大倉草紙

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【京都】 方広寺

2009年03月04日 20時00分00秒 | 旅 - 京都府
10月18日(土)
当日の行程:(阪急・西京極駅) → 【2008年高校野球秋季近畿地区大会・PL学園-塔南(西京極野球場)】 → (京都市バス・西京極運動公園前~清水坂) → 【研出し蒔絵の印籠 ~色彩が織り成す小宇宙(ミクロコスモス)~(清水三年坂美術館)】【豊国神社】【方広寺】【特別展覧会 japan 蒔絵 宮殿を飾る 東洋の燦めき(京都国立博物館)】


方広寺は、天正14年(1586)に豊臣秀吉によって創建された。
かつて、ここには19メートルもの高さの大仏を納める大仏殿があったが、慶長元年(1596)大地震により、破壊され、同7年に炎上。
その後、同15年に徳川家の勧めで、秀吉の追善供養のために秀頼が19メートルの金銅大仏を復興するが、この大仏も寛文2年(1662)の地震で倒壊。
同4年に木造の大仏が造られるが、寛政10年(1798)に落雷によって焼失。
そして、天保14年(1843)に尾張を中心に、伊勢・美濃・越前の人々の寄進で木造半身の仏像が祀られたが、これもまた昭和48年(1973)に火災で焼失してしまった。
災難続きである。


現在、本堂に安置されている盧舎那仏座像は、秀頼が復興した2代目の仏像の1/10の大きさ。


旧大仏の遺物もあり、その大きさの違いを実感する。
これは、蓮華座の内側にある半球状のもの。


旧大仏殿の瓦


「眉間籠り仏」は、秀頼復興の2代目の大仏の眉間から出てきたものなのだそうだ。


左甚五郎作の龍彫刻
かなり怖い顔をしている。
龍じゃなくて、骸骨のようにも見える。


大黒天堂


本堂と繋がっている大黒天堂には、最澄が彫ったと伝えられる大黒天像がある。
大黒天像の頭上奥に小さく見える大黒天像は、秀吉が常に持っていたものだという。



国家安康の鐘は、慶長19年(1614)に鋳造されたもの。
銘文の「国家安康 君臣豊楽」の部分には印が付けられていた。


方広寺の御朱印