大倉草紙

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わすれてる

2013年08月26日 08時10分45秒 | 雑記
久々に、ログインしようとしたが、何もかもわすれている。
パスワードも、書きかたも。
まあ、これは実験。

【東京・千代田区】 福島、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉産の野菜を応援しよう!! (自民党本部9F)

2011年04月04日 21時00分00秒 | 

今日のお昼ご飯は自民党本部で。
あ、私は職員でも党員でもない。
現在、風評被害に苦しむ産地の野菜を使ったメニューが並んでいる自民党本部の食堂は、誰でも利用することができる。


食堂(レストラン?)入口


注文したのは、「野菜カレーとサラダセット」。
サラダに使われているレタスは茨城産、トマトは栃木産、きゅうりは群馬産。

営業時間は11時30分~13時30分。
メニューは自民党のホームページに載っている。
そのほかにも、交通会館1階と東京国際フォーラム中庭で、「福島県産野菜・果実即売会」が開かれているそうだ。
日時は4月4日(月)~5日(火)11時~18時。
明日、時間があったら行ってみようと思っている。

【日光街道】 10日目(大沢~上今市) その2

2011年03月27日 21時00分00秒 | 街道をあるく
1月10日(月)

10日目(大沢~上今市)その1の続き


(09:20)
前日は今市泊。
大沢交差点の近くまで、宇都宮行きのバスで戻る。
ここから出発。


(09:25)
王子神社には、大いちょうがある。


【日光街道】 10日目(大沢~上今市) その1

2011年03月26日 21時00分00秒 | 街道をあるく
1月10日(月)

9日目(宇都宮~大沢)その5の続き


(09:20)
前日は今市泊。
大沢交差点の近くまで、宇都宮行きのバスで戻る。
ここから出発。


(09:25)
王子神社には、大いちょうがある。


(09:25)
「王子神社の大いちょう
  樹高  三五・五メートル
  目通り  三・四メートル
 王子神社は旧大沢宿の鎮守であり、鎌倉時代にさかのぼる古い創建伝承をつたえている。
 しかし、旧大沢宿は、日光東照宮の成立、日光道中の整備後に開かれた宿駅なので、宿駅の整備ののちに社殿も整えられたものと思われ、この木もそのころ植えられたものであろう。推定樹齢約二〇〇年というのも、このことを示している。
 この木は雌株の巨樹で、毎年多数の銀杏(ぎんなん)を生ずる。
   昭和五十年十月  日光市教育委員会」(案内板より)


(09:40)
王子神社から奥へ、山へ続くような道を進むと、龍蔵寺がある。


(09:40)
龍蔵寺は、六尺藤で有名らしい。
花の季節には、さぞかし美しいことだろう。


(09:49)
街道に戻る。
このあたりから、杉並木が始まる。


(09:51)
大沢の古杉
戊辰戦争で、大沢の斎藤縫蔵と板橋の由五郎が幕府軍の間諜を働いたかどで処刑された場所なのだそうだ。


(09:52)
大沢の古杉の向かいには、八坂神社がある。
この神社の鳥居前に八坂の枝喰い杉といって、2本の杉の根の部分が癒着した杉があるというのだが、どれのことなのか分からなかった。


(09:55)
大沢の四本杉

周りは杉だらけ。
花粉症の人は痒くなりそうだ。

つづく

水のこと

2011年03月25日 21時00分00秒 | 雑記


大地震からきょうで2週間。
被災地の様子が、毎日テレビで流れる。
改めて、心よりお見舞い申し上げます。

首都圏は不自由なことはあるが、贅沢は言っていられない。
昨日は東京都の金町浄水場から乳児向けの暫定規制値を超える放射性ヨウ素131が検出されたと報じられた。
すぐさま、スーパーやコンビニ、それから自販機からも水が姿を消した。
普段から飲み水用にはペットボトルの水を購入していたのだが、こんなときなので、買いあさるわけにはいかない。
まあ、買いあさりたくとも、店頭にないのだが。
何かあったときのために、たまたま最寄りの自販機に残っていた300ミリリットルのエビアンを2本購入した。

でも……いまの水道水を飲むよりも、たばこの煙を吸うほうが身体に悪いのでは、と思うのだが。

【日光街道】 9日目(宇都宮~大沢) その5

2011年03月24日 21時00分00秒 | 街道をあるく
1月9日(日)

9日目(宇都宮~大沢)その4の続き


(15:31)
二宮尊徳の監督のもとにつくられた石那田堰には、記念碑と二宮尊徳像が建っている。


(15:31)
石那田堰の二宮尊徳像


(15:46)
石那田八坂神社


(15:48)
金勢様
右手の土手の上、分かり辛い場所にある。


(16:20)
しばらく歩く。
交通量は少なく、暗くなりかけてくると心細い。
やがて、左手奥に、うらない仏が見えてくる。


(16:20)
うらない仏の前には、石が3つ置いてある。
石仏に願いをかけたあとに石を持ち上げて、軽く感じたならば願いが叶うという。


(16:27)
新渡(にわたり)神社


(16:29)
新渡神社の向かいに上小池の一里塚があるはずだが、場所がはっきりしない。
このあたりか?


(16:32)
ようやく日光市に入る。
もう真っ暗。
近くに鉄道の駅はないので、バスで今市まで行って宿泊することにした。
今市方面のバスは街道沿いを走っているので、バス停があるたびに時刻をチェックしながら、歩けるところまで歩いた。


(17:02)
「大沢」の交差点。
この日はここまで。


(17:04)
下大沢の停留所。
時刻表によればすぐにバスが来るはずなのに、かなーーーり待った。
それまでのバスは、定刻通りに走っていたのになあ。
日光街道を歩いた11日のうちで、一番歩いた日だった。

つづく

【日光街道】 9日目(宇都宮~大沢) その4

2011年03月23日 21時00分00秒 | 街道をあるく
1月9日(日)

9日目(宇都宮~大沢)その3の続き


(14:44)
徳次郎六本杉
道の中央に並んでいる。


(14:52)
大綱町道標


(14:56)
二宮尊徳が設計した宝木用水をさがす。
ここでいいのかな? あまり自信がないが。


(15:05)
景色がとてもよい。
山に見えると、落ち着くなあ。


(15:18)
六本木(石那田)の一里塚
これは、進行方向に向かって右手にあるが、左手には、碑や十九夜塔が建っている。


(15:19)
日光街道植樹記念碑


(15:20)
十九夜塔


(15:20)
開墾記念碑

つづく






【日光街道】 9日目(宇都宮~大沢) その3

2011年03月22日 21時00分00秒 | 街道をあるく
1月9日(日)

9日目(宇都宮~大沢)その2の続き


(14:04)
高林谷の一里塚を過ぎ、そのまま直進すると、道の中央の植え込みの中に大谷道の道標がある。


(14:18)
薬師堂の石仏
文化元年(1804)に建てられたもの。
向かって右側の馬頭観音には、「右 山道 左 氏家 白沢道」と刻まれている。


(14:22)
徳次郎城跡の案内が出ていたので、行ってみた。


(14:23)
このあたりか?


(14:30)
再び日光街道を行く。
「中徳次郎」交差点の手前に、田中道の道標がある。
この道標の向かい側には、中徳次郎宿の本陣中徳次郎宿の問屋場があったそうだ。


(14:39)
しばらく行くと、右手に大きなケヤキの木が見えてくる。
智賀都神社の長寿乃夫婦欅だ。


(14:42)
智賀都神社の拝殿。

つづく

【日光街道】 9日目(宇都宮~大沢) その2

2011年03月21日 21時00分00秒 | 街道をあるく
1月9日(日)

9日目(宇都宮~大沢)その1の続き


(11:30)
国立栃木病院の門を入ってすぐのところに、宝の木がある。
「本木は寛文十年頃、今より約三百五十年前、現在の宝木地区の一部に六軒と呼ばれた集落が有り、ここに広さ約一〇〇メートル、高さ約四メートルの古墳のような大塚があり、そこに老木があった。
名の知れぬままに当時の住民は『宝の木』と呼んでいた。
明治五年土地区制が施行され、六軒付近の十集落が併合され、この老木『宝の木』の名称に因んでこの地区を宝木村と称した。(以下略)」(案内板より)


(12:02)
その先、桜並木を過ぎたあたりに、上戸祭の一里塚がある。
こちらは、左手に見える一里塚。
江戸(日本橋)から28里の地点だ。


こちらは反対側。
この上戸祭の一里塚は、昭和58年に修復されたのだそうだ。


(12:31)
光明寺


(12:32)
光明寺本堂。
光明寺は、徳川将軍日光社参の際の休憩所として使われたそうだ。

光明寺の向かい側の路地のどこかに静桜と呼ばれる桜があるというので探してみたが、見つからなかった。
そのまま街道を進む。


(13:54)
やがて東北自動車道が見えてくる。
東北自動車道の手前に、高谷林(こうやばやし)の一里塚がある。
江戸(日本橋)から29里。

つづく

【日光街道】 9日目(宇都宮~大沢) その1

2011年03月20日 21時00分00秒 | 街道をあるく
1月9日(日)

8日目(石橋~宇都宮)その6の続き

前日、都内に用事で戻っていた夫と宇都宮駅で待ち合わせた。
前日回ったところで、気になっていた場所があった。
宇都宮宿本陣跡(上野)には大銀杏の木があるというのだが、どこにあるのか分からなかったのだ。
そこで、もう一度見に行ってみることにした。


(10:07)
これかなあ?


(10:20)
少し戻るが、下野国一の宮二荒山神社を詣でる。


(10:22)
長い石段の上に神門がある。


(10:23)
二荒山神社拝殿


二荒山神社の御朱印


(10:56)
本陣跡の近くにある日光街道と奥州街道の追分まで戻り、日光街道を進む。
すぐに左手に宝勝寺がある。


(10:57)
宝勝寺の先、信号の手前あたりが下戸祭一里塚のあった場所なのだが、この辺りか?
一里塚であったことを示すものは何もない。


(10:58)
蒲生君平の墓がある桂林寺


(10:59)
桂林寺の本堂。


(11:02)
桂林寺境内にある蒲生君平の墓
高い木が目印である。


(11:02)
お墓を近くで見ると、こんな感じ。

つづく