大倉草紙

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【大阪】 造幣局・桜の通り抜け

2008年04月20日 15時58分33秒 | 祭り・催し
     

     

造幣局の桜の通り抜けに出かける。
かなりの人手だというので、午前中早めに見ることにした。
約560mの通りに、119もの品種が集められているそうで、なかにはこれって桜?というほどに、一般的に思い描くであろう桜の形象とはかけ離れているものもある。
 
     

今年の花は「普賢象」。
二つある雌しべが細長い葉のように変化し、その先端が曲がっていて、その形が普賢象(普賢菩薩の乗っている象)の鼻に似ていることから、そう命名されたようだ。
象の鼻というより触角に見えてしまう。

川沿いの屋台をのぞきながら帰る。 

【奈良】 法華寺・平城宮跡・唐招提寺・薬師寺・西大寺

2008年04月19日 23時42分51秒 | 旅 - 奈良県
本日の行程:(近鉄奈良駅) → 【法華寺】 → 【平城宮跡】 → (自転車) → 【長屋王邸跡】 → 【平城宮跡】 → 【唐招提寺】 → 【薬師寺】 → 【西大寺】


近鉄奈良駅で電車を降りて平城宮跡へ向かう途中に、「法華寺」の看板があった。
車は走っているものの、のどかな風景を残した道を歩いて法華寺へ。
法華寺は、尼寺。藤原不比等の住居を、光明皇后が総国分尼寺として建立したのがその始まりらしい。
本堂(重要文化財)には、国宝の「木造十一面観音立像」がある。
開扉期間でなかったため、見ることができたのは模刻像だった。
本堂に向かって左手にある奥書院の前には、緑あふれる庭園がある。
かきつばたが美しい。
本堂に向かって右手にある「浴室(からふろ)」は、薬草を使った蒸し風呂のようなものであり、多くの難病者を救ったといわれる。
「浴室」よりさらに奥へ行くと、「華樂園」がある。
ここにある花木・草花は、約750種に及ぶという。
整えすぎず、自然なかんじの庭である。

法華寺を出て、人家の間の細い道を縫うように行くと、
平城宮跡(世界遺産)の「東院庭園」の入口に出た。
平城宮跡に辿り着いたのはよいが、
ここが平城宮全体のどのあたりにあたるのか、まったく分からない。
よく喋る警備のおじさんから「平城宮跡散策マップ」を受け取り、ようやく全体像をつかむことができた。
「東院庭園」は、天平時代の庭園を再現したもの。
「東院庭園」では、天皇や貴族が儀式や宴を行っていたという。
朱塗りの建物の周りを池が囲み、じつに雅やかである。

平城宮跡は広い。甘くみていた。
唐招提寺も薬師寺も参拝したいけれど、これでは無理だ。
ということで、いったん西大寺駅まで行って、自転車を借りることにした。

レンタサイクル屋さんでもらった地図をたよりに、
長屋王邸跡を探す。
なかなか見つからない。
どうやら行き過ぎたようで、道を戻ってみる。
見つからないはずだ。長屋王邸宅跡はイトーヨーカドーになっていた。
イトーヨーカドー裏手の自転車置場の片隅に、長屋王を祀った祠があった。
ここにいたんだねえ。

そして再び平城宮跡へ。
「朱雀門」から入り、自転車で回る。
ジョギングをする人、犬の散歩をする人、さまざまだ。
「ちょっと平城宮を走ってくるよ」と言って家を出てきたのだろうか。
日常生活に平城宮があるとは、なんて素敵なのだろう!
資料館や展示館は興味深いものでいっぱいだったが、受付の係員が館内に響き渡るほどの声で、後期高齢者医療制度への不満を語り合っていたのを苦々しく思う。
大変な気持ちが分からないでもないが、館内に入った時から出る時まで、ずっと聞こえてきたので、うんざりしてしまった。
太古へ思いを馳せているのに、現実に引き戻されてしまう。

川沿いの自転車専用道路を通り、次に向かった先は唐招提寺(世界遺産)。
金堂(金堂)は、来年秋まで解体修理中で見ることはできない。
鑑真和上坐像(国宝)も、6月の開扉期間でなければ拝むことはできない。
こういった、教科書のいわば定番に出会えなかったのは残念だけれど、限られた期間内で、できるだけ多くのものを見たいと詰め込んでいるのだから仕方がない。


     
          薬師寺東塔(国宝)

そして、薬師寺(世界遺産)へ。
日光菩薩・月光菩薩は、「国宝 薬師寺展」のため、東京国立博物館へご出張中。
戻ってきたら、拝観しよう。
「国宝 薬師寺展」では、仏像の後姿も拝むことができるらしい。
これはちょっと羨ましい。
「凍れる音楽」と称えられる東塔は、凛としていて美しい。
ところで、「凍れる音楽」ってどんなの?
わかったようで、わからない。
そもそもこの言葉は東塔のために生まれたものではないらしい。
フェノロサ以前にも、「音楽は流れる建築であり、建築は凍れる音楽である」というフレーズが使われていたとか。
ゴシックの大聖堂を見て「凍れる音楽」なんて評していたわけだ。
言われてみると、西洋建築のほうがぴったりくる表現である。
「音楽」って言葉が、どうも明治以降の匂いがして、違和感があるのかなあ。

西大寺へ戻ったときは、すでに拝観時間を過ぎていたので、さっと境内を見て回った。
西大寺は大きなお寺だ。
けれどそれは、町の中にあるお寺にしては大きいという意味である。
駅から程近く、夕食の食材を買いに来る人で混雑するスーパーや
良い香りの漂うパン屋さんなどが軒を並べる商業地の一角に、西大寺はある。
ほかの奈良のお寺と立地が違う。
東大寺とどちらが大きいか、そういった比較ではない。
けれど、その名前からも容易に推察できるように、創建時における西大寺は、東大寺に匹敵する、いまより遥かに壮大な寺院だったらしい。
貴重な仏像も多く安置されているようなので、拝観できる時間にもう一度訪れたい。

【滋賀】 比叡山延暦寺・日吉大社

2008年04月12日 23時40分56秒 | 旅 - 滋賀県
本日の行程:(京阪電車・出町柳駅) → (叡山電車・八瀬比叡山口駅) → (徒歩) → (叡山ケーブル・ケーブル八瀬駅~ケーブル比叡駅) → (叡山ロープウェイ・ロープウェイ比叡駅~比叡山頂駅) → (比叡山内シャトルバス・比叡山山頂~東塔) → 【比叡山延暦寺東塔】 → (比叡山内シャトルバス・東塔~横川) → 【比叡山延暦寺横川】 → (比叡山内シャトルバス・横川~西塔) → 【比叡山延暦寺西塔】 → (徒歩) → (坂本ケーブル・延暦寺駅~坂本駅) → 【日吉大社】


【延暦寺】(世界遺産)

今でこそ、ケーブルカーやロープウェイ、シャトルバスが走っているが、そうでなかった頃は、参拝するのもさぞかし大変なことだったろう。
さすがにもう要らないだろうと思いつつも、薄手のコートを持ってきたのは正解だった。
それくらい、山の上だった。

比叡山延暦寺は、東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)の三つの地域から成る。
まずは、見逃したくなかった東塔から見て回る。


       
               東塔の鐘楼

「大講堂」(重要文化財)には、大日如来坐像や祖師像が安置されている。
大講堂のすぐ近くには鐘楼があり、一撞き50円と書いてあった。
並んで鐘を撞く。

「根本中堂」(国宝)は、延暦寺の総本堂。
かなり大きなお堂である。
延暦寺創始以来1200年間守り継がれた「不滅の法灯」を見ても、歴史の重みを感じることができる。
荘厳な雰囲気で満ちていた。

「根本中堂」の前の急な階段をのぼり、「文殊楼」へ。
「文殊楼」の中にも、段差の大きな階段があり、中をお参りすることができる。


シャトルバスに乗って、横川へ移動する。
参拝客の多い東塔地区に比べて清閑としていて、霊峰の雰囲気で満ち満ちている。

「横川中堂」の鮮やかな朱色が目をひく。
気温は低く、お堂へのぼって行く道端には、まだ雪が残っていた。


     
           根本如法塔

「横川中堂」の北西に、「根本如法塔」が建っている。
塔へ至るまでの石段、木立の中に見え隠れする朱色の塔が美しい。


     
                    恵心堂

「恵心堂」は、恵心僧都の旧跡といわれる。
横川中堂から東の奥へと進むと、突き当たりに鐘楼がある。
そこを右に折れると、恵心堂だ。
ひっそりとしていて、落ち葉の感触が足にやさしい。

鐘楼を左に、恵心堂とは逆の方向へ進めば、「元三大師堂」である。
おみくじ発祥の地とのこと。
けれど、どこでどうおみくじを引けばよいのか分からない。
社務所で尋ねればよいのだろうが、そうまでしておみくじを引こうとは思わなかった。
後で知ったのだが、「元三大師堂」でのおみくじは、自分で引くのではないそうだ。
どういった件をおみくじによって占いたいのかを僧侶に伝えると、僧侶がおみくじを引き、それを読み解いて助言をしてくれるということだ。

「元三大師堂」から更に奥へ、10分ほど下ったであろうか、そこに「定光院」がある。
日蓮上人が修行の地だという。
境内には日蓮上人の大きな銅像が建っている。


再びシャトルバスに乗って、次は西塔へ。

「常行堂」と「法華堂」を渡り廊下でつないだ通称「にない堂」(重要文化財)。
その呼び名の由来は、弁慶が渡り廊下を天秤棒にして両堂を担いだという伝説にあるという。

「にない堂」の渡り廊下の下をくぐると、「釈迦堂」が見える。
「釈迦堂」は、信長の延暦寺焼き討ちの後、秀吉が園城寺から移築したもので、現存する延暦寺の建造物のなかで、最も歴史のあるものとされる。


西塔から東塔へは歩いて移動。
坂本ケーブルを使って、坂本方面へ。

坂本ケーブルは、全長2,025mで、これは日本一の長さだという。
片道約11分で運行している。
途中、景観の良い場所では、運転手さんのアナウンスが入る。
遠く、琵琶湖も見えた。
琵琶湖は、ミシガンという船でクルーズを楽しめるそうだ。
大きな湖だからといって、「ミシガン」にすることもなかろうに……と、残念な気持ちになる。

 
【日吉大社】

坂本ケーブル・坂本駅から、歩いて日吉大社へ。
きょうから「山王祭」が始まる坂本の町は、夕刻からの午の神事に向けて、どことなく騒々しい。


     

「日吉大社」の近くは、今が桜の盛り。

「日吉大社」は、全国に3,800余りある日吉神社、日枝神社、山王神社の総本社。
境内には東本宮本殿(国宝)西本宮本殿(国宝)を中心に、多くの摂社・末社が鎮座している。

日吉大社の神使は猿なのそうだ。
本当に猿がいたのには驚いた。
愛くるしい顔をした猿だ。
神の使いなのに、檻に入れちゃってもいいのかなあ。
それとも……これは檻ではなくて祠なのかも。

【奈良】 吉野

2008年04月05日 23時06分39秒 | 旅 - 奈良県
本日の行程:(近鉄・吉野駅)…(徒歩)…(吉野ロープウェイ・吉野千本口駅~吉野山駅) → 【金峯山寺】 → 【脳天大神龍王院】 → 【吉水神社】 → 【如意輪寺】 → 【後醍醐天皇陵】 → 【吉野水分神社】 → 【金峯神社】 → 【西行庵】


     
               下千本で

     
   「蔵王堂」脇から「南北妙法殿」方面を望む
   

吉野の桜は、2日前に下千本が開花したばかり。
花見には少し早いけれど、来週末に出かけられるかどうか定かではないので、思い切って出かけた。


ロープウェイを降り、下千本の「大橋」を渡ると、「黒門」が現れる。
金峯山寺(世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素)の総門だ。
「銅(かね)の鳥居」(重要文化財)を通り過ぎ、「仁王門」から金峯山寺の境内へ入る。

「蔵王堂」(国宝)では、春の特別展が開催されていたので拝観する。
「蔵王堂」の正面には、「四本桜」が植えられていた。
ここは、護良親王が幕府軍に攻められ、吉野山に立て籠もり、落城するときに最後の酒宴を開いた場所だそうだ。
残念ながら、「四本桜」は蕾だった。
桜越しに見る「蔵王堂」は、さぞかし美しいだろう。


「蔵王堂」から西側、「南朝妙法殿」のほうへ階段を下りる。
ここでは、南朝四天皇とその忠臣の霊が祀られている。
「役行者像」を過ぎ、長い長い階段を下りると脳天大神龍王院に辿り着く。
階段は445段もあるそうで、戻ってくるのに一苦労。
ここで体力を使い果たしてしまった。


くたくたになりながら、吉水神社へ。
吉水神社(世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素)には、多くの宝物がある。
「義経の鎧」や「静御前の衣装」、また、「後醍醐天皇玉座」、「義経潜居の間」、「弁慶思案の間」なども残されている。
それらを、間近に見ることができるのは嬉しい。
狩野派の絵師たちによる襖絵も、何気なく置いてある。
話術に長けた宮司が、神社の歴史と宝物について説明してくれた。
この宮司、大阪府警に勤めていたらしい。
阪神・淡路大震災の被災地に応援部隊として派遣されたときの経験から考えるところがあり、宮司になる決意したとのこと。


如意輪寺(世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素)は、後醍醐天皇の勅願寺。
宝物殿を入るとすぐ、天井に描かれた如意輪観世音菩薩像には驚かされた。
「寝拝みの観音」で、台に寝転んで拝むようになっている。
宝物殿には、楠正行が四条畷の決戦に向かうとき、鏃で辞世の歌を刻んだ如意輪堂の扉が残っている。
 「かゑらじと かねておもえば 梓弓 なき数に入る 名をぞとゞむる 」


     
         後醍醐天皇塔尾陵

如意輪寺の本堂の裏手に、後醍醐天皇塔尾陵がある。
後醍醐天皇は、「玉骨はたとえ南山の苔に埋ずむるとも魂魄は常に北闕の天を望まんと思ふ」という遺言を残した。
それ故、通常は南向きである天皇陵が、北面の陵となっている。


中千本から上千本への道は、勾配が急だ。
吉野水分神社>(世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素)は、子守明神として信仰されている。
「水分(みくまり)」→「みこもり(御子守)」と転訛するからだとか。
木立の中だからだろうか、境内の雰囲気は暗い。
三社一棟造の社殿(重要文化財)は、荘厳である。


吉野水分神社から更に山をのぼること約1.5km、金峯神社(世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素)だ。
吉野山の総地主神を祀っている。
「義経隠れ塔」へ行ってみたかったが、山を下る最終バスの時間が迫っていたので、西行庵へ先に行くことにした。


     
             西行庵
 
西行庵は、吉野山の最奥、奥千本にひっそりと佇んでいる。
そこまでの道のりは、寂しい。
ここに西行は三年間閑居していたと伝えられる。
かねてから訪れたいと思っていた場所なので、感無量だった。