大倉草紙

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【京都】 京都御所

2008年05月31日 22時06分19秒 | 旅 - 京都府
本日の行程:(京阪出町柳駅) → 【京都御所】 → (タクシー) → 【三十三間堂】


【京都御所】

    

土曜日というのに、あいにくの雨。
京都御所の参観申込をしていたので、朝から京都へ向かう。
 
申込んだのは、参観所要時間約60分の標準コースで、係員がガイドをしてくれる。
京都御所の参観を、順路に沿って振り返ってみる。


宜秋門(ぎしゅうもん)

          

公家が参内する際に開かれる門で、「公家門」とも呼ばれる。


御車寄(みくるまよせ)

          

    

昇殿を許された公家たちが正式に参内するときの玄関にあたる。
屋根は桧皮葺。
中は、下の写真のようになっている。


諸大夫の間(しょだいぶのま)
    

    
 
正式に参内した者の控えの間。
身分に応じて異なる部屋が用意されている。
最も格が高いのは、建物に向かって右側の「公卿の間」で、襖に虎の絵(岸岱筆)が描かれていることから「虎の間」とも呼ばれる。
中央が「殿上人の間」で、襖に鶴の絵(狩野永岳筆)が描かれていることから「鶴の間」とも呼ばれる。
それ以外の者の控えの間が「諸大夫の間」で、襖に桜の絵が(原在照筆)が描かれていることから「桜の間」とも呼ばれている。


新御車寄(しんみくるまよせ)
    

大正天皇の即位礼にあたり、天皇皇后両陛下のために建てられた玄関。
硝子がはめ込まれている。


建礼門(けんれいもん)

          

京都御所の6つの御門のうち、一番格式の高い門。
現在では、天皇陛下と外国の元首のみに開かれる。


紫宸殿(ししんでん)

          
             承明門から見た紫宸殿

    
                  紫宸殿

     
        右近の橘                  左近の桜

紫宸殿は即位礼などの重要な儀式が行われた場所。
回廊と承明門が紫宸殿と南庭(だんてい)を囲んでいる。
紫宸殿の右側には右近の橘、左側には左近の桜が植えられている。
参観では、南庭へは入ることはできず、承明門の外側から紫宸殿を遠くに見た。


建春門(けんしゅんもん)

          

江戸期には、勅使の出入りに使われていた門。
明治以後は、皇太子や皇后の出入りに使われるようになる。


春興殿(しゅんこうでん)

    

大正天皇即位礼に際して、神鏡を奉安するために建てられた。


清涼殿(せいりょうでん)

    
                   清涼殿

     
           漢竹                   呉竹

          
                  御帳台

    
              年間行事を記した板
     
平安時代の内裏では、日常の御殿として使われた場所。
中央に、天皇が休息するときに使う御帳台がある。
御帳台は、獅子狛犬に守られている。
通常はここに畳が敷かれているらしい。
清涼殿の正面には呉竹、清涼殿から見て右手には漢竹(かわたけ)が植えられている。
漢竹の後方には、年間行事を記した板が見える。
写真に写っているのは半年分で、残りの半年は板の裏側に書かれている。


御池庭(おいけにわ)

    
     池を中心とした回遊式庭園


小御所(こごしょ)

    
                 小御所

          
            蹴鞠の庭から見た小御所

小御所は、皇太子の儀式や、将軍、諸大名の謁見の場として使われた。
王政復古の大号令のあとの「小御所会議」が行われたのもこの場所。
寝殿造から書院造へ移行する建築様式が見られる。


御学問所(おがくもんじょ)

    

江戸時代に作られる。書院造。
学問だけでなく、和歌の会などにも使われた場所。


御常御殿(おつねごてん)

     
         御常御殿               御常御殿の襖絵

     
                     御内庭

室町時代以降、天皇の日常の生活に使われた場所。
書院造。15の部屋がある。
現在の御常御殿では、孝明天皇、明治天皇が生活した。
御常御殿の前には、美しい御内庭(ごないてい)がある。


迎春(こうしゅん)・御涼所(おすずみしょ)・地震殿(じしんでん)

    
          左側の建物が「迎春」、右側が「御涼所」

          
                 地震殿

御常御殿より奥は参観することができないが、奥にある迎春、御涼所、地震殿が見えた。
迎春は孝明天皇の御書見の間、御涼所は夏の暑い時期を過ごす場所、地震殿は地震の際に非難する場所である。


御三間(おみま)

    
                   御三間

    
              御三間の障壁画

御三間は、七夕や盂蘭盆会などの行事に使われた場所。
障壁画には、平安時代の儀式や祭礼の風俗が描かれている。


参観コースはこれで終わり。
名残惜しく、振り返ったところ、美しかったのでカメラに収めてみた。

    
           宣秋門側から御三間を望む

    
          宣秋門側から御学問所を望む


なかなか楽しく、充実した60分間だった。
欲をいえば、ゆっくり自分のペースで見たかったけれど。

このあと三十三間堂へ向かうが、それについてはまた後日。

【奈良】 飛鳥の蘇

2008年05月30日 20時31分53秒 | 
   


5月17日(土)5月18日(日)の2日連続で飛鳥を散策した。
一日目から気になっていた「飛鳥の蘇」日曜の帰りに買ってみた。

搾りたての生乳を煮詰めて水分を取ると蘇ができるそうだ。
解説文によると、蘇の発祥地は中央アジアだと考えられていて、シルクロードを通り、7世紀末には飛鳥でも蘇が作られていたという記録が残っているらしい。

画像の蘇は、約5cm×6cm、厚さ3cmの大きさで、重さは80gある。
古代のチーズと言われるが、味はチーズとは違うような。
牛乳の濃い味というか何というか。
ほのかな甘みは感じられるものの、お菓子のような甘ったるさは感じられない。
ミルキーのような香り。
牛乳といっしょに食すと美味しい。

 「飛鳥の蘇」 
 西井生乳加工販売所
 奈良県橿原市南浦町877
 電話:0744-22-5772

【京都】 岩倉

2008年05月29日 06時13分12秒 | 旅 - 京都府
5月22日(木)
当日の行程:(叡山電車鞍馬駅) → 【由岐神社】 → 【鞍馬寺】 → 【貴船神社】 → 【奥貴船川魚山菜料理旅館「兵衛」】 → (京都バス「貴船」~「貴船口」) → (叡山電車貴船口駅) → (叡山電車岩倉駅) → 【岩倉具視幽棲旧邸】 → 【実相院】 → 【石座神社】


【岩倉具視幽棲旧邸】

叡山電車の岩倉駅を降り、徒歩15分くらいのところに岩倉具視幽棲旧邸がある。
公武合体策をとり和宮降嫁に尽力したことから、倒幕急進派の反感を受け、孝明天皇の進言によって蟄居を命じられた岩倉具視が、約5年間過ごした地である。

屋敷はまことに質素なものであった。
ここで王政復古の密議が行われていたと思うと感慨深い。
邸内には「対岳文庫」という資料館があり、ここも楽しめる。


          
            岩倉具視幽棲旧邸の門

    
               岩倉具視幽棲旧邸     


     
    岩倉具視幽棲旧邸の部屋         岩倉具視手植えの松




【実相院】

岩倉具視幽棲旧邸のすぐ近くに実相院はある。

     
         実相院                実相院の御朱印


実相院の庭は美しい。

     

     


       

【石座神社】 

          
              石座神社の鳥居

    
                石座神社本殿

石座と書いて「いわくら」と読む。
石座神社の本殿は、ふたつの祠から成る。

岩倉の町には病院が多かったが、なぜだろう。

【奈良】 橿原・飛鳥

2008年05月28日 06時33分21秒 | 旅 - 奈良県
5月18日(日)
当日の行程:(JR法隆寺駅) → 【法隆寺】 → 【中宮寺】 → 【法輪寺】 → 【法起寺】 → (JR法隆寺駅) → (JR郡山駅) → 【柳沢神社】 → 【大和郡山城】 → (近鉄郡山駅) → (近鉄橿原神宮前駅) → 【橿原公苑野球場】 → 【橿原神宮】 → 【神武天皇陵】 → 【本薬師寺跡】 → 【藤原京朱雀大路跡】 → 【藤原宮跡】 → 【天香久山】 → 【天香山神社】 → 【伝小墾田宮跡】


【橿原公苑野球場】

橿原神宮前駅の神社側の出口の近くで自転車を借りる。
前日のレンタサイクル屋さんより安くて親切だ。
まずは橿原神宮へ向かうはずが、先導する夫の自転車は、野球場からの歓声にひかれるように橿原公苑野球場へ。
春季高校野球奈良県大会決勝、智辯学園対関西中央高校。
1イニングだけ観る。
試合結果は10-3で智辯学園が優勝したようだ。



【橿原神宮】

          
         二ノ鳥居から一ノ鳥居のほうを見る


    
                  二ノ鳥居


    
            外拝殿、背後の山は畝傍山


    
                   内拝殿
  内拝殿屋根の上に、奥にある幣殿の千木(Ⅴ字型のもの)が見える


     
       北参道の鳥居              橿原神宮の御朱印



【神武天皇陵】

          
               神武天皇陵入口

    
                 神武天皇陵

入口から、砂利敷きの長い参道を行くと神武天皇陵がある。
広々としている。



【本薬師寺跡】

          
                本薬師寺跡


神武天皇陵の東方、畑の中に本薬師寺跡はある。
本薬師寺は、680年、天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈念して発願されたお寺。

お堂には、司馬遼太郎の『無題(「わが憩いの場所」欄)』(「司馬遼太郎が考えたこと」3巻所収)のコピーが貼ってある。
本薬師寺について触れたこの文章が書かれたのは昭和41年6月、本薬師寺の発掘調査が始まる前である。



【藤原京朱雀大路跡】

          
              藤原京朱雀大路跡
            今では、道は通っていない。



【藤原宮跡】

    
                  藤原宮跡


    
                藤原宮跡発掘作業



【天香久山】

藤原宮跡の東南東の方角に天香久山がある。
駐車場付きのきれいな公衆トイレの脇の道から山へのぼっていくことができる。
山の入口の草叢で、ガサガサと音が。
見れば蛇がいる。
悲鳴をあげて逃げる。
もうこれより奥へ入っていく勇気はない。
夫にカメラを託し、麓のトイレのあたりで待つ。


    
             香久山山頂(国常立神社)


          
             天香久山神社の鳥居

    
               天香久山神社の本殿




【伝小墾田宮跡】

    

推古天皇の小墾田宮跡といわれるところ。

【奈良】 大和郡山城・柳沢神社

2008年05月27日 07時45分11秒 | 旅 - 奈良県
5月18日(日)
当日の行程:(JR法隆寺駅) → 【法隆寺】 → 【中宮寺】 → 【法輪寺】 → 【法起寺】 → (JR法隆寺駅) → (JR郡山駅) → 【柳沢神社】 → 【大和郡山城】 → (近鉄郡山駅) → (近鉄橿原神宮前駅) → 【橿原公苑野球場】 → 【橿原神宮】 → 【神武天皇陵】 → 【本薬師寺跡】 → 【藤原京朱雀大路跡】 → 【藤原宮跡】 → 【天香久山】 → 【天香山神社】 → 【伝小墾田宮跡】


JR郡山駅から大和郡山城跡へ。
外堀緑地を通り、近鉄線の踏切を渡る。
石垣が顔を出し、こんもりとした緑が目に映り、城跡らしき雰囲気でいっぱいなのだが入り口が分からない。
どう歩いても高校の敷地に行き当たってしまう。


    
            奈良県立郡山高等学校

郡山高校野球部の話を夫から聞きながら、ゆっくり歩く。

郡山は金魚の養殖がさかんなようで、高校の脇に、次のような可愛らしい詩の碑があった。

    


【柳沢神社】

柳沢神社を参拝。
祭神は五代将軍綱吉の側用人柳沢吉保。

    
                   柳沢神社

          
              柳沢神社の御朱印


【大和郡山城】

柳沢神社の奥から大和郡山城の天守閣跡へと登ることができた。
途中の石垣に「さかさ地蔵」がある。
石垣を築くにあたり石不足になったため、地蔵までもが運び込まれ、それが天守閣北側の石垣の一部になっているのである。
石と石との隙間から覗き込むと、頭を奥にしてうつぶせになっている地蔵の姿が、
暗がりの中で僅かに認められた。

          
                 天守閣跡

    
             天守閣跡から見た風景
      見えるのは大和郡山市民会館(旧奈良県立図書館)


    
                大和郡山城石垣

     
        追手門向櫓                 追手門


近鉄郡山駅から飛鳥方面へ移動。
続きは後日。
         



【大阪】 北畠公園・阿倍王子神社・安倍晴明神社

2008年05月26日 22時47分15秒 | 旅 - 大阪府
本日の行程:(天王寺駅) → 【北畠公園】 → 【阿倍王子神社】 → 【安倍晴明神社】


【北畠公園】

       

「史跡北畠公園」は、熊野街道沿いにある。

       
                     北畠顕家卿墓

               
                 北畠顕家墓(囲いの内側)



【阿倍王子神社】

       
                 阿倍王子神社の鳥居

阿倍王子神社は北畠公園の向かい側にあり、これもまた熊野街道に面している。
創建は、仁徳天皇とも昔からこの地にいた阿倍氏とも言われる。 
熊野詣が盛んになると九十九王子の第二王子の社となったそうだ。
鳥居の下の参道は、参拝する人以外も、通り抜ける普通の道になっている。
なかには自転車で通り抜ける人も。


 
                         阿倍王子神社の狛犬


       
                       本殿

               
                  阿倍王子神社のご朱印



【安倍晴明神社】


       
                 安倍晴明神社の鳥居


       
        安倍晴明の像             安倍晴明公産湯井の跡

安倍晴明はこの地に誕生したという。
母親は狐であったという言い伝えがある。


    
                       安倍晴明神社の狛犬

       
                       本殿

               
                  安倍晴明神社のご朱印
                  五芒星が捺してある 

【兵庫】 楠公祭・南京町・三宮神社・生田神社

2008年05月25日 21時52分27秒 | 旅 - 兵庫県
本日の行程:(高速神戸駅) → 【湊川神社】 → 【会下山公園】 → (湊川駅) → (元町駅) → 【南京町】 → 【三宮神社】 → 【生田神社】


【湊川神社】

湊川神社は楠木正成を祭った神社。
毎年、殉節した5月25日の前後を含めた3日間、「楠公祭」が行われている。
楠木正成が生まれた千早赤阪村では、毎年4月25日に生誕を祝った「楠公祭」が行われているそうだ。
5月の連休に千早赤阪村へ行き、
楠木正成ゆかりの場所を見てまわっていたので、湊川神社およびその周辺の散策は心浮き立つものだった。


            
                   湊川神社表神門

       
         大楠公御墓所            大楠公御墓所の御朱印

高速神戸駅を出ると、すぐに湊川神社の表神門がある。
すぐ右手が大楠公御墓所。
碑石には「嗚呼忠臣楠子之墓」と彫られている。


       
         楠本稲荷神社           日本最初のオリーブの樹

このオリーブの樹は、明治11年、パリ万博の日本館長がフランスから持ち帰ったものだという。


       
                     楠公祭本祭


       
                    楠木正成戦歿地

            
                湊川神社の御朱印



【会下山公園】

湊川神社の宝物殿では大楠公ゆかりの宝物のほか、楠木正成の一生が分かりやすく展示されていた。
展示物から湊川の合戦で楠正成が本陣を置いた会下山が近くにあると知り、行ってみることにした。
距離にして約2kmなのだが、方角が分からない。
地図で確かめ、人に尋ねながら、やっとのことで辿り着いた。


       
   会下山公園近くで見つけた紫陽花      大楠公湊川陣之遺跡
                             石碑の文字は東郷平八郎の筆


       

湊川の駅前に、変わった暖簾を掲げるお店を見つけた。
「人工衛星饅頭」?

       

正体はこれ。
ドラ焼きのような……回転焼が薄くなったようなもの。
中にはつぶ餡が入っている。
世界初の人工衛星の打ち上げの翌年に開店したことから、「人工衛星饅頭」と名づけたそうだ。
ちょうど小腹が空いていたところ。
その名が「スプートニク」に因むだけあって、旅のよい道連れとなってくれた。 


【南京町】

       
 南京町西安門                      南京町の街並み
 元町の駅を降りて、こちらの門から入った


       

いろいろなものをちょっとずつ。
「コレ!」というのは、餃子くらいかなあ。
探せば美味しいお店もあるのだろうが、今回はいまひとつ。


【三宮神社】

南京町を出て、生田神社へ向かう途中、「神戸事件発生之地」の石碑が目に入る。
鳥居をくぐると大砲がある。
変わった神社だ。
大砲の脇の立札には、次のような説明があった。
「神戸事件のとき、外国兵との交戦に備前の藩兵は三門の大砲をひきいて応戦した。この大砲は年代的にほぼ同時のものなのでここに据えて参考とする」

        
               「神戸事件発生之地」の石碑

       
                 「神戸事件」当時の大砲

       
                      三宮神社

            
                三宮神社の御朱印

    

【生田神社】

            
                  生田神社桜門

       
                      拝殿

生田神社は人出が多かった。
桜門をくぐって左手の社務所で御朱印をいただく。
社務所には「新ライススタイル」のポスターが貼られている。
あれ?ポスターのこのひと、1年ちょっと前にこの神社で結婚式を挙げてたよね。


       
     生田神社の狛犬(前方から)      生田神社の狛犬(後方から)

生田神社の狛犬は、ジムにでも通っているような体格。
後ろから見ると、ガリガリ。


       
                       本殿
              本殿では、巫女さんたちが舞っていた

            
                生田神社の御朱印
            


       
          蛭子神社                蛭子神社の狛犬

生田神社本殿の裏手(生田神社敷地内)にある蛭子神社。
狛犬の耳がかわいらしい。


       
          生田森                    庖丁塚


       
       街中で、水陸両用船「スプラッシュ」を見かけたので撮影。

【大阪】 聖徳太子ゆかりの名宝 (大阪市立美術館)

2008年05月24日 21時27分18秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
     


 大阪市立美術館にて、「聖徳太子ゆかりの名宝」展を観る。

 この展覧会は、叡福寺の太子絵伝修復完成記念特別展なのだそうだ。寺社廻りばかりしているが、叡福寺には行ったことがない。そもそも叡福寺の存在を知ったのもこの展覧会があったからで、そこに聖徳太子陵があることも、初めて知った。

 一幅の掛軸の中に、太子の一生の節目節目のできごとを描いた「聖徳太子絵伝」がずらりと並んでいた。「この時代にこんな鎧兜を身に着けていたのかなあ」と夫。描かれているのは、戦国時代の武将のような格好で馬にまたがる人々。言われてみればなんだかおかしいような気もする。帰宅後に調べてみる。甲冑はあったものの、描かれていたような形ではない。当世風(聖徳太子絵伝の多くは14~15世紀のものである)に描いてみたのか、それとも、太子の時代の服飾に関して明らかになっていなかったのか。

 「四天王寺縁起 後醍醐天皇宸翰本」(国宝)は、「四天王寺縁起」を後醍醐天皇が書写したものだが、巻末に朱肉で手形が捺されているのがおもしろい。手形はあまり大きくなく、女性の掌と同じくらいだった。

 日本最古の半跏思惟像(666年、野中寺)を拝むことができたのは大収穫。


    

 美術館の外は雨だった。
 雨の中を茶臼山へ急ぐ。この階段を登ると茶臼山頂上。


    
                 茶臼山頂上


    
                 茶臼山全景


 四天王寺にも寄ってみたかったが、雨だったし、お寺が開いている時間も過ぎていた。
 明日は「楠公祭」に行こうと思っている。雨がやめばいいのだけれど。               

【大阪】 ガレとジャポニスム (サントリーミュージアム「天保山」)

2008年05月23日 20時42分56秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
     


 サントリーミュージアム天保山で、『ガレとジャポニスム』展を観る。

 最初に目にする作品、花器「鯉」は、葛飾北斎の『北斎漫画』13編「魚濫観世音」の鯉を写したもの。すぐ隣のガラスケースには北斎の描いた鯉もあり、見比べてみる。なるほどそっくりだ。しかし、まったく別のものに仕上がっているところがガレの素晴らしさであろう。花器「鯉」のみならず、ガレの作品では極めて高いレベルでの換骨奪胎が見られた。

 ガレにおけるジャポニスムは、視覚的効果を狙ったモチーフの借用にとどまらない。この展覧会では、そのことがよくわかる構成になっている。日本美術との結びつきが強くなるにつれ、ガレの関心は二次元的な追求から三次元的な追求へと移行する。陶器の質感、「触れて愛でる感覚」(※この展覧会は4章から構成されており、その第二章のタイトルは、「身を潜めた日本美術…西洋的表現との融合、触れて愛でる感覚」である)に重点を置いた作品も多く展示されていた。
 
 ガレの作品は、「生と死」というテーマをさまざまなモチーフで表現していて、興味をひかれた。たとえば、有名な作品だと、たった一晩開くだけでその傘が溶けてしまうというひとよ茸をモチーフとしたランプ「ひとよ茸」(1902年頃)。そのほかにも、表側はカどぎついほどのピンク色のカトレアが咲き誇り、裏側は茶色く変色し、萎れているその花弁を付した花器「カトレア」(1900年)。カトレアという豪華な花ゆえに、萎れていく姿は一層哀れなものに感じられる。
 
 いくつかの作品の表現では、言葉の力も借りている。作品の可能性を限定してしまうのではないだろうかと疑問を抱く。フランス語を解さない私にとっては、文字も模様も変わりはないのだが。

 花器「蜉蝣」(1889~1900年、サントリー美術館・菊地コレクション)のような涼やかな作品が気に入った。
 ガレ自身よりも、万博とジャポニスムに興味を持って出かけたのだが、美術館を出るときには、ガレをもっと知りたくなっていた。

          

 そんなわけで、本を買ってみる。

 
 
 

【京都】 鞍馬・貴船

2008年05月22日 21時12分37秒 | 旅 - 京都府
本日の行程:(叡山電車鞍馬駅) → 【由岐神社】 → 【鞍馬寺】 → 【貴船神社】 → 【奥貴船川魚山菜料理旅館「兵衛」】 → (京都バス「貴船」~「貴船口」) → (叡山電車貴船口駅) → (叡山電車岩倉駅) → 【岩倉具視幽棲旧邸】 → 【実相院】 → 【石座神社】


朝、早くに目覚める。
ゆうべはあまり眠れなかった。
簡単に朝食をとり、予定より早く出発する。


【由岐神社・鞍馬寺】

     
       鞍馬駅前の天狗               仁王門

8時20分頃、鞍馬駅に到着。駅前は大きな天狗がいた。
仁王門は俗界と浄域の間の結界。
ここで鞍馬山の愛山費を払う。
京阪電車の「鞍馬・貴船1dayチケット」で来たので割引があり、愛山費は半額の100円だった。

仁王門を過ぎたところからケーブルカーも出ている。
宗教法人であり、鉄道事業者でもあるのは鞍馬寺だけらしい。
いろいろな乗り物を試してみるのは好きなのだが、『枕草子』に出てくる「くらまの九十九折といふ道」を上ってみたかったので、迷わず徒歩で。


     
       仁王門の先の狛犬              魔王の滝

鞍馬寺の狛犬は犬というよりも、虎か巨大な猫のよう。


     
         由岐神社             義経公供養塔(東光坊跡)

由岐神社は鞍馬寺の鎮守社。
神社には、京都市天然記念物に指定されている「大杉」がある。
到着したのは8時半頃で、社務所も閉まっていて誰もいない。
御朱印をいただきたかったが、きょうは先に予定が詰まっていたので、9時を待たずに鞍馬山の奥へ進む。

由岐神社を出て、しばらく行くと、義経公供養塔が見える。
ここは、牛若丸が7歳から約10年間住んでいたところだという。


    
                  本殿金堂

    
              本殿金堂前からの風景

9時頃、本殿金堂に到着。気持ちが良い。
ここにある狛犬も虎のようだった。


     
          冬柏亭                  奥の院へ

金堂の近くにある霊宝殿に入る。
1階は鞍馬山自然科学博物苑展示室、2階は寺宝展観室・與謝野記念室、3階は仏像奉安室となっている。
3階の仏像奉安室は24畳の畳敷きで、畳を囲むように仏像が並んでいる。
実に見事であった。
畳に正座して、静かに仏像を拝む。

霊宝殿の別棟として、冬柏亭がある。
これは與謝野晶子の書斎を移築したものだという。
鞍馬弘教の初代管長である信楽香雲氏は與謝野晶子の直弟子であり、その縁で與謝野寛、晶子の遺品が多く寄進されたようだ。

冬柏亭のすぐ右手に奥の院へ続く階段がある。
この階段をのぼると、金堂前の開けた雰囲気とは変わり、天狗でも出てきそうな山道となる。


     
       義経公息次ぎの水           義経公背比べ石

義経公息次ぎの水は、牛若丸が東光坊から奥の院へ剣術の修行に行く途中、喉の渇きを潤した清水が湧き出ていた場所。
今でも水は湧き続けていた。

義経公背比べ石は、10年余り鞍馬山で修行をしていた牛若丸が、山を後にする際に、名残を惜しんで背を比べた石だといわれている。


     
         木の根道               僧正ガ谷不動堂

謡曲の『鞍馬天狗』で、牛若丸が天狗僧正坊から武芸を習ったのが、この僧正ガ谷不動堂のあたり。
きょうの天気予報では、かなり日差しが強くなるとのことだったが、ここは杉の大木に囲まれていて仄暗い。

このあたりには、木の根がむき出しとなった道がある。
いわゆる「木の根道」である。
固い岩盤があるため、木の根が地中に入り込めないらしい。
根を張れないのに、よくもまあこんなに大きくなるものだ。


    
                奥の院魔王殿拝殿

          
              奥の院魔王殿本殿

奥の院魔王殿本殿には、650万年前、金星から地球の霊王として降りてきて、地上の創造と破壊を司る護法魔王尊がここに奉安されているという。
本殿は拝殿の奥に位置し、柵で囲まれていて中へ入ることはできない。


          
                鞍馬山の木

    
                鞍馬山のてぬぐい

    
                鞍馬山のてぬぐい

          
               鞍馬寺の御朱印
 


【貴船神社】

奥の院魔王殿を過ぎると、下り坂になる。
このまま下り坂が続くのか、それとも下った分だけ上り坂が待っているのか。
不安になりかけたところ、前方の緑の中に朱色のものがちらちらと見えてきた。
貴船神社は思いのほか近かった。
貴船神社は水の神様、縁結びの神様らしい。


     
           鳥居                    参道


                       
             貴船神社は絵馬の発祥地


    
                   本殿

美しい参道の石段をのぼると、左手に本殿が見える。
折り返して更に階段をのぼると社務所がある。
振り返ると本殿正面だ。
本殿は新しい。


    
                水占いおみくじ


水の神様だからか、水占いのおみくじがあった。
普段、おみくじを引くことはめったにないが、珍しいので占ってみた。
200円を社務所で払って、一枚を選ぶ。
霊泉に浮かべると文字が現れる。
中吉。


     
       和泉式部の歌碑              連理の杉

 「ものおもへば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる 魂かとぞみる」
和泉式部は夫との仲がよくなるよう、貴船神社の恋の神様に祈り、願いは叶えられたという。
杉と楓という別々の木が重なってひとつになった連理の杉。
夫婦、男女が仲睦まじさの象徴とされている。


     
        つつみヶ岩                奥の宮本殿
 高さ4.5m、胴廻り9m、重さ43t以上の巨岩


           
              貴船神社の御朱印

    
               貴船神社のてぬぐい



【奥貴船川魚山菜料理旅館「兵衛」】

     
        貴船の清流               「兵衛」の川床

貴船に来たら体験してみたかった川床。
兵衛」というお店の川床でお昼をいただく。


     
 座った場所からは、こんなふうに見える      水面はすぐ近く


    

鍋焼きうどんをいただく。もちろんビールも。
川床は涼しいから、暖かいおうどんでちょうどいい。 
ゆったりとした、贅沢な時間だ。


    

帰りの叡山電車の車輌は、風景を楽しめるような座席になっていた。
岩倉駅で叡山電車を降りる。

岩倉については後日。