大倉草紙

旅の記録 食の記録 日々の記録

【広島】 宮尾城跡(要害山)

2009年05月04日 20時00分00秒 | 旅 - 広島県
12月28日(日)
当日の行程:(車…JR宮島連絡船・宮島口~宮島) → 【豊国神社(千畳閣)】【厳島神社】【大願寺】【宮尾城跡(要害山)】 → (宮島松大汽船・宮島~宮島口…車…自転車) → 【石見銀山(石見銀山資料館〈大森代官所跡〉・熊谷家住宅・大森町並み交流センター〈旧大森区裁判所〉・旧河島家住宅・豊栄神社・龍源寺間歩・清水谷製錬所跡・大久保石見守墓・羅漢寺)】 →(車)→ (松江泊)


古い町並みが残る「町屋通り」を通って要害山へ。
各家屋には、このような灯りが点っていた。


宮尾城の本丸跡には、今伊勢神社が建っている。


要害山山頂
「1555年〔弘治元年〕五月、毛利元就は陶晴賢を討つために、厳島に戦場を求めここに城を築き拠点とし、島の町衆を味方に引き入れ、陶軍の広島湾進出を阻止しようと軍備を備えた。この城は数個の 分かれた山城であるが、海上に突きだし、味方の水軍と連絡できる水軍城の特色も合わせ持っていた。
 同年九月、晴賢は二万余の大軍を率い厳島に上陸し、五重塔がある塔の岡付近に本陣を置いてこの城を攻撃したが、三百余の城兵はよく守り持ちこたえた。元就は主力の軍を率い、包ヶ浦から上陸して、山を越え背後から陶軍の本陣を急襲し、この城兵も主力軍に呼応して陶軍を壊滅させた。」(案内板より)


配陣図(案内板より)


要害山から宮島桟橋方面を望む


このあたりは、宮島のなかでも鹿が多いような気がした。
こちらを向いてくれたので1枚。

【広島】 大願寺

2009年05月03日 20時00分00秒 | 旅 - 広島県
12月28日(日)
当日の行程:(車…JR宮島連絡船・宮島口~宮島) → 【豊国神社(千畳閣)】【厳島神社】【大願寺】【宮尾城跡(要害山)】 → (宮島松大汽船・宮島~宮島口…車…自転車) → 【石見銀山(石見銀山資料館〈大森代官所跡〉・熊谷家住宅・大森町並み交流センター〈旧大森区裁判所〉・旧河島家住宅・豊栄神社・龍源寺間歩・清水谷製錬所跡・大久保石見守墓・羅漢寺)】 →(車)→ (松江泊)


山門
大願寺は、建仁年間(1201~1203年)に了海が再興したと伝わる。
室町時代末期には、厳島神社の修理造営権を握り、修理・造営に当たっていたという。


護摩堂
護摩堂は、平成18年(2006)に再建されたばかり。


本堂
本尊は、釈迦如来像。
慶応2年(1866)、勝海舟と長州の使者との和平会談が開かれたのは、この寺の書院であったという。


大願寺の御朱印

【広島】 厳島神社

2009年05月01日 20時00分00秒 | 旅 - 広島県
12月28日(日)
当日の行程:(車…JR宮島連絡船・宮島口~宮島) → 【豊国神社(千畳閣)】【厳島神社】【大願寺】【宮尾城跡(要害山)】 → (宮島松大汽船・宮島~宮島口…車…自転車) → 【石見銀山(石見銀山資料館〈大森代官所跡〉・熊谷家住宅・大森町並み交流センター〈旧大森区裁判所〉・旧河島家住宅・豊栄神社・龍源寺間歩・清水谷製錬所跡・大久保石見守墓・羅漢寺)】 →(車)→ (松江泊)


大鳥居
厳島神社(世界文化遺産)は、推古天皇元年(593)に創建されたと伝わる。
現在のような海上社殿になったのは平安時代後期のことで、厳島神社を崇敬した平清盛の援助があったという。

大鳥居(重要文化財)は総高約16メートル。
鳥居の根元は海底に埋められているのではなく海に浮いていて、鳥居の重さだけで立っているのだそうだ。


千畳閣から望む厳島神社全景


参拝入口


社殿は、回廊(国宝)でつながっている。
鮮やかな朱の色が美しい。
厳島神社といえば、この朱の色を思い浮かべるが、白木の時代もあったそうだ。
以前観た六角紫水についての番組でそのことを知り、驚いた。
明治時代、国宝を定めるために全国各地の文化財を調査していた六角紫水は、当時は白木で造られていた厳島神社の社殿が本来は朱塗りであったことを発見したのだという。


高舞台(国宝)
天文15年(1546)、修造。
平清盛が厳島神社に伝えた舞楽がここで演じられる。


本殿(国宝)


反橋(重要文化財)
弘治3年(1557)、毛利元就・隆元父子が再建したもの。


能舞台(重要文化財)
能舞台は、毛利元就の時代に造られたが、現存するものは、延宝8年(1680)に再建されたもの。
海上に建てられているため、この能舞台の床下には、共鳴用の甕が置かれていないのだそうだ。


厳島神社の御朱印

【広島】 豊国神社(千畳閣)

2008年12月28日 19時42分41秒 | 旅 - 広島県
本日の行程:(車…JR宮島連絡船・宮島口~宮島) → 【豊国神社(千畳閣)】【厳島神社】【大願寺】【宮尾城跡(要害山)】 → (宮島松大汽船・宮島~宮島口…車…自転車) → 【石見銀山(石見銀山資料館〈大森代官所跡〉・熊谷家住宅・大森町並み交流センター〈旧大森区裁判所〉・旧河島家住宅・豊栄神社・龍源寺間歩・清水谷製錬所跡・大久保石見守墓・羅漢寺)】 →(車)→ (松江泊)


千畳閣と呼ばれるこの建物は、天正15年(1587年)、豊臣秀吉が戦没将士の慰霊のため、安国寺恵瓊に命じて建立したもの。
重要文化財。
瓦には、「王」の文字が入っている。

厳島神社で、厳島合戦の合戦場跡をお尋ねしたところ、現在の豊国神社あたりが激戦地だったとのこと。


千畳閣、または千畳敷と呼ばれるのは、畳857枚分もあるというその広さ故である。
明治の神仏分離令で、閣内の仏像は大願寺に遷され、明治5年には秀吉公を祀り豊国神社と改称し、厳島神社の末社となった。


千畳閣の隣にある五重塔は、応永14年(1407)の建立。
重要文化財に指定されている。


豊国神社(千畳閣)の御朱印


今日の歩数:14,270歩