観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

インターンでの体験

2014-10-23 22:10:16 | 14
3年 浅井未有子

 私は、今年の夏休みに地元の自然公園で2週間インターンをさせていただいた。私の地元は新潟県魚沼市で、お米と自然が自慢の場所である。小さい頃から自然に囲まれて育ち、家の中で遊ぶよりも山や林、川の中で遊んだ思い出のほうが多いような気がする。インターンに行った自然公園は、私が幼稚園の頃にでき、家からも近かったことから、小学生、中学生になっても学校の活動や、両親、祖父母と共に度々足を運んでいた。高校生になってからはあまり行く機会もなくなってしまったが、自分が大学で勉強したことを今まで地元のお世話になった場所で生かしてみたいと思い、この場所をインターン先に選んだ。また、元々自然が好きで自然保護や自然の大切さを子供たちに伝えていく仕事に興味があったことも動機のひとつである。
 2週間のインターンでは受付や園内の見回り、工作教室の手伝いなどさまざまな体験をさせていただ胃た。そのなかで、私が一番印象に残ったのは、クマの痕跡調査でした。
 実はこのインターン中にクマが園内に出没した痕跡が見つかり、クマによる植物の食害やどの辺りを行動圏としているかなどを調査することになった。そして、園の方にクマの痕跡と食害の特徴、どのような食物を好むかなどを教えていただいた。クマが出没してから2日目にクマの大きさを推定するため、足跡調査をすることになったが、園内でははっきりとした足跡を見つけることができなかった。私は野生動物が頻繁に出没する道路に石灰をまくことで、足跡を付けることができるという既存研究を思い出し、クマの出没場所に石灰をまくことを提案した。しかし、園の方から「石灰のにおいをクマが嫌がってうまく足跡がとれないかもしれない」という指摘を受け、県職の方の提案で小麦粉をまくことにした。その日から2日程経ちってから見に行ってみると、前日に降った雨の影響で小麦粉が固まってしまい、うまく足跡をとることができなかった。
 そのことは残念だったが、野生動物を対象とした調査や研究というのは、こういうことが起こりやすいのではないかと感じた。野生動物は私たちが望むような行動をとってくれないこともあり、さらに自然や天候が邪魔をすることもある。野生動物を研究するということは、実験室でやる研究よりも失敗することや、自分の思うような結果が得られないことがあるのではないかと思った。私はこれから本格的に卒業研究を行っていくわけだが、この体験を活かして、失敗を繰り返しても諦めず、さらに考え根気よく研究をしていきたいと思う。

ネズミ捕りは奥が深い

2014-10-23 18:24:36 | 14
修士二年 靍田隼人

 私は修士課程2年で研究活動に没頭中だが、その傍ら調査道具の購入や調査費を稼ぐためとフィールドワークの技術向上のため、野生動物調査のアルバイトも行っている。今回はそこでの経験について、特にネズミの捕獲について書きたいと思う。
 今年になって、学部3年の頃からいつもお世話になっているプロの調査屋さんから「お前もそろそろネズミ捕りくらい出来るようになってもらわなきゃなー」と言われ、ひたすらネズミ類の捕獲をさせてもらう機会をいただいた。
 調査は、シャーマントラップという捕獲器を調査範囲内に決められた個数を自由に仕掛けて、調査範囲内に生息するネズミ類を全種捕獲することを目的としてやっている。細やかな手ほどきなどは受けず、とにかくネズミもしくはヒミズの気持ちになりきって通り道や坑道に罠を仕掛けた。すると、ネズミはちゃんとたくさん獲れていた。しかし、獲れたのは全部アカネズミという種類だけだった。しかも、ヒミズ類を狙ってかけた罠にもかかわらずアカネズミが獲れていた。「アカネズミばっかとってもしょうがないんだぞ」と言われ、考え込む。
 その後も試行錯誤しながらやっていくと、いくつかわかってきたことがある。ひとつは、ネズミの種類によって獲れる環境がある程度決まっていること。もうひとつは、環境ごとに、そこに優占している種類がいて(大概アカネズミかヒメネズミ)、罠をネズミの通りそうな場所に散在してかけると優占している種しか獲れないことだ。この二つが分かってからは、優占種以外の狙ったネズミがいそうな環境にまとめて罠をかけることによって、他のネズミがある程度獲れるようになってきた。狙ったネズミが狙った場所で獲れたときはとても嬉しかった。
 少し上達していい気になっていたが、世話になっているプロの調査屋さんが私の代わりに罠をかけると、もっと狙い通りにネズミを捕獲しているように感じた。多分それは経験の違いもあるが、もっと私の考え至っていない事を考慮しているに違いないと感じた。いつもあまり教えてくれないのだが、少し話を聞かせてもらうと、観察もしていないネズミのかなり詳細な行動を想像して罠をかけているようだった。ネズミの研究をしている訳ではないのに、ネズミという生き物のことをよく理解している感じがしてすごいと感じた。
 研究をおこなっていくうえでもこのような経験は非常に刺激になるし、生き物のことをもっと自分も理解したいと感じさせられた。


ヤチネズミ

小さな質問

2014-10-23 12:21:48 | 14
今年、文一総合出版が出している「このは」という雑誌が骨特集をするというので、協力した。麻布大学の標本が紹介されてよかったと思う。出版されてしばらくしてから、eメールが届いた。それは小学2年生の男の子からで、実際は彼のお母さんが書かれたものだったが、質問そのものはその子のことばで書かれていた。10ほどの質問が箇条書きにしてあり、中にはかなり詳細な質問もあった。どうやらその子はしばらく前にころんで縫わなければならないほどの頭のけがをしたようだ。そういうことは多かれ少なかれ誰でも体験することで、ふつうならそれで終わるところだと思うのだが、その子はそれで骨に興味をもったらしい。質問には
「ぼくの頭は大丈夫でしたが、それはぼくが石頭だからですか」
というかわいいものがあった。彼は、骨の丈夫さを不思議に思ったらしい。それでいろいろ調べて人の体には何本の骨があるのだろうかとか、人とイヌの骨はどう違うのだろうかと、興味がどんどん広がったようだ。私はそれにひとつひとつ返事を書いた。

 そうしながら私は自分が中学生のときに同じようなことをしたのを思い出した。昆虫採集や飼育に熱中していた私は、蝶のことで知りたいことがあったのだが、本を読んでも書いてない。それで大胆にも図鑑の著者である九州大学の白水隆先生に手紙を書いたのだ。当時、中学生が図鑑の著者に手紙を書くというのは相当珍しいことだったと思う。それがふつうでないことは私にもわかったから、質問状を出したものの、返事はないだろうと思っていた。ところがしばらくするときれいな字の返事が返ってきたのだ。質問の内容は略すが、便箋2枚にわたる丁寧な手紙をもらったことは忘れられない思い出になっている。

 そういえば、私は、今でも続いている「みんなの歌」が大好きで、NHKに返信用封筒を入れて歌詞カードのリクエストをしていた。そうすると歌詞を書いたパンフレットのようなものが送られて来るのだった。15センチかける20センチくらいの2つ折りで、2色刷りだった。「夕日が背中を押して来る」とか「小さな木の実」などがお気に入りだった。

 山陰の小さな町に育ったから、東京が輝くような存在だったし、テレビで流れる歌を歌う「杉並少年少女合唱団」というのがどういう集まりなのかあれこれ想像した。また大学がどういうところなのか、研究するというのはどういうことなのだろうかもあれこれ想像した。そして返事が来ることで、そういう存在とつながりができたようでうれしかった。
 「骨少年」に返事を書いたときにとくに意識はしなかったが、私の心の底のほうに、その頃の気持ちがあったかもしれない。

シカの行動調査に参加して

2014-10-23 12:05:19 | 14
3年 山本楓
 10月1日から10日まで宮城県にある金華山にシカの行動観察に行きました。今まで3月、7月、8月にも金華山に行きましたが、秋のシカは全然違うことに驚きました。オスは袋角もむけて冬毛に変わり、体に泥を塗って黒くなっていました。泥には自分の尿も混ぜているので独特なにおいがしました。そんなにおいが漂っている場所でシカの行動調査ができると思うとわくわくしました。
 調査は人馴れしたシカがいる神社の境内一帯で、調査の前半はシカがどこにいるかを記録するために、1時間ごとにシカの市を地図上にプロットしました。境内はトビヒノ、タロウ、中央、三角、食堂前など、名前がつけられています。オスジカは個体識別されていて、名前がついているのですが、角や耳の特徴と名前がなかなか一致せず、何回も識別ブックや野帳を見返しながら覚えました。角も一頭一頭個性的で、見ていてすごく楽しかったです。
 調査の後半は角切り行事が終わったので、シカが角切場から出されました。そのため前半とは様子がガラッと変わりました。
 今まで中央にいたBOSSというシカの姿が見えなくなり、そこにオクニヌがなわばりを取りました。私はオクニヌの個体追跡をして記録を取りました。個体追跡は8月に練習をしたので、今回は本格的に記録することになりました。秋ですから、繁殖期なので、繁殖関連の行動にはとくに注目しました。この時期のオスの行動はこれまでとまったく違いました。観察を始めて何日か経ったときに、ついにオクニヌの交尾の瞬間を見ることができました。野生動物の行動を詳しく観察できるというだけで感激ですが、「オスがメスと交尾したのを見た」というのではなく、「自分が知っているオクニヌが交尾した」という観察ができたことは、意味が全然違うと思いました。
 金華山では長年シカの研究がされていて個体識別もされているため、このように個体をみる研究をすることができます。この金華山での調査の歴史に私も関わることができてすごく感慨深く思いました。


角を突き合わせて戦うオスジカ

私にとっての「自然」

2014-10-23 09:41:18 | 13.1
3年 秋元 悠佑

 私には鮮明に思い出すことのできる風景があります。私は東京都の南、大田区の工場の多い土地で生まれ育ちました。私にとって「自然」とは公園の木々や街路樹などが主なものでした。でも、それを見て「これが自然だ」と思っていたわけではありません。それでも、そんな工場ばかりの場所で、唯一、自然を感じることのできる場所がありました。
 それは祖父と行った多摩川の河口付近の土手でした。堤防を越えると、そこには小さな空き地があり、その周りにはたくさんの花やススキがありました。ガタガタの舗装されていない道を通り、川の近くの岩場にいき、よくそこで祖父とカニをとりました。幼かった私は
 「暖かい日は動きが早い!」
 「寒いとあんまりいないし、いても元気がない…」
 「鳥に咥えられてる!食べられちゃう!」
 などと感じました。そういう感覚は私にはとても新鮮であり、これが私にとって「自然」を感じることのできる唯一の瞬間でした。
 ところが、最近、その土手は整備され、花の咲く空き地も、カニのいる岩場もほとんどなくなってしまいました。理由は住民の安全のためです。確かに、河川の増水を考えると、整備し、コンクリートで固めれば洪水を防ぐことができます。しかし、整備された土手を見た祖父は寂しそうでした。私も、自分にとって大切な風景を壊されてしまったことに落胆しました。
 原生自然や珍しい動植物が存在する自然を守るのは多くの人が支持しますが、都市のささやかな自然は守る価値がないと考えられているのかもしれません。しかし、そのささやかな自然に対してかけがえのない思いを抱いている人もいます。「原生自然や珍しい動植物だから守る」、「都市部のささやかな自然だから切り開いてもよい」ではなく、どこにおいての自然でも、そこに存在することの様々な意味を考えてから、行動を起こしてほしいと思います。