観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

実習での体験とタヌキをみて思ったこと

2012-11-02 14:18:56 | 12.10
3年 朝倉源希

 私たち三年生は野生動物管理学実習として10月5 ~8日の日程で群馬県の神津牧場を訪れた。実習ではライトセンサス、糞虫調査、群落調査、毎木調査、センサーカメラの設置、テレメトリー調査、個体追跡調査など盛りだくさんのメニューを体験することができた。また、副場長さんや神津牧場内での野生動物の研究をしておられる畜産草地試験場の塚田さんに講義をしていただいた。講義では、神津牧場が日本内でいち早く放牧式の酪農業を始めたことや、牧場の存在がシカに食料を供給し、結果として個体数の増加を助長していることを知った。特に生息地の食料供給量が少なくなる冬季には、シカがロールベールをよく食べるようになるとのことだった。でも私は今まであまり野生のシカを見たことがなかったため、頭では理解していても、問題を実感する機会があまりなかった。だから、今回ライトセンサスを行いシカを実際に見ることができたことはとても貴重な経験だった。
 その他にも今回の実習ではいくつかの動植物の野外調査方法を体験することができたが、私の中でもっとも印象に残ったのはたまたま捕獲されたタヌキの放獣現場の見学であった。
 捕まったタヌキにすれば、狭い檻に閉じ込められ、このあと自分が何をされるかも分からない不安、さらには多くの人間に注視されることによる強いストレス状態が続いていたに違いない。今回の放獣を担ったNPO法人あーすわーむの福江さんによると捕獲された動物はたいてい失禁し、暴れることで自分の身を傷つけてしまうため、捕獲された動物に対しては最低限の人数で扱うようにするということだった。これを聞いたとき、私は捕獲されたタヌキに対して申し訳ない気持ちになった。見学とはいえ、周りに私たちがいることでタヌキにストレスを与えたと認識したからです。
 今回の実習では現場に立つことで初めて感じる人間と野生動物の関係について考える貴重な機会となった。これからも実習で学んだことを忘れずに野生動物と接したいと感じた。


「知る」ということ-シカの観察を通じて

2012-11-02 14:07:01 | 12.10
研究生 中村圭太

私は福岡県出身で、家族と18年間一緒に生活をしていました。母、父、姉、妹、祖父、祖母の二世代家族です。祖父は昨年他界しましたが、お酒が好きな人でした。怒るととても怖いのですが、お酒を飲まなければこんなやさしいおじいちゃんはいないと思います。畑で花や野菜の苗を育てて、田んぼではお米を育てていました。刑事ドラマや演歌が好きで、土曜の8時は必ずテレビを見ていたのを覚えています。ちなみに歌は下手くそでした(笑)。祖父とはたくさん思い出がありますが、私が生まれる前、どうやって育てられて、どんな子供時代だったのか、どうやって祖母と結婚したのか、考えてみると知らないことはたくさんあります。
母はもちろん私たち子供たちが産まれた頃から見守っていますから、とくに乳幼児の頃のことは私たち自身よりもよく知っていることもあるでしょう。でも、だんだん大きくなって学校でのこと、なにを考えているかといったことになると、母の知らないこともたくさんあります。

私は今年の10月6日から23日のあいだ、宮城県金華山島に行って、ニホンジカを観てきました。島には500頭ほどのシカが生息していますが、神社周辺のシカ約150頭については個体識別がされています。私はその中でオクニヌという名前のオスの行動を観察しました。交尾期だったので、オクニヌは多くのオスとさまざまなディスプレイを競い、繁殖なわばりを勝ち取っていました。なわばりを持つオスは、その中の発情メスと交尾することができるのですが、なわばりの外にはなわばりを持てなかった劣位のオス達がいて、オクニヌの隙をみてはメスと交尾しようと狙っていました。また、メスたちもなわばりの外に出よとすることがありました。そのためオクニヌは常になわばり内を見渡し、入ってくるオスを排除し、メス達をガードしていました。観察のかいあって、オクニヌが複数のメスと複数回の交尾をするところを確認することができました。私は、オクニヌを含め3個体のオスを朝から日が暮れるまで観察しましたが、今回観察できたのは優位のオスだけでした。

今回、けっこうがんばって観察したつもりですが、それでも一部のオスのことしか理解していません。それでも交尾期のオスの行動を観察するというはっきりした目的意識をもっていたから理解できたので、漫然と「シカを観察する」だけではその意味が読み取れなかったと思います。
思えば、同じ金華山のシカを調べるといっても、南先生たちはシカの行動を研究し、シカの一生を追ってデータを蓄積されていますし、高槻先生はシカと植物の関係やシカが生態系に与える影響を研究されています。3月の調査に参加したとき、シカのセンサス、死体回収、捕獲などを体験し、サンプルやデータがどんどん蓄積されるのを見て、感動しました。それははっきりした目的意識をもち、それを科学的に実証しようという姿勢があるから可能なのだと思いました。
冒頭に祖父や母のことを引き合いに、家族のことについて知らないことがたくさんあり、また自分自身が知らないことを家族が知っていることもあると書きました。なにごとも知ることができるのはほんの一部であるには違いありませんが、私はニホンジカについて、自分なりのはっきりした目的意識をもって少しでも未知の部分を解明したいと思いました。

実習で体験したこと

2012-11-02 14:01:10 | 12.10
三年生 青木悠香

 10月5~8日まで野生動物管理学実習に参加した。実習地である神津牧場は群馬県の甘楽郡下仁田町にあり標高1000mにある牧場で、10月上旬だったが朝と夜の冷え込みは実家埼玉の冬のそれに相当していると感じた。
 初日は9時に大学を出発しバスで移動。3時間以上かかったが隣の席の友人と話すのはとても楽しく、席が窓際だったので車窓から流れる景色を見たり、と退屈することはなかった。昼食は到着前にバス内で済ませ、到着して荷物を宿舎へ運んだ後、副場長の須山さんと研究員の塚田さんからお話を聞いた。内容はシカによる牧草の食害やイノシシ、タヌキ、キツネによる配合飼料の盗食、それらの対策、シカの出没する地域に関係していること、それらを考慮してどのように牧場を経営していくか、などとても興味深いお話だった。シカの被害が実際計算してみると甚大であったこと、牧場の方の考え方の現状など、ここでしか聞けない話を聞くことが出来た。夜に行われたライトセンサスではキュービームを使用した。これを車から外に向けて照らし、野生動物がいると目が反射して光る。そうして2時間ほど探索した結果、シカがたくさん見つかり、大きい群れでは20頭程のものがあった。眩しいからすぐ逃げるかと思いきや、多くは警戒してこちらをじっと見ていた。他にもタヌキを見つけたが、テンは見つからなかった。
 2日目は午前に糞中トラップを仕掛けに行った。トラップの作製は初めてだったので、虫が入りやすい深さを考えて穴を掘るなど、良い経験になった。植物調査では1m×1mの範囲を折り尺で測り、徐々に面積を広げていき新しく現れた植物をメモする、という植物多様性調査を行った。ススキ群落と林縁で得られたデータがかなり異なっていて興味深かった。また、ほんのわずかな葉や茎でなんの植物か判断しなければならないのはとても難しく、高槻先生の知識の豊富さには脱帽した。夜はバットデテクターを使ってコウモリ調査をした後、友人と4人で野生動物が見られないかと周辺を歩き回った。山ブドウの木の近くで並んで座って話したのはとても良い思い出である。
 3日目、テレメトリー調査がとても面白かった。TAの先輩方にあらかじめ隠された発信機を受信機とアンテナを使って探した。自分の現在地を知るためにGPSも使い、地図に位置測定方法で線を書き込むなどまるで宝探しのようだった。時間はおしてしまったが、最終的に木にくくりつけられた受信機を発見でき、達成感があった。午後は乳牛の個体追跡を行った。自分で1頭観察する牛を選び、3時間程追跡し続けた。立つ、座る、歩く、休む、採食、反芻、その時近くにどの牛がいたか、など5分に1度は必ずデータをノートに取る。途中牛舎に戻ってしまい、観察することのできない時間はあったが、1頭の動物をずっと見続けることによって行動が分かったので面白かった。人懐っこい牛は寄ってきてしまうので、影響がでないように間合いをとるなど、気をつけなければならなかった。
 その後センサーカメラを仕掛け、夜は再び野生動物を探しに山を歩いた。見つけることは出来なかったが、夏の大三角や天の川などとても綺麗な星空が見られた。
 最終日、糞中トラップとセンサーカメラを回収した。自分の班が仕掛けたカメラに野生動物は写っているのかとわくわくした。後日授業で確認した結果、たくさんのタヌキと肢だけだがシカが写っていた。カメラを仕掛けた位置は適当だったようで班員と喜び合った。前日に罠にかかったタヌキがいたので、眠らせて発信機をつける作業を見学した。作業を実際に見られたこととタヌキについてお話を聞くことが出来たのは幸運だった。
最後に、3泊4日と決して短くなかったのにあっという間だった。振り返ってみると内容は盛り沢山で、様々な調査方法や調査に使う機器類の操作方法を知ることが出来た。普段授業を受けているだけでは経験できない貴重なことを体験することができ、このような現地へ行って直接自然や野生動物に接する実習は私のいる動物人間関係学コースの醍醐味であると思うので、今後も積極的に参加して少しでも多くのことを学び取りたいと思う。


牧場の牛と観察する学生

マレーシアで出会ったイーピンさん

2012-11-02 13:54:49 | 12.10
修士1年 山田佳美

 10月9日昼過ぎに日本を出国し、ソウルを経由して10時間以上かけてマレーシアに到着したときには夜10時を回っていました。
 「マレーシアで研究をするから手伝いとして一緒に行かない?」同期の山本詩織さんにそう訊かれたのは8月初めでした。それまでにも山本さんの研究がマレーシアのゾウをテーマにしたものであるとは聞いていたのですが、まさか自分もついていけるとは思っていませんでした。うれしくて、もちろんふたつ返事で了解しました。
 長い機内の時間がすぎてクアラルンプールの国際空港に降り立ちました。入国審査を済ませ、ゲートを出るとそこはまさに「異国」でした。マレーシアは、日本のようなほぼ同じ民族が圧倒的に多いというのではなく、様々な人種、民族が暮らす多民族国家の名にふさわしい雰囲気でした。
 マレーシアはタイ、シンガポール、ブルネイ、インドネシア、フィリピンと隣り合っていて、そのため人口の6割はマレー系ですが、残りの3割は華人系、1割がインド系だそうです。東南アジア諸国ではシンガポールについで在外中国人の割合が高く、中国はもちろん、タイ文化の影響を強く受けているそうです。スパイシーな食文化や、赤色が多い派手なお寺などにあらわれる異質感は街中や大学でも感じられました。
 到着翌日には、ノッティンガム大学でアイムサさんの学生3人を紹介してもらいました。スポーティなイーピン、イスラム系のヌル、中国系のニン。3人ともとてもフレンドリーで、構内を案内してくれました。とても広い構内は、中央の大きな噴水を囲むようにしてそれぞれ目的別の違う色の棟が放射状に並んでいました。構内にはカフェテリアなどの共有スペースがあり、緑が溢れていました。学生たちは活気があり、明るく、構内のいたるところで立ち話やお茶を楽しんでいました。


ノッティンガ大学のキャンパス(撮影、高槻)

 ノッティンガム大学で一番印象に残っているのは、学生たちによるセミナーの様子でした。セミナーには私たちも参加させてもらい、はじめの題目はイーピン(Ee Phin)の研究「Non-invasive monitoring of stress in Asian elephant(アジアゾウへの非侵襲的モニタリングの仕方について)」でした。ストレスを測る指標としてホルモン内のグルココルチコイドを使用し、ゾウのストレスについて研究しているとのことでした。私の語学力では大まかな内容を聞き取るのが精一杯で、それもだんだん熱の入って早口になっていくイーピンの英語にはついていけなくなることもしばしばありました。


セミナーで発表するイーピン(撮影、高槻)

 発表後の質問が先生から多いのは日本と同じだなと思いましたが、答える学生側のレベルと熱意に大きな差を感じました。身振り手振りを使い、笑顔は絶やさずに1の質問に10の言葉で返す。これは質問に対する答えが長く、要領を得ないということではなく、伝えたいことをより多く詳しく答えているためです。残念ながらその全部を理解することは出来ませんでしたが。
 プレゼンテーションも原稿を読むというのは一切なく、話す、伝えるといった感じでした。私が最初にイーピンに抱いた印象は、「スポーティで明るい美人」といった上辺だけのものでしたが、彼女の発表を聞いて、またその後の高槻先生によるセミナーでの彼女の質問から伝わる、知らないことへの探究心や好奇心に驚かされました。私の世界はまだまだ狭いですが、日本で彼女のような学生には出会ったことがありません。私は、自分の語学力の自身のなさから一歩引いてしまい、彼女と彼女の考えについて深く話をすることが出来ず、大変惜しいことをしたと感じました。
 次に高槻先生の発表があり、金華山島のシカの妊娠率や食性、植生の変化などの長期継続調査の内容が紹介されました。もちろん英語でしたが、私は本などで読んだこともある内容だったので理解することができました。イーピンはここでも積極的に質問していました。
 マレーシアでイーピンのような熱意のある学生に会えて、研究の話を聞けて、自分も頑張らねばという決意も新たに日本に帰国することが出来ました。
 最後にひとつ付け加えると、成田に帰って税関でパスポートを提出した日本人職員の方がかけた言葉は「Thank you」でした。パスポートには本名が書いてあるにもかかわらず…。どうやら私を「帰国者」とみていないようでした。インターナショナルな女性にみられたのはうれしいような気持ちですが、それにはまだ遠いな...と感じる10月14日でした。

ミクロ生物学が「わかる」

2012-11-02 13:51:08 | 12.10
高槻成紀

いやなニュースばかりで気がめいっていたが、山中 伸弥教授がノーベル賞を受賞したということで、少し気が晴れたような気がした。なにげなく見ていたテレビの特集番組を見ていて次第に引き込まれ、見終わって深い感動に包まれた。
 私は中学高校のころ、生物は大好きだが、「生物学」が好きなわけではなかった。だから高校生のころ、大学の理学部で生物学を学びたいとは思っていたが、大学に入ってミクロな生物学をしなければならなくなったらどうしようかという不安があった。なぜかといえば、単純に「むすかしくてよくわからない」からだった。いや、はじめてメンデルの遺伝の話を聞いたときは実におもしろいと思ったし、生物の体の中でそういう合理的なことが起きていることを知ることはすばらしいことだとも思った。だが、それを理解することはできても、そういうことを自分が発見したり、ほかの人よりもすぐれた研究をするという自信がまるでなかったからである。
 大学院の教員として、年度末にはたくさんのミクロ生物学の実験成果発表を聞くことになるのだが、ほとんど理解できない。「理解できない」にもいろいろあるが、たいがいはハナから専門用語がわけがわからない。ほとんどは3文字か4文字のアルファベットがならんでいて、「EFGがPQRになったから、XYZが起きているということになります」といった言葉が続く。とても日本語とは思えない。そういうわからなさもあるが、それよりも、いきなり「こうこうこういう実験をしました」ということから始まると、そもそも何のためにそういう実験をしたのか、どこがおもしろいのかがまるで伝わって来ない。
「この人たちは、ほんとうに自分の実験成果を人に聞いてもらいたいと思っているのだろうか」と思いながら、理解出来ない発表に耐えに、耐える。どう考えても専門分野の人がわかればいいと考えているとしか思えない。
 それに比べて山中先生のiPS細胞の研究の重要さの、なんとわかりやすいことか。基礎生物学としての普遍性もまちがいなく革命的だし、もちろん応用的な可能性も無限といえるものであろう。
「ああ、すぐれた研究とは、わかりやすいんだ。」
私はあたりまえのことを家人につぶやいていた。どうまちがっても難解な院生の研究より、山中先生の研究が「わかりやすいからレベルが低い」ことはない。私には「専門的な研究だからふつうの人にはわからないほど高級なのだ」と言わんばかりの発表をする若者の心の内側が気がかりである。
 そのテレビ番組ではほかにもいくつかのエピソードが紹介された。小さな大学にいた若き山中先生が大きなプロジェクトの申請をしたときに採択した人の度量の大きさや、偶然的な要素のある実験課程でのハプニングなども聞いていて楽しくなるものだった。だが、なんといっても私がうれしく思ったのは、山中先生が徹底して自然に対して謙虚であるということだった。
「私が先生ではない。先生は自然だ。」ということばの精神は、「生物はすごい。生命現象は現実にすごいことをやっているが、私たちはその一部しか知らないし、思い込みなどでまちがった解釈をしているかもしれない。知りたいことは真実なのだ」ということにあるようだった。だからこそ、「予想外の結果が出たとき、がっかりする学生が多いが、私は逆に興奮した」ということばが出てくるのだろう。
 そうした考えには大発見をしたから到達したのかもしれないが、どうやらそれは山中先生のもともとの人柄によるところが大きいからのように思った。そうでなければ、成果を惜しげもなく公表し、独り占めしないということはありえないだろう。会見でフワッと肩の力が抜けるような冗談を言える山中先生をみて、これはとてつもないビッグな人だと思った。
 これまでにも物理学や化学などでノーベル賞をもらった日本人は少なくないが、これほどすばらしい人が生物学者であることに格別のうれしさを感じた。