素朴な感じかと思った、でもおばちゃんたちの笑顔は本物だと思いました

これから忙しいですよ

続いて”白米の千枚田”へ、日本海を左に見ながら進みます。


    

稲刈りは終わってしまったけど、黄金の稲があったらそれは見事だったでしょうねえ


そして、平家の落人の屋敷 ”上時国家”見学です。
<かみときくにけ>と読みます。 間違っても<じょうじこっか>などと言わないように
ガイドさんからの受け売りです(笑)


    


平時忠の血を引く21代当主が天保2(1831)年に建てた入母屋茅葺き、最大級の近世木造民家。
総欅の玄関や書院造りの大納言の間などがある大庄屋屋敷は国指定重要文化財になっています。

現在は24代当主が管理していますが、この日は受付に素敵な女性がいらっしゃいました。
添乗員さんから、当主夫人と聞き、お話をしたところ、なんと御年87歳
とてもとても、10歳はどう見てもお若い

普段はあまり人前に出られないそうですが、たまたま屋根の葺き替え工事の最中で
職人さんたちにお茶を出されるとかで、表に出てこられたようです。

添乗員さん、その若さと美貌にあやかりたいと握手してもらってました
微妙ですけどね

文化財になっていても、自己管理なのだそうで、固定資産税など維持するのはたいへんだということでした。

そして、食事です。


     

どーんと刺身しか写さなかったですけど、今回の旅行で1番おいしかったのがこの刺身でした。

さすが、魚の宝庫日本海です。  もう少ししたら旬の蟹が出てくるのかしら?

昼食の後は

これも海沿いにあるこちら


     

今では貴重になった海水から作る塩、
今一般に出回っている塩は塩化ナトリウムが主成分ですから、もちろん海水からではないですよね。

本当の塩を作る過程を見せてもらい、手間暇かけて出来あがった塩を実際なめさせてもらいました。

そして、買ってきました。

たいへん貴重な塩です。 その良さが1番わかるのは、白米に何も入れないでこの塩だけをつけて握る
”塩むすび”だそうです。

わんこさんからいただいた華越前にこれをつけて食べたら・・きっと最高の贅沢ですね

添乗員さんお薦めの塩アイスクリームもいただきました。たいへん美味でございましたよ。


 


そろそろ能登半島最先端です。

”禄剛崎(ろっこうさき)”

能登半島最北端です。


    


ここに登るのに少し躊躇しましたが、せっかく来たんだもの、杖を頼りに、ゆっくりとなんとか登ることができました。
息なんかぜんぜん切れないのに、何でもなかったら・・言っても仕方ないけど・・でもなんとか来れたんだから、いっか

見通しがよければ佐渡島が望めるそうで、北風が吹きつけて、寒くていられなくなりそうな時期になれば
空気も澄んでよく見えるのではないかと思いました。 残念

そして、かの有名な”らんぷの宿”が見える”珠洲岬”へ

あこがれのらんぷの宿、1度は泊ってみたいですねえ  でも、1泊4~5万ですって


     


こんな展望台もありました。 海に突き出していて、スリルたっぷり


     


ちびデブが美しい景色を壊してますけど、お許しくださいね

完全に海の上にあるんですよ。  高所恐怖症には無理かも、 ねえ わんこさん

盛りだくさんの2日目最後は”見附島(軍艦島)”でした。


     


引き潮の時は渡れるようですが、添乗員さんから禁止命令が出てしまいました。
確かに岩場は危ない

いったい何か所回ったでしょうか?

お天気が良くてなにより、の場所ばかり、ほんとにありがたいことでした。

その都度バスを下りたり乗ったり、大分脚にきてました

そのつもりで湿布薬用意してきましたけど、ダメージは大きくて、明日はどうなるのでしょう。
という不安が残った2日目が終了しました。  続きます。
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奥能登 感動の旅 3日間 (その1日目)

2012-10-10 | 旅行
おおげさなタイトルは、今回申し込んだ旅行会社のタイトルそのまま使ってみました。

10/7 (日)

8:30AM 東京駅日本橋口 集合

思うところがあって最寄駅を7時ジャストの電車に乗り込みました。

順調に8時少し前到着、せっかく東京に行くのです。
見なくちゃね


   New 東京駅舎

 
  

テレビで何度も見ていたせいか、<これがそうなのか>と言う感じでしたが、以前の殺風景さを知っているせいか
その鮮やかさに、眠たい目がパッチリ開いて、思わず「わぁ~」っと声を発してしまいました。

これが見たいがため、早めに出たのですが、こちらのドームは丸の内口

ツアーの集合場所は八重洲口の方ですから、まったく正反対に改札を出てしまったわけで
時間があったからよかったものの、横浜駅より広い、長い東京駅を縦断してやっと集合場所に着いたら
なんと1番受付でした。

添乗員さんはなかなか体格のいい頼りになりそうな女性

まだ時間があったのでお昼のお弁当を買いに、やはりテレビで、駅弁のブースが以前よりグレードアップして
かなりらしいとの情報を仕入れてたので探しましたが・・・

残念ながらこの時刻ではまだ営業してないって、駅なのになぜ?

結局通路で1軒だけやっていたお弁当屋さんで買いました。

もちろんオプションでもありますけどね。


     

           
             ↑                     ↑

             私 1050円                    夫 850円   


長野新幹線に乗ります   グリーン車なんです。  何年ぶりかしら?

でもたった1時間半しか乗らない  上田駅下車です。

そこから地元のバスに乗り換え、走る走る富山県は高岡まで
昼食は当然バスの中で

横浜を出る時は、傘をさそうかどうしよう?と迷うくらいの雨が降っていましたが
すっかりあがって、青空が見えてきました

最初の観光地は 高岡の名刹、瑞龍寺です。


     

     
     


     


加賀藩二代主、前田利長公の菩提寺として建立。
仏殿・法堂・山門が国宝に、総門・禅堂・高廊下・回廊・大茶堂が重要文化財に指定されています。

きらびやかなところはまったくなく、かといって古臭いイメージもなく、さわやか?な雰囲気は意外?といっては
失礼でしょうか?

気持ちのいい場所でした。

日本海、北陸地方は古くから信仰深く、神社仏閣はきら星のごとくありますが
今回の旅行では、この寺が唯一の参詣場所で、ある意味めずらしい現象でした。

高岡駅に戻り、今度はJR氷見線に乗車です

二両連結車両に普通客として乗りこみました。
いわゆるローカル電車ですから、単線で全長距離も16.5kmと短く、赤字路線として一時は廃線になるところでしたが
なんとか生き残ることができたようで・・だから乗ることができたんですね。


      


途中、雨晴駅(あまはらし)あたりからは日本海に沿って走ります。

冬は寒いだろうな・・・この言葉はこのあと何度もつぶやくことになりますが

ちょうど地元の学生さんたちの下校時刻と重なって車内は賑やかでした。

25分ほど乗って、氷見駅に到着、そこで待っていたバスに再び乗りこんで、1日目の行程は終了

宿泊先は羽咋市の能登ロイヤルホテル

途中こんな夕焼け空が見られました。


       

明日はぜったい晴れよ~って言ってました。夕焼けがね

1日かけてたったこれだけ?
ゆったりしてました。  これくらいなら疲れなくていいわ

いえいえとんでもない

2日目はこれでもかって充実?いや強行スケジュールでびっくり・・つづく
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イングランド最終章

2012-08-21 | 旅行
オリンピックの閉会式までには終わる予定だったのですが
ずいぶん間が空いてしまいました。


10日ぶりにロンドンに入りました。

オックスフォードからロンドン入り

すぐ電車を乗り換えて1時間ちょっと、娘が最初に通っていた語学学校があるワージングに到着
本当にのんびりした小さな街です。

海までは歩いて行けます。

ロンドンに住む人たちが避暑地にしているブライトンは電車で30分くらい
そのブライトンよりずっとこじんまりした街

比較的きれいなB&Bが見つかりました。

荷物を置いて、さっそく街を散策、まず、最初にホームステイした家へ

イギリスのホームステイ先は、ホストファミリーがアメリカのように干渉しません。
その分、借りる方も思い入れが少なく、よくテレビなんかで
若いころのホームステイ先の人が訪ねてくる・・なんてことはありえない

あくまでもビジネスですね。

そんなことで家の前まで行ったものの、建物だけ見てあとにしました。
どっちみち、家主さんはお仕事で留守でしょう。

エマちゃんという可愛いワンちゃんには会いたがっていた娘ですが・・

学校にも行ってみました。

受付には女性がいて、娘のことを覚えていてくれました。

娘が私を紹介、それを見てにこやかにほほ笑み、挨拶をしてくれましたが
この私ときたら、緊張で何も言えず、ただ頭をペコペコさげて
握手をしただけ

なぜ、あいさつの基本「How Do You Do!」くらい言えなかったのか
(実際は日常では使わないらしいです。”Nice to meet you”の方が一般的?)

まさかこんな所でそう言う人に会うとは思わなかったから
突然のことで・・いわゆる想定外には対処できなかったのです。

挙句に「ペコペコしてみっともない」とまで娘に言われ
その時はそうなのかと思ったけど、あとでよくよく考えたら、私は日本人よ
ぺこぺこして何が悪い、まったく1年しかいなかったくせにイギリスかぶれなんかして

でもそんなことより、基本的な英語を喋れなかったことが悔やまれてなりませんでした。

この学校では9ヶ月間お世話になりました。

学校なので当然1年間通うものだと思っていましたから、変わると聞いた時は驚きましたが
語学学校の場合、短期なら1週間からありますから、逆に9カ月いたほうが
めずらしい、らしい

何があったか知りませんけど、ステイ先も変えたようで、ほんのわずかの間に
自分で行動するようになったのはある意味、成長なのかと思ったものです。

それはその後、学校を変え、ホームステイから、フラットシェア
変更することに繋がりました。

彼女にとって思い出いっぱいのワージング、もともと都会が好きな子ではなかったから
居心地がよかったのでしょう

その夜は、イギリスなのになぜかスペイン料理がおいしいという店に行きました。

”イギリスには食文化がない”と言うのは私の持論ですが、ちょうどこの時期
世界中に戦慄が走った”狂牛病”
実際、ストラストフォード・アポン・エイポンの駅前にある牛舎では、2か月前に来た時
牛舎いっぱいの牛たちが、見事にいなくなっていて、娘はかなりショックを受けていたようです。

大都市は別として、地方は駅が中心ではありません。
街のはずれに駅がある、というこれも不思議な現象でした。

その後B&Bに戻り、事件はそこで起こりました。 

事件??

そう、あの出来事はここから始まったのです。

あの出来事とはコチラ

2度も恥をさらします

ロンドンには2泊しました。

目的は、ミュージカルを観ることと、2大デパートに行くことと
バッキンガム宮殿で衛兵交代の儀式を見物すること
噂では女王陛下がお目見えすることがあるかもって?

期待しましたけどあるわけないですよね

ハロッズにはそんなことで恥さらしに行きましたが、地下の紅茶売り場には大びっくり
お土産をチョイスしましたが、広すぎてたくさんあり過ぎて迷う迷う

日本人旅行者も何人か見かけました。

名古屋弁の大きな声が聞こえた時は、なぜか心が和んで

もう一つのデパートは”リバティ
女性にはあまりに有名な”リバティプリント”ここが発祥の地です。
去年あたりもかなり流行りましたね。
可愛い、小花模様は時代に関係なく愛されています。

リバティファンならめまいがしそうな数々の小物からファブリック
そして、これでもかと並んだ反物?そう生地です。

yukikoさんならきっと山ほど買って来るでしょうね
好みかどうかはわかりませんが・・

木造の建物にきれいな布地、ハロッズのような華やかさはありませんけど
ここはお薦めです。

ミュージカルは”キャッツ” 当時日本のミュージカルはいい席だと1万円以上したと思いますが
確か7千円くらいで2列目が取れました。

劇場自体がそれほど大きくなかったから、最後列でも十分楽しめたと思いますが
出演者の化粧や衣装がリアルに見える距離は圧巻で、もちろん歌声には感動

本場物を見てしまったせいか、その後キャッツを日本で見る機会を遠ざけてしまったようです。

ミュージカル終了後、地下鉄に乗ってテムズ川に向かい、タワーブリッジを歩きました。

今年はタワーブリッジ、大活躍でしたね。

当時のロンドンといったら大英博物館、蝋人形館などが定番の観光地がありましたが
そういったところにはまったく近づかず、
どこまでも個性的な、気ままな旅の終わりでした。

でも、一応ピカデリーサーカスには行きましたよ。

ピカデリーサーカスはロンドン観光の中心地と言われるだけあって
いろいろな店が数多く並んでいます。

世界中から集まった食文化の宝庫でもあります。

久しぶりにちゃんとしたものが食べられそう・・・って結局
娘が、そばが食べたいなんて言うものだから、日本料理屋へ
あと2日もすればいつでも食べられるのにね

その上ばかばかしいほど高い・・いいんですよ・・全部カードで払えますから(笑)

もういくら使ったんだかわかりません・・
でも、なぜかその時は請求書のことなんて気にしなかったですね。

最後の宿はヒースロー空港にほど近いホテルでした。
このホテルは旅行前に予約してましたが、初めてまともなホテルに泊まったような気がします。

バックパッカーほどではないけど、まだ若かったからできたのかな

ツアーではぜったい経験できなかったいろいろ、

だからこそ、いくら昔のことはよく覚えていると言われる私でも、
どれだけ覚えているんだというくらい鮮明に記憶がよみがえってくるのです。

もう2度とこんな旅はできないでしょう。

行ける時に行っておいてよかった。

帰りの荷物は行きの倍以上、娘は生活用品は船便で送ったというものの
大きなトランクが破裂しそうになっていました。

計ったら30kg以上、荷物検査でぜったい超過料金とられるねって言っていたのですが
これまた、いい時代だったんですね
人の良さそうなおじちゃんでしたが、あきれながらもにこにことOKサインを出してくれたのです
もちろん私の荷物だってオーバーしてましたけどね

こうして、桜の花はすっかり散って葉桜のグリーンがまぶしい4/20帰国しました。

12泊14日の娘との二人旅、そう言えば一度も喧嘩しませんでしたね。

この人は昔から私の小言も威圧感も自然にスルーする能力に長けているせいか
喧嘩にはなりません。

多分、長女とだったら3日も続かなかったでしょう(笑)
でも彼女は通帳に残高があるからって黙って使ってしまうタイプではありません。

どちらも一長一短、どちらも我が娘、いろいろ楽しませてくれる?
旅の終わりの〆が愚痴で終わってどうする
はい、ちょっと言ってみたかっただけです。

これにて完結です。

ながらくお付き合いありがとうございました











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UKからイングランドへ

2012-08-06 | 旅行
ピーターラビットの故郷からビートルズの故郷へ

この旅行で、どこを絶対外せないかってリヴァプールでした。

1963年のある朝、ご飯を食べながらNHKの海外ニュースを見ていた私の前に突然現れた4人組は
中学生だった私に衝撃を与えるだけでなく、その後世界中の若者に大きな影響を与えた??

ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ  その名はBeatles

その日以来、無我夢中になった私は、お小遣いをためてはレコードを買いあさり、
映画が封切られれば、田舎の映画館まで脚を伸ばし
暇さえあれば、それこそレコードがすりきれそうになるほど、意味がわからなくても
歌詞を全部覚えるというほど聞きまくりました。

おかげで英語に少し興味が持てたこともあり、悪いことばかりではなかった。

そんなことで、私にとってイギリスと言ったらビートルズ、ビートルズはリヴァプール
という流れになるわけです。

イギリスツアーは数あれど、コースにリヴァプールが入るのはめったにありません。

けっきょく、個人で行くしかない。

リヴァプール初心者には”マジカルミステリーツアー”が一番です。

かれらのゆかりの場所に連れて行ってくれます。

ジョンが育ったミミおばさんの家とか、ジョンとポールが初めて会った教会とか
ストロベリーフィールドの赤い扉の前とか、ペニーレインとか
曲の題名になっている有名な場所には、ただただ感動

最後はマシュー通りのキャバーンクラブ”です。

彼らがメジャーになる前、ずっと歌っていたこのクラブはまさにファンにとっての聖地
こんな狭い舞台であの楽曲が生まれたのかと、地上に通じる階段から彼らが下りてくるのでは
なんて、錯覚をおこしそうでした。

特別景色が言い訳じゃない、昔はけっこう活気のある港町だったようですが
観光地としては成り立たなそうなこの街が、世界から脚光を浴びるのも、すべて彼らの故郷ゆえ

今、あの旅行でどこが一番よかった?と聞かれたら、やはり、リヴァプールって答えてしまうかもしれません。

翌日はビートルズからシェイクスピアに  マンチェスター経由で

”ストラストフォードアポンエイポン”です。

映画のセットのような街でした。

彼の生家や、シェイクスピア劇場、そしてエイボン川を散策、
ゆったりとした時を過ごしました。

yukikoさんが行きたいと言っていたコッツウォルズはここから1時間くらいで行けるそうですよ。

次は、オックスフォードです。

街は世界の英知が集まるだけあって、整然として、そこを自転車で移動する
かっこいい学生たち
皇太子殿下が留学していたマートンカレッジも確認できました。

首都ロンドンまであとわずか・・

お金はないけど、やっとここまで来ました。

そろそろイングリッシュブレックファーストにも飽きてきたけど・・・

こんな感じ



B&Bによって多少違いはあるけど(中にはすべて真っ黒焦げなんてところも)
これに12枚切りくらい薄いトーストが、まるでCDラックのようなトースト立てに数枚はさまれて
出てきます

あと少し、次は娘がお世話になった語学学校がある海辺の町、ワージングに向かいます。
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続・ユナイテッドキングダムの思い出

2012-08-04 | 旅行
ロンドン到着から3時間、再びヒースローから今度はブリティッシュ・エアウェイズの小型機です。

当時としては驚きの中年おばさまCA
日本では見たことなかったから驚きました。

1時間半くらいで、エディンバラ空港に到着、すでに外は真っ暗

このあと最終のロンドン以外、宿泊先は行き当たりばったりの現地調達ですので
それはいろいろありました。
こんなこともツアーでは考えられないことのひとつですね。

駅前の公衆電話から娘が宿泊先に電話を入れてます。
話が付いたようで、タクシーで宿泊先に向かうのですが

イギリスでは(ここはスコットランドですが)タクシーを、特にロンドンでは
ブラックキャブといいます。

ドライバーは厳しい試験を通った人しかなれないので、プライドも高い代わりに
安心して乗車できます。

娘が最初にヒースローに着いた時、ホームステイ先までの交通手段に迷いましたが
紹介先から、タクシーが安全と聞かされ腑に落ちないまま利用したところ
とても親切に無事送ってくれたと聞いて見なおしたものです。

大きな荷物は運転席から降りてきてすぐ乗せてくれますし、住所さえちゃんと伝えれば
間違いなく連れて行ってくれます。

これはこの先何度も利用しましたが、どこの土地に行っても変わることはなかったです。

さて、日本を発ってすでに10数時間、疲れと眠気に襲われながら宿泊先に向かいましたが
これがこの国では当たり前のB&B

ベッド&ブレックファーストの略です。

日本語で言ったら、”1泊朝食付き民宿”というところですね。

どこの町にもあります。

必ず泊れます。  いろいろですが  

支払いは大体チェックアウト後でしたが、中にはインの時もあります。
そこで、お金です。

当時英ポンドは換金できるところが限られてましたが、横浜駅西口の当時東京銀行で換金、
ここは娘に送金するための口座に繋がっている銀行でしたので
もう何度も足を運んだところです。

異国の地ではアルバイトもできませんから、すべて親からの送金で生活するわけですが
どれくらい送っていたか?忘れました。
でも、たいへんでした

あまり現金を持って行くのが嫌だったので、この旅行のために、とりあえず20万振り込んでおきました。

現金は確か5万もなかったかも、それも、ロンドン~エディンバラのチケット2人分と
ちょっとした買い物に使ってしまって、残りはほんのわずか

あちらはどんな夜中でも小さなATMが町中にあるんですね。

そこで、B&B近くで引き出すよう娘に言いました。
ところが・・残高が無いという・・・

はあああ~

旅が始まったばかりだというのにお金がなくてどうするの?

いきなりパンチ ガーンです。

その夜は旅の楽しみより、今後の過ごし方というか、それよりなぜ残高が無いのか
そちらが気になって・・・これがまたまさかの展開だったのですが

翌日、エディンバラ城や、旧市街、等々観光しながら、途中、銀行に行って残高確認をさせました。

すると・・入金もあったけど、それを引き出したこともわかって
引き出したって、誰が?
きまってますよ、娘しかいないじゃないですか?

よくよく聞いてみると、私が渡英する少し前、中学校時代の友人が2人、
日本から遊びに来たらしい

その二人と旅行するためのお金がいる・・口座を見たら・・入ってる

ワ~~イって思ったかどうかは知らないけど、ラッキー とばかり
使ってしまったかもって

「使ってしまったかもじゃないでしょ どうするのよ

夫に連絡して送金を頼もうかと思いました。でもそんなこと口が裂けても言えない

手元には1万円もなかったのです。

1泊目のB&Bの代金はなんとか支払えました。

こんな娘にするためにこんなところまで送りだしたわけじゃないわ
イライラしながらもなんとかしなければと冷静に考えてみる

よし!こうなったらカード払いでしのぐしかない

幸い、国内の移動は鉄道でと考えてブリッド・レイルパスを2人分購入してあったのです。

これは期間限定のフリーパスで、列車で移動にはたいへん便利でお得なパスです。

ほんとにこれがあったおかげです。

あとはすべてカード払い  その後のB&Bはすべてカード払い可能かどうか、から
探す羽目になりました。

ロンドンに入ってから地下鉄を利用しましたが、確かバスと地下鉄が利用できるカードがあったような
それすらカードで買うことに

大体どこでもカードが使えたので助かりましたが、唯一使えなかったのはマクドナルド
今でこそ当たり前にあるソフトクリームですが、当時日本ではまだ発売されていなかったから
めずらしくてどうしても食べたい・・確か1度、1個だけ買って2人で食べたはずです。

お金の問題はこうしてなんとか解決しましたが・・
買いたいものがあっても限度額を考えるとがまんしたり、まったく娘には参りました。

そんなことがあっても、エディンバラは素敵な街でした。

古いものと新しいものがうまく調和して、そうそう、スコッチウィスキーの造醸を見学できる施設
(名前は忘れましたが)はよかったわ
もちろん試飲できましたしね。

エディンバラには2泊してゆっくり回り、次はネス湖のあるインヴァネスに向かいました。

ネス川が街の中心を流れるインヴァネスは緯度が高いせいか太陽の出ている時間が長く
夜8時になっても明るい街でした。

行ってない人のためのネス湖~LOCH NESS, UK~


今や伝説になってしまったネス湖に棲むというネッシー
でもここに来ると、本当に湖の底から現れるような不思議な気持ちになってきます。

思えば遠くに来たもんだ、なんて曲がありましたけど、地図で見たってかなり遠いです。

とにかく湖と古~いお城と、周りの丘以外は何にもないところです。

地図でいうとすぐ左側にあるスカイ島、機会があれば訪ねてみたい憧れの場所です。

インヴァネスに1泊して、翌日はほとんどが列車移動に費やされ、予定していたウインダミアには
程遠く、しかたなくグラスゴーで下車、まだ9時過ぎくらいなのに駅舎は電気が消され
インフォメーションも閉まって、しかたなく電話帳から探した宿は、まったく普通の家
男性2人が迎えてくれました。
もちろん宿泊客は私たちだけではなかったから余計な心配はいりませんでしたけど

グラスゴーはスコットランド最大の都市、翌朝、駅までの道、タクシーの窓から街並みを見ただけでしたが
いかにも産業の発達した中都市という感じでした。

Fマリノスの中村俊輔がはじめて海外移籍したセルティックのホームでもありますね。

グラスゴーから本当は昨日のうちに到着予定だったウィンダミアに向かいます。

ウィンダミアはご存知、ピーターラビットで有名な湖水地方の玄関口
憧れの湖水地方・・噂にたがわずほんとうに素敵なところでした。

ここでは湖を回るツアーバスに乗ったり、作者ビアトリクスポターの生家に行ったり
ピーターラビットの世界を満喫

実際絵本に出てくる建物の前に立ったりして、その辺の草むらからピーターやその仲間たちが出てきそうな
不思議な気持ちになったものです。

今思うと、ウィンダミア湖の周りを自転車で走ったら気持ちいいだろうなと悔みます。

そして、以前書いたけど、このレイクサイドにあった映画館で、封切られてばかりの
”トイストーリー1”を見たのです。
ほんと、見ただけ、だって字幕もなければ吹き替えもないんだもの

もっとはしょるつもりでしたが、いつの間にか思い出に浸ってしまいました。

まもなくなでしこがブラジルとメダルをかけて戦います
起きていられないだろうな・・でも見届けたいな  やっぱりサッカーは生じゃないとね。

まだ少しずつ続きそうです。 御迷惑でなければまたお付き合いくださいね
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ユナイテッドキングダムの思い出

2012-08-02 | 旅行
ロンドンオリンピック、体操の内村選手が期待通りの個人総合金メダルで
ようやく溜飲が下がったような、気分のいい朝を迎えられました。

今日は1日この話題で日本中が盛り上がることと思いますが、とにかくやれやれです。

ロンドンオリンピックと聞いて、懐かしい思い出がよみがえってきました。

皆さんに比べたら海外経験の少ない私ですが、なんと初めての海外旅行がイギリス=UKだったのです。

それは18年も前のこと、進路に悩んでいた当時高3の次女、やっと出した結論が

  ”留学”

我が家のような普通のサラリーマン家庭で、資産もなく、留学なんてと思いましたが
そもそも親の私が昔から憧れていて、自分ができなかったことを娘に託したいとの思いが
後押ししたのかもしれません。

1年という期限付き、その後は大学に進むという計画で1995年4月、桜咲く日本をたった一人で
旅立って行きました

不安が無かったわけではありません。
高校の英語の成績も特別よかったわけでもないし・・・ほとんどなにもしゃべれないまま・・若さなのでしょうか

そのころ、アメリカなどでは日本人の留学生が殺害されるなんてニュースもありました。

そんなことで親としては銃社会のアメリカには行かせたくなかった。

カナダか、オーストラリアか、イギリスか、迷って決めたのがイギリスでした。

少しくらいお金がかかっても安全と安心を優先に、”留学ジャーナル”を出版している会社を通して
その実績を考慮しつつ選んだのが・・

イーストサセックス州のちいさな海沿いの町 ワージングにある語学学校

地図で言うと、海を渡ればフランスという、ロンドンから電車で1時間、ブライトン近くの
本当にのんびりした、次女の性格にあっていそうな街です。

ホームステイ先は独身の女性とワンちゃん1匹

生活習慣の違いに戸惑うことばかりのようでしたが、
世界中から集まった留学生たちとすぐに仲良くなり
楽しいことも見つけたようで安心したものです。

生活習慣でそのころ聞いてびっくりが、娘が食事の後片付けを手伝ったとき
お皿に付いた洗剤を水で洗い流そうとしたら、水は貴重だから使わないで、洗剤が付いたまま
立てかけておけば、そのうち乾いて洗剤はなくなるからって

これは人間も同じで、バスタブから上がったら、かけ湯などなく、
泡が付いたままタオルのガウンを着て乾かすのだそうです。

日本人には考えられないことばかり、
送ってきた写真の中にお風呂のがあったけど、タイルなど水を流せる床ではなく、
なんと絨毯の上にバスタブ
これにはびっくりしたけど、そう言うことだったんですね。

イギリスの洗剤って体にいいもの使ってるのかしら?

娘はアトピーがあるので心配でしたが、後で聞いたら、こっそりお湯を用意して
最後にかけていたと言ってました。

こんなイギリスでなんとか日常の会話がスラスラ?できるようになったらしい1年後

いよいよ帰国の時期となり、その流れでせっかくだからと、単身で娘の待つ初めての異国に乗りこみました。

飛行機に乗るのは3度目、その2年ほど前に初めて行った北海道、そして前年九州に行った時
乗っただけでしたから、今思うとかなりの冒険でした。

ただ、<娘は18歳で誰も知っている人のいないところに行ったんだ それに比べたら・・>って気持ちが
後押ししてくれたことは確かです。

ツアーなら当然やってもらえることも、全部自分でやらなくてはいけません。
そのために、いろんな資料を集めて、かなり勉強しました。

たとえば、飛行機の中で外国人の乗務員に話しかけられた時とか、入国のための書類の書き方とか
審査官に入国の目的を聞かれた時の答え方とか・・
飛行機は”バージンアトランティック”でした。

当時の成田空港にはまだ独自の窓口がなくて、小さな航空会社が共同で使っている1つしかない窓口に
自ら持ってきたオフィスプレートを置き、そこに1列に並ぶという、嘘みたいな受付シーンでした。

旧YCATからバスで成田に向かったため、遅れたら大変と、かなり早く到着してしまった私は
搭乗手続きと出国審査が済むと、安心してつい居眠りを・・・

発着のアナウンスがなんとなく聞こえてはいましたが・・しばらくして気付くと
搭乗開始時刻がとっくに過ぎている

そのうえ、なにを勘違いしていたのか、搭乗口とは正反対のとんでもないところにいたことに気付いて

なんと締め切り5分前に搭乗するというヒヤヒヤものの経験もしました。

なにもかもが初体験、でもこういう時って女神さまが現れるんですね。

私がギリギリ間にあってホッとしていたら、お隣はまだ空席、このまま飛び立つのかと思った離陸寸前
一人の女性が座りました。

こんなおばさんでも(まだ40代だったよ)エコノミーの狭い座席、お隣が女性でホッとしました。
窓側でしたしね。

一応会釈はしました。

その後、何がきっかけか忘れましたけど、お互いにかなり深くまで話ができ
その方はロンドン経由でアイルランドのダブリンに行くとのこと

年に何度も行ったり来たりしていて、あちらに彼が待っているそう

音楽のプロデュースの仕事をしており、アイルランドの歌手を日本に紹介したり
もちろん日本でもある有名グループ関連のお仕事もしていたとか

アイルランドと言ったら、U2やエンヤくらいしか知りませんけど
あちらの歌手を発掘して日本に紹介するみたいなことを言われてました。

著書もあり、後に買いましたけど、アイルランドでの食事を中心としたエッセイでした。

彼女はもう慣れてますから、ワインを頼んだり、ウイスキーを飲んだり
私は・・・とてもじゃないけどそんな気分にはなれず、ひたすらお茶や水ばかり飲んでいたことを
思い出します。

結局、入国の書類も彼女が書いてくれて、外国人の乗務員には通訳してくれて
とても一人旅とは思えない楽しい時間が過ごせたのです。

これでもう、ヒースローに着きさえすれば娘が待っててくれる・・ようやく不安が安堵に

飛行機はほとんど揺れることもなく、無事イギリス上空に来たことを確認できたのは
サッカーの聖地”ウェンブリースタジアム”が見えときでした。

さあ入国手続きです。

お隣の彼女は「私、何度も行ったり来たりしてるから、目をつけられているのよ、だから
出国に時間がかかるかもしれないの  一人で大丈夫ね、お嬢さんが待ってるし」

そう言ってお別れしましたが・・・

私の番が来ました。

すると審査官のおじさま「kankou? gakkou?]って日本語で聞いてきたのです。

sightseeing」って何度も練習したのに
日本語で「観光です。」小さな声でやっと言えました。

こんなおばさん怪しいなんて思われるわけがないのです。
だって、ピカピカまっさらのパスポート
このいでたち、疑う余地などあるわけがない

こうして無事、イギリスの地に第一歩を記したわけですが・・
肝心の娘がいない

今みたいに携帯があるわけじゃない、連絡しようにもどこにしたらいいのかもわからない
第一、電話のかけ方もわからない・・かかったところでことばがわからない

どうしよう~なんていっているうちになんか見たことがあるけど真っ黒な子が・・

なんとお嬢さん、去年別れた時より1,5倍くらい巨大になっていた

食べられなくて痩せちゃうよりいいけど、ちょっとこれはまずいんじゃない?

1年ぶりに会った娘は、色気とは程遠いますますワイルドになって母親を迎えてくれました。

ここから母娘2人の珍道中が始まるわけですが・・本日はタイムオーバーになりましたのでここまで

このあとヒースローからスコットランドのエディンバラに飛び、ここでいきなりのハプニング
そしてパニック・・・さてどんな展開になるのでしょう

後半はかなりのスピードではしょって書きますので、よかったらまたお立ち寄りください。
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