やたがらすの熊野三山お参りでした。 12/10(土)午前記録
神戸ルミナリエとのツアー旅行の二日目は、伊勢神宮と熊野速玉大社でした。
そして、三日目は、どうやら、和歌山の旅は「熊野三山」巡りだったようです。
熊野三山とは・・・熊野那智大社、熊野本宮大社、熊野速玉大社を言います。
伊勢・南紀の周遊の旅のツアー旅行は、本州最南端の潮岬、他には那智の滝を加えて、西国三十三カ所第一番札所の「青岸渡寺」への参拝です。
まあ、何度も何度もお参りしてきました。
そして、自宅でダイアリー投稿のために、旅の後追い調べをしています。
和歌山の旅をして、熊野三山巡りで気が付いたのは、「やたがらす」でした。
あれっー、三本足のカラスだ・・・。そうか、あの「やたがらす」は熊野か・・・。
神社巡りをしているうちに、熊野の「八咫烏」を確認してきました。
とても「八咫烏」なんて漢字は書けません。
あちこちで、特に熊野本宮大社では、このやたがらすの絵が多く飾られていました。

八咫烏とは足が三本あリ、太陽を象徴し熊野の神の使いだとされる伝説上の鳥です。
熊野三山では、八咫烏を神様のつかいの鳥としています。
神武天皇東征の時、熊野の海岸にご上陸され、熊野から大和に入る険路を先導したと伝えられています。八咫烏は太陽のシンボルでもあり、「南山」と呼ばれた熊野にふさわしい魂を運ぶ霊鳥なのだそうです。
日本サッカー協会のシンボルマークは、このやたがらすを使ってデザインされています。
明治時代に日本に初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助氏が八咫烏を祀る神社のある和歌山県那智勝浦町の出身だったので、 彼の偉大な功績を偲び、協会のシンボルとして八咫烏を図案化したのだそうです。

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私は、自分へのお土産で「那智黒のやたがらす」、来年の干支の「竜」のち智さな飾りものをゲットしてきました。
そして、那智黒石の欠けらもゲットしてきました。削って磨いての簡単ホビーで「箸おき」を作ろうかなと思っています。
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12/10 今日の行動メモ
雨降り天気で狂わされ、八日ぶりに別荘管理訪問です。今回も一泊の予定です。
神戸ルミナリエとのツアー旅行の二日目は、伊勢神宮と熊野速玉大社でした。
そして、三日目は、どうやら、和歌山の旅は「熊野三山」巡りだったようです。
熊野三山とは・・・熊野那智大社、熊野本宮大社、熊野速玉大社を言います。
伊勢・南紀の周遊の旅のツアー旅行は、本州最南端の潮岬、他には那智の滝を加えて、西国三十三カ所第一番札所の「青岸渡寺」への参拝です。
まあ、何度も何度もお参りしてきました。
そして、自宅でダイアリー投稿のために、旅の後追い調べをしています。
和歌山の旅をして、熊野三山巡りで気が付いたのは、「やたがらす」でした。
あれっー、三本足のカラスだ・・・。そうか、あの「やたがらす」は熊野か・・・。
神社巡りをしているうちに、熊野の「八咫烏」を確認してきました。
とても「八咫烏」なんて漢字は書けません。
あちこちで、特に熊野本宮大社では、このやたがらすの絵が多く飾られていました。

八咫烏とは足が三本あリ、太陽を象徴し熊野の神の使いだとされる伝説上の鳥です。
熊野三山では、八咫烏を神様のつかいの鳥としています。
神武天皇東征の時、熊野の海岸にご上陸され、熊野から大和に入る険路を先導したと伝えられています。八咫烏は太陽のシンボルでもあり、「南山」と呼ばれた熊野にふさわしい魂を運ぶ霊鳥なのだそうです。

明治時代に日本に初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助氏が八咫烏を祀る神社のある和歌山県那智勝浦町の出身だったので、 彼の偉大な功績を偲び、協会のシンボルとして八咫烏を図案化したのだそうです。

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私は、自分へのお土産で「那智黒のやたがらす」、来年の干支の「竜」のち智さな飾りものをゲットしてきました。
そして、那智黒石の欠けらもゲットしてきました。削って磨いての簡単ホビーで「箸おき」を作ろうかなと思っています。
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雨降り天気で狂わされ、八日ぶりに別荘管理訪問です。今回も一泊の予定です。