観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

ゾウのはな子

2013-01-30 00:08:15 | 13.1
4年 佐野朝実

 お正月になると従兄弟と祖母と食事をするのが我が家の恒例行事の一つである。今年は1月2日に吉祥寺でご飯を食べた。吉祥寺に来ると私はある場所に行きたくなる。幼少期から幾度となく足を運んだ「井の頭自然文化園」である。母の実家は三鷹にあったため、母に連れられて吉祥寺・三鷹方面に行くことが多かったのだが、帰りに寄ってモルモットの触れ合いコーナーにずっと居座るというのが私のお決まりであった。そのため私の中では「井の頭自然文化園=モルモット」という図式がとても強くあった。
 小学生になると夏休みに動物園が企画するサマースクールに参加した。私はゾウのはな子のグループに振り分けられ、花子の檻のバックヤードに入り飼育員のお話を聞いたりした。そして最後にはな子に触れながら写真撮影をさせてくれた。そんな貴重な体験から、ゾウのはな子には強い思い入れを今でも持っている。


サマースクールでゾウの花子と(筆者は右から2番目)

 そして今年の1月2日に吉祥寺に来た時もモルモットを抱っこし、ゾウのはな子に会いに行きたいと思った。新年早々であったが、動物園には子ども連れが多かった。ゾウのはな子は相変わらず人気で、檻の前にはお客さんが比較的多くいた。私は久々にはな子を目の前にして悲しい気持ちになった。今年で65歳になったはな子は両目の上の部分が大きく窪み、全身やせ細っていた。狭い檻の中で身体を揺すりながら行ったり来たりする姿を見て胸が苦しくなった。テレビなんかで見る生き生きとした野生のゾウの姿はどこにもない。本来なら森林に生息し、何十キロと移動を繰り返し群れで生活しているはずである。
はな子を見に来た子どもたちに「ゾウ」という生き物がどのように映ってしまうのか心配でならなかった。

恥ずかしがるな*

2013-01-23 16:31:36 | 12
 
教授 高槻成紀

 第二次世界大戦後、私たち日本人は自分たちのことを内気で、生真面目で、ユーモアがない、議論が下手だ、人前でアガりやすいなどと、いろいろ悪口を言われて来ました。私は1949年、戦後4年に生まれましたから、戦前派とは違う教育を受けましたが、こういう性質は変わるわけではないのでうまくゆかず、劣等感を持ちました。アメリカ映画を見て、アメリカの若者がいかに違うかを見て、うらやましいと感じました。あるいは感じなければならないと思っていたかもしれません。
 日本人が海外旅行出来るようになったのは1960年代のことで、当時1ドルは360円(今は90円!)でした。当時、海外旅行は夢そのものでした。私は大学4年生のときにインド旅行をしましたが、父親が「ああ、お前らが海外旅行する時代になったんだな」と言ったものです。その後私はいろいろな国に生態学社として、あるいは一旅行者として訪問しました。スリランカの人は外見はまったく違うのに内気で、周囲からどう見られるかを気にするのは日本人と似ていると思いましたし、逆にモンゴルの人は外見はまったく同じのに、開放的で独立心が強いと感じました。それで私は国民性はやはり環境によって強い影響を受けるのだと思いました。日本は島国で、夏は高温多湿だから植物が豊富です。「あとは野となれ山となれ」というのは植生遷移が速く進むことを表現しています。そうした国土でわれわれの祖先は豊富な水を使って稲作をしてきました。ご承知のように日本は災害列島でもあり、定期的に台風、洪水、地震があります。米を作るには土木工事、田植え、刈り取りと、大人数の共同作業が必要です。そういう社会にあっては「個性的」なことは歓迎されません。農民は土と植物に向かいあい、勤勉で忍耐強さこそが必要でも、おしゃべりは不要です。そのことは収穫に正直に返ってきます。そういう社会では協調的な人が主流になっていくのが当然です。私はそういう社会が日本人の気質を形成してきたと信じています。
 ですから日本人が突然、おとなしいとかまじめすぎるのはよくないと言われて当惑したのは当然です。なにしろそれまでは「男は減らず口をきかないで働け!」と言われてきたのですから。
 そう、私が言いたいのは、人の気質は社会によって影響を受け、その社会は環境によって影響を受けるということです。稲作は日本人気質を形成しました。それをアメリカ人とくらべたら違いは明白です。悲劇は違うことを「悪いこと」としたことにあります。
 私はそうしたアメリカの影響が日本人の自然に対する態度を変えたということを指摘したいと思います。戦後数十年経って、自然を畏れ敬ってきた農民さえもが次第に「科学的に」なり、自然はコントロールできると「認識する」ようになりました。実際、機械によって田んぼは作り替えられ、森林は伐採されました。そうしたことをくり返すなかで我々は徐々に自然は管理できる、恐れるに足らずと感じるようになりました。我々の親世代が一番悔やんだのは日本には技術がなかったことだということでした。だから戦後技術改良に懸命の努力をしました。事実、品質のよい機械を作り、土地や植生の改変が可能になりました。日本社会で影響力のある人たちには必ず工学系の人がいますが、動植物のことを知らないばかりか、興味もありません。私は親世代の戦後の経済復興の努力には敬意を払いますが、それが日本人の自然への態度を変えたことを実に悲しいことだと思います。
 私にいわせれば、その最たるものは原発依存です。日本人は自然が畏れるべきものだということを忘れていたのです。日本列島は原発を作るには危険すぎます。
 私も余生は長くありません。せめてそうした傲慢さを改め、日本人の伝統的な自然への態度を思い起こすことに微力を尽くしたいと思います。


* 実はこの文は「Do not be shy」という英文の「和訳」です。海外の知人に送った文に何人かの人がとてもよかったと言ってくれたので、日本の皆さんにも読んでもらおうと思いました。でも「shyであるな」は「恥ずかしがるな」がぴったりではありません。「もじもじするな」とか「言いたいことははっきりいえ」かもしれません。

トラップにかけられた!

2013-01-23 16:25:30 | 13.1
3年 笹尾美友紀

「テンナンショウ」という植物をご存知だろうか?マムシグサ、ウラシマソウ、ユキモチソウという名前なら聞いたことがある方もいるかもしれない。テンナンショウはこれらを含む、サトイモ科テンナンショウ属の植物の総称である。


テンナンショウ 2012.6/14 八ヶ岳 (撮影:安本)

 テンナンショウを山、森で見た人は気持ちが悪い、毒々しいなどのマイナスの言葉で表現することが多い。苦手な方からすると、
「うわ!出会っちゃった!」
という感じだろうか。しかし私にとっては群生するウバユリの方が気味が悪い。テンナンショウほど美しく、謎に満ちた素晴らしい植物は存在しないのではないかと思っている。そんな大好きな、大好きな研究対象である。


群生するウバユリのつぼみ 2012.7.15 アファンの森

私の研究テーマは、テンナンショウの受粉が誰によって為されているのかを明らかにすることである。一般的にはキノコバエ科、クロバネキノコバエ科だと言われている。この話をする前に少しテンナンショウの説明をしよう。
 テンナンショウの「花のようなもの」は仏炎苞といって葉が変形したものである。この中にとうもろこし状の肉穂花序と呼ばれる花がついている。テンナンショウは雌雄異株で、小さいときはオスであるが、大きくなるとメスへ性転換する。オスとメスの違いの1つに、仏炎苞の出口の有無がある。オスには仏炎苞の下の方に隙間があるが、メスにはない。出口の有無はポリネーター(受粉をする昆虫)にとって生死を分ける非常に重要なものである。


テンナンショウの仏炎苞 2012.5.19 アファンの森


入口と出口の位置

匂いに引き付けられて入口から仏炎苞に入った昆虫は、壁がツルツル滑るため上へ行くことはできない。つまり入口には戻ることはできないのである。しかしオスの仏炎苞は出口があるため、昆虫はそこから外に出ることができる。しかしメスには出口がないため一生外には出られず、そこで死んでいくしかない。このオスとメスの仏炎苞の構造の違いは、ピットホール(落とし穴)トラップとも呼ばれている。
 ここでキノコバエの話に戻ると、実はポリネーターが誰であるのかはこの死んでいる昆虫の数で判断されているようである。しかしただ単にトラップにかかっただけの可能性も捨てきれない。論文や文献を読んでも本当だろうか?という疑問がどんどん湧いてくる。そこで今年は、本当に昆虫はメスの仏炎苞から出られないのか?外に出るのに出口をきちんと使うのか?を調べてみるつもりである。


メスの肉穂花序と仏炎苞の中で死んでいたキノコバエ 2012.6.18

 11月の長野県アファンの森でテンナンショウの実にキノコバエが来ているのを見つけた。日によっては雪も降り、昆虫の姿はほとんど見かけなくなった11月のアファンの森で、生きているキノコバエが見られたのはとても不思議であった。しかも場所は受粉を手伝う植物の実の上である。一体何をしに来たのだろうか。
テンナンショウは観察すればするほど新しい発見がある。昨年の春から観察してきたテンナンショウは、いま雪の下にある。春になって再会するとき、どんな姿で、何を見せてくれるのだろう。これも知りたい、あれも知りたいとつい欲張りになってしまう。
花言葉は「壮大な美」。これが表すのはテンナンショウの仏炎苞だろうか、それとも赤い実だろうか。どちらの姿にしても美しいと私は思う。キノコバエと同じように、気が付くと私は、森の中で一際目を引く植物に魅せられ、すっかりトラップにかかってしまったようだ。トラップにかかったキノコバエと私を見て、作戦通りと彼女たちは笑っているのだろうか。きっとこのトラップからは逃げられない。


赤くなり始めたテンナンショウの実 2012.10.15 アファンの森