12月1日(月)
当日の行程:(伊丹空港~福岡空港…福岡市地下鉄・福岡空港駅~博多駅…JR・博多駅~小倉駅) → 【森鴎外京町住居跡碑】 → 【森鴎外旧居】 → 【常盤橋】 → 【鴎外橋】 → 【森鴎外の碑】 → 【八坂神社】 → 【小倉城庭園】 → 【小倉城】 → 【松本清張記念館】
八坂神社は、元和3年(1617)、細川忠興によって小倉藩の総鎮守として創建された。
小倉城に隣接している。
鳥居の柱のあたりに見えるふたつの石は、「中津口門の大石」といわれるもの。
次のような説明があった。
「後方にある二基の大石は江戸時代、古船場の中津口門の石垣で、細川忠興が慶長7年(一六〇二)に小倉城を築くとき大谷から運んできた。大石は上富野で動かなくなり、忠興は頭の富岡某を手討ちにしたので、石は勢いよく運ばれた。村人は富岡を哀れみ地蔵堂を建て供養した(現在この富岡地蔵は、安全寺に安置されている)。
これを聞いた小笠原四代藩主忠総は『二つに割って運べば命まで奪われずにすんだ。石の大小は勝負にかかわらぬ』と言ったという。これを『細川の大石』『小笠原の割石』といった。
明治になり中津や築上の青年が多数小倉に来た。門を入る時、大石をにらむと成功すると言われ一心ににらんだ。『大石にらみ』という。
中津口門を解体した明治三十四年に、藤井吉が三本松の高倉稲荷神社に大石を移した。平成十二年に高倉稲荷は八坂神社に合祀されたので石も移した。
小倉北区役所」
正面の楼門
東の楼門
手水舎には、ふくろうが。
拝殿
7月には祇園祭が開かれる。
祇園祭というと京都の八坂神社が頭に浮かぶが、こちらの祇園祭も「無法松の一生」で有名になった。
小倉駅前には、祗園太鼓の像もある。
八坂神社の御朱印
当日の行程:(伊丹空港~福岡空港…福岡市地下鉄・福岡空港駅~博多駅…JR・博多駅~小倉駅) → 【森鴎外京町住居跡碑】 → 【森鴎外旧居】 → 【常盤橋】 → 【鴎外橋】 → 【森鴎外の碑】 → 【八坂神社】 → 【小倉城庭園】 → 【小倉城】 → 【松本清張記念館】
八坂神社は、元和3年(1617)、細川忠興によって小倉藩の総鎮守として創建された。
小倉城に隣接している。
鳥居の柱のあたりに見えるふたつの石は、「中津口門の大石」といわれるもの。
次のような説明があった。
「後方にある二基の大石は江戸時代、古船場の中津口門の石垣で、細川忠興が慶長7年(一六〇二)に小倉城を築くとき大谷から運んできた。大石は上富野で動かなくなり、忠興は頭の富岡某を手討ちにしたので、石は勢いよく運ばれた。村人は富岡を哀れみ地蔵堂を建て供養した(現在この富岡地蔵は、安全寺に安置されている)。
これを聞いた小笠原四代藩主忠総は『二つに割って運べば命まで奪われずにすんだ。石の大小は勝負にかかわらぬ』と言ったという。これを『細川の大石』『小笠原の割石』といった。
明治になり中津や築上の青年が多数小倉に来た。門を入る時、大石をにらむと成功すると言われ一心ににらんだ。『大石にらみ』という。
中津口門を解体した明治三十四年に、藤井吉が三本松の高倉稲荷神社に大石を移した。平成十二年に高倉稲荷は八坂神社に合祀されたので石も移した。
小倉北区役所」
正面の楼門
東の楼門
手水舎には、ふくろうが。
拝殿
7月には祇園祭が開かれる。
祇園祭というと京都の八坂神社が頭に浮かぶが、こちらの祇園祭も「無法松の一生」で有名になった。
小倉駅前には、祗園太鼓の像もある。
八坂神社の御朱印