観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

「北に生きるシカたち」復刻にあたって

2013-11-23 23:05:18 | 13.11
教授 高槻成紀

 「北に生きるシカたち」が約二十年ぶりに復刻されることになった。この本は私の処女作であり、仙台にいて研究者としてスタートし、岩手県の五葉山でシカとササの調査をした三十代の記録として書いたものである。長い時間が過ぎ、私はいま大学退官を間近にしている。このタイミングで復刻になったということに、宿命めいたものを感じながら、これを機に当時と現在との比較をしながら思うところを書いてみたい。
 当時、私は東北大学にいたのだが、実は所属していたのは植物生態学研究室だった。もともと動物生態学を志していたのだが、自分の考える動物の生態学を学べる研究室がなく、植物生態学を勉強するのも無駄にはなるまいと研究室を選び、そのまま大学院に進学し、そして助手に採用された。結果としては無駄になるどころではなかった。この本の中心的なテーマとなったのはシカとミヤコザサとのつながりであったし、並行して金華山という島ではシカとシバのつながりも調べていた。これらに示されるように、私の動物研究の軸は植物生態学にあるのだが、こうした視点は初めから動物生態学に取り組んでいたら持てなかったと思う。
 私は ―当時もそうなのだが ーシカだけを研究しているつもりはない。むしろシカという研究対象をきっかけに、生物のつながりを知りたいと思ってきた。実際、国内外でその後は哺乳類による種子散布とか、群落の管理と送粉昆虫の関係とか、そうした現象の基礎となる食性研究などに取り組んで来た。その過程でいつも思ってきたのは、野外で動植物をよく観察し、自分の目で現象を見つけ、そのことを示すために徹底的にデータをとるということだった。そのような研究スタイルは本書を書く動機になった三十代の五葉山での調査体験で培われたものだった。
 この本で、生態学的に書きたかったのはシカが植物的環境に生きていることの妙味であった。もうひとつは、大学の研究者は専門的な立場から動植物の保全について積極的であるべきだということだった。私は野外調査で現地の人々の交流の中でそのことに気づかせていただいたのだった。
 それと同時に、わかったことを書くだけでなく、その結論に至る過程を描きたいと思った。読者の多くからは、その部分を評価してもらうことが多かった。いま読み直しても、あの五葉山の寒気の中での調査の感覚がリアルに蘇るのを覚える。それはその後の私の研究の血肉になっている。
 この二十年でさまざまな変化があった。たとえば、今は本があまり売れなくなり、大学生が本を読まなくなったが、当時はおもしろい本がいろいろあって、学生はよく本を読んだ。動物の本もいろいろあり、河合雅雄や伊谷純一郎などの世代の本は文学としても卓越しているものがあり、私は愛読した。伊沢紘生、川道武男などは「兄貴」世代としてあこがれながらむさぼり読んだ。哺乳類ではないが、日浦勇、坂上昭一などにも自然を調べることの魅力があふれていた。三十歳代を野外調査に費やした私は、そのような本を書きたいと思うようになった。そのことを宮城教育大学におられた伊沢紘生先生に相談し、どうぶつ社を紹介してもらったのだった。
 当時の記憶をたぐると、私はこの本の原稿をかなり短期間に一心不乱に書いた気がする。渾身の作品といってもよいだろう。編集の過程で、どうぶつ社の久木亮一さんにはたいへんお世話になったが、きびしめのやりとりもした。久木さんは「サルの本は売れても、シカの本は売れない」、「シカが増えているって書いているけど、本当ですか」と当初は出版に乗り気ではなかった。原稿についても注文があったが、私は改善と思える提案は呑んだが、そうでないものは自分を通した。そのとき、自分の中に我ながら驚くような頑固さがあるのを知ったのは、ささやかな自己発見だった。そういえば、あの頃は原稿を旧式のワープロで書いたし、写真はフィルムカメラであった。コダックのフィルムをたいせつに使って撮影したものだ。また本文中にグラフを示したが、グラフだけでは味気ないと思い、イラストを添えるスタイルもこの本で試みたことだった。
 こうしてできた本は望外の評価を得た。とくに尊敬する河合雅雄先生が朝日新聞の書評にとりあげて、絶賛ともいえる評価をしてくださった。その書評が出たとき、私は調査で金華山におり、家内から電話で報せを受けた。その電話も携帯ではなかった。この本を書いたことが私のその後の研究者の在り方に大きな影響を与えたことは確かで、復刻にあたり、改めて河合先生にお礼を申し上げたい。
 そうしたおかげもあってか、この本はすぐに売り切れた。売り切れたあと、たくさんの人から「あの本が手に入らないので、分けてください」と言われたが、私の手元にもなかったのでお断りするしかなく、ずっと心苦しい思いをしてきた。この復刻でそうした心苦しさから解放されるのはうれしいことだ。本書を手にすることができなかった人、とくに若い世代には、野外調査を進めるとはどういうことか、研究成果が得られるまでに研究者は何を考え、どうフィールドを作りあげ、壁にぶつかったときそれをどう乗り越えるのかといった点を読んでもらいたいと思う。
 復刻であるから、オリジナルの原稿には手を入れることはできないが、記しておいたほうがよいことがある。もちろん当時、全力で執筆したのだが、シカの生命表には不適切な仮定があった。また当時、積雪量が多くて遠野盆地以北にシカはおらず、そのことが本書の内容のひとつのハイライトになっているのだが、その後シカの分布は拡大した。この現象把握は正しくないように思えるかもしれないが、このような境界の変化は数百年という時間幅で変動しながらシカやササの分布が決められて来たと考えるのが妥当だと思う。
 そのような弱点はあるものの、今回、改めて読み直して、当時のさまざまな感覚―学生とは年齢が近かったので先輩後輩のような関係であったこと、長距離の運転の疲労感、ハンターとの会話、サンプルとの格闘、ミヤコザサとシカの関係に気づいてデータをみながらわくわくしたことなど―が思い出され、独り立ちしたばかりの自分の情熱が伝わる本として、大筋として合格としてよいだろうと甘めの評価をした。
 変化したことといえば、当時、日本列島にシカはあまりおらず、とくに東北地方では生息はきわめて限られていた。私はシカの群落への影響を調べるために、四国や九州にまで足を伸ばしたが、シカがいる場所は点々としかなかった。ところがこの二十年ほどでシカはたいへんな勢いで増加し、分布を拡大した。シカを研究する人も増え、シカに関する本も出版されるようになった。それでも、本書がこの分野でのパイオニアであり続けたと自負することは許されると思う。
 一方、二〇一一年三月の東日本大震災は五葉山の沿岸部をも襲い、私がよく通った大船渡や釜石が大きな被害を受けた。予想もしなかったこの出来事は私の人生観を変えた。震災後訪れた北上山地は、当時とまったく違いなく美しく、それだけに破壊された沿岸部を見るのは心が痛んだ。願わくば一日も回復を期待したい。
 二十年前に本書を出版したとき、泉下の人となった父に捧げる一文を書いたのだが、本書の復刻の報せを聞く直前に、東北大学でご指導いただいた飯泉茂先生と菊池多賀夫先生が続けて永眠された。私の生き物好きを暖かく見守ってくれた父と、自然を見る目を教えてくださった両先生に、復刻になったことを謹んで報告したく思う。
 自然観察はこれからも続けるが、私はいま大学人としてはユニフォームを脱ごうとしている。行き届かない私が大学人として大過なく終えることができたのは、多くの方が支えてくださったおかげであり、心から感謝したい。また、この三十余年を研究だけに費やすことが可能であったのは、妻知子の献身的な協力があったおかげである。あの頃、私が毎週のように調査にでかけるので、住んでいた大学宿舎では「母子家庭」と言われていた。その三人の娘たちも母親になった。「父の不在」にもかかわらず、まっすぐに育ってくれた彼女たちにもお礼を言いたい。執筆当時の私と近い年齢になった彼女たちが、この復刻版を読んで、あの頃の「お父さん」の生き方の意味を考えてくれるかもしれない。この復刻にはそうした愉しみもある。

本書は1992年にどうぶつ社から出版され、2013年11月25日に丸善出版から復刻出版された。

小さな発見

2013-11-22 22:26:10 | 13.11
4年 朝倉源希
 
 先日、研究室で作業をしていた時のことである。一匹の”アリ”が机の上を歩いていた。一体こんなところまでどうやってきたのだろうかとそのアリを眺めていると、ある異変に気付いた。歩き方がおかしいのだ。少し歩いてはすぐに止まり、また素早く動いたと思えば今後はピョンピョンと跳ねたのである。まるでハエトリグモのようなその動きを見て、私は今までアリだと思っていた生き物が「アリグモ(メス)」であったことに気が付いた。
 改めてそのアリグモを観察してみると腹部がアリに比べて少し萎んでいるように見えるものの、体の色や大きさはほとんど変わらない。しかも前脚を頭の上にあげてアリの触覚のように見立てているため、クモの仲間でありながらまるで昆虫のように足が6本あるように見える。顔はよく見てみるとやはりクモの顔をしていたが、目の色と体の色が同じなためほとんどわからず、全体的に非常によく似た形をしている。このように形態をここまでの完成度に変化させていることにとても興味を抱いた。
 なぜここまで自分の体をアリの姿に似せているのか。仲間だと思って近づいたアリを捕食するため、天敵から身を守るため、ハエなどの飛んで逃げる虫を捕食者であるクモに比べて動きの遅いアリだと思わせることで油断させ、捕食率を上げるためなどいろいろと考えてみたが、結局は後の二つの意味合いが強いのではないかと考えた。理由として、アリは視覚よりも嗅覚が発達しているのに、アリをだますためにここまで形態を似せているところに疑問を感じたからである。おそらく花の一部に擬態し、花にやって来たチョウなどを捕食するカマキリと同じような理由で形態を変化させたのだろう。
 小さな発見ではあったが、初めにただ机に虫が歩いている程度にしか思っていなかったらこのような出会いはなかっただろう。今回のような何気ない普段の生活の中で出会う小さな発見をこれからも大事にしていきたい。


色の変化

2013-11-21 20:30:16 | 13.11
3年 佐々木将隆
 11月となりいよいよ秋本番と思っていたが、あまり寒くならないことに若干の違和感を感じるが、そのことにとくに意識することなく毎日を過ごしていた。
 そんなある日友達が「色かわらねぇな...」とつぶやいた。
私は主語が汲み取れず「一体何のことをいっているんだ」と疑問に思いつつ、友達と同じ位置である並木道に視線をもっていく。そこにあったのは葉が緑色のままのイチョウの木であった。意識して昔の記憶をたどってみると、イチョウは10月以降あたりには黄色く色づいているものだったような気がする。それについて友達に諭されないと気づかなかった自分に「自分は自然に関してこんなにも無関心だったのか...」少し残念に思った。
 せっかく野生動物学研究室に入ったのに、自然にあまり意識を向けていなかった自分に気がついた。
 そんなことを考えて数日を過ごし、急激な冷え込みを感じるような日が続くようになった。ふと、友達が言った言葉を思い出し並木道を見てみると黄色く色づき始めるイチョウがあった。
「色が変わってきたぞ」
 私は少し得意気になって友達に言った。友達は「本当だ。きれいに色づき始めてるな」と笑って言い返した。
 こんな風に自然に関して話しながら歩くこと自体最近では減ってしまったように感じる。思い返すと、小さいころ実家のおばあちゃんと一緒にこんな感じで散歩したことがある。今度実家にもどったときはそういった自然の変化というものを気にしつつ誰かと散歩をしたいと思った。


麻布大学のイチョウ並木 2013.12.11 高槻撮影