4月11日(日)
(東京都千代田区霞が関3丁目)
「この付近の石垣は、寛永13年(1636)に因幡鳥取藩主池田光仲によって構築された櫓台の一部です。この地域の江戸城外堀は、虎ノ門交差点付近に虎御門を置き、そこから文部科学省に現存する3地点の石垣を通過して、この櫓台石垣に至ります。この地域の堀は明治時代に埋められましたが、これらの石垣によってかつての外堀をしのぶことができます。
江戸城外堀の隅櫓は、このほかに筋違橋門と浅草橋門だけにあり、唯一この石垣だけが現存しています。これらの櫓は、江戸の南北を貫通する主要道に面しており、特に2つの櫓を置くこの地域は、江戸初期には外桜田門を起点とする小田原道が通り、溜池上水の起点にあたります。この石垣は、江戸城防衛の要衝とともに、都市政策上も重要な地域であったことを示しています。
平成21年 文化庁 千代田区」
「江戸城外堀跡は、寛永13年(1636)に江戸城内郭と城下を取り巻くように造られた延長約14㎞の濠のうち、史跡指定された約4㎞の範囲です。この説明板は、400年におよぶ江戸・東京の歴史を示す文化財を周知するために設置しました」(案内板より)