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森達也『ドキュメンタリーは嘘をつく』

2007-02-02 21:58:04 | 雑談
やられたと思った。テレビ東京系で昨年12月31日に再放送された、森達也『ドキュメンタリーは嘘をつく』を見た。

森の同名の著書をドキュメンタリーにするという話で、森が旧知の映画監督村上賢司を呼び出し、さらにリポーターの人選もまかせる。村上は、森の「あまり業界に染まっていない人」をというリクエストに応え、専門学校の女子学生を連れてくる。

そして原一男、佐藤真、緒方明などという映画監督との対談が行われる。しかし森は多忙という口実で、遅刻したり、インタビューの最中に携帯電話に出たり、別の原稿を書き出し、「金のために仕事をしている」とうそぶき、最後にはとうとう番組を降りてしまう。そうしてその後を引き継いだディレクターは、妊娠している妻に新型の洗濯機を買うため嫌々ながら引き受けたと告白する。

あまりにも森の偽悪さ加減が目立ったので、偽悪な所を見せて、整然と放映されるドキュメンタリーの裏側では、常に不協和音が起きていることを示したいのだと思った。そして真実を追究するドキュメンタリーといっても、お金のために作られているという一面があるということをあくどく見せているのだと思っていた。

しかし最後を見て驚いた。専門学校女子学生は、女優の水木ゆうなが演じていることがばらされた。そして途中で番組を降りたはずの森も参加しているし、最後のエンドロールではディレクター(役)となっている。ドキュメンタリー中に登場した、父を捜すために自分でドキュメンタリーを作っているという青年、さらに再会を果たし、修羅場を演じた父も、ニセ者であったのだ。もちろんディレクターの妊娠している妻もニセ者だ。

映画監督との対談は本物であり、森が断片的に語っていたこと(たとえば「街頭インタビューはつまらない。多くの意見の中で、ディレクターの意見に合うものを拾うだけなのだ」)は正しいとは思うが、ドキュメンタリー自体がヤラセであったのだ。

メディアリテラシーとは、メディアで報じられていることの真贋を見抜くことだと思うが、そんなことは言われなくても分かっていると考えていた自分が恥ずかしかった。私は完全にメディアにだまされうるという認識から出発しなければならないと思った。
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