観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

また楽しからずや

2014-12-30 13:11:05 | 14
教授 高槻成紀

 12月6日に鳥取大学に招かれて鳥取市に行きました。私は米子という町で育ちました。米子は鳥取県の西の端、鳥取は東の端で、同じ県ですが遠い感じで、むしろ隣県の島根の松江のほうが距離としても意識としても近く感じていました。講演が終わって見た冬の日本海の濃紺と灰色も混ぜたような深い色がズシンと心に染みました。
 若い頃に友人のお姉さんが結婚し、今は時効としてよいと思いますが、そのときは親が結婚に反対で式を挙げられなかったので、友人と私だけがお祝いに行きました。今はその世界ではよくしられた陶芸家ですが、当時は無名ですから親が心配するのはもっともです。
 私は今でもアルコールはだめですが、その頃は自分が呑めないことも知らなかったので、完全にダウンしたことを覚えています。その後は年賀状のやりとりくらいでした。そのご夫妻の窯が鳥取市の山あいにあるので、なんと40数年ぶりに訪問しました。すばらしい作品とコレクションを見て、また山あいの民家風のアトリエ等をみて、感動しました。
 そこはレストランも兼ねていて、当日は日曜日でお客さんが多かったので、ゆっくりの話はできませんでしたが、ほんとうに久しぶりにお会いしたお姉さんは、厨房で活き活きと仕事をしておられました。さばさばした性格で、あいかわらずの辛みのある口調で
「あんたは若い頃はかわいかったのに、こんなおじさんになって」
と、孫が5人もいる60代の老人をつかまえて乱暴な歓迎をしてくれました。米子という町にはこういう辛口好みの人がわりあいいます。私に2歳上の姉がいますが、姉同士も同級生だったので、話がそこにおよぶと「真理ちゃん(私の姉)があんたの部屋にはいると、ほんとに足の踏み場もないほど、チョウチョの幼虫を飼っとってかなわんだった」(かなわんというのは、「どうしようもない」という感じです)というようなことを話していました。確かに身に覚えがあります。
 半世紀もの時間があっというまに埋まりましたが、突然「あの詩はよかった」と、毒舌の彼女にしては珍しく褒め言葉です。何のことかと聞くと、私が訳した「ナラの木」がラジオで放送されたのを聞いたのだそうです。そしてネットで探してその詩をお店にも飾っていてくださったそうです。

 40数年前、親に祝福されないで、しかし自分の人生の伴侶を信じ、退路を断って飛び出したとき、弟の友人が祝福に来て酔いつぶれたのは、たぶん嬉しかったのでしょう。その後私も鳥取市に行くことはなかったために会わないままお互い歳をとりました。年賀状だけの細いつながりはあったものの、ご無沙汰を続けていました。そうした中で、たまたま私が「ナラの木」を訳し、それを鳥取の山あいでラジオを聞いて、あの詩の魂に打たれてその詩をお店に飾ってくださったということを知ったというわけです。
 険しいに違いない陶芸の道で身を立てる人の門出を祝いたいという当時の私には、自分が研究者としてやっていけるかどうかという不安がありながら、しかし自分を信じて険しい道を進みたいという気持があり、その意味で自分自身の人生選択と重なるものを感じていました。そして半世紀近く、お互い自分の信じる道を追い求めて来て、その半生を閉じようとしている。口には出さなくても、「まあ、お互いよくやったよね」という共感がありました。



 「ナラの木」のことを聞いたとき、毎日の変わりばえもしない日常の中に、細いけれども鋭利な光を放つ電光のようなものが、はるかアメリカから私の心に届き、それが鳥取の山あいにも伝わったのだと思いました。人のつながりの不思議さとおもしろさを感じました。
 挨拶をして外に出ると霙が降っていて、湿った空気の肌触りに子供の頃の感覚を思い出し、懐かしさに包まれました。

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