毎日あれこれNewDiary

毎日の生活の中から、あれこれのカテゴリでダイアリー
画像を入れての楽しいプログを目指します。
旧プログも含まれます。

陸前高田の一本松

2012-07-05 10:02:00 | 東日本大震災
 陸前高田の復興の様子は・・・  7/5(木)午前記録

昨年6月に出かけた三陸の大津波の後の様子と、一年後の今回の違いは、後片づけがかなり進んでいることでした。
 今日の画像は、陸前高田市のデジカメ記録の数枚ですが、「奇跡の一本松」を中心にダイアリーします。
 陸前高田市の高田松原は国の景勝地ともなっていて、6万本もの松林があったところです。
 広田湾を襲った津波は、気仙側の河口の三角州で、町並みが広がっていた陸前高田市の家屋を舐めつくすように襲って、更に気仙川をさかのぼりました。
 家屋の倒壊は3341棟で9500人が家を失ったそうです。
 6/27日現在の死者は1555名、更に行方不明者は226名になってるとのことです。
 江戸時代からの250年の防風林の松林も、大津波に残らずさらわれました。
 その中で、一本が奇跡的に残り、復興のシンボルとされていたのですが、昨年12月に塩害で根が腐り枯れてしまったのです。

 デジカメ記録は気仙川の対岸からの記録で、防波堤に花やお菓子が置かれているところからのものです。
対岸からの一本松です。

こんな松の木が何万本もあった海岸です。

 陸前高田市に入ると、広大な町並みの後は、瓦礫が片付けられていました。
 その中での記録です。
① 緑のネットフェンスが張られていて、その中では重機と沢山のショベルカーが動いています。私の想像では瓦礫の中の石とコンクリから、砕石を作り出していると思われます。
② 海岸沿いにあった野球場は、海水をかぶり、更に地盤沈下で、水びたしになっています。後片付けは全く手つかずです。
③ 大津波は、気仙川をさかのぼり、橋も流されてしまいました。
 画像の橋は再建されたものです。

陸前高田市のテジカメです。

④ 三角州の平野の町並みでの復興の再建は、高台へが基本となるので、広い元の町並みは、何にもない、空しさを感じさせます。
 山沿いの大きな建物は、流されずに残っていますが、三階にもなろう高さの屋根の鉄骨がそのままです。
⑤ 兄の車は、高台で復興再建がされているところを探してみました。
 もともと海岸沿いの町は後ろが山で、その下の開けていたところに集中しています。
 これからの街作りは、高い所への移動で再建をどのように設計するかが、大変な課題です。
 これは国の助けと、復興の方針と、お金をつぎ込まないとできないことです。
 
 プレハブの商店街を見つけましたが、やっと再建と商売の再開です。
 次に陸前高田市を訪れる機会は何時になるかは分かりませんが、復興再建が早急に進むよう願いながら、町を後にしました。

 ※ 次回は、釜石、大船渡、越喜来のデジカメ記録を予定しています。

7/5日の「時事ドットコム」のニュースでは、奇跡の一本松の保存で、陸前高田市の市長さんは、復興のシンボルとして、この松の木を保存するために、1億5千万円の基金を募金で集めるとのことです。
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run 7/5 今日の行動メモ
 蒸し暑い日となりそうです。インパチエンスの種採りをしています。



幸せの黄色いハンカチの②

2012-07-04 17:27:00 | 東日本大震災
 陸前高田市の幸せの黄色いハンカチの②です。 7/4(火)午後記録

 三日間の岩手への故郷帰りを終えて、4日の朝9時に東北自動車道に乗り、午後の3時前に柏に帰着しました。
 今回は、兄弟姉妹との懇親会とお墓参りと、三陸被災地のその後の様子見とで、あっと言う間の岩手へのドライブでした。
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 2011年3/11日の、東日本大震災の大津波の被災地のその後の復興の様子を垣間見てきました。
 今日、明日と、いくつかダイアリーします。

 陸前高田市の空にはためく、「幸せの黄色いハンカチ」です。

yellow1 1977年の映画で、高倉健主演の「幸せの黄色いハンカチ」のリメイク版のTV放送が2011年の10月に日テレであったらしい。
 その時使った黄色いハンカチを、映画監督の山田洋次さんが、陸前高田市の菅野さんの自宅の跡地に、黄色いハンカチをプレゼントと言うことだそうです。


→ 3/11日の津波で自宅を失った菅野さんは、震災後、流れ着いた廃材を組み「幸せがくるように」と自宅跡にハンカチを掲げてきた。
 これに感銘を受けた山田監督は、その隣に映画と同様の丸太を立てることを提案。
 地元の被災者らと共に、高さ約6メートルの柱のてっぺんから斜めに張ったロープにハンカチ38枚を掲げた。
→ 山田監督が「この映画をつくって良かった」と感激し、「希望よ永遠に」と書いた記念のハンカチを渡すと、菅野さんは「感動というほかない。黄色いハンカチは、私たちに元気をくれる元気印です」と笑顔を見せた。 
  と言う黄色いハンカチでした。・・・・ ネットから記事内容をいただきました。

そんなことで、菅野さんが立てていた黄色いハンカチの柱に並んで、山田洋次監督がプレゼントした「希望よ永遠に」の黄色いハンカチがたなびいていました。

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一年前にも訪れて見た、陸前高田市の海岸沿いの大津波の後の被災地は、瓦礫の片づけがかなり進んでいました。
 しかし、周りは何にもない、何にも再建・再現できない。ひたすら片付けの陸前高田市です。
 この黄色いハンカチの道路を挟んでの反対側では、瓦礫の分別作業が黙々と進められていました。
 傍らには、木材だけの片付けの山がありました。あそこまで片付けるのは、こんな分別作業の結果なのだと、まったく頭の下がる思いでした。

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※ 明日は、奇跡の一本松のダイアリーを予定しています。

大津波から一年

2012-03-11 12:20:00 | 東日本大震災
 東日本大震災の地震と大津波の発生から一年経ちました。 3/11(日)

 2011年3/11日、午後2:46発生のものすごい地震は、東日本の太平洋側に大きな被害が出ました。
 私の部屋の古い掛け時計の針は、こんな時間で止まったままです。
 記念になるのでそのままにしています。
 柏市も大きな地震の揺れでした。
 どこにどんな地震が発生したのだろうと、TVに釘づけの数日でした。
 特にも、TVでリアルタイムで放送された、津波の襲来の画像は驚きでした。


青森から千葉までの太平洋側の海には、想定外の大きな津波が襲来したのです。下の画像は岩手日報社の陸前高田市の壊滅的な被害の記録です。
 ずっーと右下に、小さく陸前高田の道の駅が見えますが、私も6/26日に現地を訪れてきました。


 三か月経った現地は、瓦礫が片付けられて山のようになっていました。
 陸前高田市の景勝地の「高田松原」は、80cmを超える地盤沈下で消滅してしまいました。
 一体、この被害の後は何になるのだろうか。


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 今、残されている課題は・・・
① 被災地の復興あるのみです。
② 被災地への支援です。
③ 原発問題の解決です。
④ これまでの対策では世論の支持は得られそうもない。原発は止めるしかないですねー。
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run 3/11 今日の行動メモ
 雨あがりで少しの園芸です。



毛ガニを食べませんか。

2012-02-16 12:23:00 | 東日本大震災
三陸宮古の毛ガニを食べませんか。  2/16(木)昼記録

 今日のダイアリーは、三陸宮古の青年漁師さんが、季節限定の活毛ガニの通販をしているので、その紹介です。
 ちなみに、私は岩手県の北上市が故郷です。昔からカニと言えば岩手では毛ガニでした。ふとしたことから、宮古の青年猟師さんの季節限定の格安の毛ガニ通販を知り、毎年、HPをみては、毛ガニが食べたくなり、頼んでいました。
 昨年は2/8日の私の毛ガニダイアリーでした。
http://sun.ap.teacup.com/applet/arekore/20110208/archive
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 宮古と言えば、そうです。
 昨年3/11日の、あの大津波で壊滅状態になった三陸の宮古です。
 この青年漁師さんは、大地震の後の大津波襲来を予測して、家族に高台に逃げるように告げて、必死に船を沖合に出して、逃れました。
 津波が静まり、港へ舞い戻ると、港も家も何もかも流されてしまい、途方にくれながらも、宮古の猟師さんとして、必死に活躍されている方です。

 この三陸宮古の青年漁師さんが、今年も季節限定の「毛ガニ直販」にやっとこぎつけられたようですよ。
 「平運丸 青年漁師の店」 のHPをご覧ください。
 なお、HPからリンクされている、青年漁師さんのブログは、まだまだ生々しい、被災地の復興の記事が満載です。
 復興にあたっての、この青年漁師さんのブログは、5月の朝日新聞でも紹介されています。
※ アドレスはこちら→ http://www.heiun.com/



ちなみに私目は、宮古の毛ガニ猟師さんのためにも、今年も待ってましたとばかりに、格安毛ガニを頼んでしまいました。
 届きましたら、またまた、茹でたての毛ガニダイアリーと相成ります。

お断り・・・ 私は青年漁師さんとは、何の繋がりもありません。
 毛ガニ好きなことと、毎年毛ガニを頼んで楽しんでいることと、岩手繋がりなことくらいです。
 少しでも宮古の被災地への漁業振興にと思っている、今日のダイアリーでした。

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run 2/16 今日の行動メモ
 今日も寒い日です。私の腰の痛みも寒い日です。

大津波被災地の記録④

2011-07-09 09:29:00 | 東日本大震災
 大津波三陸被災地の記録の④です。  7/9(土)午前記録

 6/26日の三陸の大津波被災地のデジカメ記録のラストです。
 陸前高田市の街並みは、押し寄せたお津波に飲み込まれてしまいした。

 Googleマップの航空写真は大震災後の画像を更新していました。
 大したもです。下の画像は、陸前高田市の壊滅状態のものです。


大きな地図で見る

 私のデジカメ記録は、この航空写真の海沿いの道路からのものです。



この街並みの復興は、一体どうなるのだろう? どうするのだろうか?
 数年後に、また訪れてみたいものです。

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run 7/9 今日の行動メモ
 二男夫婦の赤ん坊に会ってきます。

大津波三陸被災地③

2011-07-06 07:54:00 | 東日本大震災
 大津波三陸被災地の③は陸前高田市のその一です。 7/6(水)午前記録



 3/11日、太平洋の三陸沖で発生したM9.0の巨大地震は、想像を絶する大津波となって、岩手、宮城、福島の3県をはじめ東日本沿岸に襲いかかり、大きな傷跡を残しました。
 こんな大津波の襲来を、一体誰が予測できたでしょうか。

 岩手日報社の大津波の写真集の画像です。
 3/11の地震発生後の午後3時30分、津波は瞬く間に陸前高田市の街をなめつくしました。


 今回は故郷岩手での中学校時代の古希の同期会があり、機会があって、兄の車で被災地の釜石市、大船渡市、そして陸前高田市を一周りしてきました。
 私は小学校へ入学するまでの5年間余りの陸前高田市の広田町の海岸で育ちました。
① 広田町の仮設住宅です。
  広田の港は完全にやられていて、車では海岸には近寄れませんでした。
② 海沿いの道路はめためたにやられていても、まずは車の通れる道路は復旧されていました。そんな中、陸前高田市の災害跡地に入ると、大型バスでボランティアの団体があちこちで黙々と片付け作業をしていました。
 丁度、日曜日だったので、小雨の中でもボランティアできてくれたのでしょう。
 ありがたい姿をデジカメしてきました。
③ 三か月以上も経過した陸前高田市の街並みは、その面影はありません。
 瓦礫の片づけが行われて、ここには無残な車の墓場となっています。

④ 市街地を飲み込んだ大津波で、木造の建物はすべて破壊されて流され、かろうじてポツポツと鉄筋コンクリートの建物がその位置関係を教えてくれます。

 後日、陸前高田市のその二の画像です。

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run 7/6 今日の行動メモ
 カラカラ梅雨の別荘のお花畑と野菜畑の管理で、別荘へ出かけることにしました。
 今回も夏草との闘いの作業が延々と続きます。

大津波三陸被災地②

2011-07-02 10:36:00 | 東日本大震災
 大津波被災地の大船渡の記録です。 7/2(土)午前記録

  大船渡の市街地も悲惨でした。
岩手日報社の「平成の三陸大津波 岩手の記録」からです。
 スーパーMAIYAの屋上に避難者の姿が見える。
 すさまじい大津波襲来の後です。



 6/26日、小雨模様でしたが、二番目の兄が、私にサービスしてくれ、三陸の被災地を訪れてみました。
 遠野を過ぎると日曜日のせいでしょうか。結構交通量があります。兄に言わせれば、途切れなく来る車の数に「何だろう。この車の数は?」でした。
 他県ナンバーのパトカーの数に感心しました。

 先日の①の釜石の後、海沿いに大船渡を目指しました。
① 何度か釣りに行ったことのある「越喜来」の海と港は、防潮堤を軽く越えて大津波は押し寄せています。
② 海の中の防波堤は、随分と低くなっています、かなりの地盤低下なのだそうです。



③ 大船渡のセメント工場の煙突が見える港は、ご覧の通りです。
④ 道路上に瓦礫はありませんが、片づけた後なのです。
⑤ 片づけは、まずは道路の確保ですが、一面の瓦礫の港の姿を思い浮かべました。
⑥ ポツリとあった家には、「3.19×」と書かれていました。
 取り壊しOKの書き込みです。
 小雨の中での被災地のドライブ見学は、不謹慎とは言え、この目で確かめた地震と大津波の被害の規模の大きさは、ものすごいものです。
 三陸の海沿いは、全てこのような大津波の被害の後が残りました。

   次回は、陸前高田市の記録をダイアリーします。
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run 7/2 今日の行動メモ
 園芸です・・・


津波三陸被災地見る①

2011-06-29 11:12:00 | 東日本大震災
 故郷岩手の三陸津波被災地を見てきました。6/29(水)午前記録

 三陸海岸の津波の被災地に、機会があれば行ってみたいと思っていました。
 今回は、6/26日の小雨交じりの天気の中を、兄の車で200kmあまりの被災地見学のドライブでした。
 釜石、大船渡、陸前高田の三市の被災地は、まさに壊滅的な被害の後でした。
 ①釜石、②大船渡、③陸前高田と、三回で私のデジカメ記録からダイアリーします。

岩手日報社の写真集からの釜石への大津波画像です。

bikkuri 3/11日のあのいまわしい大災害の後を見てきました。
 この画像は、岩手日報社の平成三陸大津波の岩手の記録の写真集からです。
 私は、三陸へ押し寄せる大津波のテレビ報道の画像を、災害発生の後からずっーと見続けましたから、リアルタイムで大津波の恐ろしさと被害の甚大さを感じ取ることができました。
 釜石の市街地は、押し寄せた大津波が港の市街地を濁流で何度も襲われました。
 その一端のTV報道はは見ているはずです。

 しかし、現地は勿論、岩手県の皆さんは停電でTVを見ることができたのが数日後でした。
 
 あれから、三か月以上経った被災地の様子は、道路はすっかり片づけられて、いたる所に瓦礫の山と、大地震と大津波に襲われた後が生々しく残っています。

釜石の市街地の画像です。

釜石駅と市街地の中に入った、災害の後の画像6枚です。
 周りが全部こんな景色です。
 港へ続く商店街は、ゴーストタウンとなっていて、商店街の建物には取り壊しOKの×印が書かれていました。
 あの釜石市の商店街の復興は、まず、無理でしょう。
 道路はきれいに片づけられていますが、人の姿ははありません。
 26日は小雨の日でしたが、日曜日なので、私たちと同じ目的の被災地の見物の車でしょうか。かなりの車が走ります。
 それに、パトカーの多いこと。大阪・京都・兵庫・北海道などの警察車両が走ります。

 多分、少し前までは、パワーショベル重機と自衛隊の皆様方の車両が多かったのでしょう。
 次回の三陸被災地の②は大船渡の画像をダイアリーします。
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run 6/29 今日の行動メモ
 別荘管理訪問の準備です。 


宮古の青年漁師

2011-05-02 00:23:00 | 東日本大震災
 宮古の青年漁師の平運丸が漁を再開しました。
 毎年毛ガニが食べたくて、三陸宮古の青年漁師さんから、直販でゲットしていました。
 その漁師さんは今回の大津波の到来で、船で沖合に逃れて、津波がおさまり港へ帰ると、自宅も流されていたと言う、災害の様子を自分のブログに携帯電話から書き込んでいたことにつていて、ダイアリー紹介したことがありますが・・・。
 
 5/1の毎日新聞HPニュース報道で、災害からの避難の様子と、やっと毛ガニ漁の再開までこぎつけたと言うことが取り上げられています。

http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/news/20110501k0000e040001000c.html

 これからのますますの頑張りを応援したいと思います。

部屋の片づけです。

2011-03-22 10:29:00 | 東日本大震災
 地震対策で自分の部屋を整理しています。 3/22(火)午前記録

 3/11日の地震の私の部屋は、棚から箱が飛び出したり、机の上のカメラが床に落ちていたりで、地震の際の落下物の危険な状態が分かりました。
 あれ以来、高い所への何でも積んどくは考えものだと、改善することにしました。

erohanadi 3/11日2:46の大地震の揺れは、一階の居間にいました。
 昼食後のウオーキングから帰ってきて、TVを観ていました。
 TVの画面に、突然、緊急地震速報が出たと思ったら、今まで体験したことのない揺れ方でした。しかも長い時間の激しい揺れです。
 まだまだ揺れる中、玄関のドアを開けて、外への出口を確保しました。

 揺れが治まってから、二階の自分の部屋に入ると、棚に入れていた、細かいものがバラバラと落ちていました。地震は二階が安全だと聞いていますが、揺れ方は二階が大きかったようです。
 TVのニュース報道を観ながら、自分の部屋の何でもあれのガラクタの収納のひどさに、改めて感心してしまいました。

 自分の部屋は、何でもあれの部屋なので、そのガラクタ備品と小物がすごいのです。
 しっかりとした本棚はあるものの、こちらの一角は大好きなカラーボックスが活躍しています。
 趣味の簡単ホビーの小物は私の部屋の宝物なので、棚のあちこちに色々置いたり、入れたり、積んだり、です。
 色々な塗料、大工道具と小物、お得意の簡単ホビーの小物、CDとDVDのラック、色々な飾り物と置物、などなどが、無秩序に棚の中に入れていました。

bomb 大揺れの地震体験の後、自分の部屋の中の何でもあれの収納を眺めて、次に来る地震ために、なんとかしなくてはと少しずつ改善することにしました。

 しかし、地震の余震は続いています。・・・・・・・・・・・・・・・
 このダイアリーを書き込みながらも、小さな揺れです。あれ以来、小さな揺れには驚かなくなった自分が不思議です。



 近頃のウオーキングコースは、近所のホームセンターコースが多くなりました。
 早速訪問のホームセンターの棚には、家具転倒防止です。
 私も新たに二つゲットでした。それに、ガスボンベです。さらに余計なバケツのバケツの買い物でした。
 ガスボンベとバケツのゲットは、妻に余計な買い物だと注意されてしまったりの、ホームセンターでの防災グッズの買い物となっています。

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run 3/22 今日の行動メモ
 延び延びになっていた花の種蒔きです。