大倉草紙

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【福岡】 常盤橋

2009年03月31日 20時00分00秒 | 旅 - 福岡県
12月1日(月)
当日の行程:(伊丹空港~福岡空港…福岡市地下鉄・福岡空港駅~博多駅…JR・博多駅~小倉駅) → 【森鴎外京町住居跡碑】 → 【森鴎外旧居】【常盤橋】【鴎外橋】 → 【森鴎外の碑】【八坂神社】【小倉城公園】【小倉城】【松本清張記念館】 



常盤橋は、江戸時代の初期に架けられたそうだ。
主に町人が生活していた東曲輪と主に武士が生活していた西曲輪を結ぶ橋として、重要な役割を担っていた。
参勤交代の大名や長崎奉行もこの橋を渡ったのだそうだ。


五雲亭貞秀「西国内海名所一覧(部分)」


シーボルト「日本」図録より
かつて常盤橋は大橋と呼ばれていた。
その頃の姿は、五雲亭貞秀「西国内海名所一覧」やシーボルトの銅版画に見出すことができる。


常盤橋の広告塔
明治20年代に、常盤橋の袂に広告塔が建てられた。
この広告塔のことを森鴎外は小説『獨身』のなかに記している。
「常盤橋の袂に圓い柱が立ってゐる。これに廣告を貼り付けるのである」
現在、橋の袂に建っている広告塔は、当時の約3分の1の大きさで復元したもの。



長崎街道起点
常盤橋の西勢溜(橋詰)は、長崎街道の起点となっていた。
江戸時代後期、伊能忠敬が長崎街道を測ったとき、西勢溜の高札場の下を起点としたのだという。
長崎街道は参勤交代などの往来だけでなく、西洋の文化や物資が長崎から江戸へと流れていく幹線道路でもあった。
砂糖もそのうちのひとつ。
砂糖の甘味は、この長崎街道を通って広がってゆく。
なるほど、「カステラ」(長崎)、「丸ボーロ」(佐賀)、「ひよ子」(筑豊飯塚)、「千鳥饅頭」(福岡)など、歴史ある銘菓も数多い。
最近では、長崎街道を「シュガーロード」とも呼ぶそうだ。
九州へ向かう飛行機で手に取った機内誌にも、ちょうど「シュガーロード」のことが載っていた。


【京都】 即宗院

2009年03月30日 20時00分00秒 | 旅 - 京都府
11月27日(木)
当日の行程:(JR・京都駅…タクシー) → 【東福寺】【龍吟庵】【即宗院】 → (タクシー) → 【開館25周年記念 館蔵名品展(野村美術館)】 → (タクシー) → 【琳派展ⅩⅠ 花の協奏曲(細見美術館)】【ふたつで一つ(京都市美術館)】 


即宗院は、東福寺の塔頭のひとつ。
南北朝時代、島津氏久の菩提のために創建された。
それより前、平安時代後期には、関白・藤原忠道が御所の東御堂として建立し、その子・兼実(公家九条家の始祖)は「月輪殿」と称し山荘として使っていたという。
通常は非公開。
山門は慶長18年(1613)の遺構で、左右に石造の仁王像を配している。


庭園


「心」の字の池


境内の奥には、明治維新の際、西郷隆盛と清水寺成就院の僧・月照が密議を重ねた茶亭「採薪亭(さいしんてい)」があったという。
その場所から更に奥へ進むと、明治維新で戦死した島津藩士524柱の功を讃えた顕彰碑が建っている。


薩摩藩士東征戦亡之碑
西郷隆盛は、半年ものあいだ即宗院に滞在し、齋戒沐浴をして自ら建碑の工事を監督し、筆をとって銘文を作ったのだそうだ。


即宗院の御朱印

【京都】 龍吟庵

2009年03月29日 20時00分00秒 | 旅 - 京都府
11月27日(木)
当日の行程:(JR・京都駅…タクシー) → 【東福寺】【龍吟庵】【即宗院】 → (タクシー) → 【開館25周年記念 館蔵名品展(野村美術館)】 → (タクシー) → 【琳派展ⅩⅠ 花の協奏曲(細見美術館)】【ふたつで一つ(京都市美術館)】 


龍吟庵は、東福寺の塔頭のひとつ。
東福寺三世大明国師無関普門の住房跡。
東福寺の洗玉澗(せんぎょくかん)に架けられた偃月橋(えんげつきょう)を渡った正面に位置する。


方丈入口
方丈(国宝)は、室町時代初期に作られたもので、現存する最古のものであるという。
方丈は撮影禁止。
足利義満筆の「龍吟庵」の扁額が掲げられている。
方丈の東西南の三方を、枯山水の庭園が囲む。


南庭(無の庭)


西庭(龍の庭)
龍が海中から出て昇天する姿を表現しているそうだ。
中央の青石が龍の頭。
白砂と黒砂は雲を表わしている。


東庭(不離の庭)
赤石を敷いて中央に長石を臥せ前後に二石を配置したこの庭は、大明国師が幼少の頃、熱病にかかって山中に捨てられたときに二頭の犬が狼の襲撃から国師を守ったという故事によるものだそうだ。
いくら眺めてもよく分からなかった。


開山堂

開山堂の扁額
方丈の北側には、開山堂がある。
内部を拝むことはできないが、大明国師坐像(重要文化財)が祀られているという。
「霊光」の扁額は、足利義満筆。


龍吟庵の御朱印

【京都】 黄梅院

2009年03月28日 20時00分00秒 | 旅 - 京都府
11月24日(月)
当日の行程:(JR・京都駅…京都市営バス・50番京都駅~千本中立売…6番千本中立売~鷹峯源光庵前) → 【光悦寺】【常照寺】【源光庵】 → (京都市営バス・6番鷹峯源光庵前~千本北大路…206番・千本北大路~大徳寺前) → 【興臨院】【大仙院】【芳春院】【総見院】【高桐院】【黄梅院】 → (京都市営バス・206番大徳寺前~京都駅…JR・京都駅~土山駅) → 【ジョセフ・ヒコ アメリカ市民権取得150周年記念特別展(播磨町郷土資料館)】


黄梅院は、大覚寺の塔頭のひとつ。
永禄5年(1562)、織田信長が父・信秀の追善菩提のため、秀吉に命じて建立した小庵がはじまりだという。
墓所には、織田信秀、毛利元就夫妻、蒲生氏郷などが祀られている。

とても美しい境内は、撮影禁止。
以下、購入したハガキの写真より。

庫裡
天正17年(1589)に完成した庫裡は、小早川隆景の寄進による。
現存する禅宗寺院の庫裡のなかでは最古のものだという。


破頭庭(はとうてい)


直中庭(じきちゅうてい)
千利休が66歳のときに作庭したと伝えられている。
秀吉の希望で作られたという、軍旗瓢箪をかたどった池がある。
写真中央よりやや左側に見える灯籠は、加藤清正が朝鮮から持ち帰ったとされる朝鮮灯籠。


黄梅院の御朱印

【京都】 高桐院

2009年03月27日 20時00分00秒 | 旅 - 京都府
11月24日(月)
当日の行程:(JR・京都駅…京都市営バス・50番京都駅~千本中立売…6番千本中立売~鷹峯源光庵前) → 【光悦寺】【常照寺】【源光庵】 → (京都市営バス・6番鷹峯源光庵前~千本北大路…206番・千本北大路~大徳寺前) → 【興臨院】【大仙院】【芳春院】【総見院】【高桐院】【黄梅院】 → (京都市営バス・206番大徳寺前~京都駅…JR・京都駅~土山駅) → 【ジョセフ・ヒコ アメリカ市民権取得150周年記念特別展(播磨町郷土資料館)】


高桐院は、大徳寺塔頭のひとつ。
慶長6年(1601)、細川忠興によって建立された。
開祖の玉甫紹和尚は、忠興の父・幽斎の弟にあたる。
細川家の菩提寺であり、境内には忠興と夫人・ガラシャの墓がある。
ほかに、出雲阿国の墓もある。


表門からは、石畳の参道が続く。


紅葉が見事だ。


足もとに落ちた紅葉も美しい。


書院・意北軒
「関」は、大徳寺開山・大燈国師筆。
襖絵「四季山水」は、狩野永真筆。
狩野永真は狩野探幽の弟。


茶室・松向軒
寛永5年(1628)、細川忠興の手で建立された茶室。


高桐院の御朱印

【京都】 総見院

2009年03月26日 20時00分00秒 | 旅 - 京都府
11月24日(月)
当日の行程:(JR・京都駅…京都市営バス・50番京都駅~千本中立売…6番千本中立売~鷹峯源光庵前) → 【光悦寺】【常照寺】【源光庵】 → (京都市営バス・6番鷹峯源光庵前~千本北大路…206番・千本北大路~大徳寺前) → 【興臨院】【大仙院】【芳春院】【総見院】【高桐院】【黄梅院】 → (京都市営バス・206番大徳寺前~京都駅…JR・京都駅~土山駅) → 【ジョセフ・ヒコ アメリカ市民権取得150周年記念特別展(播磨町郷土資料館)】


総見院は、大徳寺の塔頭。
天正11年(1583)、豊臣秀吉が古渓宗陳(こけいそうちん)を開祖として創建した。
織田信長の菩提を弔うために建立したといわれる。


本堂
内陣正面中央には、織田信長座像が祀られている。
高さは115センチメートルあり、ほぼ等身大なのだそうだ。


茶室・ 寿安席


茶室・ほう庵
「ほう」の字は、广に龍。


茶室・香雲軒(こうせつけん)


ワビスケ(京都市指定天然記念物)
秀吉が千利休から譲り受けたものだと伝えられる。



掘抜き井戸
加藤清正が、朝鮮から持ち帰った朝鮮石で造った掘抜き井戸。
いまも使われているらしい。


織田家の墓
写真の手前から、
秀雄(信雄嫡男)
信雄(信長二男)
信長公(総見院殿贈大相国一品泰巖大居士)
信忠(信長嫡男)
秀勝(信長四男)
信(信長七男)
信好(信長十男)
の順で並んでいる。


お墓の周りには、猫。
これは、猫よけのための猫なのだそうだ。


総見院の御朱印

【京都】 芳春院

2009年03月25日 20時00分00秒 | 旅 - 京都府
11月24日(月)
当日の行程:(JR・京都駅…京都市営バス・50番京都駅~千本中立売…6番千本中立売~鷹峯源光庵前) → 【光悦寺】【常照寺】【源光庵】 → (京都市営バス・6番鷹峯源光庵前~千本北大路…206番・千本北大路~大徳寺前) → 【興臨院】【大仙院】【芳春院】【総見院】【高桐院】【黄梅院】 → (京都市営バス・206番大徳寺前~京都駅…JR・京都駅~土山駅) → 【ジョセフ・ヒコ アメリカ市民権取得150周年記念特別展(播磨町郷土資料館)】


芳春院は大徳寺の塔頭。
慶長13年(1608)、前田利家の妻・まつ(芳春院)が、玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)を開祖として建立した。
前田家の菩提寺。


方丈


方丈前の枯山水庭園「花岸庭」


呑湖閣(どんこかく)
元和3年(1617年)、前田利家の子・利長が小堀遠州に依頼して建てたものと伝えられる。
金閣、銀閣、飛雲閣と並び、京都四閣のうちのひとつに数えられているそうだ。
呑湖閣へ渡る橋は「打月橋」、前に広がる池は「飽雲池」と名付けられている。


芳春院の御朱印

【京都】 大仙院

2009年03月24日 20時00分00秒 | 旅 - 京都府
11月24日(月)
当日の行程:(JR・京都駅…京都市営バス・50番京都駅~千本中立売…6番千本中立売~鷹峯源光庵前) → 【光悦寺】【常照寺】【源光庵】 → (京都市営バス・6番鷹峯源光庵前~千本北大路…206番・千本北大路~大徳寺前) → 【興臨院】【大仙院】【芳春院】【総見院】【高桐院】【黄梅院】 → (京都市営バス・206番大徳寺前~京都駅…JR・京都駅~土山駅) → 【ジョセフ・ヒコ アメリカ市民権取得150周年記念特別展(播磨町郷土資料館)】


大仙院は、大徳寺の塔頭。
永正6年(1509)に、大聖国師によって創建された。
常時公開されているが、建物の中での撮影は許されていない。

特別名勝の庭園は、大聖国師の手によるものとされる。
鶴島と亀島の間の蓬莱山から流れ落ちる滝が河となり、やがて大海に至るまでのさまを表わした枯山水。
説明を受けながら庭園を見れば、見えない水の流れが見えてくるような気もする。

国宝の方丈は、永正10年(1513)に建立されたもの。
方丈建築では最も古いものなのだそうだ。
重要文化財の書院拾雲軒は、沢庵が宮本武蔵に剣道の極意を授けた場所であるとか。


こちらの庫裡が参拝の入口となる。


鐘楼


方丈の玄関(国宝)


大仙院の御朱印

【京都】 興臨院

2009年03月23日 20時00分00秒 | 旅 - 京都府
11月24日(月)
当日の行程:(JR・京都駅…京都市営バス・50番京都駅~千本中立売…6番千本中立売~鷹峯源光庵前) → 【光悦寺】【常照寺】【源光庵】 → (京都市営バス・6番鷹峯源光庵前~千本北大路…206番・千本北大路~大徳寺前) → 【興臨院】【大仙院】【芳春院】【総見院】【高桐院】【黄梅院】 → (京都市営バス・206番大徳寺前~京都駅…JR・京都駅~土山駅) → 【ジョセフ・ヒコ アメリカ市民権取得150周年記念特別展(播磨町郷土資料館)】


秋の特別公開をしている興臨院を訪れる。
通常は非公開。
興臨院は、大覚寺の塔頭のひとつ。
大永年中から天文2年間(1521~1533)、能登の畠山義総が仏智大通禅師を開祖として建立した。


表門(重要文化財)
創建当時のものといわれる表門は、大徳寺山内でも有数の古いものなのだそうだ。


庫裡


方丈前庭


茶室「涵虚亭」(重要文化財)


唐門(重要文化財)


興臨院の御朱印


大覚寺の中には入れなかったが、門や法堂は近くで見ることができた。

勅使門(重要文化財)
慶長年間(1596~1614)建立の御所の門を移築したもの。
後水尾天皇より拝領したと伝えられる。


三門(重要文化財)
享禄2年(1529)、連歌師・宗長等の寄進で1階部分が建立される。
天正17年(1589)、千利休二階部分が造られ、「金毛閣」と名付けられた。
利休は門の上層に自身の像を安置し、秀吉の怒りをかったという話は、よく知られている。


法堂(重要文化財)
応仁の乱で焼失した後、現在の法堂は、寛永13年(1636)、小田原城主稲葉正勝・正則父子により再建された。

【大阪】 茨木城跡

2009年03月22日 20時00分00秒 | 旅 - 大阪府
本日の行程:(阪急・茨木市駅) → 【茨木城跡(茨木神社・茨木小学校)】

茨木城は、建武年間(1334~1336)に楠木正成が築いたのが始まりだといわれる。
15世紀~16世紀前半までは茨木氏が城主であったとされ、その後、次々と城主は変わる。
中川清秀や片桐且元も茨木城の城主であった。
茨木城跡といっても、現在残っているのは、茨木神社に移築された搦手門と茨木小学校に「復元」された櫓門ぐらいしかない。


【茨木神社】

鳥居の奥に見えるのが、茨木神社東門。


茨木城搦手門から移築したと伝わる茨木神社の東門


拝殿


本殿
大同2年(807)、坂上田村磨が荊切の里(地名「茨木」の由来)を作ったとき、天石門別神社(現在の奥宮)を創建したのが始まりだと伝えられる。


奥宮


茨木神社の御朱印


【茨木小学校】

片桐氏茨木在城碑
碑文は次の通り。
「茨木城者片桐氏所治也且元初仕于豊臣氏有功累進列
 宿老慶元之際東西有釁也且元使于駿府雖折衝大而
 及千才起則迷去就進退依違如闕其高明然論者所以或
 稱忠或呼姦是非之論粉粉也且元頗通于経済貨殖之道
 在其大阪也財政不滞去而就封土也簿書不乱由是看之
 非具尋常武弁可知也文禄四年且元初受封於此地元和
 元年子孝利移城于和州其間凡二十年矣頃町之有志作
 片桐会蓋所以敬慕其郷賢也今茲適逢 大禮乃欲建碑
 請記余仍録之
 正六位勲六等天坊幸彦撰 従七位勲七等岡市正人書」


茨木小学校正門
本丸は、茨木城の北部にあったとされる。
茨木城の櫓門を復元したこの正門は、茨木小学校創立120周年記念として、平成5年(1993)に建てられた。
茨木城にあった櫓門は、大和郡山市小泉の慈光寺に移築されたそうだ。


茨木小学校の正門横の土塀に嵌め込まれた校名は、織部焼でできている。
なんてすてきな小学校なんだろう!
古田織部は、茨木城主だった中川清秀の妹婿。
この小学校付近の地名は、片桐町という。


今日の歩数:12,734歩