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たちまちにしてかんげきす

2012-01-11 17:18:53 | 日記
今日は仕事で上野駅にいった。

上京したのはもう20年以上前になるのだが、その当時からすると
上野駅も随分様変わりしたものだと思った。

こういう寒い季節になると思いだす詩がある。
わが同郷の詩人、室生犀星氏の作品である。


トップトップと汽車は出てゆく
汽車はつくつく
あかり点くころ
北国の雪をつもらせ
つかれて熱い息をつく汽車である
みやこやちまたに
遠い雪国の心をうつす
私はふみきりの橋のうへから
ゆきの匂ひをかいでゐる
浅草のあかりもみえる橋の上
(『抒情小曲集』「上野ステエシヨン」より)


今では(もちろん私が学生の頃からも)東海道新幹線が開通し、
金沢までのルートとしては、米原経由が一般的なのかも知れないが、
おそらく私の父親くらいの世代の人にとっては、上野が唯一の
発着点だったと思う。

上野は故郷と都をつなぐ場所だった。

人は様々な思いを乗せて汽車に乗り込み、上京し、そして帰郷する。
私のようなものにとっては常に雪がその心象風景に入り込んでいる。

もう20年以上も前の話になのだが、私のような田舎ものは常に、
都会に対して、怖れや憧れの情をいだいているものだ。
そして今でも故郷を離れ、都会にポツンと立っている自分を奇異の目で
ながめているもうひとりの自分が存在する。


みやこのはてはかぎりなけれど
わがゆくみちはいんいんたり
やつれてひたひあをかれど
われはかの室生犀星なり
脳はくさりてときならぬ牡丹をつづり
あしもとはさだかならねど
みやこの午後
すてつきをもて生けるとしはなく
ねむりぐすりのねざめより
眼のゆくあなた緑けぶりぬと
午後をうれしみ辿り
うつとりとうつくしく
たとへばひとなみの生活をおくらむと
なみかぜ荒きかなたを歩むなり
されどもすでにああ四月となり
さくらしんじつに燃えれうらんたれど
れうらんの賑わひに交わらず
賑ひを怨ずることはなく唯うつとりと
すてつきをもて
つねにつねにただひとり
謹慎無二の坂の上
くだらむとするわれなり
ときにあしたより
とほくみやこのはてをさまよひ
ただひとりうつとりと
いき絶えむことを専念す
ああ四月となれど
桜を痛めまれなれどげにうすゆき降る
哀しみ深甚にして坐られず
たちまちにしてかんげきす
(『抒情小曲集』「室生犀星氏」より)


内容はどっかのおじいさんがステッキをふりまわして、
泣いたり喜んだりしているわけだろうが、自分にとっては実に味わい深く
胸に染みいってくるのである。
詩のタイトルが自身の名前であるところがすごい。

そういう感覚、わかってもらえるかな…。

そういえば15年以上、サラリーマンをやっていたけど常に「お前は我が強い」と
いわれ続けてきたなあ(笑)。

私には都会の中に埋没させたくない、群衆に埋もれたくないという気持ちが
常にあり、それは企業として働く上では大変なマイナス要因だったと自分でも
思っている。

でもよかったんだ、それで…。

田舎がきらいで、都会にあこがれて脱出してきた自分だが、
やはり幼年期に過ごした記憶は消しようなどないのだろう。

都会の人は我々のような田舎ものをうらやむ。

「故郷があるだけいいじゃない」

それならばいわせていただく。
あなたの故郷は東京ではないのですか?
どうしてそれを喜ばないのですか?
人をけなしたり、人をうらやんだり、そんなみっともない
生き方はもう止めにしたらどうですか?

ふざけんなよ、といいたい。


私の大切な友人の幾人かは故郷を失った。

彼らの悲しみを察しようとも察するにあまりある。
なくなってしまうくらいなら、故郷など最初からないほうがよかったのだと思う。

だから私はせめて、今を生きられていることを喜びたいと思っている。

と最初は抒情的にスタートしたこの記事も、

哀しみ深甚にして坐られず
たちまちにしてかんげきす(苦笑)…。


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T-Bone Walker/Capital, Imperial Years

2012-01-08 13:13:24 | 日記


『T-Bone Walker/Capital, Imperial Years』

紹介しているCDはモダン・ブルースの父といわれる、
T-Bone Walkerのキャピタル、インペリアル時代、最も彼が
輝いていた時期のレコーディングを集めたものだ。

4枚組のCDである。かなり聴きごたえがあるぞ、
ってか私もこのセットを買って、15年以上になるが通して全曲聴いたことは
一度もない。

どんなに偉大な人とはいっても、これをずっと聴いていられる人は
超人だと思う。だいたい4、5時間もじっとしていられるか!?

こういうCDは1日1枚に限定して、喫茶店やブルースバーでかけっぱなし
にして聴くのがよいと思う。

私の場合は昼間に仕事をしたり、家事をやっている時に聴いている。

ブルースなどはかしこまってヘッドフォンで聴く音楽ではないと思っているしね。

まあ、そうやって思い出した時に聴いている。
そういう聴き方をしてみると、実にいいのだ、これが!!

たゆたうような時の流れ、薄暗いバーのカウンターの灯にただようタバコの煙
(って私はタバコはやめちゃったけどね…。)
まるで悠久の時が流れてゆくようだ。

だけど、むずかしいんだよね、こういう演奏…。
ヴォーカルもギターもとびきりイカしてるしね。
こうしたゆったりしたリズムでしっかりスイングするというのはとてつもなく
難しいことだ。非常に空間密度が高い。
ひとつひとつのショットがグルーブしている。

いずれにしてもいろいろ思うところが多いし、すごく勉強になる。
こういう感覚をものにできたら自分も一人前になれるのだけど、まだまだだ…。

若い頃は、こんなかったるい演奏はしたくない、とマジで思っていたが、
最近こんな演奏もいいなあ、と素直に思うようになった。

年をとったということか…。


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WORD OF MOUTH/Jaco Pastorius聴かずに死ねるか その4

2012-01-05 18:01:22 | 日記
聴かずに死ねるか その4



『WORD OF MOUTH/Jaco Pastorius』

以前のブログでも紹介したことがある気がするのだが、
ツイッターだったか、ブログだったか覚えていないので、
「聴かずに死ねるか」シリーズの第4弾として紹介する。

恥ずかしながら、今さらながら1981年にリリースされたこのアルバムを
初めて聴いたのが昨年の7月だった。

アルバムのオープニングは例のごとくジャコパスの超絶テクニックから
スタートするのだが、実際何をやっているのかよくわからん(笑)。
そのくらい速い。

ウェザー・リポートのごとく「もうひとつのアメリカ、偉大なアメリカ」
を象徴するような都会的、洗練されたサウンドから、曲をおうにしたがい、
我々を全く道の領域、別世界へといざなう。
ジャコパスの世界観がよく表現されたアルバムだと思う。

私が初めてこのアルバムを聴いた後の「幸福度」は半端ではなかった。

まあ、とにかく一度試聴していただきたい。

ジャコパスもさることながら、このアルバムでピカイチの輝きをみせているのが、
私がもっとも敬愛するドラマー、ジャック・ディジョネットである。

すごいタイミング、ドンピシャのタイミングでシンバルが、シャーン!!
となった瞬間思わず、

いぇーい!!!!!

と叫んでしまった。

そのくらいカッコいい。ひたすら凄い。

詩の世界で一冊の詩集がひとつの統合的世界を表現するようになったのは、
19世紀、ボードレール以降といわれているが、音楽の世界ではいつ頃なのだろう。

パット・メセニーの数あるアルバムのほとんどはそうしたコンセプトで作られている。
いずれにしても、このアルバムはそうしたコンセプトが成功をおさめた一つの例だと
思われる。

このアルバムの中で特にお気に入りの曲というのももちろんあるにはあるのだが、
アルバム全体の世界観を味わっていただきたい、そんな作品である。


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