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祈り リヴォン・ヘルム氏へ

2012-04-19 12:28:44 | 日記
いまでも時折、ふと死んだ友人のことを思い出す。
中学校の時の同級生のことだ。

彼とは同じ野球部だった。
マラソンが得意だった私が唯一どうしても勝てないのが彼だった。

ある冬の夜、山崩れがおこり、彼の部屋をのみこんだ。
意識不明、脳死状態のまま彼は1週間生き延びた。
親友だった私は、彼の母からなんども病室に呼ばれ、
その度に私にすがってなきじゃくる母親の前にただ呆然と
立ちつくしていた。

「神様、どうか彼を救ってください。」

眠れぬ夜、布団にもぐりこみ必死に祈った。

ある日、夢をみた。
彼が退院し、体育館にいる夢。
祈りがつうじたか…、いや、あろうはずがない。

泥にまみれた彼の顔に生気はなく、ずっと無言のままだった。

それから数日後、一瞬停電で教室中の電気が止まった。
その数分後に訃報が校内放送で知らされた。

奇跡のように晴れわたっていた冬の空、
彼の葬儀が終わり、みんなが会場の外に出る頃には空一面の雪模様だった。

「ああ、雪やな…」

「たぶん、200はあるな…」

一人のひょうきん者の発言も、物悲しく、粉雪の粒子に吸い込まれてしまった。


「どうか生きてほしい」と祈る時間が長く続けば、それだけ死を受け入れることが
むずかしくなるものなのかもしれない。
生と死の境目があいまいになる。死の認識は生に対する意欲と同義であるはずが、
それがぼやけてしまう。まして、彼の死からもう30年近い時が経っている。
記憶とともに印象はうすれ、あたかも幻をみていたかのようだ。

私は未だに彼の死を受け入れていないのかも知れない。
たびたび私の記憶にあらわれるのは、

「もう、いいかげん自由にしてくれよ」

と彼がいっているからなのかも知れない。

でもたぶん彼はとっくにわかっていたんだ、
自分がもう、そこにはいないことを。

私の記憶につきあってくれているだけなんだ…。


そう思うと無性に悲しくなってしまった…。


それでも私はずっとこれからも人の死を悼むことだろう。
どうか生きてほしいと祈り続けることだろう。

愚か者よ…。



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