大倉草紙

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【大阪】 茨木城跡

2009年03月22日 20時00分00秒 | 旅 - 大阪府
本日の行程:(阪急・茨木市駅) → 【茨木城跡(茨木神社・茨木小学校)】

茨木城は、建武年間(1334~1336)に楠木正成が築いたのが始まりだといわれる。
15世紀~16世紀前半までは茨木氏が城主であったとされ、その後、次々と城主は変わる。
中川清秀や片桐且元も茨木城の城主であった。
茨木城跡といっても、現在残っているのは、茨木神社に移築された搦手門と茨木小学校に「復元」された櫓門ぐらいしかない。


【茨木神社】

鳥居の奥に見えるのが、茨木神社東門。


茨木城搦手門から移築したと伝わる茨木神社の東門


拝殿


本殿
大同2年(807)、坂上田村磨が荊切の里(地名「茨木」の由来)を作ったとき、天石門別神社(現在の奥宮)を創建したのが始まりだと伝えられる。


奥宮


茨木神社の御朱印


【茨木小学校】

片桐氏茨木在城碑
碑文は次の通り。
「茨木城者片桐氏所治也且元初仕于豊臣氏有功累進列
 宿老慶元之際東西有釁也且元使于駿府雖折衝大而
 及千才起則迷去就進退依違如闕其高明然論者所以或
 稱忠或呼姦是非之論粉粉也且元頗通于経済貨殖之道
 在其大阪也財政不滞去而就封土也簿書不乱由是看之
 非具尋常武弁可知也文禄四年且元初受封於此地元和
 元年子孝利移城于和州其間凡二十年矣頃町之有志作
 片桐会蓋所以敬慕其郷賢也今茲適逢 大禮乃欲建碑
 請記余仍録之
 正六位勲六等天坊幸彦撰 従七位勲七等岡市正人書」


茨木小学校正門
本丸は、茨木城の北部にあったとされる。
茨木城の櫓門を復元したこの正門は、茨木小学校創立120周年記念として、平成5年(1993)に建てられた。
茨木城にあった櫓門は、大和郡山市小泉の慈光寺に移築されたそうだ。


茨木小学校の正門横の土塀に嵌め込まれた校名は、織部焼でできている。
なんてすてきな小学校なんだろう!
古田織部は、茨木城主だった中川清秀の妹婿。
この小学校付近の地名は、片桐町という。


今日の歩数:12,734歩