大倉草紙

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【兵庫・大阪】 第80回選抜高校野球(甲子園球場)、大相撲春場所千秋楽(大阪府立体育会館)

2008年03月23日 23時08分34秒 | スポーツ観戦
大相撲春場所を見に行ってみようと思い立つ。
調べてみると、早朝から並ばなければ、当日券を手に入れるのは難しいようだ。
6時半頃、なんば駅に着く。
当日券を求める人の列は、すでに、大阪府立体育会館の入口付近から、次の角を折れて10mほどの地点まで続いている。
話に聞いていたよりも、人が多い。

指定の椅子席の当日券を購入してから、甲子園球場へ向かう。


     

第80回選抜高校野球、2回戦、下関商(山口)― 履正社(大阪)の試合を観戦。
2回に、下関商のレフトとセンターが衝突し、レフトが担架で運ばれた。
怪我をした選手は、次に打席が回ってくるはずだったのに……。 

試合は、履正社が2点リードで9回を迎えた。
淡々と進んでいく試合だなあ、と思っていたのだが、ここへきて、下関商の2本のソロホームランで同点。 
早起きして少し眠たかったのだけれど、劇的な展開で、一気に目が覚めた。

流れは下関商へ傾いた、かのように、見えた。
けれど、やはりわからないものだ。
10回裏の履正社の攻撃、2死2塁の場面。
センターがボールに追いつき、掴んだ!と思いきや、ボールはポロリとこぼれ落ち、サヨナラのランナーが帰ってきた。

センターを守っていた選手のことを思うと、堪らない気持ちになる。
2回にレフトとぶつかったのも同じ選手だし。
いつまでも忘れられない日になるのだろうな、と思う。
 
次の試合、小松島(徳島)― 聖望学園(埼玉)を途中まで見てから、大阪府立総合体育会館へ。


        


朝青龍の謹慎中に二場所連続優勝している白鵬と、初場所から復帰した朝青龍との「千秋楽結びの一番」は相星決戦ということで注目が集まっていた。
あっという間に勝負は決まり、朝青龍の優勝。

表彰式や最後の儀式も、興味深いものだった。
次は国技館で見てみたいなあ。

【奈良】 鹿寄せ(飛火野)・春日大社・東大寺

2008年03月16日 21時02分10秒 | 旅 - 奈良県
本日の行程:(近鉄・奈良駅) → 【飛火野】 → 【春日大社】 → 【東大寺】

     
     猿沢池から興福寺五重塔を望む

興福寺通り、猿沢池に出る。
初めての奈良だ。
奈良の長閑な感じがとてもいい。

春日大社への表参道を少しそれて、浮見堂へ行く。
浮見堂は、鷺池に浮かぶ六角堂で、水面に映る姿も美しい。


午前10時から始まる鹿寄せを見るために、奈良公園内の飛火野へ向かう。

         

     
 
今年の鹿寄せは3月18日まで。
奈良を舞台にしたテレビドラマの効果で、例年に比べて見物客が増えているとか。
奈良の鹿愛護会の方がホルンを吹くと、その音に誘われて、鹿の群れが飛火野へ集まってきた。
その勢いに圧倒される。
こんなにたくさんの鹿を見るのは初めてだ。
かわいい。


春日大社(世界遺産)のほうへ歩いていく。
石灯籠の間から、鹿が突然姿を見せる。
南門(重要文化財)から入る。
周囲の深い緑と門の朱色のコントラストが美しい。
右手の受付を経由し、奥へと進む。
柞(いす)・藤・椿・南天・もみじ・桜・庭常(にわとこ)の七種類の木が一本になった「七種寄生木」を見ると、その不思議さに
神の気配に触れたような気がした。


次に訪れた先は、東大寺
ここにも鹿がいっぱい。
鹿せんべいを与える観光客が多いからか、東大寺周辺の鹿は飽食し、餌欲しさに寄ってくることはなかった。

南大門(国宝)を通り、その先の大仏殿(国宝)へ。
回廊で囲まれているのにもかかわらず広々としている大仏殿前、その大仏殿の荘厳なさま、そして、大仏の巨大さに驚き、感動する。
東大寺の大仏がかなり大きいということはもちろん知ってはいたけれど、どんなに大きいと思っていても、目の前の大仏は、迫力も伴って、それ以上に大きい。

つい先日、「お水取り」の行事を終えたばかりの二月堂(重要文化財)をお参り。
テレビで見た「お水取り」の光景を思い出す。

法華堂(国宝)は、決して大きなお堂ではないが、中には、16躯ものすばらしい仏像が静かに立ち並んでいる。
12躯が国宝、4躯が重要文化財というのだから、豪華だ。
本尊の不空羂索観音立像、(伝)日光菩薩像、(伝)月光菩薩像の、ふっくらとしていて優しいお顔立ちが印象に残っている。

【和歌山】 九度山・高野山

2008年03月08日 23時31分43秒 | 旅 - 和歌山県
本日の行程:(南海電鉄・九度山駅) → 【真田庵(善名称院)】 → 【慈尊院】 → (南海電鉄・九度山駅~極楽寺駅)…(南海高野山ケーブル・極楽寺駅~高野山駅)…(タクシー) → 【金剛峯寺】


九度山駅から坂道を下り、やや大きな通りを10分くらい歩いただろうか。
真田庵は静かな場所にあった。
真田庵は、正式には、善名称院という。
関ヶ原の戦いで西軍についた真田昌幸・幸村父子は、蟄居を命じられ、ここに隠棲していた。
この地で死去した死去した昌幸の墓もある。


   

真田庵の門の扉には、六文銭が彫られていた。

敷地内の「真田宝物資料館」の料金箱に200円を入れて入館する。
武具、真田紐、書状などの資料とともに、真田昌幸・幸村父子をテーマとした小学生の自由研究も置いてあり、ほほえましかった。
 
近くに「真田の抜け穴」があるというので、探してみた。
近所の人にも尋ねてみたのだけれど、結局、場所が分からなかった。
どこにあるのだろう?


慈尊院(世界遺産)へ向かう。
慈尊院は、弘法大師が高野山を開く際に、この地を表玄関として伽藍を草創し、政所を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場所としたのがはじまり。
女人禁制のため高野山への入山できず、この政所に滞在していた弘法大師の母は、ここで亡くなったという。
 
弥勒堂(重要文化財)の前には、布で作った乳房型が奉納されていた。
不謹慎だが、いろいろな形、大小さまざまな乳房が並んでいて、思わず見入ってしまった。
不思議な光景だ。

有吉佐和子の『紀ノ川』を思い出す。
 
 
再び南海高野線に乗って、高野山(世界遺産)を目指す。
ケーブルカーに乗り換えて、高野山駅へ。
バスの待ち時間が長かったので、タクシーで大門(重要文化財)へ向かう。

高野山では、大門 → 壇上伽藍 → 金剛峯寺 → 徳川家霊台 → 奥の院参道 → 奥の院の順に回る。
 

   
        奥州仙台伊達家墓所

なかでも、とりわけ印象に残っているのは、奥の院への参道と燈籠堂。

一の橋から約2km、杉や檜の大木の間に20万基の墓石が並んでいる。
見れば、大名や武将の名が。
霊園のように区画が整理されているのではなく、参道に沿って、さまざまな形の墓石が雑然と建っているのが、よかった。
まだ雪が道の端に残っていて、花の季節には少し間があるせいか、人もまばらで、静かにこの参道を歩けたのも、またよかった。

燈籠堂には、2万個もの燈篭が灯っている。
孝女お照が髪を売って両親の菩提のために献した「貧女の一燈」と、白河天皇が献燈された「白河燈」の灯は、1000年以上燃え続けているという。
ぼんやりと赤く照らされた空間は、じつに神秘的だ。

弘法大師御廟の前は、熱心に祈りを捧げる人であふれていた。
入定した弘法大師の御廟には、今でも、維那(いな)と呼ばれる仕侍僧による日々のお給仕を絶やすことがないという。

【和歌山】 新宮 (熊野速玉大社・神倉神社)

2008年03月02日 23時04分02秒 | 旅 - 和歌山県
本日の行程:(JR新宮駅) → 【徐福公園】 → 【神倉神社】 → 【熊野速玉大社】 → 【佐藤春夫記念館】


新宮駅から東へ2~3分、中華街を彷彿させる門がある。
徐福公園である。
約2200年前、徐福は、秦の始皇帝の命を受け、不老不死の霊薬を求めて船出した。
ここ熊野で薬木「天台烏薬」を発見した徐福は、母国に帰ることなく、新宮で一生を送ったという。
天台烏薬の木が植えられている公園内には、徐福や重臣たちのお墓、徐福像、不老の池などがあった。
徐福のお墓の前では、熱心に拝む人の姿もある。
不老の池には、七重臣が有していた七つの徳「和」「仁」「慈」「勇」「財」「調」「壮」が刻まれた石柱が建っていたので、順番に触れてきた。


     
          神倉神社の石段

神倉神社は、熊野速玉大社の飛地境内摂社。
538段の石段は、1193年に源頼朝が寄進したものといわれる。
これには参った。
2006年に九重の吊橋(大分県)ができるまでは、世界一の高さを誇っていた綾の吊橋(宮崎県)を平気で渡り、一度だけ乗ったグライダーの楽しさが忘れられず、いつかはハングライダーにも挑戦したいと思っているくらい高い場所には抵抗がないつもりでいたのだが、この石段は、恐くて登れない。
夫に笑われながらも、四つん這いになって、よじ登る。

この神社の例祭で、「お灯まつり」というのがある。
白装束に身を包んだ男たちが、この石段を駆け下りる勇壮な火祭りだ。
この祭りの様子を見たのは、ポスターだったか、テレビだったか。
松明の灯が、波のように鳥居に押し寄せる光景が印象に残っている。
灯を持って、この石段を駆け下りるなんて、あぁ恐ろしい。

地元の人たちは、上り下りに慣れているのだろうか。
70は過ぎているであろうおじいさんが、ひょいひょいと身軽に石段を登っていく。
「コワイ、コワイ」と言っている自分が情けない。

神社のご神体は、「ことびき岩」と呼ばれる巨岩。
「ことびき」とは、この地方の方言で、ヒキガエルのことだという。


神倉神社の次に向かったのは、熊野速玉大社

道中、香梅堂で「鈴焼」を買う。
ベビーカステラのようなこのお菓子と似たものは多いけれど、ふんわりとした感じといい、香りといい、他のものとは違う。
絶品だ。
和三盆を使っているのだという。
やわらかな甘さもいい。

石段や階段を登っての参拝が続いていたせいか、熊野速玉神社が平地に建っていて、不思議な感じがした。
もともとは、神倉山に祀られていたらしく、それを移したのが現在の熊野速玉大社の始まり。
それで、神倉山を元宮、ここを新宮を呼ぶようになったようだ。
朱塗りの新しい社殿は、昭和になって建てられたものらしい。


熊野速玉神社の隣には、佐藤春夫記念館がある。
東京都文京区関口にあった邸宅を移築したものだという。
館内には、詩の朗読が流れている。
建物は、洒落た造りで、風通しがよく、実に気持ちがいい。
とくに、2階の「八角塔の書斎」には憧れる。
通路の踊り場のような感じで、狭いのだけれど、明るい書斎だ。

 
新宮市立図書館にある中上健次資料収集室にも寄ってみたかったが、事前に予約が必要な上に、日曜日は担当者がお休みのようだったので諦める。

そしてまた特急電車に乗り込む。
和歌山は広いなあ。
 
 

【和歌山】 熊野古道 (那智駅~熊野那智大社)

2008年03月01日 23時32分04秒 | 旅 - 和歌山県
【熊野古道】(世界遺産)


本日の行程:(JR紀伊勝浦駅)…(タクシー)…(JR那智駅前)…(徒歩) → 【浜の宮王子】 → 【補陀洛山寺】 → 【尼将軍供養塔】 → 【市野々王子】 → 【大門坂入口】 → 【多富気王子】 → 【熊野那智大社】 → 【青岸渡寺】 → 【飛瀧神社】(那智大滝) → (熊野交通バス:滝前バス停→紀伊勝浦駅)

紀伊勝浦駅までが、遠かった。
特急を利用しても4時間以上はかかる。

電車は海岸線を通っていく。
景色はすばらしく、名所が近づき車内アナウンスが流れると、心なしか、走る速度がゆっくりになるような気がする。

熊野古道は初めてで、どこからアプローチすればよいのか、どのくらいハードなものなのか、訪れる直前まで分からないことだらけだった。
そこで、和歌山県観光連盟が作っているモデルコースに沿って、那智駅~熊野那智大社を歩くことにした。
歩行距離7.4km、標準歩行時間2時間15分、標準所要時間4時間のコース。
これなら、お昼過ぎから歩き始めても大丈夫だ。

JR那智駅から歩き始める。
浜の宮王子、そして補陀洛山寺へ。
補陀洛山寺は、補陀落渡海で知られるお寺だ。
歴代の住職は、生きたままで小舟に乗り、那智の浜から南の浄土、補陀落山を目指したという。
裏山に登ると、ある歴代の渡海上人のお墓と平維盛の供養塔がある。
補陀洛山寺には、復元された補陀洛渡海船も置いてあった。
渡海船には扉が無い。
渡海上人が船に入ると、入口には、外から釘が打たれる。
渡海は、旧暦の11月に行われたらしい。
海上は寒かろう。
あれこれ想像する。

舗装された道路から、山の中の「古道」へと入る。
道を整備するための工事が行われていた。
山の中まで工事のための道具や材料を運ぶのは、大変なことだろう。
尼将軍供養塔までたどり着いたが、夫と私のほかに歩いている人はいない。
大門坂バス停もしくは滝前バス停までバスで移動する人が多いようだ。

尼将軍供養塔を過ぎ、しばらく行くと「ふだらく霊園」が見えてくる。
源頼朝の死後に植えられたという「柿の古木」を見る。
枯れているようにも見えるが、秋になれば実をつけるというのだから、すごい生命力だ。

再び、舗装道路を進む。
長閑な町だ。
川が流れている町はいいな、と思う。
市野々小学校の近くで、市野々王子を見つける。


     
            大門坂入口

大門坂入口までは、楽だった。
道の料金箱にお金を入れて、みかんを買って、「夫婦杉」の手前で休息。
 
ここから始まる大門坂の石段は急勾配。
すぐに息が切れた。
登っても、登っても、石段が続く。
途中のお店で梅ジュースを飲んで、
熊野那智大社を目指して、また階段を登る。

熊野那智大社の社殿は、朱塗りで鮮やかだ。
お参りをしたあと、「胎内くぐり」をやってみる。
入口にある護摩木に願い事と氏名を記入し、それを持って胎内に入る。
護摩木は、出口で納めるようになっている。

熊野那智大社のすぐ隣が青岸渡寺
西国巡礼の第1番札所だ。
本堂の近くから、三重塔と那智大滝を望む。
写真でよく見る風景だが、実際に見るとその美しさに心打たれる。
三重塔からも滝を見る。
何度見ても飽きない。


     
            那智の滝
      
滝を間近に見るために、坂を下る。
滝の前には、熊野那智大社の別宮の飛瀧神社がある。
この神社のご神体は那智の瀧なので、本殿はない。


     
                御神水をいただいた杯

ここで、那智の滝の御神水をいただく。
御神水をいただいた杯は、100円で持ち帰ることができる。

帰りは、滝前バス停から紀伊勝浦駅までバスで。
バスの待ち時間に、お土産屋さんで食べためはり寿司は美味しかった。