大倉草紙

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【京都】 源光庵

2009年03月20日 20時00分00秒 | 旅 - 京都府
11月24日(月)
当日の行程:(JR・京都駅…京都市営バス・50番京都駅~千本中立売…6番千本中立売~鷹峯源光庵前) → 【光悦寺】【常照寺】【源光庵】 → (京都市営バス・6番鷹峯源光庵前~千本北大路…206番・千本北大路~大徳寺前) → 【興臨院】【大仙院】【芳春院】【総見院】【高桐院】【黄梅院】 → (京都市営バス・206番大徳寺前~京都駅…JR・京都駅~土山駅) → 【ジョセフ・ヒコ アメリカ市民権取得150周年記念特別展(播磨町郷土資料館)】


源光庵は、貞和2年(1346)に大徳寺二代徹翁国師の開創による。
その後、元禄7年(1694)に卍山道白禅師によって曹洞宗に改められた。


鐘楼


本堂


迷いの窓
「迷いの窓」は、角型に人間の生涯を象徴していて、生老八苦を表しているのだという。


悟りの窓
「悟りの窓」は、円型に禅と円通の心を表わしていて、円は大宇宙を表現しているのだという。
窓からの紅葉が美しかった。


血天井
本堂内には、血天井がある。
これは伏見城の遺構である。
慶長5年(1600)7月、家康の家臣・鳥居彦左衛門元忠は、伏見城で石田三成軍と交戦し、討死する。
残った380余人は城内で自刃したといい、この血天井はその痕跡であるという。
天井には、足跡がはっきりと認められる。
鳥居元忠は、家康が少年時代、駿河の今川義元のもとに人質としてとられていったときから家康に仕えており、その忠臣ぶりは「三河武士の鑑」ともいわれる。
玉砕されるための城の守将を務める鳥居元忠のことを考える。
鳥居元忠は、三方ケ原の合戦で負傷し、足に障害が残っていたという。
だからなのか、血天井の足跡を見ると、様ざまな連想が働く。


鳥居元忠の位牌


源光庵の御朱印