大倉草紙

旅の記録 食の記録 日々の記録

【奈良】 唐招提寺

2008年06月30日 17時03分14秒 | 旅 - 奈良県
6月8日(日)
当日の行程:(京阪・宇治駅) → 【平等院】【宇治神社】 → 【宇治上神社】【宇治市源氏物語ミュージアム】【三室戸寺】 → (京阪宇治バス・三室戸寺~JR宇治駅)…(JR・宇治駅~新田駅)…(徒歩)…(近鉄・大久保駅~西ノ京駅) → 【唐招提寺】 → (タクシー) → 【興福寺】


【唐招提寺】(世界遺産)


宇治から電車を乗り継いで、近鉄西ノ京駅へ。
西ノ京駅から唐招提寺までの道は、4月に自転車で通ったことがあるだけだが、なぜだか、よく知った道のような気がする。


   
                  南大門

   
                 金堂(国宝)

南大門を通り抜けると、解体修復中の金堂が見える。
4月に参拝したときよりも、シートや足場が外されていた。


          
                仏像修理所

御影堂と仏像修理所の一般公開の最終日。
それで、宇治からの帰り途に奈良へ寄ったのだ。
 
金堂の解体修理にあたって、仏像を搬出するには、仏像を解体する必要があった。
仏像の表面に施された漆箔の剥離も目立つことから、この期に仏像も解体修理することになったようだ。
仏像修理所には、本尊・廬舎那仏坐像(国宝)、千手観音立像(国宝)、薬師如来立像(国宝)が 、像本体、台座、光背の部分に分けられて展示されていた。
仏像のX線写真もあり、これによって、廬舎那仏坐像の両の掌に数珠玉とみられる玉が埋め込まれているのが分かったらしい。
修理所とはいえ、間近で仏像を拝むことができたのは、ありがたいことだ。


   
                  講堂(国宝)

講堂には、本尊弥勒菩薩坐像(重要文化財)をはじめ、国宝の梵天・帝釈天立像、四天王立像、持国天立像(木像・乾漆併用、彩色)、増長天立像(木像・乾漆併用、彩色)、広目天立像、多聞天立像、重要文化財の持国天立像(木像)、増長天立像(木像)と、見事な仏像が安置されている。


          
                 鼓楼(国宝)

鼓楼には、鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているので、「舎利殿」とも呼ばれる。
毎年5月19日の「うちわまき会式」には、ここから参詣者にうちわを撒く。
今年は、金堂の解体でスペースがとれないため、うちわは手渡しとなったようだ。


  
     本願殿(旧開山堂)          松尾芭蕉の句碑

鼓楼の向かいには、本願殿がある。
かつて、秘仏鑑真和上坐像は、本願殿に納められていた。
本願殿へ続く石段の傍らには、芭蕉の句碑がある。
 「若葉して 御目の雫 拭ばや」 ばせを
これは、芭蕉が本願殿で鑑真和上坐像を拝した際に詠んだ句だという。


   
               北原白秋の歌碑

御影堂の近くには、北原白秋の歌碑が建っている。
「水楢の 柔き嫩葉は み眼にして 花よりもなほや 白う匂はむ」


          
                御影堂入口

   
              御影堂(重要文化財)

   
                御影堂の庭
   
         鑒真大和上御影堂参拝記念の絵葉書

御影堂の宸殿の間では、参拝者が順番に鑑真和上坐像を拝むようになっていた。
鑑真和上は、まるで生きているように、静かに坐している。
宸殿の間の襖絵は、東山魁夷によるもの。
一面の、鮮やかな青色が印象的だ。
「濤声」と題するこの作品は、日本の海を描いているという。

参拝者たちは、宸殿の間の遠くから鑑真和上坐像をいつまでも見つめていたり、
縁側に腰をかけて庭の風景を眺めていたり、できるだけ長い時間、この空間を楽しんでいる様子だった。

御影堂の参拝記念の絵葉書をいただいた。
鑑真和上坐像、上段の間の襖絵「山雲」(絵葉書の写真左上)、松の間の襖絵「揚州薫風」(絵葉書の写真左下)の3枚。
襖絵は、いずれも東山魁夷が描いたものである。


   
               鑑真和上御廟入口

   
        鑑真和上御廟の敷地内から入口を望む

  
  鑑真和上御廟の敷地内           鑑真和御廟

唐招提寺の一番奥に、鑑真和上御廟がある。
新緑と、苔が美しい。


   
               唐招提寺の宝扇

              
              唐招提寺の御朱印

【大阪】 Jリーグ ガンバ大阪 vs コンサドーレ札幌 (万博記念競技場)

2008年06月29日 23時39分39秒 | スポーツ観戦
   

万博記念競技場で、ガンバ大阪とコンサドーレ札幌の試合を観戦。
雨上がりで湿度が高く、べとべとして気持ち悪い。



   
                 先発メンバー


          

「くいだおれ太郎」がキックインセレモニーに登場。
このあとは、「スタンドにて観戦予定」ということだが、どこにいたんだろう。


   

競技場の入口でいただいたプリッツ。
パッケージには、「くいだおれ太郎」とガンバ大阪のマスコットキャラクターの「GAMBA BOY」の絵が。
 
ガンバ大阪と「くいだおれ太郎」のコラボグッズも販売しているようだ。
くいだおれストラップ、くいだおれフェイスタオルがあるらしい。


   
            コンサドーレ札幌のサポーター

   
              ガンバ大阪のサポーター


試合は、4 - 2 でガンバ大阪の勝ち
首位へ勝ち点1差の4位。


          
            バレーと「くいだおれ太郎」

試合後も「くいだおれ太郎」は大人気。
「くいだおれ太郎」は、最近、バイトのしずぎのような気が……。
 

【京都】 石清水八幡宮

2008年06月28日 23時57分57秒 | 旅 - 京都府
本日の行程:(車) → 【石清水八幡宮】【淀城跡】 → 【與杼神社】【天王山】…(宝積寺)…(自玉手祭来酒解神社)…(大山崎町歴史資料館)【勝竜寺城公園】【長岡天満宮】【光明寺】【大原野神社】【勝持寺】【願徳寺】【善峯寺】【長岡宮跡】【桜井駅跡(楠木正成伝説地)】


仁和寺の法師にあらねど、年寄るまで、石清水を拝まざりしかば、
心うく覚えて、けふ思ひ立ちて、背の君を伴ひて、車よりまうでき。


   
           石清水八幡宮頓宮殿(極楽寺跡)

          
               高良神社の鳥居

   
               高良神社の境内


極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得で、「山まで見」たり。


          
                 二の鳥居

ケーブルで登ることもできるようだが、たいした距離ではなさそうなので、表参道を歩くことにした。 
二の鳥居から、坂道が始まる。


          
                  神馬舎

三の鳥居の手前に神馬舎がある。
2004年に、それまでいた神馬「彌櫻号」が亡くなったそうだけれど、その後は、ずっといないのかなあ。


  
       八幡御神矢              茅の輪くぐり

三の鳥居の近くには、八幡御弓矢があった。
石清水八幡宮は、武神、弓矢の神、戦勝の神として、源氏をはじめ、足利氏、徳川氏、今川氏など、多くの清和源氏、村上源氏が氏神として信仰していたという。

南総門の手前には、茅の輪があった。
これは、「夏越しの大祓」をするものであり、くぐることで、お正月から六月までの半年間の罪穢を祓うことができるそうだ。

輪の傍らにくぐり方が書いてあった。
「水無月の 夏越しの祓 する人は 千歳の命 延ぶといふなり」という和歌を唱えながら、八の字を書くように、左回り・右回り・左回りと、輪を三度くぐってみる。


   
               南総門(重要文化財)

   
           南総門から拝む楼門と本殿廻廊

南総門から楼門を拝むと、楼門が向かって左側に少しだけずれている。
神への畏敬の念が表れている。

現在、石清水八幡宮は平成の大修造中。
この楼門は、塗りな直されたばかり。


   
                仮本殿(若宮社)

   
                  若宮殿社

平成の大修造による、本殿の漆の塗りかえ工事はまだ終わっていないので、本殿の後方にある若宮社に、仮本殿が置かれていた。

若宮社の御祭神は仁徳天皇。
御神徳は、祈願成就・学業成就。
男性の守護神とされている。

若宮社の向かって右手にある若宮殿社の御祭神は、應神天皇の皇女。
御神徳は、祈願成就・心身健康。
女性の守護神とされている。


   
                エジソン記念碑

          
               エジソンの絵馬

エジソンは、炭素白熱電球を発明し、その発光体であるフィラメントに、石清水八幡宮境内の竹が最も適していると知り、発明の翌年から何十年もの間、この竹を用いた炭素電球を作ったという。
エジソンの炭素電球の実用化にこの竹が大きな役目を果たしたことから、電灯発明から50周年にあたる1934年に、この碑が建てられたらしい。

境内では、エジソンの絵馬も置いてある。
これはちょっとやりすぎじゃないかなあ。


          
                  涌峯塔

   
                涌峯塔の裏側

エジソン記念碑のすぐそばに、涌峯塔なる巨大な塔が建っている。
涌峯塔は、「YUHO TO」(正確には、3つの母音の上には、伸ばす記号が付いている)と読むらしい。
建物の名前のプレートはあったが、説明は一切なし。
裏側に回ると、頑丈そうな扉が付いている。
納骨でもするのかなあ。


          
            石清水八幡宮の御朱印


続きは後日。

今日の歩数:25,036歩
 


【京都】 三室戸寺

2008年06月27日 07時30分58秒 | 旅 - 京都府
6月8日(日)
当日の行程:(京阪・宇治駅) → 【平等院】【宇治神社】 → 【宇治上神社】【宇治市源氏物語ミュージアム】【三室戸寺】 → (京阪宇治バス・三室戸寺~JR宇治駅)…(JR・宇治駅~新田駅)…(徒歩)…(近鉄・大久保駅~西ノ京駅) → 【唐招提寺】 → (タクシー) → 【興福寺】


【三室戸寺】


  
         山門                 参道の石段

   
                山門の右手

山門をくぐると、庭園のあじさいが目に入る。
手前にはツツジが咲いている。
あじさいの見頃には、まだ少し早いかな。


  
        本堂                   阿弥陀堂

          
                 三重塔

本堂は、重層入母屋造。
本堂の前には、たくさんの蓮が植えられている。
案内板には、「7月より8月にかけて百種のハスが開花します」と書いてあった。
 
本堂の東側には、阿弥陀堂がある。
これは、親鸞の父日野有範の墓だという。
阿弥陀堂と鐘楼の間には、浮舟の古蹟がある。

三重塔は、兵庫県三日月町(現:佐用町)の高蔵寺にあったもの。


  
         鐘楼                 芭蕉の句碑

鐘楼の鐘は、誰でも撞くことができる。
訪れた日は、大勢の人が参拝していたので、長い行列。

参道の石段を登りきったところに、芭蕉の句碑がある。
 「山吹や 宇治の焙炉の 匂ふとき」


   
                  宝勝牛

本堂の前の「宝勝牛」の口の中には、石の玉が入っている。
これを撫でる(回せるようになっている)と勝運がつくそうだ。
「宝勝牛」の腹のあたりには、丸い覗き窓が空いていて、胎内に納められた牛の木像が見えるようになっている。
 
「こんなの、何の謂れもなく造ってるんだよ」と、牛の前で言っている初老の男性。
いえいえ、次のような謂れがあるようで。
昔、この辺りに住んでいた夫婦が、やっとのことで手に入れた牛が弱々しいので、
三室戸寺に連れて行っては境内の草を食べさせ、大切にしていたそうだ。
あるとき、牛が丸い「牛玉」を吐き出して、みるみるうちに元気になった。
その牛は闘牛で勝ち、夫婦は里一番のお金持ちになる。
その後、彼らは仏師に牛の木像を作らせ、その体内に「牛玉」を納めて、三室戸寺に奉納した、という言い伝えがあるそうだ。
ところで、前述の初老の男性だが、しっかりと「牛玉」を回し、「まあ、念のため」とつぶやいていた。
 

   
               運勝祈願の手形

「宝勝牛」の前には、横綱・若乃花、貴乃花の「運勝祈願の手形」がある。
若乃花関は、平成10年の春場所の前に三室戸寺で絵馬を奉納し、優勝したそうだ。
左側が若乃花、右側が貴乃花の手形である。
若乃花の手形のほうが、少しだけ小さい。


   
               枯山水の石庭

   
              池泉回遊式庭園

   
              庭園のあじさい

          
             庭園のあじさいと山門

三室戸寺には、枯山水の石庭と、池泉回遊式庭園がある。
それらの庭から山門のほうへと道なりに歩いていくと、あじさいが一面に敷き詰められていて、とても美しい。


          
              三室戸寺の御朱印

   
             三室戸寺のてぬぐい

   
           西国三十三所御詠歌のてぬぐい

【京都】 宇治市源氏物語ミュージアム

2008年06月26日 18時03分28秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
6月8日(日)
当日の行程:(京阪・宇治駅) → 【平等院】【宇治神社】 → 【宇治上神社】【宇治市源氏物語ミュージアム】【三室戸寺】 → (京阪宇治バス・三室戸寺~JR宇治駅)…(JR・宇治駅~新田駅)…(徒歩)…(近鉄・大久保駅~西ノ京駅) → 【唐招提寺】 → (タクシー) → 【興福寺】


今年は、源氏物語千年紀ということで、あちこちで展覧会やイベントが催されている。


          
           「祝 源氏物語千年紀」のお茶

展覧会やイベントだけではなく、ペットボトルのお茶までも千年紀を祝っている。
これは、宇治の自動販売機で見つけたもの。
「祝 源氏物語千年紀」と書かれたラベルには、土佐光則作といわれる「源氏絵鑑帖」の中から、宇治十帖の「橋姫」の絵巻が印刷されている。
販売者は、京都府茶協同組合。           
 

宇治の町を歩いていると、意識しなくとも、源氏物語にまつわるモニュメントが目に入ってくる。
そのうちから、いくつかを。

   
                 紫式部像

紫式部像は、宇治橋のたもと(平等院側)にある。


   
              宇治十帖モニュメント

宇治十帖モニュメントは、朝霧橋たもと、宇治神社の前にある。
浮舟と匂宮が小舟の上で愛を語り合う場面をモチーフとしているらしい。
後ろにある屏風には、薫君が透垣から二人の美しい姫君を見る「橋姫」の場面が描かれている。


   
               「早蕨」の古蹟

「早蕨」の古蹟は、宇治上神社の近くにある。


   
               与謝野晶子の歌碑

そのすぐそばの与謝野晶子の歌碑には、次のような歌が刻まれていた。
改行は歌碑のママ。

      橋姫
 しめやかに心の濡れぬ川ぎりの立舞ふ
 家はあはれなるかな

      椎が本
 朝の月涙の如し真白けれ御寺のか
 ねの水わたる時

      総角
 こころをば火の思ひもて焼かましと願ひ
 き身をば煙にぞする

      さわらび
 さわらびの歌を法師す君に似ずよき言
 葉をば知らぬめでたさ

      宿り木
 あふけなく大御女をいにしへの人に似よ
 とも思ひけるかな


  
      「総角」の古蹟             「浮舟」の古蹟

「総角」の古蹟は、宇治上神社から行くと、源氏物語ミュージアムの少し手前にある。
「浮舟」の古蹟は、三室戸寺の境内にある。

フィクションの世界を対象とした古蹟なので、もちろん、物語の登場人物が、そこに生きていたわけではない。
しかし、物語から得たヒントを手がかりに、その舞台を探し出すのは楽しいし、また、自分で探し出さないにせよ、古蹟と定められた場所から、物語や登場人物の匂いを探るのも、わくわくする作業だ。
 


【宇治市源氏物語ミュージアム】


   
           宇治市源氏物語ミュージアム  

宇治市源氏物語ミュージアムは、1998年にオープンしたばかりの新しい博物館だ。
光源氏の邸宅「六条院」の想像模型、実物大の牛車、平安時代の装束等、展示品は、『源氏物語』のことはもちろん、平安貴族の生活様式も再現していて、誰にでも分かりやすい。
映像展示室では、篠田正浩監督による約20分の短編映画「浮舟」が上映されている。
人形とCGを使った作品。
映像展示室は、かなり凝った造りだった。


ところで、最近、おつりで二千円札を受け取った。
お財布に二千円札が入るのは久しぶりだ。
千円札と間違えそうになるので、いつもならすぐに使ってしまうところだが、「宇治十帖」ではないけれど、「源氏物語絵巻」が印刷されているので、とっておこうと気まぐれをおこした。
思えば、10円玉の平等院鳳凰堂といい、一万円札の鳳凰といい、宇治は貨幣にエンのあるところだなあ。

【京都】 宇治神社・宇治上神社

2008年06月25日 07時37分27秒 | 旅 - 京都府
6月8日(日)
当日の行程:(京阪・宇治駅) → 【平等院】【宇治神社】 → 【宇治上神社】【宇治市源氏物語ミュージアム】【三室戸寺】 → (京阪宇治バス・三室戸寺~JR宇治駅)…(JR・宇治駅~新田駅)…(徒歩)…(近鉄・大久保駅~西ノ京駅) → 【唐招提寺】 → (タクシー) → 【興福寺】


  
     宇治川先陣の碑          宇治川の先陣争いの図

   
                  宇治川

   
              宇治川を詠んだ和歌

橘橋は、宇治川の平等院側の岸と中の島との間に架かっている。
対岸へ行くには、さらに、朝霧橋を渡らねばならない。
宇治川は広く、川の水は豊かだ。

中の島には、「宇治川先陣の碑」が建っている。
碑の解説文の下に、絵があった。
奥に描かれているのが名馬麿墨(するすみ)にまたがる梶原景季で、手前が頼朝から拝領した生喰(いけづき)にまたがる佐々木高綱か。
矢が飛び交うなか、馬でこの川を渡るのは、容易なことではなかっただろう。

宇治川の流れが速いのは、遠い昔から変わらないらしい。
対岸には、次のような、詠み人知らずの和歌の碑があった。

「宇治川は 淀瀬無からし 網代人 舟呼ばふ聲 をちこち聞ゆ」
 


【宇治神社】


  
       一の鳥居             宇治神社の御朱印

朝霧橋を渡り、すぐに目の前に、宇治神社の一の鳥居が建っている。


  
                   狛犬

この狛犬は、一の鳥居を入ったところにあるもの。
宇治神社の本殿外陣には、かつて木製の狛犬が置かれていた。
これは鎌倉時代のもので、宇治市指定文化財になっている。
現在は、宇治市歴史資料館に寄託しているらしい。


   
                 拝殿(桐原殿)

   
                 本殿拝所

拝殿の奥に二の鳥居があり、その向こうに本殿がある。 
本殿とそのなかに祀られている御神像は鎌倉時代のもので、重要文化財。



【宇治上神社】(世界遺産) 


  
        鳥居                    門

宇治上神社は、明治時代まで、宇治神社と二社一体だったらしい。
二社の距離も近く、歩いて5分程度だ。
 
境内は、決して広くはない。
門、これも大きなものではないのだが、その前に立てば境内の裏山まで見渡すことができるくらいである。


   
                拝殿(国宝)

拝殿は、鎌倉時代初期のもの。
現存する最古の拝殿だという。
 

   
                本殿(国宝)

本殿は、平安時代後期のもので、現存する最古の神社建築。
写真に写っているのは、覆屋で、この中に内殿が三棟ある。
中殿(中央)には応神天皇、左殿(向かって右)には菟道稚郎子を、右殿(向かって左)には仁徳天皇を祀っている。

参拝したとき、この本殿の前で玉虫色に輝くトカゲを見かけた。
不思議な気持ちになった。
ご利益がありそうで、思わず掌を合わせる。


  
        桐原水             宇治上神社の御朱印

「桐原水」は、「宇治七名水」のひとつ。
「宇治七名水」のうち、この「桐原水」だけが、現在も湧き続けている。
ただし、飲み水として使うには、煮沸等の処理が必要なようだ。

【京都】 広隆寺

2008年06月24日 07時42分01秒 | 旅 - 京都府
6月7日(土)
当日の行程:(JR二条駅) → (自転車) → 【二条城】【晴明神社】【北野天満宮】 → 【北野東向観音寺】【平野神社】【北山鹿苑寺(金閣寺)】【龍安寺】【仁和寺】【妙心寺】 → 【退蔵院】【広隆寺】




   
               講堂(重要文化財)

広隆寺の歴史は古く、603年に建立された山城最古の寺院だという。
秦河勝が聖徳太子から仏像を賜わり、これをご本尊として建立したと日本書紀に記されているらしい。

講堂は、「赤堂」ともいわれる。
柱が円柱で、朱を塗っているので、そう呼ばれるようだ。
本尊阿弥陀如来坐像(国宝)、地蔵菩薩坐像(重文)、虚空蔵菩薩坐像(重要文化財)が祀られている。


          
                  太秦殿

太秦殿では、太秦明神、漢織女、呉織女を祀っている。


   
              上宮王院太子殿(本堂)

上宮王院太子堂には、本尊聖徳太子立像を安置している。
開扉されるのは、毎年11月22日に行われる御火焚祭のときのみ。
この本尊は、秦河勝がこのお寺を建立した当時の聖徳太子の姿を写したものだという。
この像は、歴代天皇が即位式に着用した黄櫨染御袍(こうろぜんごほう)の束帯を着ている。


   
                 新霊宝殿 

新霊宝殿には、国宝第1号の弥勒菩薩半跏思惟像(「宝冠弥勒」)が安置されている。
聖徳太子が秦河勝に授けたのは、この仏像だとされる。
飛鳥時代の木造は樟で造られていたが、この像は赤松で造られていることから、朝鮮半島から渡ってきたものだともいわれる。
中宮寺の弥勒菩薩半跏思惟像と比べて、異国情緒を漂わせているような気がしたのはそのせいだろうか。

「宝冠弥勒」だけでなく、その隣に置かれたもう一躯の弥勒菩薩半跏思惟像(「泣き弥勒」)や、ほかの仏像もすばらしい。  
なかでも、見ていて時間を忘れるほどに惹かれたのは、不空羂索観音像(国宝)だ。
出会えてよかった、と思った。


          
               広隆寺の御朱印

【京都】 妙心寺・退蔵院

2008年06月23日 17時18分34秒 | 旅 - 京都府
6月7日(土)
当日の行程:(JR二条駅) → (自転車) → 【二条城】【晴明神社】【北野天満宮】 → 【北野東向観音寺】【平野神社】【北山鹿苑寺(金閣寺)】 【龍安寺】【仁和寺】【妙心寺】 → 【退蔵院】【広隆寺】



【妙心寺】


   
               三門(重要文化財)

          
               法堂(重要文化財)

妙心寺へは、北総門から入った。
三門があるほうとは逆の門だ。
石畳の道が続く。
左右には、塔頭寺院が並んでいる。
その数は48箇院にも及ぶ。
境内へは車輌が入れるようになっているが、なるほど、この広さなら、と納得した。

拝観できる場所は、法堂と浴室に限られている。 
しかも、自由に見て回るのではなくて、案内人に従っての拝観となる。

法堂では、鏡天井に描かれた、あの有名な「雲龍図」を拝む。
狩野探幽は、8年の年月をかけてこの天井画を完成させたという。
「八方にらみの龍」ともいわれ、どの場所に立っていても、龍の目が自分のほうを見ているように感じる。
じつに壮観だ。

ここでは、国宝の梵鐘も見ることができる。
「黄鐘調鐘(おうじきちょうかね)」ともいい、『徒然草』にも登場する。

「凡そ鐘の声は黄鐘調なるべし これ無常の調子祇園精舎の無常院の声なり…(中略)…浄金剛院の鐘の声また黄鐘調なり」(220段より)

妙心寺の国宝の鐘は、もとは浄金剛院(廃寺)にあったもの。
698年に鋳造されていて、現存する名鐘では、最古の梵鐘だという。
今では、突くと鐘が壊れる恐れがあるため、現役引退。
鐘の音色は、見学の際に、録音されたものを聞かせてもらえる。


          
                  浴鐘楼

   
                浴室(重要文化財)

浴室は、明智光秀の菩提を追善するために建立されたので、「明智風呂」とも呼ばれる。
お風呂が沸くと、浴鐘楼の鐘を鳴らして知らせていたようだ。
鐘楼は春日局の建立だが、のちに火災によって焼失し、現在あるものは、東山仁王門の信行寺にあった鐘楼を移築したもの。
移築した鐘楼も、春日局が寄進したものだといわれる。


  
      浴室(脱衣所)             浴室(蒸風呂)

          
                浴室(裏側)

   
                 浴室(釜)

浴室は蒸風呂になっている。
簀子板敷の隙間から蒸気が出てきて、正面の扉を開閉することで温度調節をする仕組み。


           
               妙心寺の御朱印

   
               妙心寺のてぬぐい



【退蔵院】


           
             大玄関(重要文化財)

退蔵院は、妙心寺の塔頭。
大玄関は唐破風造の変形で非常に珍しいといわれる。
方丈には、渡辺了慶(狩野光信の高弟)筆の襖絵がある。


   
               瓢鮎図(一部)

「瓢鮎図」は、足利義持の命により、如拙が描いた。
つるつるの瓢箪で、ぬるぬるしたなまずを捕まえるにはどうすればよいかという禅の公案を図示したものである。

通常、「なまず」は「鯰」と書くが、この文字は日本の文字であるため、「瓢鮎図」では、中国由来の「鮎」の字を当てている。

写真は、「瓢鮎図」の下半分。
上部には、全愚周崇、玉畹梵芳ら、五山文学の代表者たち31名による賛が書かれている。
国宝のオリジナルは、京都国立博物館に寄託されているため、退蔵院にあるものは、模造品である。


   
                  元信の庭

方丈の西側に、「元信の庭」がある。
室町時代の絵師で、狩野派の基礎を築いた狩野元信(狩野正信の子)が、作庭したもの。
枯山水庭園で、常緑樹が繁っている。


          
               退蔵院の御朱印

【滋賀】 長浜城(長浜市長浜城歴史博物館)

2008年06月22日 23時53分35秒 | 旅 - 滋賀県
本日の行程:(JR長浜駅) → 【長浜城(長浜市長浜城歴史博物館)】 → (JR長浜駅~彦根駅) …(車) → 【彦根城】【安土城跡と見寺】【園城寺(三井寺)】【近江大津宮錦織遺跡】【露国皇太子遭難之地】


【長浜城(長浜市長浜城歴史博物館)】

朝から雨。
小降りになるのを期待して、長浜へ向かった。


  
長浜城(長浜市長浜城歴史博物館)    長浜城本丸跡の碑

かつて、秀吉が築いた長浜城は、1615年に廃城となった。
現在、その地に建っているのは、1983年に復元されたもので、「長浜市長浜城歴史博物館」となっている。


  
       太閤井戸               豊臣秀吉公像

          
             長浜城天守閣跡の碑

   
               おかねさんの碑

琵琶湖のほとりに出ると、太閤井戸があった。
この井戸は、かつては長浜城内にあったそうだ。
秀吉築城時の長浜城は、現在復元されているものと比べ、湖面に張り出す形で建っていたらしい。

長浜城天守閣跡の近くには、豊臣秀吉公像が、そして、少し離れて、おかねさんの碑がある。
おかねさんの碑には、次のようにある。

『長浜城の天守閣跡といわれるこの地に、築城に際して人柱となった「おかね」さんの話が伝えられています。天正2年(1574)ごろ、長浜城が築かれることになりました。強固な城を築くための人柱として、長浜一の美女と評判の「おかね」さんが選ばれました。若くして聡明であった彼女は、けなげにも湖北地域一円の繁栄を願い、自らの命を捧げたというものです。「おかね」さんが眠るのは、この辺りといわれ、かつてこの北側にあった堀は、その縁もあり「おかね堀」と呼ばれていました。 平成16年3月吉日』


   
               北西側(竹生島)

歴史博物館は5階建。
1階は受付、2階と3階は展示室、4階は機械室と呈茶室、5階はパノラマ展望台になっている。

天候が悪かったが、北西には、竹生島が見えた。
長浜城築城の際には、竹生島から材木が運ばれたという。


   
              北側(賤ヶ岳合戦場)

北側には、賤ヶ岳合戦場をかすかに望むことができた。
北側を写した写真の左側に映っている三角形の山が「山本山」、その右側にあるなだらかな山が「賤ヶ岳」である。


   
                  東側

東側は、残念ながら、よく見えなかった。
東側を写した写真の、中央より右側にあるマンションの向こうあたりが「伊吹山」である。
その少し右手が、石田光成の出生地、さらに右にいくと、「関ヶ原の古戦場」がある。
マンションのすぐ左手は、小堀遠州の出生地にあたる。
「姉川合戦場」や「鉄砲の里」の国友町は、もっと左側だ。

先日は二条城で、そして昨日は清涼寺で、小堀遠州が造ったとされる庭を見たが、長浜が遠州のゆかりの地であることは知らなかった。
展示室には「小堀遠州像」(複製)もあり、その飄々とした風貌が意外だった。


   
                 石垣根石

石垣根石は、長浜城歴史博物館の敷地内、長浜城(模擬)の東側にある。


          
             長浜城御馬屋跡の碑

歴史博物館から長浜駅に向かう途中、 長浜城御馬屋跡の碑を見つけた。
今では、そこに、マンションが建っている。


続きは後日。

今日の歩数:21,293歩

【京都】 清涼寺

2008年06月21日 23時58分45秒 | 旅 - 京都府
本日の行程:(阪急電鉄・嵐山駅)…(自転車) → 【清涼寺】【大覚寺】【直指庵】【仏野念仏寺】【祇王寺】【滝口寺】【二尊院】【落柿舎】【常寂光寺】【野宮神社】【天龍寺】


   
              阪急電鉄・嵐山駅

          
                 保津川

天候が心配だったが、嵐山・嵯峨野方面に出かけた。
嵐山駅の照明器具は、お寺の吊燈籠のよう。
渡月橋から見る保津川は、昨夜の雨のせいか、水の勢いが激しい。
水面や山にかかる朝靄で、幻想的な雰囲気だ。



【清涼寺】


  
        仁王門         法然房源空二十四歳 求道青年像

          
                然上人の墓

清涼寺は、浄土宗の古刹で、「嵯峨の釈迦堂」とも呼ばれる。
ここは、源融の山荘「棲霞観」があった場所で、それを「棲霞寺」としたのがこの寺のはじまりだと伝えられる。
その後、釈迦如来像を安置するために然上人が「大清涼寺」の建立を計画し、その弟子が「清涼寺」を建立したという。
 
仁王門は、工事中。
昨年12月、酔っ払った男性が四駆で衝突し、壊されたのだ。
気になったので、昔の新聞で調べてみた。
男性がそのときの状況を覚えていないため、故意であるとは言えず、器物損壊容疑での立件は見送られたらしい。
最近、文化財が壊されたというニュースをよく聞く。
嘆かわしいことだ。

仁王門を入るとすぐ左手に、浄土宗を開いた法然上人の銅像がある。
本堂のほうへ進み、左手には、開山した然上人の墓も見える。


  
         鐘楼                秀頼公の首塚

鐘楼は、江戸時代のもの。
梵鐘には、文明16年11月吉日という日付けと、寄進者の足利義政、日野富子、足利義尚らの銘がある。

「秀頼公の首塚」には、大坂城の三の丸跡地の発掘現場から出土したものを、
清涼寺再興に縁があるこのお寺に納められたとされる。
首に介錯の跡があったそうだ。


   
                   本堂

   
                 枯山水庭園

本尊釈迦如来(国宝)は見ることができない。
本堂の裏手から、枯山水庭園へ。
この庭園は、小堀遠州作といわれる。


   
                阿弥陀堂

          
                源融公の墓

阿弥陀堂は、旧棲霞寺であり、本尊は阿弥陀三尊。
源融の供養のために、その子息が建立したものだという。
源融は、『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルであったとか。
源融のお墓も、境内にある。


   
                 一切経蔵

          
                  輪蔵

一切経蔵の正面には、傅大士(ふだいし)父子像が安置されている。
輪蔵に、明坂一切経が収めてあり、この輪蔵を一回転すれば一切経を読んだと同じ功徳が得られるそうだ。
回してみたけれど……どうだろう。


          
              清涼寺の御朱印

続きは後日。

今日の歩数:20,136歩