観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

「乗れ!」- 前田先生を引き継ぐ

2015-02-01 23:20:09 | 15
教授 高槻成紀

尊敬する先生が亡くなられ、偲ぶ会が開かれた。以下はそのときに書いたそのときの追悼文である。

<マエテイとの出会い>
 前田禎三という名前は知っていた。私は東北大学で植物生態学を研究していたから、森林生態学の文献を読む中で何度かこの名前に出会い、記憶に残したのだった。その後、私の研究はシカのほうに傾いていき、シカの研究者として東京大学に移った。その研究室には林学関係の研究者がおり、前田禎三のことを「前禎」と呼んでいた。曰く、「豪放な人だ」、「大酒飲みだ」、「よく山を歩いた人だ」。中でも印象に残ったのは、秩父の演習林にいたとき、技官さんをつれて山に入ったとき、典型的な土壌プロファイルをみつけ、土壌を取り出すことにしたのだが、サンプルを入れる筒がない。そのとき前田先生は技官の人に向かって「おい、靴下を脱げ」といってその靴下に土壌サンプルをもって帰ったということだった。そういう話をするとき、誰もが困った人だというような表情をしながらも、決して威張って強引な人というのではなく、森のことが知りたくてそのためには夢中になってしまう、愛すべき人だという雰囲気だった。規則や形式を重んじて、やりたいことを遠慮するような研究者とは対極の人だということであろう。
 ある集まりがあり、噂の「マエテイ」の話を聞いた。そのときもほろ酔い加減であったように思う。話が始まって2、3分で確信することがあった。先生が私と同じ米子の出身だということだ。
 山陰地方は歴史が複雑で、町ごとに言葉が違う。同じ鳥取県でも頭部の鳥取市と米子市ではまったく違うし、そのあいだにある倉吉もまた違う。もちろんその西の松江に行けばさらに違う。私は父の仕事の関係でひっこしが多く、倉吉で生まれ、米子、松江、また米子にもどると転々とした。そのため、言葉に敏感になり、違いがすぐにわかるようになった。だから前田先生のことばは山陰というだけでなく、鳥取県というだけでなく、米子そのものだということが確実にわかった。懇親会になって先生に「先生、米子でしょう」といったら「なんでわかる?」と答えられた。どうやら自分は標準語を使っているつもりのようだった。「なんでわかったじゃないですよ、米子弁そのものじゃないですか」というと「そげなもんかなぁ」と来た。
 それで意気投合して、「米子のどこだ?」「尾高町です」「ああ、あそこにはうまい蕎麦屋がある」「ああ、大黒屋ですね。あの蕎麦屋の借家に住んでたんです」「おお、そげか」という具合だった。

<金華山にて>
 前田先生はブナ林の調査をしておられた。大規模な実験を含め、徹底した野外調査でそれまでわかっていなかった多雪地のブナ林のことを明らかにされた。後日奥様にうかがうと、若い頃は昼間は山で森林の調査をし、夕方、家に帰って夕食をとると、また演習林にもどって分厚いドイツの原典を読破するという毎日を送っておられたそうである。
 私は宮城県の金華山でブナの天然更新とシカの影響を調べたことがあったので、一度金華山に来てくださいといった。遠いところだから、実現するかどうかわからなかったが、先生は身軽に来られた。金華山では黄金山神社という神社に泊まる。そこから山に登るのだが、金華山はけっこう険しいので、先生にはちょっと大変そうだったが、それでも実に楽しそうだった。金華山のブナにはいわゆるコワブナといわれる太平洋側の冬に乾燥する気候に適応的な葉が小さくつやのあるタイプのものと、多雪地である奥羽山地のものほどではないが、かなり大きめの葉のものが共存する。そのことの意味はわからないのだが、標本をとっておきたいと思っていた。前田先生にその話をすると、
「採れ」
と言われる。採れといわれても、ブナの木の枝には手が届かない。あれこれ挑戦してみたが、うまくいかないので、「また次の機会にしますよ」と言ったら、「乗れ」
と中腰になられた。
「先生、いくらなんでも先生の肩には乗れませんよ。私ががんばりますから、先生が私に乗ってください」と言ったものの、内心がっちりした先生を支えられる自信はちょっとなかった。
「ええけん、乗れ」
と語調が強くなったので、覚悟を決めて
「すみません、では」
ともちろん靴は脱いで太ももに乗り、それから肩に足をかけて中腰になって手を伸ばしたらなんとか採集できた。足の裏に感じるその肩はがっちりと鍛えられたものであることがわかった。
 今思うと、登るときはよいが、降りるときどうしたのか覚えていない。たぶん途中でジャンプして着地したのだと思う。
 宿に帰って風呂に入り、部屋にもどると、酒盛りが始まった。私はアルコールはいけないほうなので、おつきあい程度に舌をぬらしていた。神社に阿部さんという土産物の店番をしている人がおられるのだが、その人は私が泊まるときには、部屋に来ていろいろおもしろい話をしてくれた。その夜も阿部さんが来ていろいろ話にもりあがった。私が
「今日、先生の肩に乗ってしまったんですよ」
といったら、
「ハッ、おらが揉んでやっから」
と先生の肩もみを始めた。初めて会った人同士とは思えないほど打ち解けていた。
「おお、ええ気持ちだ」
といいながら、先生はコップ酒でぐいぐいと飲みながらご機嫌になり、そのうち大の字になって沈没してしまった。

<その後のこと>
 その後ご無沙汰していた。ただ「前田つながり」はない訳ではなかった。私は学生の指導でオガサワラオオコウモリを調べに初めて小笠原に行った。そして小笠原の動植物を研究している鈴木創さんに会って大変お世話になった。その頃、スリランカから留学していたローズさん(ウダヤニ・ヴェラシンハ)と媒島の植物を調べるために土壌サンプルをとった。前田先生とは違って靴下に入れることはなかったが、私とローズさんで持てる量は知れたもので、多くを鈴木さんの剛力に頼ってしまった。鈴木さんと話をしていたら、宇都宮大学出身で前田先生の教え子だということで驚いた。
 東日本大震災が起きたとき、私はアメリカの研究者から送られてきた「The Oak Tree(ナラの木)」という詩を訳したのだが、それは東北の言葉をはじめ、日本中の地方言葉に訳された。それを見た鈴木さんは便りをくださり、お父様はその詩を紙芝居風のすばらしい絵に描いてくださった。
 2014年に毎年行っているモンゴルで調査をした。この年はいつもと違い、地下水の専門家が同行された。多田さんは体重が100キロを超える巨漢で、話がおもしろい。地下水の音が聞こえる機械を開発したといってモンゴルの地下水の「音」を聞かせてもらった。それは感動的な体験だったが、多田さんは針金をL字型に曲げて、それを持って手を伸ばし、針金を進行方向に向けて持って歩くように言う。そうすると驚いたことにその針金が突然クルリと横を向いたのである。何度やっても同じところで曲がった。私がキツネにつままれたような顔をしていると、多田さんは
「子供ならだいたい曲がります」
と褒めているのだか馬鹿にしているのだかわからないことを言う。
 多田さんとペアの河合さんは物静かで黙々と作業をしており、地面に電極のようなものをたくさん挿しており、それで地下水の深さがわかるということだった。後でわかったのだが、針金が曲がったところの下には地下水位が高かった。河合さんは新潟大学におられるが、その前には鳥取におられて、そこで「前田さん」にお世話になったと言われる。
「鳥取の前田さん?」
 私は事情がわからなかったのだが、あとでわかったのは、前田先生の息子さん(雄一さん)ということだった。この冬、鳥取大学に招かれて講演をしたが、そこで前田雄一さんにお会いできた。

<人の縁>
 私は人の縁というものの不思議さを思わないではいられない。鈴木さんにしても、河合さんにしても、ましてや前田雄一さんにしても、まともに行けば出会うことはなかったろうし、出会ったとしても「つながり」に気付かなくても不思議ではない。
 このつながりには何かがある。それはうまくいえないが、自然に対して熱っぽい思いをもち、調べることに没頭するような精神をもつ者、そして人の暖かい心根に弱いといった共通点があるように思う。その精神が前田禎三という人に濃厚にあった。そして、そのことが、この不思議なつながりを生んだように思う。あまり科学的な分析ではないがそんなことはどうでもよい。

 前田先生、私たちは先生のようにはできませんが、世のつまらぬ規則や常識よりも大事なものをしっかりと見つめて生きていきます。どうか安心してお眠りください。


その糞は誰の糞?

2015-02-01 23:01:24 | 15
3年 土方宏治

 野生動物学研究室に入室してそろそろ1年がたつ。入室する前は野生動物の知識などほとんどなかった私も1年間の勉強のおかげで少しは知識を蓄えることが出来たと思う。私が勉強をしていて特に面白いと思ったのは動物の糞の見分け方である。動物の糞は種によって大きさ、形はもちろん排泄される場所まで違っており、糞がどの動物のものか見分けることが出来る。例えばタヌキの糞は直径2~3cmの長めの形で、何度も同じ場所に排泄される。キツネの糞も直径2~3cmくらいだがやや短めで、どこか目立つところに排泄され、同じ場所にたまることはない。テンの糞はキツネと同じく目立つところに排泄されるが、直径は1㎝程度でかなり小さい。
 このような違いをたよりに私たちは動物の糞を見分けているのだが、その知識が私の日常で活かされた出来事があった。
 私は普段バイトに通う際、裏道のようなところを通るのだが、そこはイヌの散歩によく使われている。人通りが少ないものだからマナーの悪い飼い主はイヌの糞を放置しているようで、ときどきイヌの糞をみかける。それを見かねた人がいたのだろう、イヌの糞の横にマナーの悪さを注意する置き紙がされるようになった。その置き紙の人の努力のおかげか、しばらくするとイヌの糞は減っていった。
 さらに時間がたち秋の風が吹き始める頃、どうやら置き紙の人にとって「強敵」が現れたようで、置き紙が2枚、3枚と増えていく様子が見られた。その注意の文句は毎回違う文章でしかもなかなか達筆なものだから、わざわざ書いているのかと思うと少し笑いを誘われてしまった。しかし私はバイトに急いでいるのでそれらを大して気にすることはなかった。そしてある日バイトとは違う用事で裏道を通った私は置き紙が4枚まで増えていて、しかも同じ場所に集中していたので、さすがに気になりそれらによく目を向けてみた。すると糞が一つの場所にたくさん集まっている。「ああ、だから紙がいくつも置かれてたのか。」と私は納得したが同時に一つの疑問が浮かんできた。「イヌが何度も同じところに糞をするのか?」そう思い糞を棒で崩してみると中には柿を中心とした果実の種がたくさん含まれているではないか。ふつう飼い犬がこんなにたくさんの果実を丸々食べる事はあり得ない。この糞はタヌキの糞だったのだ。タヌキは秋になるとよく果実を食べるようになるため、その糞にはたくさんの種が含まれるようになる。
 置き紙の人はこの糞をイヌの糞と思い込み、飼い主に換気を促したつもりなのだが、これはどうしようもない。もっとも今はもうタヌキはこのため糞場を放棄した。
 このタヌキと人間の小さな戦いに微笑ましい気持ちになった。だが、思えば私が野生動物の勉強をしていなかったらこの「戦い」に気づくことはできなかっただろう。

冬の調査での楽しみ

2015-02-01 15:39:40 | 15
3年 宮岡利佐子

 冬になると多くの木が落葉するが、その中に常緑樹もある。冬の常緑樹の青さは夏の生き生きとした青さとは異なり、私はどこか寂しげに感じる。私は多摩森林科学園でテンの食性の調査をしており、糞サンプルを集めに行く。冬の常緑樹の印象のせいか、調査にはなにか物足りない気持ちがあるが、最近私は野鳥を観察する楽しみを見つけた。
森林科学園では11月になったら、大きな望遠カメラを担いだお客様が増えた。みなが同じ方向にカメラを向けて懸命にシャッターをおろしていた。私は彼らの横を通り過ぎるのだが、一生懸命見ている先に何がいるのかとても気になった。そういうこともあって、私は鳥の鳴き声に集中するようになり、鳴いた方向を見て鳥を探した。最初は木の中に溶け込んでしまって見つけづらかったり、見つけるのが遅いため飛び立ってしまったりと、中々姿を見ることが出来なかったのだが、毎回鳥を見ようとしているうちに、次第に鳥が目に飛び込んでくるようになった。鳥をたくさん見られるようになると、調査中も楽しく歩くことが出来るようになったのだが、その鳥の種名が分からずモヤモヤした。種名が分からない鳥は特徴を覚えておき、インターネットで調べるか、友人に聞くなどして覚えるようにしている。
 野生動物学研究室に入室する前は、鳥といえばスズメ、カラス、ハト、カモくらいしか知らず、知らない鳥は、「鳥が稲穂を食べているな」程度にしか思わず、あまり興味がなかった。しかし、今は鳥にも興味がわき、鳥の種名を調べ、色などの特徴、鳴き方、飛び方も気になるようになり、観察するようになった。種名だけでも分かるようになると、普段歩いていて何がいるのか分かるのでとても楽しい。また、鳥は種によって鳴き方が異なり、それぞれとてもきれいな音色で鳴く。その鳴き方には、求愛の意味や、警戒の意味などがあり、鳴き方によって意味が異なるそうだ。これからもっと鳥の種名を覚えるとともに、鳴き方で鳥を同定できるようにしたいと思い、今勉強している。



川で水をのむキセキレイ

嫌いだった雪

2015-02-01 13:43:43 | 15
3年 矢野莉沙子

 私は12月生まれの冬生まれなのだが、友達の多くには夏生まれだろうと言われる。冬嫌いが雰囲気ににじみ出るのかもしれない。実際、私は冬が嫌いだ。寒がりなので、何重にも服を着込むので、動くのも億劫になる。それに雪がやっかいだ。冷たいし、積もるし、溶ければ氷になって滑る。雪の日はついつい外に出るのもいやになってしまう。
 そんな私の冬嫌いが少し落ち着いてきたのは、野生動物学研究室に入ってからのように思う。自分の研究試料の採集などのために浅間山に行くことが多くなり、去年の12月と今年の1月は雪山での調査となった。初めは苦手な寒さの中で動けなくなったらどうしようとか、雪にはまったらどう抜け出そうとか、自分の身に起こるであろうことばかり不安だった。しかし実際に雪山を歩いてみると、新しい発見があった。
 10月の終わりに標高2000mで見つけた霜柱が私の興味をひいた。子どもの頃読んだ絵本の中でしか見たことのない立派な霜柱だった。直線状とは限らない、すこしうねった氷の柱が土を持ち上げていて、知らずに踏むと優しい不意打ちをくらったような不思議な感触がさくっという音と共に伝わってくる。それ以降歩く道々に霜柱を見つけては立ち止まってその興味深い姿に見とれる私を、一緒に歩いている先輩が不思議そうに笑っていた。
 そしてなによりも私の心を沸き立たせたのが、荒らされていないきれいな雪の上に残っている動物の足跡である。動物の足跡を見つけるのは誰も歩いていない早朝から山を歩き始める私たちの特権のようなものだ。足跡から動物種や歩いてきたコースや、向かった方角を推測すると、その動物が歩いている姿が見えてくるように感じる。


雪の上に残された動物の足跡

 霜柱にしても、雪の上の動物の足跡にしても、今まで知らなかった感覚で、新しいものに出会ったら、そのたびに感じる素直な感覚を大切にしていきたい。


出会い、触れ合い

2015-02-01 10:11:36 | 15
M1 落合茉里奈

 自分の調べている動物に出会えるのは、やはり心が躍るものだ。なかなか出会えない動物の場合には、その喜びもひときわ大きい。
 私が調べているのは、フクロウだ。こう言うと、大抵「フクロウって何フクロウ?ミミズクとは違うの?」という質問が返ってくる。中学や高校の同級生には幾度か同じ質問をされた。「フクロウという名前のフクロウがいるんだよ。」と答えるようにしている。ミミズクはフクロウの仲間のうち、羽角があるものを言うが、その説明を同級生にしたところ、「じゃあ、フクロウに寝癖がついたらミミズクなの?」と返された。
 実は私はこのフクロウに野生状態で出会ったことは殆どない。家の近くで鳴いていて、探してみようと車を出したことはあるが、結局発見できなかった。成鳥を見たのは4年生まででただの一度だけ。三年生の春に巣箱の傍で飛び去る後姿を見たくらいだ。
 最近、ようやくその機会に恵まれた。よく一緒に鳥を見にいくメンバーで、林道でもドライブしようかと、厚木の方へ出かけた。「フクロウが鳴いているのも聞くよ」と言われたので、カメラも双眼鏡も持って車に乗り込んだ。
 夜も遅く、天候は雨であった。普段はシカやイノシシが飛び出るのだが、その姿も少ない。動物の鳴き声らしきものも聞こえない。
 あんまり見られないなぁ、と思いながらライトの照らす方向を変えると、枝の先にぼうっと白い塊が浮かび上がったように見えた。

「停めて!」

 私の持つライトが照らす先には、フクロウがいた。車の通る一瞬、手首の角度を変えていなければ見つからなかったのだから、偶然が重なったというしかない。車が停まっても人が降りてもフクロウは動かなかった。
 カメラを構えて写真をとったが、暗くて思うように撮れない。目の前に本物がいるのにデジタルカメラの画面に映る小さなフクロウを覗きこんでいるのはもったいないと思い、カメラをしまって双眼鏡に持ち替えた。
 長い尾羽とふわりとした腹の羽が美しい。まるっこい顔も愛嬌があってすばらしい。何より、小鳥みたいにパタパタと逃げ回ることをしないで、じっと枝にとまっている様子が気に入った。
 いつ飛んで行ってしまうかわからなかったので、目に焼き付けようと思って写真はほとんど撮らなかったのだが、1回だけ撮った。暗くて見栄えが悪いが、自分で撮った写真の方が私にとって価値が大きい。



 やがて、人間が煩わしくなったのか、フクロウはふわりと飛び立ち、枝から近くの電線へと移った。しばらくこちらを見つめていたが、ついには目の届かないところへ行ってしまった。
 羽音はしなかった。ふわりと移動する。ハトのようにバタバタと慌ただしい飛び方はしない。動作がゆったりとしているように見え、それがまた美しく思えた。
 これだけでも感動的だが、今年はそれでは留まらなかった。もうひとつ、貴重な体験ができた。
 1月のはじめに、お世話になっている学芸員さんから連絡をいただいた。非常に状態の良いフクロウの死体が届いたとのことだった。いてもたってもいられず、カメラをひっつかんで博物館へ向かった。
 外傷もほとんどない、腐敗もしていない、きれいな死体だった。フクロウの羽は数枚持っているが、全身に触れたことなどただの一度もない。すばらしい体験だった。現在は標本師の方が剥製にする作業を進めている。



幅広の羽に縞模様が美しい。



さわって初めてわかることであるが、フクロウは見てくれよりも相当小さい。剥製にされる過程で、フクロウの全身を洗う作業があるのだが、ふわふわの羽が水でぺしゃんこになったとき、あまりにもフクロウが小柄で驚いた。別人のようだ。嘴が思いのほか大きい。 



 普段羽で隠れているが、フクロウの耳はとても大きい。頭の骨でその空洞を見ることはあったが、羽つきのフクロウではみたことがなかったので、よく観察した。



 顔の横にぽっかりと大きな穴が開いている様子は、なんだか不気味だ。耳だけでなく、目だって頭骨から零れ落ちるのではないかと思うくらい大きい。だが、それが暗闇の中で生きるための適応だと思うと、納得できる。

 生きている姿も感動的であるが、死体はじっくりと見ることができるので、別の感動がある。どちらも忘れがたい、貴重な体験になった。