大倉草紙

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【京都】 離宮八幡宮

2009年03月05日 20時00分00秒 | 旅 - 京都府
11月15日(土)
当日の行程:(阪急・大山崎駅) … 【青のコレクション ピカソの青モネの青(大山崎山荘美術館)】【離宮八幡宮】 → (阪急・大山崎駅~南茨木駅…大阪モノレール・南茨木駅~万博記念公園駅) → 【秋季特別展 陶匠・濱田庄司-没後30年記念-(大阪日本民芸館)】【アジアとヨーロッパの肖像(国立民族学博物館)】


離宮八幡宮は石清水八幡宮の元社。
平安時代の初め、清和天皇は夢の中で神のお告げをきいた。
そのお告げに従い、宇佐神宮から京へ八幡神を動座させるために、天皇は行教を派遣した。
八幡神を奉じて帰京する行教が、山崎の津で霊光を目にし、そこを掘ると清水が湧き出したので、その場所を霊地とし、社を創建したのだという。


この場所は、嵯峨天皇の離宮であった河陽宮の故趾であることから、離宮八幡宮の名がついたそうだ。

 
ここは、日本における製油発祥地といわれている。
清和天皇の時代、離宮八幡宮の神主が「長木」という道具で荏胡麻油を絞り、神社の灯火に用いたのがはじまりだという。
境内には、油祖像もある。


鳥居


四脚門


本殿


「かしき石」は、相応寺の塔の心礎であるといわれる。
相応寺は、嵯峨天皇の河陽宮があった頃のお寺。



行教が霊光をの指す場所を掘ると湧き出したという石清水。
現在も、枯れてはいないようだ。


寛永11年(1634)、勝竜寺城主永井日向守が離宮八幡宮の社殿を造営した際に、記念として城主が奉納した手水鉢。
林羅山は、この手水鉢を次のように漢詩に詠んでいる。
「一掬洗心」(ひとすくいの水は心を清める)


離宮八幡宮の御朱印