大倉草紙

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【東京・渋谷区】 渋谷区郷土博物館・文学館前の庚申塔

2010年10月31日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
10月3日(日)


(渋谷区東4-9-1)
「庚申塔
 江戸時代の民間信仰のひとつに、庚申講がありました。初期には講中(こうちゅう・グループ)が六十日ごとに集まって念仏を唱え、長寿を祈る行事でしたが、のちにはレクリエーションに変わっていったようです。
 右の二基は、桜丘町二九番にあり、斎(いつき)大治氏が大切に保管されていたものを、区に寄贈されました。
   渋谷区教育委員会」(案内板より)

【東京・新宿区】 歴史科学協議会主催市民講座 「新聞記者から見る歴史像の現在」

2010年10月30日 21時00分00秒 | 雑記

先日、港区立郷土資料館に行ったとき、この講演のポスターを見つけた。
行こうと決めていたらしい夫。私は、お昼にメルシーでラーメンを食べてから行くのもいいな、と軽い気持ちで出かけた。

朝日新聞社記者である渡辺延志氏の講演。
歴史意識や時代像に関して、おもに、縄文時代や弥生時代を中心にお話を伺った。
青森でデスクをなさっていた1994年、栗の柱が6本検出された三内丸山遺跡の取材を契機に現在に至るようだ。

配布資料のなかに、署名記事の一覧があった。
時代においても、地域においても、かなり広範囲に渡っているのには驚いた。
もちろん、ご自身の興味の対象に関する資料収集や取材に力が入るのであろうが、紙面に載せるということを意識したときに、どれがニュースなのか、という判断は難しいのだろうな、と思った。

【東京・渋谷区】 渋谷区郷土博物館・文学館前の白松

2010年10月29日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
10月3日(日)


(東京都渋谷区東4-9-1)
「白松(はくしょう)
 松の仲間として分類された中国原産の植物で『しろまつ』とも呼ばれています。日本の松とは幹の皮の感じが違いますが、葉は似ています。しかし、個々の葉をよくみると、赤松や黒松が二本なのに対して、これは三本に分かれていることが特徴です。また、樹形も上に向かって合掌するような形になっています。全国的にみても非常に数の少ない稀種です。
 この松は、大正の末ごろ、中国北京から持ち帰ったもので、内田治氏のご好意により昭和五十三年一月、区に寄贈されました。
   渋谷区教育委員会」(案内板より)

【東京・渋谷区】 渋谷区郷土博物館・文学館

2010年10月28日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
10月3日(日)


「渋谷で飛行機が飛んだ」という企画展も開かれていた。
日本で初めてエンジン付き飛行機の飛行実験が行われた場所は、代々木練兵所(現:代々木公園)。
今年はそれから100年目なのだという。

時代の流れとともに変わってきた渋谷駅前の様子を紹介する映像もあった。

地下の展示室では、渋谷にゆかりのある文学者たちを人物ごとに紹介している。
奥野健男の書斎を再現したコーナーもある。

【東京・港区】 一蘭 (六本木大江戸線上店)

2010年10月27日 21時00分00秒 | 
10月2日(土)


前日の夜、ラーメンが食べたくて仕方がなかった。
そこで、お昼に一蘭へ。
この場所に開店して間もなくは階段にずらーっと人が並んで待っていたが、今ではそんなことはない。

「ゆでたまご」を頼む。
ラーメンに入れて食べたが、ラーメンを食べる前に口の中に残っている味を消すために食べると良い、という説明書きがあった。

一蘭のラーメンはまずくはないんだけれど、コストパフォーマンスはあまりよろしくないような気がする。

【東京・港区】 南極観測ではたらいたカラフト犬の記念像

2010年10月26日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
10月2日(土)


「南極観測ではたらいたカラフト犬の記念像
  1959年
  財団法人 日本動物愛護協会
1956年11月 南極観測隊にソリ犬として同伴しその功績は大きかった
1958年 2月 観測隊の引きあげのとき15頭は鎖につながれたまま残された
1959年 1月 第三次観測隊が奇跡的にも生存していたタロー、ジローの2頭を発見収容したが他の13頭は餓死したものと思われる」(碑文より)

1頭1頭を見ると、切ない気持になる。








見上げると、東京タワー。

【東京・港区】 銀世界の梅

2010年10月25日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
10月2日(土)


(東京都港区芝公園4-8)
「この梅林は、今の新宿区西新宿三丁目の東京ガス敷地にあったもので、江戸時代は『梅屋敷銀世界』と言われていたものを、明治41~42年ごろ16号地グランドの西側に移植されたが、道路拡張にともない、昭和41年にこの1号地に移されました。
 梅林には、二代将軍(秀忠)のお声がかりの梅も移植されていたそうですが現在はありません。
 この石碑は琉球の棟応昌の筆によるもので、梅屋敷内にあったものです。」(案内板より)

【東京・港区】 丸山貝塚

2010年10月24日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
10月2日(土)


(東京都港区芝公園4-8)
「芝公園内の丸山と呼ばれる丘陵の東南斜面に貝層が残存している。まだ正式の学術調査が行われず、古くから著名なわりにその内容が明らかでない。
 表面的な観察によると、ハイガイ・ハマグリなどの海水産の貝殻から成るものと思われるが、従来文化遺物があまり採集されていない。わずかに安行(あんぎょう)武士器片が発見された事実から、縄文時代後期の貝塚と考えられるにとどまる。
 丸山の丘上には大形の丸山古墳が造られているので、破壊されているところもあるが、斜面に残る部分は都内の貝塚研究のため重要である。
 昭和四十八年三月  東京都港区教育委員会」(案内板より)

【東京】 秋季東京都高等学校野球大会 国学院久我山-八王子、日大三-都立昭和 (神宮第二)

2010年10月23日 21時00分00秒 | スポーツ観戦
今日は準決勝。
朝9時頃に球場に着いたが、チケットを買うのに行列ができていた。
ほぼ満席。

第一試合の国学院久我山と八王子の試合は、逆転また逆転……の繰り返し。


八王子高校の応援
「結束すれば夢は叶う 友愛と団結 ありんこ軍団」の横断幕がかかっている。
力を合わせて打ち勝とうと30年ほど前に考えられた文句なのだそうだ。
だが、それを見て、「八王子の応援はいいんだけど、あの『ありんこ』ってのが相手を圧倒しないなあ」と話しているのが聞こえる。
なるほど、そうかもしれないなあ。



結局、試合は延長戦に。

10-7で国学院久我山が勝った。

第二試合は、日大三と都立昭和の試合。
こちらは、3回が終わるまで観た。
結果は、12-0(7回コールド)で日大三が勝ったそうだ。

【東京・港区】 芝丸山古墳

2010年10月22日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
10月2日(土)







「所在地 港区芝公園四丁目 都立芝公園内
 指定  昭和五四年三月三一日

 全長一〇六メートル前後、後円部径約六四メートル、前方部前端幅約四〇メートル、くびれ部幅約二二メートルほどの、都内最大級の規模をもつ前方後円墳である。標高約一六メートルの台地端に位置し、前方部を南々西に向けている。
 江戸時代以降、原形はかなり損じられており、とくに墳頂部や後円部西側は削られてしまっている。明治三一年に、日本考古学の先駆者坪井正五郎博士によって調査されたが、すでに後円部中央に位置したと考えられる主体部(埋葬施設)は失われており、遺体や副葬品なども不明である。なお、埴輪を伴うことは知られている。
 前方部が狭く低い形態や、占地状態などから五世紀代の築造とみられており、そのころ、附近の低地の水田地帯に生産基盤をもち、南北の交通路をおさえていた、南武蔵有数の族長の墓だったと考えられる。
 平成二年一二月二七日 再建   東京都教育委員会」(案内板より)