大倉草紙

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【京都】 常照寺

2009年03月19日 20時00分00秒 | 旅 - 京都府
11月24日(月)
当日の行程:(JR・京都駅…京都市営バス・50番京都駅~千本中立売…6番千本中立売~鷹峯源光庵前) → 【光悦寺】【常照寺】【源光庵】 → (京都市営バス・6番鷹峯源光庵前~千本北大路…206番・千本北大路~大徳寺前) → 【興臨院】【大仙院】【芳春院】【総見院】【高桐院】【黄梅院】 → (京都市営バス・206番大徳寺前~京都駅…JR・京都駅~土山駅) → 【ジョセフ・ヒコ アメリカ市民権取得150周年記念特別展(播磨町郷土資料館)】


吉野門

常照寺は、元和2年(1616)に本阿弥光悦から土地の寄進を受け、寛永4年(1627)に光悦の子・光嵯の発願で寂照院日乾上人を招じて開創された山城六檀林の一偉大観「鷹峰檀林」(学寮)の旧跡。

ここは、日乾上人に帰依した名妓・吉野太夫(二代目)ゆかりの寺としても知られている。
吉野太夫が寄進した山門は、「吉野門」とも呼ばれる。
毎年4月第3日曜日には、「吉野太夫花供養」が行われるという。


帯塚
昭和44年(1969)建立。
全国初の帯塚なのだそうだ。
帯状をなす塚石は、四国吉野川産の自然石(吉野石)で、6トンもあるという。


本堂


遺芳庵茶席
遺芳庵茶席の窓は、吉野太夫が好んだ大丸窓(吉野窓)。


こちらは、高台寺にある遺芳庵。
やはり吉野窓がある。


吉野太夫の墓
戒名は「唱玄院妙蓮日性信女」。


吉野太夫と灰屋紹益の供養塔
吉野太夫の夫・灰屋紹益は本阿弥光悦の親戚。
京都の豪商で、和歌や茶の湯などに秀でていたという。


常照寺の御朱印