観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

金華山での初めてシカの観察

2014-12-30 13:13:23 | 14
3年 山本 楓


 野生動物学研究室に入室してから、12月までの間に沢山の調査に参加することがましたが、その中でも一番印象が強かったのは金華山(宮城県)です。
 高校生の頃に麻布大学との連携の授業で金華山の話を聞いて以来、金華山でシカの研究をするのが私の憧れでした。そのため、研究テーマも金華山のニホンジカに関することにしたいと考えていました。そして、念願がかなって金華山のニホンジカのグルーミングを調べることになりました。
 入室したての頃は自分のデータをとることは決定していなかったので、先輩の調査のお手伝いの際にグルーミングの様子を観察しようと思っていました。今年はお手伝いで7・8・10・11月と4回も金華山に行くことができました。7月は昆虫調査のお手伝いで滞在日数は短かったのですが、シカの行動を考えたシカへの近づき方を教わることができました。「シカ山」と呼ばれる草原で実践してみて、シカは警戒はしましたが、逃げなかったので、すごく喜びを感じました。
 8月は初めて個体識別のコツを教わりました。耳が切れていたり、角に特徴のあるシカは覚えやすく、鹿の子模様とも照合しやすかったのですが、オトナオスや耳の切れていないメスは特徴がつかめず苦戦しました。


角が折れているシシミヌエ


反芻するグツ


近寄ってきてくれたパシツ

 個体追跡にも挑戦して、5分ごとのデータを取るスキャンサンプリングの練習をしました。そして、その個体だけでなく周りで何が起こっているのかも観察するように心がけていたら、一つ一つの行動に意味がある事が実感できました。この調査で行動生態学のより興味を抱きました。


シカの行動記録をとる著者(2014年10月, 金華山, 撮影中村圭太)

 秋の調査は先輩のお手伝いでスキャンサンプリングや個体追跡をしました。スキャンサンプリングをやったことで、オスを中心に沢山の個体の顔と名前を一致させることができました。そして、特に目立った特徴がなくても顔が少しずつ違うことに気づきました。また個体追跡では、追跡していた「オクニヌ」というオスが交尾をする瞬間を記録することができました。授業で話を聞いていたイメージとは違い、静かに始まって交尾までいったので驚きましたが、最初から最後まで観察できてよかったです。
 11月の調査では、長年金華山で調査されている樋口さんといっしょに島を歩かせていただき、個体の性格やおもしろいエピソードなど、自分で観察しているだけではわからないことを沢山教えていただきました。グルーミングの動画の撮影は、始まりを記録することがなかなか難しかったので動物園等で練習する必要性を感じました。でも、最初よりも個体をよく見られるようになったので、もっとシカについて勉強して行動を読めるようにするつもりです。
 このように、今年は金華山で様々なことを学ぶと同時に、課題もわかってきました。来年の春のデータを取り始めるのに備えて準備をしていきたいと思っています。

研究室に入って体験したこと

2014-12-30 11:06:27 | 14
3年 宮岡利佐子
 日々は驚くほどにあっという間に過ぎていくもので、私が野生動物学研究室に入室が決まってから早一年が経とうとしています。卒業論文のテーマは2月に決まり、本格的に調査などを始めたのは4月でした。私の研究はテンの食性で、調査地が高尾と近いため定期的に通って糞の採集に努めました。調査地である多摩森林科学園には、サクラの木やアジサイ、モミジなどが植えられており、1年を通して四季を楽しめる所でもあるので、以前から季節の雰囲気を体で感じることが好きな私にとって、お気に入りの場所です。


森林科学園での森林調査(右端が筆者)

 もともと自然が好きで、景色などはよく見ていましたが、この研究室に入室してから本格的に山に足を踏み入れる機会が増え、より一層自然を感じることが出来ました。先輩方や同級生との交流も増え、色々なところへ調査のお手伝いに行きました。今までに、浅間山、金華山、乙女高原に行きましたが、その土地それぞれの景色や雰囲気があり、また山は季節によって変化するので、今年は色々な自然を体験することが出来ました。
 浅間山ではシカの糞塊調査をしました。草をかき分けながら糞を探す作業はなかなか大変でしたが、下草があまりなく見つけやすいところと、ササなどが密生していて見つけにくいところがあり、森林の構造を意識することができたと思います。
 金華山ではシカの追跡調査をしました。自分の対象のシカを見失わないように集中していると、他のシカがすぐ後ろまで近づいてきていて、調査に支障が出てしまうと思ったのでさりげなくその場を後にしました。この人馴れしているシカの行動は金華山のシカに特徴的なことだ思いました。


金華山のシカ

 乙女高原では訪花昆虫の調査をしました。どの花にどの昆虫が来るかを記録しているうちに、花の名前を覚えることができました。さらに、虫は得意ではない私ですが、一生懸命に蜜を吸う虫を見て可愛らしいと思うことができました。また、柵内と柵外の植物は大きく異なり、柵外はシカによる食害が強く、虫媒花植物はかなり少なくなっていました。植物を通してシカの影響を知ることができたことはとても勉強になりました。


乙女高原のススキ群落

 また、インターンシップでは野生動物の調査会社に行き、カメラの解析やシカの個体数調査を手伝わせていただきました。調査では最初は調査員の方に一緒に歩いていただき、山の歩き方やシカの見つけ方などを教えていただきました。急な斜面や崩れやすいところでの判断力が必要になる場面があり、私は滑落したときのことを考えシミュレーションをしながら歩くようにしました。この調査を通してたくさんの方とお話ができ、いろいろなことを学び、とても良い経験となりました。
このように今年は色々なところへ行き、様々な自然を感じてきました。これらの調査で感じたこと、学んだことを忘れずに、また次の機会に活用できるようにしたいです。これからも積極的に調査について行き経験を積んでいきたいと思います。

小さな住人

2014-11-29 10:58:10 | 14
3年 上杉美由紀

 いつの出来事だったかは定かではないのだが、私の家の玄関の電灯のところにヤモリ(ニホンヤモリ)が現れた。当時私はヤモリのことを知らず、この生き物はなんだと驚き、また当時は爬虫類全般が嫌いだったため、どこかにいってほしいと思っていた。見てすぐにこの生き物のことを父親に聞き、これはヤモリという生き物だ、と教えてもらった。同時に「ヤモリは何もしてこないし、家を守ると言われているとてもいい生き物だから追い払ってはいけない。そっとしておきなさい」とも言われた。私はあまりいい気はしなかったが、家を守ってくれているのならばいいか、と放置することにした。
 ヤモリはとくに珍しくもないのだが、そのヤモリはそれからも1年くらい、我が家の電灯のところから離れなかったので、私には印象的だった。日中はたまにいなくなることもあったが、それでも夕方にはいつもの場所へ帰ってきていた。
 それからは、私は好奇心でときどきそのヤモリを観察するようになった。爬虫類は、大体は気持ち悪いと言われているように思う。私も初めはそうだったが、よく見るとヤモリは思ったよりずっと可愛らしい顔をしていた。観察を何回もしているうちに、自分はヤモリを可愛く感じ、すっかり気に入ってしまった。
 ところが、少し見ないうちにそのヤモリはいなくなってしまった。どこかへ行ってしまったか、捕食されたのかもしれないが、私はただ寂しく、「もう家を守ってくれる子はいなくなってしまったのか」とちょっとがっかりした。
 その寂しさも忘れかけた頃、母が電灯ではなく物置のところにヤモリが現れたと教えてくれた。ヤモリは5年以上生きるらしいから、もしかしたらあのヤモリかもしれない。でも物置にいたヤモリはその日だけしか見かけることはなかった。
 またしばらくたって、今度は家の駐輪場の塀にヤモリがいるのを見つけた。私が大声で「あっ!」と声を出してしまったため、そのヤモリは逃げて姿を隠してしまった。ただ、このとき見たヤモリは電灯で見たものよりも明らかに小さかったから、別のヤモリなのだが、もしかしたら前に見たどちらかのヤモリの子供かもしれない。いずれにしても、私たちの知らないところでひそかに生活していることを知り、とても嬉しく感じ、またほっとした。これからも変わらず家を守っていってほしいと思う。

夏のツバメはどこにいる?

2014-08-23 15:07:19 | 14
修士1年 落合茉里奈

「もうずっと前。京都の宇治川で、はじめてツバメのねぐらを見た日のことをいまでも鮮明に思い出します。夏の夕暮れ、宇治川の堤防の上に立っていると、南に広がる巨椋の田んぼの方からツバメたちはやってきました。彼らは堤防の上を低く飛び越えて、河原のヨシ原に集まりはじめました。堤防に立っていると、身体スレスレにツバメたちが流れていきます。振り返って川の方を見ると、ヨシ原の上はまるでウンカの大群のように、飛んでいるツバメだらけです。ツバメたちはヨシ原にやってきても、すぐにはヨシ原に降りません。いつまでもヨシ原の上を飛んでいます。陽も沈んで、堤防の上を闇がつつみ始めました。あたりが真っ暗になる直前、巨大な蚊柱のように乱舞したツバメたちは、一瞬のうちにねぐらにおさまったのです。数万羽のツバメをのみこんだヨシ原はひっそりとして、もうウマオイとクツワムシの声しか聞こえませんでしたが、私はしばらく蚊に食われながら堤防の上に立ち尽くしていました。」
(上田恵介, 1990『鳥はなぜ集まる?-群れの行動生態学-』, 東京化学同人)

 これは、立教大学の上田先生の本の冒頭にある、ツバメの群れに関する記述である。小さな鳥が大群となって、まるでひとつの生き物のようにうねる様子が目に浮かんでくる。文章からは夏の夕暮れの空気やにおいが伝わってくるようで、まるで先生の隣で一緒にツバメの群れを観察しているかのような気持ちになった。文字での情景描写は、ときに映像以上の感動を与えるものだ。想像力が掻き立てられて、自分も体験したくなってくる。幸いにも、その機会には本を読んでからすぐに恵まれることとなった。
 夏まっさかりの暑い日に、鳥の剥製作りを教えてもらいに、お世話になっている相模原市立博物館へ向かうため準備をした。いつもとは異なり、双眼鏡を鞄に忍ばせて、ちゃっかり調査着まで着込んで意気込んだ。「午後になったら、ツバメのねぐらを見に行く」と聞いていたからだ。場所は、談合坂パーキングエリア。部活の合宿や旅行で何度も通った場所なのに、ツバメのねぐらになっているとは知らなかった。
 車に乗せてもらい、ちょっとして目的地に到着した。高速道路に入らなくても公園沿いにパーキングエリア内に入れるらしかった。ドッグランを右手に見ながら芝生をちょっと歩いて、ツバメのねぐらの真下にやってきた。木の下は「落し物」だらけだ。ほう、かなりの数がこの木にとまるようだ。
 空はまだ明るく、鳥といってもスズメがちらほら飛ぶくらいで、大群が押し寄せる気配は全くなかった。ドッグランがあるので、犬の散歩をしている人がちらほら見られた。
「あのぉ」
突然話しかけられて、少しびっくりして振り向いたら、女性が立っていた。
「すみません、ここでは何か見られるのですか?」
双眼鏡やカメラを構えて、数人の大人が何かを待ち構えるように空を眺めているのだから、気になったのだろう。他にも数人いたが、お話し中であったこともあり、一人でぼんやり双眼鏡を眺めていた私に声をかけてくれたようだ。ちゃんと答えたかったが、私にも大群の規模がわからないので、うまく伝えられない。
「ここはツバメのねぐらになっていて、7時ごろになると大群が見られるみたいなんです。」
「へぇ、そうなんですか。」
もっと珍しいものが見られると思ったかしら。ツバメを待っているなんて思わなかっただろうな。話しながらこんな考えがよぎった。このときの私は心のどこかで「ツバメなど、どこでも見られるのだから」と思っていたのだろう。
 空が濃い青色に染まって、パーキングエリアに隣接しているガソリンスタンドに明かりが灯るころ、気付いたら空がツバメで埋まっていた。ずっと一方を眺めていて、飛んでくるツバメを見ては「きたきた!」と喜んでいたはずなのに、はっとねぐらを振り返ったら、すでにおびただしい数のツバメが飛んでいたので驚いた。「あれ?私ずっと空を見ていたはずだよね?このツバメたち、一体どこからきたの?」と混乱するくらいの数だ。伝わるだろうか。写真には到底収まりきらない数のツバメが飛んでいるのだ。


(撮影:清水)

 木の上を飛び交い、ゆらゆらと揺れる枝先にふわりととまっては、バランスを崩して再び空中に飛び立つ。ちょっと不器用なツバメたちはそれでも何とか自分のとまる枝をみつけて、木におさまっていった。もう、空を覆っていた大群は見えない。目の前の木にとまっているはずのツバメも、薄暗くてよく見えない。空中のツバメが消えてしまったように思える。
 「写真にすると面白いんだよ。」
メンバーの一人がカメラを構えた。パッとフラッシュが光り、木を照らし出した。写真を見せてもらうと、ツバメの白い腹がフラッシュで照らされて、たくさんのツバメが木にとまっているのが見受けられた。


(撮影:清水)

「あの、すみません。」
ツバメを見ていると、また声をかけられた。
「教えていただいて、ありがとうございました。あんまりにもすごかったものだから。待ってみてよかったです。」
先ほどの女性だった。さっきの会話で、ツバメが来るのを待ってくれていたようだ。意外だった。
「このツバメたちは、いつごろまで見られるのですか。」
「えーっと・・・。」
目が泳いでいる私を見かねて博物館の方が助け舟を出してくれた。
「だいたい8月の終りくらいまで見られますよ。それから少しずつ移動して渡りを始めるんです。本来ならこういう場所ではなく、河川敷にねぐらをつくることが多いです。」
女性は興味を持ってくれているようだった。軒先で子育てをするツバメは誰でも見たことがあるだろう。そして、渡りを行うことも誰もが知っているだろう。じゃあ、子育てを終えて渡りを始める前のツバメたちはどうしているのだろう。どこにいるのだろう。そうやってツバメの一生を考えると、よく知っている鳥だと思っていたが、実はそうではないことがわかる。だから面白いのだ。どこでも見られるような生き物でも、知ることは山ほどある。
 ねぐら観察に同行させていただいて、自分が見たかった景色を見られたことはもちろん、その場にいた人と少しだけ交流することができた。やはり、生き物を見て感動を共有することは非常に楽しい。まだまだ生き物を他人に語るには勉強不足な私ではあるが、もっと見て、触って、感動して、「生き物って面白い」ということを伝えられるような人間になりたい。
 夏の一時、一定の場所でしか見ることができないツバメの大群。身近な生き物の知らない顔という意味でも驚きがあるだろうし、期間限定という「レア感」もあるので、ぜひ一度見に行ってみてはいかがだろうか。本を読んで知識だけつけるのではなく、一度映像を目に焼き付けてみるのがいい。「わぁ、すごいなぁ。」好奇心はこう思うところから始まる。

話す側になってみて

2014-08-22 16:27:52 | 14
3年 土方宏冶

 私はこの夏休みに小学生のキャンプのバイトや、インターンシップに参加し、ガイドや昆虫観察会などの自然観察プログラムのお手伝いをした。お手伝いではあったが、このようなプログラムを実行する側に立ったのは初めてのことで、今までにない経験ができた。
 キャンプは長野県の川上村という場所で行われたもので、80人余りの小学生が参加した大規模な企画だった。その中で私は子供たちの世話、ガイドの補佐と昆虫観察会での解説を行ったが、難しいと思ったのは奔放な子供たちを制することと子供たちが楽しめる話をすることだった。私の役割は、山道で子供が危ない目に合わないように誘導することだったのだが、たった十人を扱うことすら難しく、30人前後の生徒を扱う小学校の先生の苦労がうかがえた。また、昆虫観察会は水生生物観察会と夜の昆虫観察会でわかれており、そこで解説をした。私はヘビトンボを調べる中で、ヘビトンボのサナギは噛みついてくるくらい激しく動くということを知り、おもしろいと思ったので、それを子供に話してみた。だが、反応は薄かった。皮肉なことに、私の方から話しかけた時よりも、子供たちの質問に答えて話をする時の方がずっと受けがよかった。たぶん子供には大人とは違う興味の対象があり、それをうまく把握しなければいけないのだろうと思った。
 インターンシップは神津牧場と川上村で行い、神津牧場では木を使ったクラフトと水生生物観察を手伝った。こちらはキャンプに比べると相手は少なく、親子だったので子供の扱いに困ることはなかった。ここでは、事前にキャンプでの経験があったので、それを活かせたのか、ややうまくいった。図鑑と照らし合わせて種類を当ててもらったり、顕微鏡で見たいものを自分で選んでもらったりと、子供の主体性に任せたのがうまくいった要因だと思う。クラフトでは見本をまねしたようなものしか作っていなかったが、これは私が見本の存在を推しすぎたために、子供の自由な発想を邪魔してしまったように思う。子供たちの自主性を活かすことが子供たちを楽しませるためのキーになるのだと思った。
 川上村でのインターンシップでは大人を相手にしたプログラムのガイドの補佐を行った。メインのガイドの人の話す内容が子供たちに話す内容のそれとは明らかに違っていた。ガイドの人がキャンプの時とは違うというのもあるのだろうが、子供たちの時は「目に見える現象」の話が多かったのに対し、このガイドでは「目には見えない仕組み」の話が多いという印象を受けた。途中の休憩では自分の研究対象のアナグマの話をした。アナグマの巣がキツネやタヌキに間借りされてしまう話をしたら結構笑ってもらえたのでうれしかった。
 この夏休みで私は大学での「話を聞く側」から、「話す側」に立ったわけだが、最もよかったのは大人と子供相手に似た内容を話し、その反応の違いを見られたことだった。神津牧場での水生生物観察会では、相手が親子だったため、その違いがよく表れていて、親御さんは水生生物が水質の指標になる話を真剣に聞いていたが、子供たちはそんな話には耳も傾けず、ブヨの幼虫が水面に上がろうと必死に体をくねらせる様子に夢中だった。逆に親御さんの方はそんなブヨの様子には「がんばってるなぁ」と一瞥をくれただけであった。またヘビトンボの話も同じで、子供たちは「ふーん」、という感じだったが、親御さんは「それはすごいですね」と驚いていた。他にもガイドの時は子供たちの質問が飛び交っていたのだが、大人たちからの質問は少なくやや受動的であった。
 話をする側に立つということは話をする相手にその内容を理解してもらわないと意味がない。そのために重要な事は、理解してもらいたい内容について自身が十分な知識と理解を身につけることだと思っていた。しかし、それと同じくらい重要なことが、話をする相手の特徴を知ることなのだと体感できた。そう遠くないうちに自分の研究を発表する機会があるし、人前で話す必要が生じる場合もあるだろうから、今回の経験を忘れず、また話す側になったときは相手のことをよく考えて話を組み立てたい。