大倉草紙

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【京都】 興臨院

2009年03月23日 20時00分00秒 | 旅 - 京都府
11月24日(月)
当日の行程:(JR・京都駅…京都市営バス・50番京都駅~千本中立売…6番千本中立売~鷹峯源光庵前) → 【光悦寺】【常照寺】【源光庵】 → (京都市営バス・6番鷹峯源光庵前~千本北大路…206番・千本北大路~大徳寺前) → 【興臨院】【大仙院】【芳春院】【総見院】【高桐院】【黄梅院】 → (京都市営バス・206番大徳寺前~京都駅…JR・京都駅~土山駅) → 【ジョセフ・ヒコ アメリカ市民権取得150周年記念特別展(播磨町郷土資料館)】


秋の特別公開をしている興臨院を訪れる。
通常は非公開。
興臨院は、大覚寺の塔頭のひとつ。
大永年中から天文2年間(1521~1533)、能登の畠山義総が仏智大通禅師を開祖として建立した。


表門(重要文化財)
創建当時のものといわれる表門は、大徳寺山内でも有数の古いものなのだそうだ。


庫裡


方丈前庭


茶室「涵虚亭」(重要文化財)


唐門(重要文化財)


興臨院の御朱印


大覚寺の中には入れなかったが、門や法堂は近くで見ることができた。

勅使門(重要文化財)
慶長年間(1596~1614)建立の御所の門を移築したもの。
後水尾天皇より拝領したと伝えられる。


三門(重要文化財)
享禄2年(1529)、連歌師・宗長等の寄進で1階部分が建立される。
天正17年(1589)、千利休二階部分が造られ、「金毛閣」と名付けられた。
利休は門の上層に自身の像を安置し、秀吉の怒りをかったという話は、よく知られている。


法堂(重要文化財)
応仁の乱で焼失した後、現在の法堂は、寛永13年(1636)、小田原城主稲葉正勝・正則父子により再建された。