そういえば、美術館にいってきたんですよ。
どこかというと、静岡県立美術館と静岡アートギャラリーです。
県立美術館の方では『シャガール展』にいってきました。
近現代ではあまり珍しくないのかも知れませんが、主役であるマルク・シャガール(1887~1985)は生前に成功した数少ない画家の一人です。画家…というのは、少し役不足かも知れません。絵画を中心に、版画や舞台芸術の分野でも活躍したのですから。芸術家といえるでしょうか。
キュービズムでもあり、シュールレアリスムでもあり。
ユダヤ人でもあったシャガールは、二度の世界大戦を経験し、さらに二回目の戦争ではその出自ゆえに迫害まで受けるという、大きな経験をしました。
ただ、彼にとって救いであったのは幸せな家庭を築けたことでしょう。最後まで添い遂げることはできませんでしたが、それでも彼の○年の人生のうち、およそ30年は幸福だったといってよいと思います。
戦後は世界的にも多様性の時代です。それは一般庶民が地位を確保されることによって平和のうちに主義・主張を訴えることができるようになり、そうなると必然的に意見を述べる人が多くなる。意見の多様性につながることは、火を見るよりも明らかです。
つまり、芸術もそうです。何が美しくて、不細工なのか。どんな色遣いが甲で、どのようなのが丁なのか。
すべて、個人により違います。政治的主張と同じように。
きっと、そういうこともシャガール成功の要素だったのではないかと思います。
シャガールの絵は、わたしは好きですし、違和感というものは感じません。そこはかとない不安感が好きだったり、抜けるような幸福感溢れる空も好きです。
それから、余談になってしまうんですけど、静岡県立美術館といえば、オーギュスト・ロダン(1840~1917)と近世浮世絵が有名だと思いますが、今回はシャガール展に加えて伊藤若沖(1716~1800)の幻といわれた名画『樹花鳥獣図屏風』を目にすることができました。
あの、アメリカで見つかったというモザイクを駆使した屏風ですね。
『美の巨人たち』でも取り上げられましたので、好きな人なら見たこともあるのではないでしょうか。
収蔵品展として、『若沖から狩野派まで ~百花繚乱の18世紀~』が行われておりまして、いいものを見させてもらいましたよ。
一方、静岡市立の静岡アートギャラリーでは『絵で読む宮沢賢治展~賢治と絵本絵画の世界』が開かれていました。
宮沢賢治(1896~1933)は、今でこそ大正を代表する大作家ですが、生前はそれはそれは苦難の人生でした。
まぁわたしは今までも、数度に渡って、賢治について書いてきましたので、そこらは割愛したいと思います。
で、今更なんですけどね。わたしは宮沢賢治の作品が好きだなぁと痛感しました。
賢治の活躍した分野は、童話です。童話と片付けるにはいささか難儀な気もしますが、児童文学ともまた括りきれない部分もあります。
ゆえに、文字や音だけでは子どもに伝わりづらい部分があるのもその通りです。なので、賢治の文学性を伝えるためには、絵も重要な要素になるかもしれないのです。
賢治の童話を題材にした絵本は、実に多く出版されています。そして、その絵本の原画を集めたのが今回の展覧会であるわけです。
いや、本当に面白い。挿絵画家によって、絵のテーマや時代背景、タッチも大きく違います。わたしが昔から馴染んできた有名な挿絵画家もいれば、また見たことがないような絵を描く画家さんもいらっしゃいました。
なんか、宮沢賢治童話の視野が広がったような気がします。
歴史に名を残す大芸術家もすばらしいですが、今を生きる名だたるイラストレーターの作品も心を打つものがあります。
それは、宮沢賢治の影響も少なからずあるはずです。
ところで、わたしが何を驚いたって、市の単位で美術施設を持っているってことですよ。
甲府では考えられないですねー。
ハコモノ施設好きなわたしとしては、大変うらやましいかぎりですね。
さて、先日うんこの話をしました。
いや、胃腸の話です、胃腸の話。
メタボ検診で持ちきりの今年度の健康診断。わたしはまだ年齢が四十に達しておりませんので、幸い腹回りを測られることはなかったのですが…まぁその話はいいです。
で、健康診断の中にはですね、検便もあるわけですよ。
検便というと、うんこを検体として提出するわけですが、うんこといえばわたしは環境が変わると便秘になってしまうというデリケートな胃腸の持ち主です。
そして、困ったことにうんこをしようとすると、緊張してうんこがでなくなってしまうという質の人間でもあるのです。
ということは、何をいわんとしているかというと、その検体を採取するためにはうんこをしなければならなかったんです。
すると、うんこが出ないんですよ。困った胃腸ですね。
結局、その日はうんこが出なくて、検体提出に間に合いませんでした…。
と、「ほっ」とした瞬間にあら、おなかが痛い…。というふうになってしまったわけですね。
本当、わたしの頭ぐらいお気楽になればいいのにと思います。
サッカーをね、最近見るようになったんです。
何度も書きますが、わたしはサッカー素人ですから、戦術とか戦略とかシステムとかオフ・ザ・ボールとかよくわからないんですけど、それでも見ていて、それとなく面白い感じがする。
おもしろさを解するという点では、やはり野球が上なんですけど、サッカーは流動的な試合の流れがいいのかなとも思います。
実はわたしにとっての野球の面白さは、試合とはまた違ったところにあったりします。もちろん、試合も見ていて面白いんですけどね。
それはデータを綿密にとるんです。
まぁ野球という競技は、日本で人気を得て長い歴史を持ちますので、記録や記念というものを大事にします。
例えば、打率・打点・打数。本塁打数・安打数・塁打数とか。勝利・勝率・セーブ・セーブポイント・ホールドや奪三振とか。連続試合出場とか。
そういったものに付随して、どうでもいいようなデータも盛んにとるようになりました。
変化球種別打率とか。内外角打率とか。失策率。そういう、競技本体とはちょっと違ったような視点のデータですね。
およそ10年前後の野球人生の中で、どんな成果を残し、何が得意で不得意だったのかを、数字で見ることができます。
それは戦術・戦略上は最高機密といっても過言ではないデータなんですよ。だから、見ると面白かったりするんですよね。
アメリカではこれがセイバーメトリクス(SABRmetrics)という立派な学問として確立されて、信憑性は別として、現場では大変重く見られているようです。
もちろん、ID野球を重視する監督がそうだろうと思うんですけどね。
サッカーは、実は野球以上にデータが重要なスポーツだと思うんですが、どうしたことか日本ではこういったデータがあまり出ていない気がするんです。
いえ、わたしは素人ですから、本当は出ているかも知れないですけど、少なくともわたしはあまり見かけません。
野球では、毎年シーズン前に発売される選手名鑑にすら各種データが米粒など比較にならぬほど小さな文字で記載されている。
わたしなどは変わり者なので、そのデータを黙々と読むのも好きなんですが、どうしたことかサッカー選手名鑑はあまり見ません。
ふーんと思っていたんですが、先日、面白いものを見つけまして。
それが、「J Stats opta」。
個人単位ではないんですけど、チーム単位で綿密にデータがとられていて、緻密な分析が行われているんです。
これが面白い。サッカーは前述の通り、流動的継続的なスポーツです。それをCTスキャンでも撮ったように輪切りで見る。そんな感覚です。
野球は点、サッカーは線のスポーツなのかなと思います。
こういうのが好きな人もいれば、またそうでない人もいるでしょう。
しかし、その道の人なら、わたし以上に興味深く見ることができると思います。
小林多喜二「蟹工船」突然のブーム ワーキングプアの“連帯感”(産経新聞) - goo ニュース
小林多喜二の『蟹工船』(新潮文庫)が売れている。世界恐慌の起こった昭和4年に刊行されたプロレタリア文学を代表する作品だ。29年に文庫化され、これまでも年に約5000部が売れ続けるロングセラーだったが、今年に入って突然売れ始め、急遽(きゅうきょ)4月に7000部を増刷、それでも追いつかず、5万部を増刷した。ブームの背景には「ワーキングプア」と呼ばれる人々からの共感があるようだ。
小林多喜二(1903~1933)の『蟹工船』(1929)といえば、プロレタリア文学の最高峰として名高い名著ですね。
といっても、わたしは未読なんですけどね。
大学の時ですかね、近代文学の授業でレポート課題があったんですよ。読書レポートでしたので、適当に本を読んで感想を書きなさいというふうな。
何の作品にするか悩んでいたのですが、そういえば前々から気になる作家がいたなというので、さっそく図書館に行って、その人の本を借りてきました。
それが葉山嘉樹(1894~1945)。多喜二とともに、プロレタリア文学の重鎮の一人ですね。
葉山嘉樹といえば、プロレタリア文学史上傑作といわれる『海に生くる人々』(1926)が有名ですが、わたしが気になったのは嘉樹の出世作となった『セメント樽の中の手紙』(1924)。
ネタバレ覚悟であらすじを。何せ、文字数3000字にも満たない短い話です。
セメント工場で働く男がいます。低賃金・重労働という劣悪な労働環境の中、日々苦しい生活を強いられます。
ある日、男はセメントのもとになる砂の入った樽の中から、手紙の入った小箱を見つけます。
家に帰ってからその手紙を読んでみますと、衝撃的な話が書いてありました。
手紙の主は、セメント袋を縫う女工でした。
同じ工場とおぼしき場所で働いていた男性とつきあっていたといいます。その恋人は、石灰石かケイ石かわかりませんが、岩を破砕機にぶち込んで粉々にする仕事をしていたようです。
ところが、その恋人があるとき、どうしたことが岩や石と一緒に破砕機に巻き込まれてしまったというのです。
そのときの様子の文章を引用しますと
「そして、石と恋人の体とは砕け合って、赤い細い石になって、ベルトの上へ落ちました。ベルトは粉砕筒《ふんさいとう》へ入って行きました。そこで鋼鉄の弾丸と一緒になって、細《こまか》く細く、はげしい音に呪《のろい》の声を叫びながら、砕かれました。そうして焼かれて、立派にセメントとなりました。」
おおお…。目を覆わんばかりの惨事であります。
女工に悲しむ暇はありません。日々の生活が、彼女には残っているのです。
そこで、恋人の血や肉にまみれたセメントが、一体いつ、どこで、どのように使われたのかを聞きたいと欲して、この手紙をそっとしのばせたというのです。
手紙の最後は、こう締めくくられています。
「あなたも御用心なさいませ。さようなら。」
主人公の男は、やりきれない思いを
「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかも打《ぶ》ち壊して見てえなあ」
という言葉で表していますが、その言葉もまたやりきれない。
彼には、妻と7人の子どもがいるのですから。怒りをぶちまける暇すらないのです。
勢い、そのまま『海に生くる人々』も読んでしまったんですけどね。うーん、どちらにしても、まったくやりきれない話ですよね。
こうしてプロレタリア文学に興味を持つのはいいことだと思いますが、果たしてこれが行動につながるか。
行動に移してこそ、こういう社会性を持った文学はその価値が発揮されるはずです。
日本を変えるなら、今がチャンス。と思いますね。
※引用は、青空文庫さんからお借りしました。
【香港13日時事】香港紙・リンゴ日報などは13日、中国四川省で12日起きた大地震の前に、同省の綿竹市で数十万匹のヒキガエルが一斉に移動するという異常現象があったと報じた。地元住民は「何かの凶兆ではないか」と不安を感じていたという。
まずは被害に追われた中国の、そして世界の方々にお見舞い申し上げます。
タイミングもタイミング、恐ろしいほどのタイミングで地震が起きてしまいましたね。
折からのチベット問題に加えて、この大地震。
しかも、死者は1万人を超えそうだと。
また、この被害は地震のみならず、急成長裏の手抜き工事が大きく影響しているようです。
こうなると素人のわたしとしては、果たして無事にオリンピックは開かれるのかと。
いや、むしろこれも愛国心の高揚に一役買うかも知れませんね。
オリンピックもいいですが、突貫工事で被害が拡大したという点も早急に対処してほしいですね。
ところで、天変地異が起こりますとこういう動植物の異常行動が話題にあがりますが、どれほど信憑性があるもんなんですかね。
どこかの電子掲示板に、「動植物異常行動による地震予知」のスレッドを立ててみてはどうでしょう。
もし異常行動を確認したら、日本中の人に書き込んでもらうんです。
それで地震とかが起きたらこの上ない証拠になりますし、統計も取りやすいんではないかと。
長年、ナマズが地震を起こすといわれてきましたが、あれもナマズが地震が起きることを感知して、タイミング良く行動を起こすのでそう間違われてきたと聞いたことがあります。
なかなか面白い取り組みだと思うんですけどね。
え? もちろんわたしからはやりませんよ。
異常気象が続いています。
何でも、北海道東部の方では雪が降ったそうで。
ここ数日の気象の目まぐるしい移り変わりのおかげで、わたしの方はすっかり体調を崩してしまいました。
そう、ゴールデンウィーク一日目以来崩した体調が、どうも快方に向かわぬのです。
異常気象といえば、台風2号が近づいてきているそうで。
ところが、この時期の台風接近はそれほど珍しいことでもないそうです。不思議なもんですね。
もしかして、あれじゃないですか。
異常気象も十年続けば「例年通り」になってしまうんじゃないですか。
ここ二、三年、ごく早い時期に台風がやってくることが多かった気もするんですけど、それで「普通」になっちゃたんではないですか。
それはそれで由々しき事態なんですが、もろもろの社会情勢も含めて、どうも世界はおかしい方向に進んでいるような気もします。
学者先生にいわせれば、進むべき道を進んでいるというかも知れませんが、あえていわせてもらえば、
「そろそろ世界、変わってもいいんじゃない?」
て、思いませんか。
戦後65年。30年一世代ととらえれば、戦後第二世代も終盤。新しい意識を持った世代が出てきて、社会秩序を壊すのが現れてもいいのではないかと。
もちろん、正しい政治的方法を持ってですよ。
宗教とかも関係なく。
その人が持つカリスマ性のみを拠り所にして、新しい社会を作り上げると。
なんていうと、危険思想と思われるかも知れませんが、この多様性社会では特定の一個人が万人に受け入れられるのはほぼ奇蹟。
もし、そういう人が出てきたら、ついていくのも一興かも知れません。
とはいっても、所詮はヘタレのいうこと。わたしはただの傍観者に過ぎぬのです。
その功績は、実に多彩。
身近なところでは、望遠鏡を天体観測に使う。それから、記録上では黒点の最初の観測者。ほかには月面の正確なスケッチを残しましたし、木星の衛星を見つけたのも、ガリレオです。
物理学の分野では、振り子の等時性。落体の法則ですね。
しかし、中でも特に有名なのは、地動説の提唱と推進ですね。
地動説というのは、「地球が動く」…つまり、それまでの「天が動く」天動説の対義の説なわけです。
天動説ってのは、地球を宇宙の中心として天が動くと。
ガリレオや盟友ケプラー(1571~1630)が生きた時代は、教会が絶対的な権力を持っていたわけですよ。
教会ってのは、神が絶対なわけでいかにも、天動説が好きそうではないですか。
神の力と世界の存在をイコールで結びたかった。そのためには、天動説は実に都合がよい学説だったんですね。
そんなときに、ポーランドにコペルニクス(1473~1543)が現れて、地動説を唱えました。とはいえ、コペルニクスは聖職者でもあり、自身が唱えた地動説に一定の自信を持ちつつも、公表することは差し控えていたようです。
しかし、ガリレオが現れたことで、地動説を取り巻く状況が一変。
彼は科学的証拠を持って、唱えたわけですね。
そうすると、教会としては非常に都合が悪い。そこでそんな罰当たりなことをいうようなやつは、裁判開いて有罪にしちまおうと。もし刑に服したくなのであれば、地動説の撤回をすればいいと。
中には、ジョルダーノ・ブルーノ(1548~1600)のように火あぶりの刑で、死んだものもおります。
ガリレオも、その宗教裁判にかけられてしまいます。
三回審判にかけられ、極刑回避と引き替えに、地動説を捨てることを神に誓わされてしまいます。結局、無期刑に処せされます(後、軟禁刑に減刑)。
こうして、彼は以後死ぬまで、監視されながら無為な日々を過ごしていくわけです。
地動説を捨てる宣誓時に、ガリレオがいったのが有名な
「それでも、地球は回っている」
という言葉です。
ところで、今日5月9日は何の日か知っていますか?
1992年の今日、実に350年ぶりにガリレオ・ガリレイは無罪であると、キリスト教会が認めたんです。
ガリレオは、死して尚罪人扱いだったわけですね。
何事も、自分の主義主張を明確にするのはリスクがつきまとうものです。
まぁわたしなどは、ヘタレを絵に描いたような男ですから、そんなことすらしないわけですが…。
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なんだか深いのか深くないのか、器用なのか不器用なのかよくわかりませんが、高田純次(1947~)さんは間違いなく、わたしのツボなのです。
実は、わたしと高田純次さんとは深からぬ縁がありまして。
それは、フジテレビ系で毎年正月に放送されていた『最強運芸能人決定戦。』という番組がありまして。
その番組は占い番組なのですが、ただの占いとは違うんですよ。
星座(12種)×干支(12種)×血液型(4種)の複合占いで、その組み合わせは実に576通。
その576通りを、ランキング形式に発表していくという誠に正月らしい番組だったんです。
残念ながら、今年はやらなかったようなんですけどね。
で、わたしと高田さんとの縁なんですけど、実はですね、わたしと高田さんの星座・干支・血液型の組み合わせがまるっきり同じなんですよ。
…て、まぁそれだけなんですけどね。
高田純次さんみたいな人生が送ってみたいとは思うのは、性質が近いからなのかも知れません。
江戸時代後期、木喰(1718?~1810?)という僧侶がいました。
僧侶なんですが、仏像制作者としての顔の方が有名かも知れません。
93年といわれる生涯の中で、彫刻した仏像は実に千体ともいわれ、しかも特徴的なのはその作風なのです。
「木喰仏」ともいわれる仏像群は、一見すると地方の民芸品と見間違えてしまうほど簡素で素朴。装飾はあまりありませんが、その顔には暖かい笑みを浮かべ、その笑みに木食の宗教観が集約されているようです。
もともと、木喰というのは仏教でいう「戒」であって、五穀十穀を断ち、山菜や木の実などで食いつなぐという非常に過酷な修行のことです。
もっとも、彼が木喰と名乗ったのは45以降のことで、それまで何と名乗っていたかはわかっていないようです。
修行を重ねたのち、彼は日本一周の旅(回国修行)に出かけます。この時、56歳。
北は北海道有珠から南は九州鹿児島まで、彼の足跡はあちらこちらに残っています。特に新潟・静岡には多くの仏像が残っており、中には地域の人に大変大切にされ、できたてと見まごうほどのものも残っています。
と、なぜこんなことをいっているかというと、昨日まで山梨県立博物館で開かれていた企画展『木喰展 生誕290年~庶民の信仰、微笑仏~』を見に行ってきたんですよ。
何で山梨で木喰展なのかというと、木喰の出生地は山梨県身延町なんです。
その縁で、身延町には「木喰の里微笑館」という施設もあるそうですよ。
14歳で家出して以降、帰郷したのは実に三回のみということで、彼は山梨という閉鎖的世界にあまり好まなかったのかも知れません。
内容はすばらしい充実ぶりでしたよ。林立する仏像は穏やかな笑みを称え、そして達観した表情はどんな美術品にも見ることはできないでしょう。
いいものを見させてもらったと思います。
いつぞや話をしたキグレNewサーカスさんの公演を見に行ってきましたよ。
実に、20年ぶりぐらいのサーカスです。
よかったですよー、いいものを見させていただきました。
だいぶ昔の話でしたから、サーカステントもこんなに小さかったかなぁと思うほどでしたが、公演内容は昔と遜色なく。
綱渡りや空中ブランコなどの定番はもちろん、バイクやいす、和傘などを用いた芸まで幅広く、犬などの動物を使った芸で楽しませてくれました。
何度も書くんですけどね、やはり年頃の子どもには一度は見せてあげたいものです。
サーカスを題材にした作品が多いというのは、作者にとってその経験がどれほど大きな影響与えたかということだと思うんですよね。
まぁ、でも。理屈ではありません。
11日には千秋楽を迎えてしまいます。ぜひ、この希少な機会を見逃さずにご覧になっていただきたいですね。