観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

標本を集めるということ

2013-05-27 10:48:48 | 13.5
教授 高槻成紀

 生物の標本について思い返すと、私は少年時代に昆虫採集をして、標本を作ることに熱中した。いっしょに昆虫採集をしていた友達は中学生になると減り、高校生になるとほとんどいなくなったが、私はずっと持続していた。大学生になって植物標本を作ることを教わり、興味をもって標本作りをした。大学院生になって専門的な研究をするようになり、1970年代から金華山でシカの生態学的調査を始めたが、とくに標本を集めることはしなかった。しかし1984年にシカの大量死が起きたとき、これは研究者としてもう一度はないことだと思い、大量のシカの頭骨標本を集めて、見よう見まねで標本を作った。同時に岩手県五葉山ではハンターの協力を得て、駆除されたシカの頭骨標本を作った。カモシカの調査をする機会もあり、それらも集めていた。
 標本を研究に使うと意識をしたのは大量死の死亡集団で、それ以外は「生物学者としての最低限の仕事」といった意識で機会をとらえては標本を確保していたように思う。
 縁は異なもので、大学博物館で仕事をすることになった。私に期待されたのは標本集めではなく、生態学を博物館に導入することではあったが、そのためにも標本は最大の武器であることを自覚した。
 その職場である東京大学総合研究博物館には明治以来の貴重は標本がたくさんあり、触るときに身が引き締まる思いがしたものだ。太平洋戦争が激しさを増すころ、本郷が爆撃を受ける危機感が強まった。結果としてアメリカ軍は重要な文化施設は爆撃対象から外したのだが、日本側はそうは考えていなかった。そのため、標本を「疎開」する動きがあった。研究者や学生が標本をもって田舎に移動させたのだ。私はその話を聞いてとても感動した。標本を疎開させた人たちの思いは「今、直接何に役立つということではないが、これらの標本は過去の研究者が苦労して集めたもので、それを大学が保管してきた。この先、戦争が終わったとき、また研究に使われるだろう」といったものであったろうと想像する。

 学生の頃、植物分類学を志す友人と話をしていてとき、私が生態学や行動学に興味をもっていると言ったら、「行動は標本に残らないからな」と言ったことばが印象に残っている。その人は後に研究者になったが、たとえばラベルをボールペンで書く学生に「ボールペンのインクは百年後に消えてしまうかもしれないだろう」と言っていた。考えている時間が違うなと思った。
 昭和三十年代にセロテープが発売されたとき、植物標本を作ってきた人は画期的なものが出たと喜んで使ったという。それまで紙を短冊に切って、アラビアのりでいちいち貼付けていた作業が多いに簡略化されるからである。しかし数年たったらセロテープの粘着部は変色し、剥げてしまい、使い物にならないものになってしまった。その点、明治時代の標本は和紙で貼られており、しかもラベルは筆で書かれているからよい状態で保持されている。
 こうしたことから思うのは、学問の継続性ということと、それにおける標本の価値ということである。私たちにとって二、三十年は短いとはいえないが、ヨーロッパの博物館の標本は三百年程度の歴史を持つものはざらである。私はシーボルトが日本で採集した植物標本が数年前に里帰りをしたとき、不思議な感動を覚えた。有名なアジサイは「Hydrangea otaxa」と名付けられたが、種小名の「otaxa」はオタクサで、奥さんの「お瀧さん」から来ている。その標本はよい状態で保管されていた。この標本と同じ株は、日本では子孫を増やしたか、枯れてしまったかわからないが、この個体そのものは時間がとまっている。標本には狭義の生物学的使用とは別に、こういうことを考えさせる力ももっているように思う。

 なぜ、こういうことを書いたかというと、今回スペインからリヴァルスさんが来日したのだが、その理由が1984年の金華山大量死の標本を見に来たいというものだったからである。私のシカの食性や大量死の記録の論文を読んで来日したのだが、動物の大量死は考古学的にきわめて価値があるらしい。しかし、その記録はあっても標本が伴っていないことが多いのだそうだ。大量死の標本は、それが実現されていた、世界的にも数少ない例なのだと言われて、ありがたいような、くすぐったいような思いがした。そして「やはり、集めておいてよかった」と思った。自分の研究は論文に書いて一件落着の思いがあったが、標本があったことが、ほかの人の研究に役立ったというのは研究者としてうれしいことである。
 もうひとつある。最近、ある集まりに行ったら「高槻さん、ヒマラヤでいい標本をとってくれてましたね」と言われた。たしかにヒマラヤの植物調査に参加して、山登りと標本集めに明け暮れたことがあったが、名前は専門家が調べて、標本はボランティアの人が作ってくれたものだ。そういう意味では生態学者は標本の近くにはいても、標本と直接対峙していはいない。それでも標本は見る人が見れば、意味をもってくれる。思えば、私の書いた論文はそのうち過去のものになるだろうが、残した標本は半永久的に残るはずである。
 あらゆる研究は新たな発見を目指している。つまり研究者の目は未来を向いている。しかし、それは過去の蓄積の上にあるのであり、現在の研究は過去への敬意なしにはありえない。標本はそのことを具体的に教えてくれるものであるように思う。そんなことを考えながら、日夜、とまではいえないが、時間をみて標本作りに励んでいる。

最近作った標本

ライオン


アムールトラ


ブタ(デュロック種)

人に教えるということ

2013-05-26 22:10:13 | 13.5
4年 小森泰之

 研究室に入りはや1年。新しく3年生が入室し、先輩と呼ばれる立場になった。そうなると、今まで教わる一方であった私に、後輩に教えることも求められるようになってきた。研究室内での作業についてはもちろん、野外で見たものや分からないことも、的確に、しかも理解しやすく説明しなければならない。だが、この「相手に分かりやすく教える」ということは、実際にやろうとすると容易なことではない。
 5月の18~19日、研究室のイベントの一環で山梨県早川町に親睦旅行に行った。昨年と同様、山歩きをして日頃見かけないさまざまな動植物を目にした。私はたまに、見つけた昆虫について聞かれることがあったが、その時は名前やその他簡単な説明をするだけで済んでいた。だが、18日の夜にカジカガエルの説明をしていた時、「大きさはどれくらいか?」と質問されて、私はつい「シュレーゲルアオガエルと同じくらい」などと返答した。直後にこれは大きいミスだと思った。客観的に考えて、シュレーゲルの大きさどころか、そもそもどんなカエルなのかをあまり知らないメンバーも少なくないはずだということを考えていなかった。しかも、確かにカジカガエルの雄はシュレーゲルと同じくらいの大きさだが、雌は雄のほぼ倍の大きさがあることも説明し忘れた。結局、カジカガエルの話はそこで終わり、目的地まで先を急ぐこととなった。
 そのときのことを思い返すと、ものを教える際に気を付けることがひとつ分かったと思う。その後で、ジムグリを捕まえて皆の前で説明する時には、全長やどんな生活をしているかなど、聞かれたことに対し一瞬考えてから的確な返答ができるように心掛けた。ちゃんと全部伝わったかは定かでないが、3年生が熱心にメモを取ってくれていたので解説のやり甲斐があったと感じた。


ジムグリの説明をする筆者(撮影高槻成紀)

 今回の体験で、教えるということは、まず知識を持っていることは当然として、相手の理解の度合いを判断して答え方を変える必要があることを知ることができた。相手が両生類のことをよく知っている人ばかりであったら、上記のような答え方でも問題なかった訳である。さらに、動物について解説するには、その場で言うことの何十倍の知識が必要ということを、昨年の博物館実習で習ったことも思い出した。その点に関して、私はまだまだ勉強することが多いので、今後も多くの生き物について、より多くの知見を得ることに精進したい。そして、願わくはその努力を活かせる仕事に就きたいと思う。

大山のふもとには

2013-05-26 15:18:12 | 13.5
修士2年 山本詩織

 5月の連休のさなか、神奈川県は伊勢原にある大山に登ることになった。地元近くにあり、高校時代にはほぼ毎日眺めていた山だが、これまで一度も登ったことがなかったため、ふと登りたくなったのだ。
 予想はしていたが、私たちと同じような連休の観光客がひしめき、午前10時にも関わらず駐車場はどこも満車だった。警備員にどこか空いている駐車場はないかとダメ押しで聞いてみた。すると、「あぁ、あんたら運がいいよ、ちょっとちょっと」と、見知らぬおじさんに声をかけだしたではないか。そして、そのフリース姿のいかにも人のよさそうなおじさんが、
「おー俺んちに停めてきなぁ、あのもみじがあるとこだから!」と、私たちの車を自宅の庭に停めさせてくれたのである。
 おじさんにお礼を告げ、ふもと行きのバス停まで行くと、警備員が数名立っていた。近くには急きょ作ったであろう喫煙スペースがありお菓子も常備されていた。警備員さんたちも休日なのに大変だなぁと思っていると、友人がタバコのライターを忘れたからと警備員さんに貸してくれと頼んでいた。親切な警備員さんはライターを貸してくれ、友人は至福のいっぷくを味わう。
 バスに乗り込み、下車したところに売店があったので、さっそくライターを買うことにした(友人いわく、空気がおいしい所だとタバコもおいしいらしい)。レジの棚上に売り物と思しきライターを発見したが、値段が書いていなかった。私は売店のおばさんに「ライターはいくらですか?」と声をかけた。すると、「あ、コレもう火がつくか分からないから、ちゃんとつくの選んで持っていっていいよ!」と売店のおばさんは笑顔でライターが入った箱を差し出してくれた。
 なんだか山に登る前から幸先がよく、私たちは登山に向けてより気持ちが高ぶった。
 ふもとのお店をかいくぐると、いよいよ大山登山道が見えてきた。ケーブルカーには頼らず行こうと意気込んで出発したのだが、大山は思っていた以上に壮大で険しかった。登山というか、階段登りであった。気晴らしに周りの景色やヒトの様子を観察していた。登山道沿いのササはシカの食害でハゲあがってはいたが、新芽の出た木々や鳥の鳴き声、赤ちゃんをおぶって登るお父さんの姿を見たりすると心が和んだ。
 頂上に着いたのは14時過ぎ。登った達成感に満たされながら、私が作った不格好なまんまるオニギリと、山道を揺られながらも何とか原形を保っている卵焼きをほおばり、大山から初めて地元の景色を眺める。足の疲れも忘れるような至福の時だった。
 帰りは膝が笑うほど階段を下った。下り終えた時には夕方5時をまわっていて、私たちは庭を貸してくれたおじさんのもとへ急いだ。玄関先でおじさんはまた笑顔で迎えてくれ、私たちは何度もお礼を言って別れを告げたのだった。登山は苦労したものの、最後まで登り切れたのは、ふもとで出会った人たちの優しさに触れられたからではないかと思う。
大山のふもとには 何を見つけられるでしょうか。何と出会えるでしょうか。また行くあなたも、初めてのあなたも。登山だけではない 何かが大山のふもとにはあるかもしれません。

聞こえる声の変化

2013-05-25 17:52:06 | 13.5
3年 佐々木将隆

 広島の片田舎から神奈川へ来てかなりの時間が経った。その中で自分の中の変化というものに最近気づくようになったので、その中の一つを紹介しようと思う。
 タイトルの「声」は、正確には「声」とは違うかもしれない。実家では川に流れる水の音、遠くで鳥の鳴く声、夜になるとうるさいぐらい聞こえる虫やカエルたちの鳴く声など、「自然の声」が日常だった。神奈川に来てからは車や電車などの「機械的な声」ばかりで、自然の声に触れる機会が少なくなった。
 このことを改めて考えさせてくれた機会が、先日研究室の親睦旅行で行った早川のことである。早川で山の中を歩いていた時に目を閉じてじっとしていると、近くを流れる川の音や鳥のさえずる音など、今まで日常的に聞いていた音が新鮮に思えたのだ。どうして今まで日常の中に溶け込んでいた音が新鮮な感じに聞こえたのだろうとその時は深く考えていなかったのだが、親睦旅行が終わり一人暮らしをしている部屋で窓を開けて耳を澄ませてみたところ、近くの道路を走る車の音・終電間近の電車の音・病院に入っていく救急車の音などが聞こえ、気に留めていなかっただけで、こんなにも自分の周りの声は変化していたからだと知った。今まで日常だった自然の声がこんなにも遠くに行ってしまったことには寂しいという感覚がすると同時に、あまり聞きなれていなかった機械的な声が近くにあったのだと副座圧な気持ちになりもした。
 今度実家に戻った時には、そういった変化に気付いたということを頭に入れてあたりを散歩しながら探してみようと思う。

カンボジアで見たサル ―- 常識とは?

2013-05-23 23:01:06 | 13.5
3年 椙田理穂

 私は3月にカンボジアに行ってきた。世界遺産のアンコールワットは密林の中にあり、それも相まって、少し物怖じしてしまうほどの存在感があった。
しかし、ここで紹介したいのはそんな雄大なアンコールワットではなく、そんなアンコールワットにいた野生のサルのことである。私は「サル」と言えばニホンザルのようなサルを想像していたのだが、そこにいたのはそれとは全然違っていた。尾は長く、小柄で身軽にヤシの木を登ったり、背に子どもを乗せ、道を堂々と歩いているサルもいた。
 サルの外見や行動もニホンザルとは違ったが、人との関係も違うと思った。日本では動物園でしか見ないようなサルが、その辺をゆうゆうと歩いている姿に私は驚きを隠せなかった。人が近くを歩いても逃げるそぶりもせず、我が物顔で歩いているサルは、私の中の「サル」を大きく変えるものであった。また、現地の人々はそのサルを見ても当たり前のように気にもしていなかった。それは自分の常識は他から見れば常識ではないのだなと強く感じた瞬間でもあった。もちろん、カンボジアに着いた時から人の生活様式や環境が全く異なっているのは身をもって感じていたが、私はサルに一番驚きを持って行かれた。遺跡を歩いているあいだも、遺跡を見るよりもサルがいないか探してしまった。
 人にはそれぞれの生活があり、生き方がある。普段、何も考えずに1日を過ごしていると、そんな当たり前のこともあまり意識しない。でも、カンボジアの人が日本を訪れたら、きっと私と同じように「これは違う」と反応をするのだろうなと想像した。カンボジアの人は東京に来て、ビルの多さと人の多さに驚くだろう。電車を見て、大きなヘビと思うかもしれない。そして、自然がみられないことにきっと驚愕し、サルなどの動物が周りにいないことが信じられないはずである。自然の中で暮らしているカンボジアの人が「自然がなければ生活をすることができない」と思うのと、都市で育った日本人の私が「こんな密林の中では生活できない」と思うのは、生まれ育った環境と違うところにいられないという意味では共通している。
 先週テレビでアンコールワットの特集をやっており、それを見たとき、改めて「自分は随分遠いところにいたのだな」と実感した。たまには自分の知らない場所に行ったり、いつもの毎日から離れ、違う視点で物事を見てみるのもいいものだと思った。