大倉草紙

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【東京・港区】 久国神社

2009年11月30日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
10月24日(土)
当日の行程: 【報土寺】【勝海舟邸跡】【赤坂氷川神社】【志賀直哉居住の跡】【久国神社】【勝安房邸跡】【日枝神社】 → (銀座線・溜池山王駅~上野駅) → 【皇室の名宝 ― 日本美の華 1期 永徳、若冲から大観、松園まで(東京国立博物館)】


久国神社は、太田道灌が勧請したと伝えられる。
道灌が寄進した久国作の名刀が残っているそうだ。
港区七福神の布袋尊が祀られている。


拝殿


拝殿の額は、勝海舟が揮毫したものだそうだが、名前がよく見えなかった。


おみくじ
久国神社のおみくじは、日本語と英語で書いてあると聞いたので、ひいてみる。
「大吉」、裏には、‘Your Fortune:Excellent’とあった。


久国神社の御朱印

【東京・港区】 志賀直哉居住の跡

2009年11月29日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
10月24日(土)
当日の行程: 【報土寺】【勝海舟邸跡】【赤坂氷川神社】【志賀直哉居住の跡】【久国神社】【勝安房邸跡】【日枝神社】 → (銀座線・溜池山王駅~上野駅) → 【皇室の名宝 ― 日本美の華 1期 永徳、若冲から大観、松園まで(東京国立博物館)】


(港区六本木4-3-13)
後ろに見えるのは、ミッドタウン。
志賀直哉は、生涯で26回も転居したそうだ。
以前、高畑サロンと呼ばれる奈良の旧居を訪れたことがある。
奈良の文化財や自然への憧れが強く、そこへ移り住んだという説明が書いてあった。
なんだか分かるような気がする。

「志賀直哉居住の跡
 志賀直哉の父 直温(なおはる)が、家族とともにここに移り住んだのは、明治三十年(一八九七)、直哉十四歳の時でした。当時の屋敷は千六百八十二坪(五五五〇・六平方メートル)もあり、雑木林の趣さえうかがえる広大なものでした。
 直哉は、ここで青春時代を過ごしました。そして、この間、処女作である『或る朝』をはじめ『網走まで』『正義派』『大津順吉』などの初期の名作を生み出しています。作品の中には当時の父とのいきさつを扱ったものや、『剃刀』『自転車』のようにこの土地にかかわりのあるものがみられます。
 なお、当時の家屋は、昭和二十年の戦災で全焼しました。
  昭和五十三年一月(平成十八年八月立替) 港区教育委員会」

【東京・港区】 赤坂氷川神社

2009年11月28日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
10月24日(土)
当日の行程: 【報土寺】【勝海舟邸跡】【赤坂氷川神社】【志賀直哉居住の跡】【久国神社】【勝安房邸跡】【日枝神社】 → (銀座線・溜池山王駅~上野駅) → 【皇室の名宝 ― 日本美の華 1期 永徳、若冲から大観、松園まで(東京国立博物館)】


天暦5年(951)の創立と伝わる。
創立当初は武州豊島郡人次ヶ原(現赤坂4丁目)に鎮座していたが、江戸時代、八代将軍徳川吉宗の命により現在地に社殿を造営、享保15年(1730)に現在地へと遷宮が行われた。


楼門


社殿
現在地に遷宮された際、徳川吉宗によって建立されたもの。


額堂
月岡芳年筆の「『ま組』火消し絵馬」や河鍋暁斎、柴田是真が描いた絵馬が納められている。
『ま』組は、赤坂・六本木界隈を受け持つ町火消しのことで、「『ま組』火消し絵馬」には、火事場に向かう火消したちの姿が描かれている。
ガラスが反射して、額堂の中は何も見えなかった。

 
氷川坂方面の鳥居の下に置かれた狛犬は、襲いかかってきそうな勢い。


大イチョウ


境内は森閑としている。
境内は、浅野内匠頭の夫人・阿久里(のち瑤泉院)の実家である浅野土佐守邸跡。


南部坂
『南部坂雪の別れ』で有名なこの坂は、赤坂氷川神社の近くにある。
大石内蔵助は討ち入り前に瑤泉院のもとを訪れたというストーリーであるが、実際はそうではなかったらしい。


四合稲荷神社
「四合」と書いて、「しあわせ」と読むらしい。
古呂故(ころこ)稲荷
地頭(じぬし)稲荷
本(もと)氷川稲荷
玉川(たまがわ)稲荷
明治31年(1898)、以上四社を合祀し、勝海舟が四合稲荷と称えたそうだ。
勝海舟筆の「四合稲荷社」という扁額が現存するようだが、社殿には掲げられていなかった。


西行稲荷神社


赤坂氷川神社の御朱印

【東京】 「虎屋・寅年・虎づくし」展 (虎屋ギャラリー)

2009年11月27日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
11月15日(日)
当日の行程:【旧乃木邸】【高橋是清翁記念公園】【豊川稲荷東京別院】【「虎屋・寅年・虎づくし」展(虎屋ギャラリー)】【圓通寺】【鈴降稲荷神社】【浄土寺】【激動の明治国家建設〔特別展〕(衆議院憲政記念館)】【藤本能道 命の残照のなかで(菊池寛実記念 智美術館)】【特別展 根来(大倉集古館)】【特別展 幻の京焼 京都瓢池園(泉屋博古館分館)】


虎屋赤坂本店の前を通りかかった時、ポスターを見かけたので入ってみた。
そうか、来年は寅年。

虎に因んだ国内外のお菓子、虎にまつわる伝統行事、虎を題材とした美術品などが紹介されている。
絵画は、富岡鉄斎の『狂虎之図』以外はパネルでの展示。
とはいえ、ひとつのテーマを多角的に捕えることのできる面白い展覧会だと思う。
富岡鉄斎は虎屋京都店の近くに住んでいて、その縁で、虎屋では鉄斎の作品を多く所蔵しているのだという。

さて、屋号の由来だが、一説には、店主が毘沙門天を信仰していたために「虎屋」になったのだとか。
毘沙門天といえば、信貴山・朝護孫子寺も虎だらけだったなあ。


  虎嘯(うそぶ)く             幸(さち)とら
虎に因んだ虎屋の和菓子。


こちらは、虎もどき。

【東京】 新美術館開館記念特別展 速水御舟-日本画への挑戦- (山種美術館)

2009年11月26日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
11月25日(水)


昨日、速水御舟展を観に新しい山種美術館へ出かけた。
HPには、恵比寿駅から徒歩10分とある。
ひとりだと私は歩くのが速いので何人か追い越して行ったのだが、みんな、山種美術館の地図を手に握りしめている。
おかしく思えてくるくらい、みんな、だ。
みんなが向かう山種美術館は、大混雑。
とても平日だとは思えない。


『炎舞』(1925)
チラシにもなっているこちらの作品、妖しい魅力がある。
観ている者も蛾のように、炎に惹き込まれていきそうだ。
遠くから、近くから、何度も観る。




『翠苔緑芝』(1928)
隣に下絵も展示されている。
下絵にいた白猫ちゃんがいなくなっちゃったけれど、黒猫だけのほうが絵が引き締まっていいのだろうな。
ウサギの寛ぐさまは、我が家の猫のようだ、と思いつつ観る。
アジサイの花びらと、枇杷の色がよかった。


『名樹散椿』(1929)
これは、京都の地蔵院の椿を描いたのだとか。
地蔵院の椿は、加藤清正が朝鮮から持ち帰って秀吉に献上したものだという。
もっとも、その椿はもう枯れてしまっていて、今ある椿も御舟が描いた椿も、2代目であるのだが。
さぞかし美しく立派な椿なのだろう、と思いを馳せる。
椿というと、今までは、その花にしか興味がなかったのだが、椿の枝ぶりを見るのもいいものだな、と思う。


『墨牡丹』(1934)
これを描いた翌年に、40歳で御舟はこの世を去っている。
ああ、なんて惜しいことよ。

【東京・港区】 勝海舟邸跡

2009年11月25日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
10月24日(土)
当日の行程: 【報土寺】【勝海舟邸跡】【赤坂氷川神社】【志賀直哉居住の跡】【久国神社】【勝安房邸跡】【日枝神社】 → (銀座線・溜池山王駅~上野駅) → 【皇室の名宝 ― 日本美の華 1期 永徳、若冲から大観、松園まで(東京国立博物館)】

【勝海舟邸跡】

(港区赤坂6-10-39)
「勝海舟邸跡の記
 港区赤坂六丁目一〇番三九号の『ソフトタウン赤坂』が建つこの地は、幕末から明治にかけて、幕臣として活躍した勝海舟が安政六年(一八五九)から明治元年(一八六八)まで住んだ旧跡である。
 海舟は終生赤坂の地を愛し、三カ所に住んだが、当所居住中の一〇年間が最も華々しく活躍した時期に当たる。
 海舟は号で、名は義邦。通称麟太郎、安房守であったから安房と称し、後に安芳と改めた。
 海舟は文政六年(一八二三)、本所亀沢町の旗本屋敷=現墨田区両国四丁目の両国公園の地=で、貧しい御家人の子として出生。長じて赤坂溜池の筑前黒田藩邸=のちの福吉町、現赤坂二丁目の赤坂ツインタワービルや衆議院赤坂議員宿舎などの地=に通って蘭学を学び、その縁から新婚二十三歳で赤坂田町中通り=現赤坂三丁目一三番二号のみすじ通り=の借家で所帯を持った。
 三十六歳からは赤坂本氷川坂下=もとひかわざかした、のちの氷川町=のこの地に住んだ。明治元年四十五歳で、引退の徳川慶喜に従って、ここから静岡市に移ったが、明治五年(一八七二)再び上京し、満七十六歳で亡くなるまで赤坂区氷川町四番地=現赤坂六丁目六番一四号=に住み、参議・海軍卿、枢密顧問官、伯爵として顕官の生活を送り、傍ら氷川清話などを遺した。この時の屋敷跡は東京市に寄付され、平成五年(一九九三)春まで区立氷川小学校敷地として使われた。
 当所に住み始めた翌年の安政七年(一八六〇)、幕府海軍の軍艦頭取=咸臨丸艦長として、上司の軍艦奉行木村摂津守、その従僕福沢諭吉らを乗せ、正使の外国奉行新見豊前守を乗せた米艦ポーハタン号に先行して渡航、日本の艦船として初めて太平洋横断・往復に成功した。
 文久二年(一八六二)十一月、海舟を刺殺しようとして訪れた旧土佐藩士坂本龍馬らに、世界情勢を説いて決意を変えさせ、逆に熱心な門下生に育てて、明治維新への流れに重要な転機を与えることになったのもこの場所である。
 明治元年三月には、幕府陸軍総裁として、官軍の江戸城総攻撃を前に征討総督府参謀西郷隆盛と談判を重ね、無血開城を決めて江戸の町を戦火から救った。
 第一回会談は高輪の薩摩藩邸=品川駅前の、のちの高輪南町、現港区高輪三丁目のホテルパシフィックの地=で行われた。第二回については芝田町薩摩藩邸=のち三田四国町、現港区芝五丁目芝税務署辺りの地=または、三田海岸の薩摩藩蔵屋敷(くらやしき=倉庫)の表側にある民家=現港区芝五丁目の三菱自動車ビル周辺=で行われたとの両説がある。いずれも当所居住中のことである。
 明治維新では、明治元年五月、海舟の留守中に一部の官軍兵士がここの勝邸に乱入したが、海舟の妹で佐久間象山未亡人の瑞枝(旧名・順)が家人を励まして一歩も引かずに応対し、危急を救った。
 海舟は終生赤坂の地を愛したが、郊外の風光にも惹かれ、初めは葛飾区東四ツ木一丁目に、次いで洗足池畔の大田区南千束一丁目現大田区立大森第六中学校の地に別邸を設けた。墓は洗足池に面して造られ、自ら建てた西郷隆盛を偲ぶ碑と共に大田区文化財に指定されている。
  平成七年十一月吉日
  ソフトタウン赤坂管理自治会
     撰文 伊波 新之助
     協賛 勝海舟顕彰会
     協力 港区郷土資料館」(現地プレートより)


現在は喫茶店になっている。
脇の通りは、現地プレートの案内にも書かれている通り、本氷川坂。


本氷川坂(もとひかわざか・「元氷川坂」とも書く)は、かつて、坂途中の東側に本氷川明神があったことから名づけられたそうだ。
本氷川明神は、明治16年に氷川神社に合祀された。


勝海舟邸跡から坂を登ると、左手に氷川神社の木々が見えてくる。


【勝安房邸跡】

(港区赤坂6-6-14)
勝海舟が明治5年(1872)、49歳のときから76歳で亡くなるまで住んでいた屋敷跡。


平成5年(1993)までは、港区立氷川小学校の敷地だった。


氷川小学校が廃校となり、現在は、港区立特別養護老人ホームや子ども中高生プラザとして使われている。

【東京】 特別展「江戸園芸花尽し」 (太田記念美術館)

2009年11月24日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
11月18日(水)
当日の行程:(京王井の頭線・駒場東大前駅) → 【柳宗悦の世界 -生誕120年記念特別展-(日本民藝館)】 → (京王井の頭線・駒場東大前駅~渋谷駅…JR渋谷駅~原宿駅) → 【特別展 菱田春草〈後期〉(明治神宮文化館 宝物展示室)】【東郷神社】【特別展「江戸園芸花尽し」(太田記念美術館)】


太田記念美術館にて、特別展「江戸園芸花尽し」(後期)を観る。
こういう企画は面白い。
各作品には、そこで描かれている花の名が添えられていて、江戸時代にどんな花が好まれていたのかということも分かり、興味深く鑑賞することができた。


歌川国貞(三代歌川豊国)『ゑん日の景』
江戸時代に園芸がこんなに流行っていたとは知らなかった。
同じく歌川国貞(三代歌川豊国)の『浅草雷神門之光景』では、浅草寺にお参りに来た人々が、植木を売る露店の周りに集まる様子が描かれている。


歌川芳虎『座しき八景の内 上漏の松の雨』
植木鉢に、じょうろで水をやっている。
このじょうろ、どんな仕組みなのだろう?
植木の生長を楽しみにしているような女性の表情がいい。


歌川国芳『百種接分菊』
一本の木に接木して、百種の菊花を咲かせたものなのだそうだ。
ある植木屋が品評会に出品したものだとか。
短冊には、それぞれの菊の名が書かれている。
この菊を鑑賞しに集まる人々の動作や表情が生き生きとしていて、見応えがある。


染付貼花唐獅子牡丹文正方鉢 肥前・有田 享和~慶応(1800-68)頃
浮世絵の中の植木鉢は、デザインが斬新ものが多く、目をひく。
会場には、その時代の植木鉢も展示されていて、これもまた楽しむことができた。

【東京・千代田区】 御即位20年記念特別展 (皇居東御苑)

2009年11月23日 22時00分00秒 | 旅 - 東京都

皇居東御苑で開かれている「御即位20年記念特別展」に出かけた。
今日が最終日。
お天気も良く、人出は多かった。


大手高麗門
大手門から入る。
迷うかも知れないと思い宮内庁のHPで展示場所が載っているページを印刷して行ったのだが、入口には展示場と展示内容が書いてあるパンフレットが置いてあった。


大手門渡櫓



昭和20年(1945)、戦災で焼失した旧大手門渡櫓の屋根にあった鯱。
頭部に「明暦三丁酉」と刻まれていることから、明暦の大火(1657年)の後に造られたものだとされている。


三の丸尚蔵館


三の丸尚蔵館では、御成婚50年・御即位20年記念特別展「両陛下―想い出と絆の品々Ⅰ 第3期 御日常にゆかりの品々」が展示されている。
御装束、新年の御膳、天皇陛下の御論文、皇后陛下のハープや譜面台、両陛下のテニスラケット等々。
美しかったのは、天皇陛下から皇后陛下に古希のお祝いに贈った桑の糸箪笥。
そこに置かれてあった糸が素晴らしかった。
志村ふくみさんが染めたものだという。
志村ふくみさんというと、教科書に載っていた大岡信氏の文章をいつも思い出す。
桜色の染料は、桜の花ではなくごつごつした樹の皮からとるのだという話。


同心番所


百人番所
甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組の4組が、昼夜交代で詰めていたそうだ。


「御即位20年記念 装束類ほか特別展」(百人番所内)
写真は、左が男性供奉員用の「束帯(そくたい)黒袍(くろほう)」、
右が女性供奉員用の「五衣(いつつぎぬ)・唐衣(からぎぬ)・裳(も)」


「平成の大礼」映像上映(本丸中之門の脇)


大番所


中雀門跡


富士見櫓
明暦の大火で焼失した天守閣の代わりに使われた。
ここから将軍が両国の花火を鑑賞したり、品川の海を眺めたりしたとか。


松の大廊下跡
元禄14年(1701)、浅野内匠頭長矩の吉良上野介義央の刃傷事件があった場所。
江戸城で2番目に長い廊下だったそうだ。


『仮名手本忠臣蔵』に描かれた松の大廊下


茶園


富士見多聞


石室
内部の広さは約20平方メートル。
非常時に、大奥の調度品を納めたところだと言われる。
抜け穴だったとか、金蔵だったとかいう説も。


「平成の大礼」映像上映(本丸天守閣の脇)


桃華楽堂


天守台
「最初の天守台は、1607年、二代将軍秀忠の代に完成しましたが、その後大修築され、1638年、三代将軍家光の代に、江戸幕府の権威を象徴する国内で最も大きな天守閣が完成しました。外観5層、内部6階で、地上からの高さは58メートルありました。しかし、わずか19年後の1657年、明暦の大火(振り袖火事)で、飛び火により全焼し、以後は再建されませんでした。」(案内板より)


天守台から大奥跡を望む


「御即位20年記念 旗類ほか特別展」(本丸跡広場)


「御即位20年記念 雅楽器特別展」(本丸休憩所内)


展望台から


皇居正門石橋旧飾電燈


二の丸雑木林


二の丸庭園


諏訪の茶屋


「御即位20年記念 盆栽特別展」(二の丸諏訪の茶屋)


平川門渡櫓
城内の罪人や死人は平川門から出されたので、不浄門とも呼ばれるそうだ。
そんな説明を読んで悩んだが、他の門へ歩いて行くのも面倒になり、結局はここから出た。


平川高麗門


平川門を出てすぐ、「追慕の碑」が建っている。
これは、江戸城を築いた太田道灌(1432-86)の没後450年を記念して建立されたもの。

【東京】 特別展 菱田春草〈後期〉 (明治神宮文化館 宝物展示室)

2009年11月22日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
11月18日(水)
当日の行程:(京王井の頭線・駒場東大前駅) → 【柳宗悦の世界 -生誕120年記念特別展-(日本民藝館)】 → (京王井の頭線・駒場東大前駅~渋谷駅…JR渋谷駅~原宿駅) → 【特別展 菱田春草〈後期〉(明治神宮文化館 宝物展示室)】【東郷神社】【特別展「江戸園芸花尽し」(太田記念美術館)】


菱田春草展の後期を観に行く。
前期のもようはこちら


『雀に鴉』(右隻)

『雀に鴉』(左隻)
明治天皇の御遺愛の作品。
枝の感じがいいなあ。
この絵もそうなのだが、春草の作品を観ていると、とても懐かしい風景に触れたような気がすることが多い。
『湖畔の夕』なんかもそう。
どこかで目にするような風景なのだけれど、ぐっと心を掴むのだ。


『鹿』
愛らしい動物が描かれていると、反応してしまう。
『栗鼠之図』もかわいらしい。

『月四題』
一番奥の壁に、4点が並んで展示されている。
「桜」、「柳」、「葡萄」、「梅」と月が描かれている。
展示場の解説にもあったが、4点並べると、その枝がいかに計算されて描かれたものであるかが分かる。

『牧牛』
なんだかえらく牛が楽しそうで、印象に残っている。
仔牛がかわいい。

『羅浮仙』
羅浮仙は、梅の精なのだそうだ。
美しく怪しい感じが心に残っている。

『夜桜』
幻想的な美しさを持つ一点。
闇に霞んで消えてしまいそうな夜桜は、何かこの世に未練のある幽霊のようななまめかしさがある。
美しいのだけれど、怖い感じ。
だから、惹かれる。

【東京】 奇想の絵師・歌川国芳展〈文化末習作期から天保中期 Ⅰ〉 (礫川浮世絵美術館)

2009年11月21日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
11月12日(木)
当日の行程:(東京メトロ・上野駅) → 【皇室の名宝 ― 日本美の華 2期 正倉院宝物と書・絵巻の名品(東京国立博物館)】 → (東京メトロ・上野駅~三越前駅) → 【夢と追憶の江戸 ― 高橋誠一郎浮世絵コレクション名品展 ― (三井記念美術館)】 → (東京メトロ・日本橋駅~竹橋駅) → 【河口達夫展 言葉・時間・生命】 【権鎮圭 -韓国近代彫刻の先覚者-】 【平成21年度第2回所蔵作品展「近代日本の美術」】(東京国立近代美術館) → (東京メトロ・竹橋駅~後楽園駅) → 【奇想の絵師・歌川国芳展〈文化末習作期から天保中期 Ⅰ〉(礫川浮世絵美術館)】 → (東京メトロ・後楽園駅~乃木坂駅) → 【THEハプスブルク 華麗なる王家と美の巨匠たち】 【第41回 日展】(国立新美術館)

国芳が展示されているということで、行ってみた。
礫川浮世絵美術館は初めて。
小さいけれど、好感が持てる美術館。

『本朝水滸伝豪勇八百人一個 犬村大學礼儀』
尻尾が太い化け猫の顔がスゴイ。
「ふんぎゃー」と叫んでいるようだ。

『あふみや紋彦』
竹格子の影が畳の上に広がってゆくさまがイイ。

『通俗水滸伝豪傑八百人之一個 撲天鴎李応』
作品保護のため、室内は明るさを抑えてあるが、美術館の方がペンライトで作品を照らして細部を見せて下さった。
撲天鴎は、獣の上衣を着ていたのだそうだが、空刷りで表現された獣の毛の感じは見事!
本当に、細かい。
訊けば、1ミリの間に5本彫りを入れる技術をもって頭彫りができるようになるのだという。
そう知ってから、毛割ばかり気になって見てしまう。

11月25日までがⅠ期。
12月1日~25日まではⅡ期で、全点入れ替えるようなので、時間があったらまた観に行ってみよう。