大倉草紙

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【京都】 俵と龍のコレクション-屋号にちなんだ菓子意匠と茶道具- (京菓子資料館)

2009年07月31日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
5月31日(日)
当日の行程:(阪急・茨木市駅…阪急バス・阪急茨木市駅~千提寺口) → 【クルス山】 → 【キリシタン遺物史料館】 → (阪急バス・千提寺口~阪急茨木市駅…阪急・茨木市駅~高槻市駅) → 【高槻カトリック教会】 → 【野見神社】 → 【高山右近天主教会堂跡】 → 【高槻市立しろあと歴史館】 → 【高槻城跡の碑】 → 【城跡公園】 → 【高槻市立歴史民俗資料館(旧笹井家住宅)】 → (阪急・高槻市駅~烏丸駅…京都市地下鉄・四条駅~今出川駅) → 【相国寺】【相国寺金閣銀閣名宝展-パリからの帰国-(相国寺承天閣美術館)】【薩摩藩邸跡】【俵と龍のコレクション-屋号にちなんだ菓子意匠と茶道具-(京菓子資料館)】【藤井右門宅跡】【室町幕府跡】【山名宗全邸宅跡】

 
京菓子資料館で、「俵と龍のコレクション」を観る。
会期は6月2日までで、すでに終わってしまっている。

京菓子資料館は、俵屋吉富本店の隣に建っている。
俵屋吉富に代々伝わる資料が揃っている。
「俵と龍のコレクション」では、俵屋吉富三代にわたる茶道具の収集品が展示されていた。
堂本印象の『多和羅』など、屋号の俵と関係のあるもの、また、代表的な銘菓「雲龍」になぞらえた龍の意匠を施した品が並ぶ。


門の意匠も龍だった。

【京都】 相国寺金閣銀閣名宝展-パリからの帰国- (相国寺承天閣美術館)

2009年07月30日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
5月31日(日)
当日の行程:(阪急・茨木市駅…阪急バス・阪急茨木市駅~千提寺口) → 【クルス山】 → 【キリシタン遺物史料館】 → (阪急バス・千提寺口~阪急茨木市駅…阪急・茨木市駅~高槻市駅) → 【高槻カトリック教会】 → 【野見神社】 → 【高山右近天主教会堂跡】 → 【高槻市立しろあと歴史館】 → 【高槻城跡の碑】 → 【城跡公園】 → 【高槻市立歴史民俗資料館(旧笹井家住宅)】 → (阪急・高槻市駅~烏丸駅…京都市地下鉄・四条駅~今出川駅) → 【相国寺】【相国寺金閣銀閣名宝展-パリからの帰国-(相国寺承天閣美術館)】【薩摩藩邸跡】【俵と龍のコレクション-屋号にちなんだ菓子意匠と茶道具-(京菓子資料館)】【藤井右門宅跡】【室町幕府跡】【山名宗全邸宅跡】


昨年、2008年は、日仏交流150周年だったのだそうだ。
また、京都・パリ友情盟約も50周年にもあたり、これを記念して、パリで「禅」の展覧会が開かれた。
その出展作品を中心とした展覧会。
見応えのある作品が並ぶ。


伊藤若冲 釈迦三尊像のうち『普賢菩薩像』


伊藤若冲 鹿苑寺大書院障壁画『月夜芭蕉図床貼付』


伊藤若冲 鹿苑寺大書院障壁画『葡萄小禽図床貼付』

伊藤若冲『竹虎図』も印象に残っている。
どうも、虎、猫、犬、鹿など、動物を描いたものに弱い。
若冲は、実物からの写生を重んじたが、虎がいなかったので、京都・正伝寺の『猛虎図』を参考にしたのだそうだ。

また、夕佳亭を再現した展示もよかった。
 
夕佳亭
夕佳亭周辺の風景を思い浮かべながら、観賞する。


相国寺承天閣美術館


相国寺承天閣美術館は、その建物や庭も美しい。

【大阪】 葛井寺

2009年07月29日 21時00分00秒 | 旅 - 大阪府
2月14日(土)
当日の行程:(車) → 【藤白神社】【和歌山県立海南高校】【紀三井寺】【雑賀城跡】 → 【鈴木孫一の墓(蓮乗寺)】【大阪府立近つ飛鳥博物館】 → 【敏達天皇陵】 → 【用明天皇陵】 → 【推古天皇陵】 → 【小野妹子の墓】 → 【科長神社】 → 【孝徳天皇陵】 → 【竹内街道歴史資料館】【上宮太子高校】【道明寺】【葛井寺】


四脚門(重要文化財)
7世紀に、百済から渡来した葛井(藤井)連の氏寺として建立されたといわれる。
葛井寺に着いたときはすでに夕方の5時を過ぎていた。
四脚門の脇の入口から、境内に入る。
四脚門は、慶長6年(1601)、に豊臣秀頼が再建したもので、葛井寺に現存する最古の建造物である。


本堂
本尊は、十一面千手千眼観世音菩薩。
毎月18日に開帳される。


護摩堂


観音堂


太子堂


紫雲石灯籠
聖武天皇が寄進したといわれる石灯籠。
本堂前にあるものはレプリカで、本物は損傷が激しいため、裏庭に保管されているという。


礎石
7世紀に、葛井氏の氏寺として創建された当時のものと伝わる。


さて、葛井寺(藤井寺)といえば、藤井寺球場。
近鉄ファンであった夫は、藤井寺球場の跡地にぜひ行ってみたいと言う。

跡地では、マンションの建設が進んでいた。
マンションのチラシをいただいてきた。
南側に翼を広げるようにして3つの棟ができるようだ。
中央の棟はセンターウイング、その両側にはライトウイングとレフトウイングが建つ。
購入者は、近鉄ファンだった人が多いのだろうか?

【大阪】 道明寺

2009年07月28日 21時00分00秒 | 旅 - 大阪府
2月14日(土)
当日の行程:(車) → 【藤白神社】【和歌山県立海南高校】【紀三井寺】【雑賀城跡】 → 【鈴木孫一の墓(蓮乗寺)】【大阪府立近つ飛鳥博物館】 → 【敏達天皇陵】 → 【用明天皇陵】 → 【推古天皇陵】 → 【小野妹子の墓】 → 【科長神社】 → 【孝徳天皇陵】 → 【竹内街道歴史資料館】【上宮太子高校】【道明寺】【葛井寺】


6世紀末、菅原道真の祖先・土師氏が氏寺である土師寺を建立したのが道明寺のはじまりだといわれる。
寺名が道明寺と改められるのは、道真の死後。
道真の号「道明」がその由来だという。


楼門


本堂
大正8年(1919)の再建。
菅原道長の手による本尊・十一面観世音菩薩立像(国宝)や試十一面観世音(重要文化財)が祀られている。
毎月18日と25日に開帳される。


護摩堂


太子堂

道明寺といえば、桜餅。
あれが桜餅であると知ったのは、1年ほど前のこと。
私が生まれ育った地域では、あれはあくまでも「道明寺」で、桜色のクレープ状の生地に餡を包んだものを「桜餅」と呼んでいる。
和菓子「道明寺」の起源は、道明寺にある。
道明寺の尼が保存食として作った、乾燥した糯米(糒ほしい)を挽いて粉状にしたものがその原型だという。


道明寺の御朱印

【大阪】 太子町

2009年07月27日 21時00分00秒 | 旅 - 大阪府
2月14日(土)
当日の行程:(車) → 【藤白神社】【和歌山県立海南高校】【紀三井寺】【雑賀城跡】 → 【鈴木孫一の墓(蓮乗寺)】【大阪府立近つ飛鳥博物館】 → 【敏達天皇陵】 → 【用明天皇陵】 → 【推古天皇陵】 → 【小野妹子の墓】 → 【科長神社】 → 【孝徳天皇陵】 → 【竹内街道歴史資料館】【上宮太子高校】【道明寺】【葛井寺】

叡福寺を訪れたとき、太子町をもっと観て回りたいと思った。
そこで再び太子町へ。

「和を以て貴しとなす」と書かれた太子町のマンホール


【近つ飛鳥資料館】

山の中に聳えるこの建物、かなり個性的。
安藤忠雄の設計。
中央付近の塔は、「黄泉の塔」というのだそうだ。
史跡公園になっていて、周囲の古墳を見学することもできる。
冬季特別展として、「百舌鳥・古市大古墳群展」が催されていた。
太子町には、古墳のほかに、天皇稜も数多くある。
それらをいくつか回ってみることにした。


【敏達天皇河内磯長中尾稜】



第30代敏達天皇は、572年に即位。
『日本書紀』には、死後は、母・石姫皇后の墓である磯長の稜に葬られたと記されているという。


【用明天皇河内磯長原稜】


第31代用明天皇は、『日本書紀』によると、磐余の池上の稜に葬られた後、推古元年(593)には、河内磯長稜に葬られたとされている。


【推古天皇磯長山田稜】



推古天皇稜は、長方墳で、内部には二つの横穴式石室があるとされている。


【小野妹子の墓】

小野妹子の墓は、科長神社(後述)の南側の石段を上ったところにある。


墓は、円形の土台で囲まれ、森のように木々が鬱蒼と繁っている。


小野妹子の墓


【科長神社】

科長神社は式内社。
由緒はよく分かっていない。
かつては、二上山上に鎮座していたらしい。
神功皇后の雛形の小さな兜が、社宝として納められている。


拝殿


本殿


【孝徳天皇大阪磯長稜】


孝徳天皇稜は、竹内街道から、丘を少し登ったところにある。




【竹内街道歴史資料館】

竹内街道資料館


「竹内街道」の道標


竹内街道(孝徳天皇稜の前)
竹内街道は、日本最古の国道(官道)。
推古天皇21年(613)に整備された「大道(だいどう)」がそのはじまり。
大阪府堺市から奈良県葛城市の長尾神社付近までの約26キロメートルの街道である。
外交や信仰や経済が、この道を通って発展していった。
館内では、竹内街道と太子町の歴史が紹介されている。

【和歌山】 雑賀城跡

2009年07月26日 21時00分00秒 | 旅 - 和歌山県
2月14日(土)
当日の行程:(車) → 【藤白神社】【和歌山県立海南高校】【紀三井寺】【雑賀城跡】 → 【鈴木孫一の墓(蓮乗寺)】【大阪府立近つ飛鳥博物館】 → 【敏達天皇陵】 → 【用明天皇陵】 → 【推古天皇陵】 → 【小野妹子の墓】 → 【科長神社】 → 【孝徳天皇陵】 → 【竹内街道歴史資料館】【上宮太子高校】【道明寺】【葛井寺】

【雑賀城跡】

雑賀城があった妙見山。
妙見山上にあったため、「妙見山城」とも呼ばれる。
雑賀城を築いたのは、雑賀衆の頭領の鈴木重意(しげおき)。
鈴木佐大夫とも呼ばれる。


妙見山の山頂には、妙見山が建っている。
ここは養珠寺の境内地で、この鳥居の向く先には、妹背山の海禅院多宝塔があるそうだ。


妙見堂
見晴らしがよく、キャンバスに向かって絵を描いている人の姿も。



千畳敷
千畳敷に城を構え、東側には侍屋敷、西側には町屋があったという。


【鈴木孫一の墓(蓮乗寺)】

和歌山市平井の蓮乗寺に、鈴木孫一のお墓があるというので行ってみた。
鈴木孫一は、雑賀党の頭領で、石山合戦で活躍したことで知られる。
雑賀孫一、平井孫一とも呼ばれる。
ではいったい誰が孫一なのか?
雑賀城を築いた鈴木重意(佐太夫)であったという説、鈴木重朝であったという説、鈴木重秀であったという説があり、特定されてはいない。


鈴木孫一のお墓

 
銘文によれば、天正17年(1589)建立の墓碑を、蓮乗寺九世住職正因が、天保3年(1832)に建て替えたものである。

【和歌山】 紀三井寺

2009年07月25日 21時00分00秒 | 旅 - 和歌山県
2月14日(土)
当日の行程:(車) → 【藤白神社】【和歌山県立海南高校】【紀三井寺】【雑賀城跡】 → 【鈴木孫一の墓(蓮乗寺)】【大阪府立近つ飛鳥博物館】 → 【敏達天皇陵】 → 【用明天皇陵】 → 【推古天皇陵】 → 【小野妹子の墓】 → 【科長神社】 → 【孝徳天皇陵】 → 【竹内街道歴史資料館】【上宮太子高校】【道明寺】【葛井寺】


楼門(重要文化財)
紀三井寺は、宝亀元年(770)、唐僧・為光上人によって開基された。
正式な寺名は「紀三井山金剛宝寺護国院」。
山内から3つの霊泉(清浄水・楊柳水・吉祥水)が湧き出ることから、「紀三井寺」と呼ばれるようになったのだという。


楼門の先にある石段。
かつて、ここにあった坂は「結縁坂」と呼ばれていたらしい。
この坂の名のいわれについては、前回訪れたときのこちらの記録を。


石段の途中にある芭蕉の句碑。
「見上ぐれば桜しもうて紀三井寺」


清浄水
紀三井寺という呼び名の由来にもなっている「清浄水」。


本堂
宝暦9年(1759)建立。


仏殿
松本明慶作の大千手十一面観音菩薩が祀られている。
その大きさに驚く。


六角堂


鐘楼(重要文化財)


開山堂


多宝塔(重要文化財)


春子稲荷
「凡そ四百年の昔、天正十三年織田信長羽柴秀吉による紀州征伐六万の大軍は根来寺、粉河寺を焼き打ちにし、紀三井寺に迫った。
丁度その頃当山観音堂に仕えていた春子という二十五才位の美女が突然須弥壇のなかゝら白狐の姿となり、身をひるがえして敵の軍営に赴き、霊力をもって武将を威服し、先鋒の将羽柴秀長から『焼討ち禁制』の書状を得て、紀三井寺及び在所を戦火から救った。
人々は危難除け春子稲荷としてこゝに祀った。」(案内板より)


文塚
届先不明となった郵便物の供養塔。
80円切手が貼られているが、郵便料金が変わる度に貼り替えられてきたのだろうか。


紀三井寺の御朱印

【和歌山】 藤白神社

2009年07月24日 21時00分00秒 | 旅 - 和歌山県
2月14日(土)
当日の行程:(車) → 【藤白神社】【和歌山県立海南高校】【紀三井寺】【雑賀城跡】 → 【鈴木孫一の墓(蓮乗寺)】【大阪府立近つ飛鳥博物館】 → 【敏達天皇陵】 → 【用明天皇陵】 → 【推古天皇陵】 → 【小野妹子の墓】 → 【科長神社】 → 【孝徳天皇陵】 → 【竹内街道歴史資料館】【上宮太子高校】【道明寺】【葛井寺】


藤白神社は、斎明天皇が牟婁の湯に行幸の折、この地を訪れて創建したといわれる。


ここは、熊野三山の入口とされる。
上に挙げた写真の鳥居とは別の、駐車場に面して建っている鳥居の傍らには、このような石碑がある。
「三熊野一の鳥居
 これより熊野路のはじめ」と刻まれている。


社務所
この奥に、拝殿がある。


残念ながら、ウチは「鈴木さん」ではない。
社務所で、鈴木さんへのお土産として「鈴木さんせんべい」を購入。


拝殿


藤白王子権現本堂


聖皇三代重石
宇多・花山・白河三上皇の熊野御幸を記念して建てられたもの。


御歌塚
建仁元年(1201)、後鳥羽上皇の熊野御幸の際に催された藤白王子和歌会の熊野懐紙が納められているという。


芭蕉翁藤塚


子守楠神社
樹齢1000年といわれる大きな楠の手前に小さく見えるのが、子守楠神社。
古くから、子守の宮として信仰されていた。
南方熊楠のように、この神様から楠・熊・藤等の名前を授かる人が多いという。


有間皇子神社
「今から千三百数十年前、孝徳天皇の皇子であった有間皇子は皇位継承をめぐる複雑な争いの中で、十九才の若さで散っていった悲運な方です。政敵であった中大兄皇子が蘇我赤兄をさそい有間皇子に天皇に謀反をすることをすすめました。うまく、わなにかかった皇子はその釈明のため牟婁(白浜)の温泉にいる斉明天皇のところに参り、その帰路この藤白坂で絞殺されてしまったのです。
 途中で皇子の詠まれた
『家にあら(れ)ば笥(け)に盛る飯(いい)を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る』
『磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた還り見む』
の二首が万葉集にのせられていますが絶唱としてひとびとの涙をさそいます。
 ここから二〇〇メートル西の藤白坂の上り口に、皇子之墓と佐佐木信綱博士揮毫の歌碑がありますが、有間皇子神社はその御魂をお祀りしています。(以下略)」(案内板より)


藤白神社の御朱印


有間皇子が絞殺されたという藤白坂へ行ってみた。



有間皇子の墓と歌碑
「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」


藤白神社を挟んで、藤白坂とは反対の方角には、鈴木屋敷が残っている。

「ここは、鈴木姓の元祖とされる藤白の鈴木氏が住んでいた所です。
 平安末期ごろ、上皇や法皇の熊野参詣がさかんとなり、熊野の鈴木氏が、この地に移り住んで、熊野三山への案内役をつとめたり、この地を拠点として熊野信仰の普及につとめていました。
 なかでも、鈴木三郎重家や亀井六郎重清は有名で、源義経の家来として衣川館(ころもがわのたて)で戦死を遂げたと伝えられています。
 また、重家・重清らが幼少の頃、牛若丸(源義経の幼名)が熊野住還には必ずこの屋敷に滞在し、山野に遊んだとも伝えられています。
 平成十六年十月 海南市教育委員会」

【三重】 高山神社

2009年07月23日 21時00分00秒 | 旅 - 三重県
7月20日(月)
当日の行程:(車) → 【高山神社】【津城】【伊勢上野城跡】【神戸城】【大黒屋光太夫記念館】 → 【心海寺(磯吉の菩提寺・大黒屋家の菩提寺)】 → 【大黒屋光太夫らの供養碑】 → 【宝祥寺(小市の供養碑)】 → 【白子新港(大黒屋光太夫出帆の地)】【伊賀亀山城】【関宿旅籠玉屋歴史資料館】 → 【関まちなみ資料館】【芭蕉翁生家】 → 【芭蕉翁記念館】【伊賀流忍者博物館】【伊賀上野城】【蓑虫庵】【鍵屋ノ辻】【御斎峠】【多羅尾陣屋跡】 


高山神社は、津城址に鎮座している。
祭神は、藤堂高虎。
「寒松院殿前伊州羽林道賢高山権大僧都」という藤堂高虎の法号がこの神社の名前の由来だそうだ。


社殿


奉納されているお酒の名前は「高虎」。


高山神社の御朱印


当日の歩数:11,660歩

【三重】 伊勢神宮

2009年07月22日 21時00分00秒 | 旅 - 三重県
7月19日(日)
当日の行程:(車) → 【伊勢神宮(外宮)】【猿田彦神社】【伊勢神宮(内宮)】【尾崎咢堂記念館】【田丸城】【斎宮歴史博物館】 → 【いつきのみや歴史体験館】 → 【斎王の森】【三井家発祥地】【松阪商人の館】【本居宣長旧宅跡】 → 【本居宣長記念館・鈴屋】【松阪市立歴史民俗資料館】【松阪城】【新上屋跡】 → 【本居宣長・春庭の墓(樹敬寺)】【御城番屋敷】【北畠神社】【霧山城】 → (津泊)

2007年の大晦日に伊勢神宮を詣でた。
その時とは、季節も時間帯も異なるので、受ける印象もだいぶ違う。


前日は、伊勢に宿泊した。
たまたま伊勢神宮奉納の花火大会の日で、やっとのことで宿を取れた。
せっかくだからと花火を見に行ってみたけれど、人ごみに疲れてすぐに帰ってきてしまった。
浴衣姿が気になる。
奇抜なデザインや着こなしが流行っているのだろうか。
ファッション性に富むことが悪いとは思わないが、あまり美しいと思えない姿が目立った。

さて、翌朝は早めに出たつもりだが、伊勢神宮の駐車場は車でいっぱい。
ナンバープレートを見れば、津々浦々から集まってきている。

【外宮】

火除橋を渡ると、一の鳥居がある。


朝の参道は気持ちがいい。
空気が澄んでいる。


正宮


次期式年遷宮御敷地
持統天皇6年(692年)に第1回が行われて以来、1300年に渡って受け継がれてきた式年遷宮。
平成25年には、62回目の遷宮が行われる。


土宮


風宮


多賀宮


外宮の御朱印


【内宮】

大鳥居
大鳥居の向こうに架かっているのは、宇治橋。


宇治橋の上からの眺め


式年遷宮に伴う宇治橋の架替え工事が進められている。
新しい宇治橋は、今年の11月3日から通行開始とのこと。


御手洗場


神楽殿


正宮


式年遷宮御敷地


御稲御倉(みしねのみくら)


外幣殿


荒祭宮


大山祇神社


子安神社


内宮の御朱印
夫は、4日前にも伊勢神宮を訪れている。
内宮の御朱印は、その時にいただいたもの。


【内宮周辺】

おはらい町通り
「ひもの塾」の干物は、美味しい。


おかげ横丁で、みかんジュースを飲む。
歩いているだけでも楽しめる。


これは、現在、東京国立博物館・平成館で開かれている『伊勢神宮と神々の美術』のチラシ。
9月6日までが東京で、その後9月19日からは大阪歴史博物館に巡回。
行きたいけれど、どちらも日程的に微妙だなあ。


当日の歩数:23,158歩