大倉草紙

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【東京・中央区】 日本橋 皆美

2010年09月30日 21時00分00秒 | 
8月21日(土)

お昼に、日本橋皆美で食事をする。

おしながき

お腹がすいていたので、
先付けの枝豆豆腐(蟹、山葵、旨出汁餡)と鯒潮椀(白滝ソーメン、湿地、小メロン、相生葱、露生姜)は写真を撮るのを忘れた。
この2品は、見た目が綺麗だったのだけれどなあ。


造り
サラダ造り たまりポン酢


焼き物
だるま鯛利休焼き 山桃密煮 酢取り茗荷


煮物
長芋オランダ煮 茄子 鰊甘露煮 ワレット豆


酢の物
海月生姜酢 胡瓜 若布 ラレシ


家伝鯛めし一式


鯛のそぼろ、玉子の黄身のそぼろ、玉子の白身のそぼろ、おろし大根、海苔、山葵、葱
これらの具をご飯の上に半分くらいずつのせて、出汁を注ぐ。


出汁がとても美味しい。
お櫃のご飯は、2膳いただいても余るほどの量。


菓子


抹茶


【東京・中央区】 夢二・港屋ゆかりの地

2010年09月29日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
8月21日(土)


(東京都中央区八重洲1-2)

「まてど暮せど
 来ぬひとを
 宵待草の
 やるせなさ
 こよひは
 月も出ぬさうな 」

「情熱と悲愁の画家であり、詩人でもあった竹久夢二(一八八四~一九三四)は、大正三年(一九一四)この地に『港屋絵草紙店』を開き、夢二のデザインによる版画、封筒、カード、絵葉書、手拭、半襟などを売った。
 美術家自身がその作品を商品化し販売する店を作ったという点で、『港屋』は日本の商業美術史上重要な意義を持つものであり、その存在を永く記録にとどめるため、ここに記念碑を設置し、故人の業績を讃えるものである。
 なお当時の『港屋』の位置はこの碑の西約十三米、間口約二間(三・六米)であった。」(碑文より)

【東京・新宿区】 水明亭

2010年09月28日 21時00分00秒 | 
8月20日(金)


神宮外苑の端のほうにあるこのお店のことは、長いこと気になっていた。
店の外にちゃんぽんと書いてあるので、何のお店か知ってはいたが、なんだか入りづらい。
いつも閉まっているけれど営業しているのかなあ……すっごく高価なちゃんぽんだったらどうしよう。
調べてみると、ちゃんぽんがウリのごくごく普通の定食屋さん。
ただ、営業しているのが、平日の11時~14時の3時間だけなので、気が向いた時にふらっと寄れるところではない。


ちゃんぽん


皿うどん

店の外観もそうだが、店内も懐かしい昭和の感じ。
ちゃんぽんは、少し甘めだったのが好みに合わなかったが、皿うどんは美味しかった。

【東京・港区】 ラーメン二郎 (三田本店)

2010年09月27日 21時00分00秒 | 
8月19日(木)


ラーメン二郎・三田本店に行ってみる。
なんと、朝から。


店内に貼ってある社訓


これで、麺は少なめ。
普通のお店のラーメンよりかなり量が多い。
チャーシューの厚みは、1センチ近くもある。
「少なめ」ではなくて「半分」でもよかったなあ。
女性客はいない。それは分かっていたけれど、一度行ってみたかったのだ。
味は濃いめ。
ともかく、完食するのに必死で、味わうゆとりはなかった。

この日は、一日中お腹がすかなかった。
恐るべし、ラーメン二郎。

【東京・港区】 麻布ラーメン (慶応三田店)

2010年09月26日 21時00分00秒 | 
8月17日(火)


この日、別のラーメン屋さんに行く予定だったのだが営業時間に間に合わなかったので、麻布ラーメンに寄ってみることにした。
私は麻布ラーメンを食べたことがないので、興味津津。
一緒に行った夫は、普通のラーメンだよ、と言う。

不味くはないが、一度食べたらいいかな、という感じ。
店舗によって味は違うのだろうけれど。

【東京・渋谷区】 ホープ軒

2010年09月25日 21時00分00秒 | 
8月13日(金)


ホープ軒のラーメンは、ときどき無性に食べたくなる。
こちらの体調のせいか、それともスープを煮込む時間のせいか、スープの濃さがたまに違うのが気になるが。
いつもニンニクを多めに、それからネギも入れて食べる。
冷たいジャスミン茶が置いてあるのは嬉しい。

【東京・新宿区】 夏目漱石誕生の地

2010年09月23日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
8月7日(土)


「新宿区指定史跡
 夏目漱石誕生の地
   所在地   新宿区喜久井町一番地
   指定年月日 昭和六十一年十月三日
 文豪夏目漱石(一八六七~一九一六)は、夏目小兵衛直克と千枝夫妻の五男三女の末子としてこの地に生れた。
 夏目家は、牛込馬場下横町周辺の十一ヶ町をまとめる名主で、その勢力は大きく、喜久井町の名は夏目家の家紋『井桁に菊』に因み、また夏目坂は直克が命名したものだという。
 漱石は生後間もなく四谷の古道具屋に里子に出されたが、すぐに生家にもどり、二歳の十一月に再び内藤新宿の名主塩原昌之助の養子となり、二十二歳のとき夏目家に復籍している。
 なお、この地での幼少時代のことは大正四年に書かれた随筆『硝子戸の中』に詳述されている。
 また、この記念碑は昭和四十一年に漱石生誕百年を記念して建立されたもので、文字は漱石の弟子安倍能成の筆になる。
  平成三年十一月  東京都新宿区教育委員会」(案内板より)


碑が建っているのは、吉野家の入口付近

【東京・港区】 芝東照宮

2010年09月22日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
8月4日(水)


祭神は徳川家康。
神仏分離令により、増上寺から切り離されて芝東照宮となるまでは、増上寺内の社殿だった。


芝東照宮のイチョウ(東京都指定天然記念物)
「芝東照宮は、以前は増上寺安国殿と呼ばれ、『江戸名所図会』にもその姿が見られる。明治の神仏分離によって増上寺から切り離され、東照宮となった。
 このイチョウは、寛永十八年(一六四一)安国殿の再建に際し、三代将軍徳川家光が植えたものと伝えられている。
 昭和五年(一九三〇)に史蹟名勝天然記念物保存法に基づいて国の天然記念物第二類(地方的なもの)として指定されたが、昭和二十七年に文化財保護法が改正された時、国指定は一旦解除され、その後昭和三十一年に東京都の文化財保護条例に基づき指定し直され現在に至っている。
 平成五年(一九九三)の調査では、高さ約二一・五メートル、目通り幹囲約六・五メートル、根元の周囲が約八・三メートルある。
 平成十四年三月二十九日  東京都教育委員会」(案内板より)


拝殿

【東京・港区】 旧台徳院霊廟惣門

2010年09月21日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
8月4日(水)


(東京都港区芝公園4-8)
台徳院霊廟は、2代将軍・徳川秀忠の廟所。
寛永9年(1632)に造営された。
廟所は、昭和20年(1945)に戦災に遭う。
残された惣門、勅額門、御成門、丁字門のうち、惣門のみが現地に保存され、他の門は狭山不動寺(埼玉県)へと移築された。

 
「港区指定有形文化財
 彫刻 木造仁王像 二躯
 重要文化財『旧台徳院霊廟惣門』の左右に安置している寄木造り、砥粉地(とのこじ)彩色の仁王像で、方形の台座に乗った岩坐(いわくら)の上に立っています。
 平成十六年から十七年に行われた修理の際に、体内から修理銘札が発見され、元は埼玉県北足立郡戸塚村(現在の川口市西立野)の西福寺(真言宗)仁王門に安置されていたもので、寛政元年(一七八九)、弘化三年(一八四七)の二度にわたり修理が行われていることがわかりました。さらに安政二年(一八五五)の暴風で破損したまま同寺の観音堂の片隅に置かれていたものを、昭和二十三年(一九四八)、同寺三重塔の修理と同時期に三度目の修理が行われた後で、東京浅草寺に移されたことも記載されています。その後の経緯は詳らかではありませんが、昭和三十三年ごろまでにはこの惣門に安置されたと考えられます。
 本像は十八世紀前半までには江戸の仏師によって制作されたと推測され、江戸時代の仁王像として破綻のない作行きを示す貴重な作品です。
 像高 阿形二四三・五センチメートル
    吽形二四七・〇センチメートル
  平成一八年十月二十四日  港区教育委員会」(案内板より)