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世界の闇

2012-04-12 18:17:54 | 日記
私のように一人で商売している人間にだってストレスはある。

もちろん、世の中のストレスの大半は人間関係に起因するもの
なので、そういう意味ではサラリーマンの時よりは人間関係と
いうことで悩むことは少ないのかも知れない。

でも企業間の取引とはいえ、結局は人間同士のとりひきなわけで、
そういう意味ではすべての関係に対して直接的、つまり自分一人で
対面しているわけで、日常そういう意味でのストレスはつきない
というのが現状である。

例えば、対応窓口を設けている会社などは特にそうだが、
企業として対応しているかぎり、それは組織的にクレームを吸収できる
母体があるわけだ。つまりそういう人たちの対応はあくまでも
「企業としての対応」をしているのであって、「個人的な対応」ではない。
結局、その人が製品に対してクレームをいわれようが、別にそれが
その人個人の生活にひびくことはまずないだろう。

ところが、私は一人でやっているので、そういうクレームをうけた時は
モロに生活に影響してしまう。

まあ、それでもグチをもらす相手がいないというのが唯一の救いというか、
かろうじて人間性を保っているというか…(笑)。

私はこれでも激しやすいタイプなので、よく製品やサービス、その対応に関して
クレームをつけることがよくある(決して自慢ではない)。
その際に相手(つまりクレームされた方)は必ず、

「そういう決まりですから…」

というようなことを言う。
特に外資系の会社は、よくもそこまで教育(思想統制)されているものだ、
と思うくらいに、マニュアル的な対応をする。

それはあくまで、あなたの組織の事情(あんたらが勝手にきめた組織の理屈)
であって、個人への対応には全くなり得ていないと思う。

私からいわせれば、「心のないロボット人間」である。
彼らからいわせれば、結局「他人事」にすぎないのだろう。



最近、いやもしかしたら、いままでずっとかも知れないが、日本中で
いやな事件が多い気がしている。実は独立してからそういったことが、
モロに自分の精神に影響している気がする。

ただ、はたしてどちらがいいのかは判断しないようにしているが、
自分としては個人として社会と直面することに対して覚悟をしてゆかななければ
ならないのだとは思う。

何がいいたいのかというと、社会にはある種の不快さを、分散させることで
もみ消そうとする集団心理が働くものなのではないかということだ。
マスコミも無意識的にそういう心理を原則として動いている気がする。

震災の悲しみ、我々の日常の悲しみ、そしていまだに世界中でおこっている地震、
戦争、核、テロなどへの恐怖、そういったものが分散されたとしても、地球規模で
みるならば、痛みが消えてしまったことにはならないと思う。

心を開くとは、既成の概念や集団心理に疑問をもち、世界と直接的に対峙する
ということだ。そして自分に対しても、社会に対しても間違っていることには
「No」をつきつける勇気をもつということだ。

その視点を持ち得ないかぎりは、世界の闇がはれることは決してないと思う。


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