大倉草紙

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【兵庫】 谷崎潤一郎ゆかりの地

2009年03月01日 20時00分00秒 | 旅 - 兵庫県
9月20日(土)
本日の行程:(阪神・三宮駅) → 【シュウエケ邸】 → 【山手八番館】 → 【うろこの家・うろこ美術館】 → (阪神・三宮駅~魚崎駅) → 【倚松庵(谷崎潤一郎旧邸)】 → (阪神・魚崎駅~芦屋駅) → 【谷崎潤一郎記念館】 → 【「細雪」の碑】

【倚松庵】

谷崎潤一郎は、昭和11年(1936)11月から昭和18年(1943)11月まで倚松庵(いしょうあん)に住んでいた。
そのころの倚松庵は、現在の位置より150メートルほど南にあったそうだ。


谷崎潤一郎が「倚松庵」の名を初めて使ったのは、昭和7年のこと。
当時住んでいた夙川の家のことをそう呼んだのだそうだ。
「倚松庵」とは、「松によりかかっている住まい」の意。
なるほど、この辺りは松が多い。
それだけでなく、「松」は松子夫人のことでもあるとのこと。
あぁ、いい話だ。
この文字は、倚松庵の復元を祝して、松子夫人が揮毫したものだそうだ。

倚松庵の敷地面積は133.39坪。
木造2階建ての建物の延床面積は45.04坪。
この家で、谷崎潤一郎が『細雪』の執筆に取りかかった。
松子姉妹や周辺の人々の日常を取材して描いたのだという。
倚松庵の部屋も登場している。
読みながら想像していたのと違ったり、似ていたり……倚松庵の見学には、そんな楽しみも伴う。


1階の応接間の一角は、「谷崎文庫」になっている。
貸出はしていないということだが、閲覧は自由にできる。


この食卓は、谷崎潤一郎の家族が、実際に使用していたものなのだそうだ。


庭園は、『細雪』に描写された樹木等を、忠実に再現したものだという。


【谷崎潤一郎記念館】

谷崎潤一郎記念館では、愛用の机、文具や身の回りの品々、美術品などが展示されている。


重さ約15トンもあるこの巨石は、かつて岡本の旧谷崎邸にあったもの。
昭和13年(1938)の大水害の際に旧邸内に流入したものを、庭石として置いていたのだという。


庭園は、谷崎潤一郎の関西で最後の住居である潺湲亭(せんかんてい)の庭を模しているという。
この梅の木は、潺湲亭の書斎の前にあり、谷崎潤一郎が愛でていたものだそうだ。


【『細雪』の碑など】

芦屋川沿い、阪急芦屋駅のそばには、『細雪』の碑が建っている。
「細雪」の文字は、松子夫人によるもの。


すぐ近くには、「阪神大水害 芦屋川決壊之地」の碑もある。
昭和13年(1938)年の、上にある巨石が岡本の谷崎邸に流れ込んできたあの大水害だ。
この水害の描写は、『細雪』のなかでも印象深い。