4年 佐野朝実
お正月になると従兄弟と祖母と食事をするのが我が家の恒例行事の一つである。今年は1月2日に吉祥寺でご飯を食べた。吉祥寺に来ると私はある場所に行きたくなる。幼少期から幾度となく足を運んだ「井の頭自然文化園」である。母の実家は三鷹にあったため、母に連れられて吉祥寺・三鷹方面に行くことが多かったのだが、帰りに寄ってモルモットの触れ合いコーナーにずっと居座るというのが私のお決まりであった。そのため私の中では「井の頭自然文化園=モルモット」という図式がとても強くあった。
小学生になると夏休みに動物園が企画するサマースクールに参加した。私はゾウのはな子のグループに振り分けられ、花子の檻のバックヤードに入り飼育員のお話を聞いたりした。そして最後にはな子に触れながら写真撮影をさせてくれた。そんな貴重な体験から、ゾウのはな子には強い思い入れを今でも持っている。
サマースクールでゾウの花子と(筆者は右から2番目)
そして今年の1月2日に吉祥寺に来た時もモルモットを抱っこし、ゾウのはな子に会いに行きたいと思った。新年早々であったが、動物園には子ども連れが多かった。ゾウのはな子は相変わらず人気で、檻の前にはお客さんが比較的多くいた。私は久々にはな子を目の前にして悲しい気持ちになった。今年で65歳になったはな子は両目の上の部分が大きく窪み、全身やせ細っていた。狭い檻の中で身体を揺すりながら行ったり来たりする姿を見て胸が苦しくなった。テレビなんかで見る生き生きとした野生のゾウの姿はどこにもない。本来なら森林に生息し、何十キロと移動を繰り返し群れで生活しているはずである。
はな子を見に来た子どもたちに「ゾウ」という生き物がどのように映ってしまうのか心配でならなかった。
お正月になると従兄弟と祖母と食事をするのが我が家の恒例行事の一つである。今年は1月2日に吉祥寺でご飯を食べた。吉祥寺に来ると私はある場所に行きたくなる。幼少期から幾度となく足を運んだ「井の頭自然文化園」である。母の実家は三鷹にあったため、母に連れられて吉祥寺・三鷹方面に行くことが多かったのだが、帰りに寄ってモルモットの触れ合いコーナーにずっと居座るというのが私のお決まりであった。そのため私の中では「井の頭自然文化園=モルモット」という図式がとても強くあった。
小学生になると夏休みに動物園が企画するサマースクールに参加した。私はゾウのはな子のグループに振り分けられ、花子の檻のバックヤードに入り飼育員のお話を聞いたりした。そして最後にはな子に触れながら写真撮影をさせてくれた。そんな貴重な体験から、ゾウのはな子には強い思い入れを今でも持っている。
サマースクールでゾウの花子と(筆者は右から2番目)
そして今年の1月2日に吉祥寺に来た時もモルモットを抱っこし、ゾウのはな子に会いに行きたいと思った。新年早々であったが、動物園には子ども連れが多かった。ゾウのはな子は相変わらず人気で、檻の前にはお客さんが比較的多くいた。私は久々にはな子を目の前にして悲しい気持ちになった。今年で65歳になったはな子は両目の上の部分が大きく窪み、全身やせ細っていた。狭い檻の中で身体を揺すりながら行ったり来たりする姿を見て胸が苦しくなった。テレビなんかで見る生き生きとした野生のゾウの姿はどこにもない。本来なら森林に生息し、何十キロと移動を繰り返し群れで生活しているはずである。
はな子を見に来た子どもたちに「ゾウ」という生き物がどのように映ってしまうのか心配でならなかった。