大倉草紙

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【京都】 後一條天皇菩提樹院陵・後冷泉天皇皇后章子内親王菩提樹院陵

2010年02月28日 21時00分00秒 | 旅 - 京都府
2008年7月20日(日)




(京都府京都市左京区吉田神楽岡町)

後一条天皇は一条天皇と母・彰子(藤原道長の娘)の第二皇子。
8才で即位する。
祖父藤原道長を摂政とし、続いて藤原頼道を摂政、のちに関白とした。
長元9年(1036)、病のため26才で崩御。
遺詔により喪を秘して皇太弟に譲位したといわれる。
神楽岡の東辺で火葬後、遺骨は浄土寺に安置され、火葬所の跡に天皇の供養のための伽藍が建てられ、これを菩提樹院と号す。
のちに菩提樹院は荒廃してし、明治22(1889)年、現在地に菩提樹院陵が定められた。
後一条天皇の皇女・章子内親王陵と同域である。

【大阪】 大阪府立貿易館跡・大阪府立貿易専門学校発祥の地

2010年02月27日 21時00分00秒 | 旅 - 大阪府
2008年6月16日(月)


(大阪府大阪市中央区本町橋2-5)
大阪府立貿易専門学校は、貿易実務や国際ビジネスについて学ぶ大阪府立の2年制の専修学校。
平成16年(2004)、廃校になった。
この碑は、昭和23年(1948)、1年制の各種学校として大阪高等貿易講習所が建てられた場所にある。
当時、日本で唯一の公立の貿易実務分野の専修学校であったそうだ。
またこの地は、大阪府立貿易館の建っていた場所でもある。

【京都】 じぇいあーるおぐら

2010年02月25日 21時00分00秒 | 旅 - 京都府
2008年6月8日(日)


(京都府宇治市小倉町中畑48-1)
宇治から奈良方面へ向かう途中、駅の車中から撮った一枚。
強烈だったので。
近鉄京都線の小倉駅(おぐらえき)や、JR西日本の小倉駅(こくらえき)と区別するために、このような駅名になったとか。
調べれば、JR難波(じぇいあーるなんば)やJR藤森(じぇいあーるふじのもり)等々、他にも結構あるみたいだ。

JRではないが、京急にはYRP野比駅(わいあーるぴーのびえき)がある。
YRPとは、「横須賀リサーチパーク」の略なのだそうだ。

【京都】 禁裏道場蹟

2010年02月24日 21時00分00秒 | 旅 - 京都府
2008年6月8日(日)


(京都市上京区今出川通千本東入北側)

嘉楽中学校前に建っている。
現在の般舟院は、嘉楽中学校の東側にあるが、かつてはこの碑が建っているあたりも含め、広大な敷地を持っていた。
当時は、御所の法会を行う「禁裏道場」であり、歴代天皇の位牌が安置されていた。
江戸時代以降、その地位は泉涌寺に移り、明治維新後は、歴代天皇の位牌も移され、境内地も狭められたそうだ。

【京都】 後土御門天皇後宮 贈皇太后朝子 般舟院陵

2010年02月23日 21時00分00秒 | 旅 - 京都府
2008年6月8日(日)


(京都府京都市上京区般舟院前町)

後土御門天皇後宮
贈皇太后朝子
般舟院陵

後花園天皇分骨所
後花園天皇後宮嘉楽門院藤原信子墓
後土御門天皇分骨所
後奈良天皇分骨所
後土御門天皇皇子尊伝親王墓
後柏原天皇後宮豊楽門院藤原藤子墓
後水尾天皇皇子高仁親王墓
後水尾天皇皇女菊宮墓
後光明天皇皇女孝子内親王墓
後西天皇皇女女二宮墓
櫻町天皇皇女盛子内親王墓
光格天皇皇子礼仁親王墓
光格天皇皇女寿賀宮墓


門が閉ざされていて、中の様子は分からない。
平日は開いているのだとか。

【東京・千代田区】 イノダコーヒ 大丸東京支店

2010年02月22日 21時00分00秒 | 
2月21日(日)


アラビアの真珠(ミルク入り)
京都のイノダコーヒで「京の朝食」を味わって以来、アラビアの真珠ばかり飲んでいる。
ミルクとお砂糖を入れたものがお勧め、とメニューには書いてあったが、普段からお砂糖を入れて飲むことに慣れていないので、今回はミルクのみ入れて飲んでみた。
ブラックのほうが美味しいような気がするなあ。


レアチーズケーキを注文する。
お昼を食べた後だったので、ふたりでひとつ。
何も言わなかったのだけれど、ふたりで分けるようにフォークをふたつ付けてくれた。


コロンビアのエメラルド(ブラック)
夫が注文したのは、コロンビアのエメラルド。
美味しいけれど、やはりアラビアの真珠のほうが好み。

狭い店内はほぼ満席。
京都本店のように、隣の席が気にならないような空間は、デパートの中の喫茶店では無理か。

メニューを見ると、大丸東京支店でも「京の朝食」を楽しめるようだ。
多少中身は違っていて、ソーセージが付いている。
味は一緒なのか試してみたいけれど、今日はお腹がいっぱいなので、またいずれ。

【東京・千代田区】 味噌や

2010年02月21日 21時00分00秒 | 


西山ラーメンの味が忘れられず、都内で西山ラーメンが食べられるお店をさがしてみた。
神保町にある「味噌や」は美味しいという評判なので、行ってみる。

注文したのは、味噌ラーメン+味付たまご。
先ずは、スープを一口。
期待していたのとは、なんか違うなあ。
麺は美味しいのだけれど。
好みにもよるのだろうが、私には味が薄く、甘めに感じられた。
量は結構多い。
15時までにラーメンを注文すると、サービスでごはんも付けてくれるようだが、そんなには食べられないのでラーメンだけにした。
味付けたまごは、中がトロリとしていて美味しい。

味噌ラーメンのほかには、辛さを選べる味噌オロチョンラーメンやオロチョンラーメン、醤油ラーメン、塩ラーメン、手作り餃子がある。
餃子も注文したけれど、可もなく不可もなく、という感じ。

うーん、これなら、西山ラーメンを買ってきて自分で作ったほうがいいかなあ。

【東京】 開館記念特別展Ⅲ 大観と栖鳳 ― 東西の日本画 ― (山種美術館)

2010年02月20日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館

「東の大観、西の栖鳳」とその周辺の画家たちの作品展。


横山大観『作右衛門の家』
作右衛門が、草を刈って帰ってくる。
それを待っているような顔をした馬が左下に描かれている。
鮮やかな緑が印象的だ。


竹内栖鳳『班猫』(部分)
モデルになっているのは、沼津の八百屋で飼われていた猫なのだそうだ。
沼津に滞在していた栖鳳は、この猫を見て中国の徽宗皇帝が描いた猫の絵を思い出し、交渉の末に京都へ連れて帰ったのだという。
緑色の眼がいい。
いろんな方向から観てみたが、どこからでも目が合う。
八方睨みの猫だ。


竹内栖鳳『緑池』
蛙の足の感じがとても愛らしく、何度も観てしまった。


村上華岳『裸婦図』
この絵の脇に、読売新聞の「編集手帳」のコピーが貼ってあった。
1956年のこと、赤線で働いていた女性が、生きる希望を失って自殺をするために熱海に向かう前に、この作品を目にした。
その女性には、絵の中の裸婦が、亡き母の面影に、それから、別れて久しい姉の顔に見えてくる。
「生きなさい。死んではいけない」と言われているようで、彼女は自殺をとどまったのだそうだ。
一枚の絵が、人に生きる力を与えることがあるのだなあ。
ただ、死を前にして、絵を鑑賞する気持ちになるのは難しいだろうな。

【東京・港区】 学校法人麻布獣医学園 発祥の地

2010年02月19日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
12月13日(日)


(東京都港区南麻布2-9)
「学校法人麻布獣医学園麻布大学の前身は、明治二十三年(1890年)九月十日。東京獣医講習所として、帝国大学農科大学助教授與倉東隆によって開設されました。東京市麻布区本村町二〇四(日東山曹溪寺境内)にできた私立慈育小学校の一部を借りて校舎とし、全国から選抜推薦された獣医師に六か月間、解剖、生理、薬物、内科、外科、装蹄、病院実習、装蹄実習を教授しました。
 明治二十七年(1894年)一月に麻布獣医学校と改称し、同二十八年(1895年)十月には、與倉東隆がすでに開設していた東京家畜病院がある麻布区新堀町に校舎を新築移転しました。その後、明治四十五年(1912年)三月に、麻布獣医畜産学校、昭和九年(1934年)四月に麻布獣医専門学校、同十九年(1944)十二月に麻布獣医畜産専門学校と改称しました。
 昭和二十年(1945年)五月、戦災により学園諸施設を消失したため、神奈川県相模原市に移転し、同二十五年(1950年)に校名を麻布獣医科大学として開学し、昭和五十五年(1980年)麻布大学と改称し、現在に至っています。
  平成十九年三月  港区教育委員会」


現在の曹溪寺